第13話 小学生の告げ口
志摩キッズハウスというのは、いわゆる児童養護施設だった。交通事故や病気で両親を失った子供たちに、生活の場を提供する場所。そこの園長さんが、どうやら志摩涼子という、おばあさんらしい。ここまでは、近所の噂好きなおばさんから教えてもらった。
「けっこう近いな」
俺は臼井さんのアパートから、いったん自宅へもどって、富美子の様子を確認した。すると──いないじゃないかッ! どこへ行ったんだ。いくら中身が高齢者だからって、勝手に外出は困る。徘徊老人だぞ。俺は悪態をつきながら、自転車に乗りなおして、キッズハウスへ向かった。10分ほどで到着する。だだっぴろい敷地に、遊具や倉庫が並ぶ、やや殺風景な場所だった。
夏休みだからか、ブランコや砂場には小さな子供たちがみえた。そのなかのひとりが、こちらを興味深そうにみている。半袖半ズボンの男の子。なんだか気まずい。彼らだけの聖域に、土足で踏み込んでいるような気分になった。
「……よし」
俺は意を決して、敷地に入る。アスファルトすら敷かれていない剥き出しの土のうえを通って、一番大きな建物へむかった。多分そこが事務室だろうと、当たりをつけたのだ。違ったら違ったで、だれかが教えてくれるだろう。
俺は玄関につくと、チャイムを鳴らした。
「先生、だれか来たよッ!」
とびらの向こうから、威勢のいい女の子の声が聞こえた。それから「はいはい」という大人の女性の声。パタパタと足音が聞こえて、玄関がひらいた。真っ白な髪が特徴的な、丸顔の女性があらわれた。眼鏡をかけて、にこにこしている。
「おはようございます」
先に挨拶された。俺はすぐに挨拶し返す。
「おはようございます……志摩涼子さんにお会いしたいのですが……」
「志摩は、私ですよ」
だいたいそんな気がしていた。いかにも園長先生って感じだもんな。俺は自己紹介したあと、これまでと同じ嘘をついて、荷物の在処をたずねた。たしか送り主は太宰さんで、ビデオデッキとVHSのセットだったはずだ。
すると志摩さんは、すこし戸惑ったような顔をした。
「あの……おっしゃることが、よく分かりませんが」
「単刀直入に言うと、志摩さん宛の荷物のなかに、祖母の形見が入っているかもしれないんです」
「菅原富子さんのことでございましょうか?」
「え? ご存知ですか?」
志摩さんは、よく知っていると答えた。
「ええ、ええ、富子さんがこの町へ嫁入りなさったときから、よぉく存じ上げておりますよ。お悔やみ申し上げます」
「御愁傷様です」
俺は形式的に答えた。おばあちゃんは生きてるもんな。
「というわけで、太宰さんから送られた荷物を、ちょっと見せていただけませんか?」
おばあちゃんの知り合いなら、すこしくらい踏み込んでも大丈夫だろう。
俺はそう考えた。
ところが志摩さんは、要領をえない返事ばかりで、なかに入れてくれない。
俺はだんだん焦れてきて、
「建物のなかに入れてくださらなくても、結構です。この玄関でも構わないのですが、とにかく、段ボール箱を見せていただけませんか?」
とお願いした。
「とは言いましても、あの箱は重いので……」
おっと、重さに言及したぞ。俺は、しめたと思って、
「そんなに重いんですか?」
とたずねた。
「ええ、私では、とうてい運べません」
「ということは、だれかに運んでもらったわけですか?」
「それは……」
質問は単純なのに、志摩さんは答えられなかった。だれが運んだのか、覚えていないと言うのだ。作り笑いのような表情で、
「いえねぇ、富子さんより5才ほど若いだけで、私ももうすっかりボケてしまいまして」
と、ごまかした。
おいおいおい、めちゃくちゃ怪しいぞ。本命か?
