第10話 その男、殺人犯につき
「片桐英二……?」
笠井さんの口から出た名前を、俺は復唱した。
笠井さんは「ふむ」と小さくもらした。
「聞いたことはないか?」
「いえ……まったく……」
「それは残念だ」
笠井さんはリモコンを教卓のうえに置いて、窓辺へむかった。
室内は暗く、そとの真夏の日射しが、白く輝いてみえた。
「片桐英二って、どんな男ですか?」
「それがな……こちらでも、捜査が難航しているんだ」
「どういうことです? 住所不定とか?」
笠井さんは窓をあけた。熱風が室内に吹き込む。
冷房の風と混ざり合って、かえって心地よい。土の香りがした。
「片桐英二、73歳、横浜市出身……前科者だ」
「前科? 内容は?」
「殺人だ」
「!」
俺と京香は、お互いに顔を見合わせた。
「ひとを殺したんですか?」
「18のとき、地元のチンピラを撲殺している。裁判記録によれば、金銭トラブルだったらしい。当時の少年法にしたがって、5年から10年の不定期刑を言い渡され、5年後に出所した」
凶悪犯の登場に、俺は身震いした。
「そのカタギリって男と祖母とのあいだに、どういう関係が……?」
「今年の6月になって、老人ホームの菅原富子を訪問している」
二度目の衝撃。
「つまり……この町に、元殺人犯がいるってことですか?」
「まだ逃亡していなければ、な。ただ私としても、前科持ちというだけで、犯人と断定するつもりはない。重要参考人というだけだ。なぜ片桐が菅原富子を訪問したのか……透には、このあたりの背景を調べてもらいたい」
「背景って言われても……俺は刑務所のツテなんかないですし……」
「そういう意味じゃない。菅原富子が晩年に片桐と接触していなかったか、そこを調べてもらいたいんだ。ふたりのあいだにも金銭トラブルがあったのかもしれない」
俺は、なんとも答えようがなかった。
それって、完全におばあちゃんのプライバシーだ。
「ちょ、ちょっと考えさせてください」
「なぜだ? この件に首をつっこんだのは透だろ?」
「ぷ、プライバシーですし」
笠井さんは目を細めた。蛇ににらまれたような感覚。
「おまえ……この件を部外者に相談してるんじゃないだろうな?」
「それはないです」
俺は笠井さんの目を、しっかりと見つめ直した。
本人の了解をとっているだけで、部外者には漏らしていない。
だからウソをついているつもりはまったくなかった。
「……分かった、信用する」
「ありがとうございます」
笠井さんはうんと背伸びして、グラウンドをながめた。
「久々の母校っていうのは、いいもんだな」
「帰郷してなかったんですか?」
「刑事になるため、頑張ってたからな」
笠井さんの話によると、ふつうの警官から刑事になるのは、とても大変らしい。
まず検挙率をあげないといけないし、むずかしい試験もある。コネも重要だ。
「笠井さんは、どうして刑事になろうと思ったんですか?」
「ンー……むかし、透たちと探偵ごっこしてたの、覚えてる?」
探偵ごっこ? 俺は、記憶になかった。
「ああ、さすがに覚えてないか。あんたたち、小学生だったもんね」
笠井さんはそう言って、窓辺から腰をあげた。
「なにか質問は?」
ありません。俺たちはそう答えて、解散になった。
京香は剣道部のミーティングがあると言って、道場へむかった。
笠井さんは校門のところで、白い軽自動車をゆびさした。
「送って行ってやろうか?」
「いいんですか?」
「いいよ。ガソリンの減り方が、ちょびっと早くなるだけだ」
俺はお礼を言って、自宅まで送ってもらうことになった。
そのまま助手席に乗った。
笠井さんはシートベルトを締めて、ラジオをつけた。ニュースの時間だった。
地元のH大学で、今年初めてのオープンキャンパスが……
本日、県内の広域公園陸上競技場で開かれる国際親善試合に……
駅前のデパートで市がひらかれ、客は日本中の特産品に舌鼓を……
当市出身のアイドルAさんが、大物プロデューサーと入籍……
「ローカル局ですか?」
「ああ」
笠井さんはアクセルを踏んで、ハンドルを右に切った。
道路へ出て、ドライブを始める。
「日本は今日も平和だねぇ」
「ま、それが一番だと思いますけど……」
アナウンサーが変わり、女の声になった。
《こんにちは、暮らし活き活きの時間です。今年に入り、H県内部では、お年寄りの窒息死が相次いでいます。食べ物がのどに詰まるなど、よく知られた事故ですが、先月に入ってから、高齢の女性が就寝中、呼吸困難になった事例も報告されました。今日は、その予防と対策を……》
笠井さんは、右手でハンドルを叩いた。
「チェッ……だれかリークしやがったな」
「まさか祖母の事件ですか?」
「だろうね。うえは事故死で確定させたってこと」