俺は脳みそをフル回転させて、対処法を考えた──いったん、引くか。
ごり押しすると、警察を呼ばれかねない。笠井さんに応援を頼もう。
「分かりました……すみません、朝早くから、お騒がせして」
「いえいえ、こちらこそ、なにもお手伝いできませんで」
俺は玄関をはなれた。背後で、とびらの閉まる音がする。
足を止めて、ちらりと振り返った──なにかあるな。間違いない。段ボール箱を見せるだけなのに、あそこまで拒否するなんて。見ず知らずの男ならともかく、知人の孫だ。高校生だし、怪しまれる要素はなかった。
俺はメモ帳に今の出来事をメモした。
「お兄さん、なにしてるんですか?」
いきなり声をかけられて、俺は振り返った。そして、びっくりした。
「橘くんッ!」
そこにいたのは、あのイケメン小学生、橘真一くんだった。
「おはようございます」
「お、おはよう……なんでここに?」
「僕の家だからです」
なに? 橘くん、孤児だったのか?
「もしかして海に来ていたの、キッズハウスのメンバー?」
「はい、そうですよ」
あのときちゃんと観察していれば、志摩さんもいたわけか。
いやはや、俺はじぶんの観察力のなさには、あきれてしまう。
「透お兄さんは、なにをしてるんですか?」
「ちょっと、荷物を捜しててね」
「忘れ物ですか?」
「うん、まあ、そんな感じ……」
そのとき俺はハッとなった。よくないアイデアが、脳内をかすめる。
「……ねぇ、橘くん、ひとついいかな?」
「なんですか? 富美子ちゃんが、遊びに来れなくなったとか?」
おいおい、今日も遊ぶのか。ほんとプレイボーイ、プレイガールだな。
うらやま……けしからん。
俺は気を取り直して、先をつづけた。
「ひとつ質問なんだけど……先月の15日に、だれかが荷物を配達に来なかった?」
「15日?」
「そう、15日。玄関のチャイムが鳴ったとか、覚えてない?」
「ウーン……覚えてないです」
そりゃそうか。質問が悪かったな。
「最近、家のなかで新しい映画を観た、ってことはないかな?」
「……分かんないです。僕、テレビはあんまり観ないので」
そっか。見た目の通り、アウトドア派か。
どうやら、情報源にはなってくれないみたいだ。俺は半分あきらめつつ、最後の──ひとつと言って、みっつもしてしまった──質問を放った。
「片桐英二っていう男のひと、知らないかな?」
「知ってます」
「うん、そうか、やっぱり……えッ?」
俺は橘くんの肩を、がっしりとつかんだ。
「知ってるのかッ!?」
「お兄さん、肩が痛いです」
俺は、あわてて手をはなした。
ここで泣かれたら、俺は変質者の仲間入りをしてしまう。
「片桐英二ってひと、知ってるの?」
「エイジさんかどうかは分かりませんが、カタギリっていうひとは知ってます。おじいさんですよね?」
ビンゴだ。俺はパニックにならないよう、冷静に努めた。
「そうそう、おじいさんだよ……どういう外見してるか、分かる?」
「白髪で……ハゲてはないです。俳優さんみたいなひとでした」
「眼鏡は?」
「かけてません」
「足が悪いとか、背中が曲がってるとかは?」
「いいえ」
「太ってる? 痩せてる?」
「どっちでもないです」
意外な人物像。そうとう健康なんだな。
つまり、おばあちゃんを窒息死させる腕力も、あったってことか?
「身長は、どのくらいか分かる?」
「大人の身長って、分かんないです」
そうか、下から見上げてるもんな。大人はみんな、おっきいとしか感じないのだろう。
「俺と同じくらいは、あった?」
「……多分」
170センチ前半か。昔のひとだから、かなり高い部類だな。
終戦直後は、男の平均身長が160だったはずだ。
俺のなかで、片桐英二には殺人の余力が十分にあると判断された。一方で、昨晩の疑念が、ふたたび頭をもたげてきた。俳優みたいな男性──おばあちゃんとの接点は、まさか──いや、やめておこう。ゲスの勘ぐりだ。亡くなったじいちゃんとおばあちゃんとの仲は、悪くなかったと聞いている。
「お兄さん、そのカタギリってひとが、どうかしたんですか?」
「ん……あ、いや、ちょっとね、話したいことがあるんだ」
「カタギリさん、たまにハウスへ来ますから、そのとき会えばいいんじゃないですか?」
マジかよッ! 捜査が一気に進展したぞ。第一容疑者発見だ。
「いつ? 定期的に?」
「ンー……定期的じゃ、ないです」
「どのくらいの頻度?」
「多いときで……1週間に1回」
少ないな。
「何時頃か、決まってる?」
「はい、それは決まってます。いつも夜です」
「もうちょっと詳しく」
「僕たちが寝たあとですから……夜の10時くらいかな」
「橘くんは、どこで会ったの?」
「トイレに行ったとき、そとでだれかと話してるのを見ました」
「だれかって、だれ?」
「暗くてよく分かりませんでした……男のひとだったかも」
「どうして、一方が片桐さんだって分かったの?」
「『カタギリさん、カタギリさん』って、相手が言ってました」
素晴らしい情報だ。俺は橘くんにお礼を言って、
「悪いけど、俺と話したことは、志摩さんに教えないでね。ほかの子にもダメだよ」
と念押しした。
「分かりました」
俺はお礼に、チョコレートを買ってあげると約束した──変質者のやり口そのものだな──そしてキッズハウスを出ると、笠井さんに連絡した。
《ふわぁ……おはようさん》
「おはようございます。笠井さんですか?」
《非番のときくらい、ゆっくり寝かせてくれよなぁ》
俺は橘くんから得た情報を、笠井さんに伝えた。
笠井さんは黙っていたけれど、電話越しに、気迫がありありと感じられた。
《……その情報、間違いない?》
「小学生の言うことですから、細部は間違ってるかもしれません。でも全部が嘘ってことは、ないと思います。片桐は、このキッズハウスに出入りしてます」
《なるほどねぇ……荷物が異常に軽かったのは、片桐が中身を抜いたからか。VHSの箱は、キッズハウスに届いてないみたいだね》
「ただ、そう考えると……」
俺は言葉をにごした。
「園長の志摩さんが、嘘を吐いてることになりませんか? 犯罪者をかばうようなひとには、見えなかったんですが」
それとも、俺が外見に騙されているのだろうか。
《先入観は禁物。どちらとも言えない。志摩さんは、透のことを怪しんで、なかに入れなかっただけかもしれないし》
「高校生ですよ?」
《だから、どうだっていうんだ? 高校生の犯罪者なんて、いくらでもいるよ》
それもそうか。俺は納得した。志摩さんについては、保留しておこう。
《片桐は元殺人犯だ。単独行動は厳禁する。私が今夜から、キッズハウスに張り込むよ。透はしばらく自宅で待機してな》
「ま、待ってください……俺も同行させてもらえませんか?」
《ダメだよ。透が襲われたら、私がクビになるだろう》
「絶対に訴えたりしませんから。お願いします」
《訴える訴えないの問題じゃないんだよ。責任問題に発展する》
俺は何度も頼み込んだ。おばあちゃんを殺した犯人は、俺の目の前で逮捕してもらう。それがミス研会長であり、菅原富子の孫である、俺の意地だ。
笠井さんは、大きくため息をついた。
《分かった……子供のころを思い出して、探偵ごっこと参りますか》
「すみません、ありがとうございます」
俺たちは今夜の張り込みについて、念入りに打ち合わせした。笠井さんは、俺の安全を考えて、家のまえでピックアップすると言った。そのままキッズハウスの近くまで行き、2人で見張りをするのだ。
《いいかい、私の指示があるまで、絶対に動いちゃダメだからね》
「分かりました。約束します」
《それじゃあ今夜9時に、透の家のまえで……すっぽかすなよ》