俺はすこしばかり不安になった。
「笠井さんは、大丈夫なんですか? こんな極秘捜査で?」
「片桐英二の存在は、私しかつかんでない。それを報告するだけでも、大目に見てもらえるだろうね。ただ、ちょいと小言はくらうだろうけどさ」
「……そうですか」
俺はそのあと、黙って車窓の景色をおった。
自宅のまえで降ろしてもらい、お礼を言う。
「なるべく早くしてね。ただし証拠が残るから、メールとかSNSは勘弁」
「分かりました」
軽自動車を見送った俺は、さっそく富美子をさがした。
富美子は自室で寝っ転がり、アイスキャンディーをほおばっていた。
テレビをみている。ニュース番組だった。
さっきラジオで聴いたのとおなじような内容だ。
このへんがあんまり小学生っぽくないんだよな。
「富美子、ちょっといいか?」
俺はビデオの件を話した。
富美子は真剣に聞き入ったあと、
「荷物の出入り、ね……そこにヒントがあるかもしれないねぇ」
とつぶやいた。
「ひとが入ってたと思うか?」
「さすがにムリじゃないかい。運送屋は5、60キロのものは引き受けないよ」
そうかもしれない。
たしか上限があったはずだ。
「それにひとが入れそうな大きさでもなさそうだしね」
「そうだな……ところで、片桐英二って知ってるか?」
おばあちゃんはアイスキャンディーを落とした。
あわててひろいあげ、近くにあったからっぽのコップにつっこんだ。
たたみをタオルで拭く。
俺はそれを手伝いながら、
「おい……心当たりがあるのか?」
とたずねた。
富美子は返事をしなかった。
俺はまっすぐに、富美子の目をみつめた。
富美子は視線を逸らして、人差し指でくちびるをなでた。
「片桐英二なんてひとは、知らないよ」
「どうして嘘をつくんだ?」
「どうして嘘だって分かるんだい?」
「おばあちゃんはうしろめたいとき、くちびるをなでる癖があるだろ」
おばあちゃんはハッとなって、指をはなした。
時、既に遅しだ。だてに17年も孫をやってるわけじゃない。昔、俺がテレビゲームのハードを隠されたとき、おばあちゃんに在処を尋ねたことがある。あのときも、くちびるに触れていた。母さんが隠しているところを目撃したのだろう。俺はまだおばあちゃん子だったから、おばあちゃんを困らせないように、ダダをこねるのをやめた。
そう、おばあちゃんはまちがいなくウソをついている。
でも俺はここから、どう話をつなげていけばいいのか、分からなかった。
おばあちゃんと殺人犯が知り合い? どう受け止めればいいんだ?
「脅迫されてたのか?」
「……」
「昔なじみってわけじゃないんだろう?」
「……」
埒があかない。心理的に踏み込みにくい話題だ。
親族の過去なんて、知っているようで知らないものだ。
「笠井さんにも言ったけど……俺は富美子の許可をとりたい。富美子がダメだって言うなら、俺は無理強いしないし、この件は、俺ひとりで調べる」
「事件そのものから、手を引く気はないのかい?」
衝撃的な質問。俺は、自分の耳をうたがった。
「殺人事件なんだぞ? 刑事の笠井さんも、独自に捜査してくれてる」
「だけど、被害者はわたしなんだよ?」
そういう問題じゃない──俺はそう言いかけた。
だがおばあちゃんはなにもかもお見通しという顔で、
「ねぇ、透、相手が殺人犯なら、なおさら危ないよ。よしておきな」
と言った。俺は反論に窮した。
じつのところ──片桐英二が殺人犯だと聞いて、俺はすこし怖くなっていた。
笠井さんといっしょのときはそうでもなかった。警官といっしょで気が大きくなっていたのかもしれない。
「富美子は、俺のことを心配してるのか?」
「当然だろう。あんたのおばあちゃんなんだから」
「じゃあ、片桐英二とどういうつながりなのか、それだけ教えてくれ」
「……」
「頼む。笠井さんにリークするだけでいいんだ」
「……」
この沈黙は、なにを意味するのだろう。俺は不安になった。
もう一度頼み込もうとしたところで、ふと子供たちの声がはじけた。
「オーイ、いいところで会ったな。みんなで遊ぼうぜ!」
あたりを見回したが、それらしい人影はなかった。
「いいよ。でもちょっと人数が足りてないんじゃない?」
「べつに大丈夫だろ。全部で何人いる?」
「ンーとね……7、8、9……あれ、11人いる」
そのとき俺は、ようやく声の出所を察した。
自宅の玄関を出て左手の方向に、小さな空き地があるのだ。ここからは垣根があって見えないが、そこに少年たちが集まっているようだった。
2、3人は、葉っぱの隙間から視認できた。
「どうする? 交代でやるか?」
さきほどから主導権を握っている声。姿はみえないが、リーダー格だろう。
そのリーダー格の少年が、交代制を提案した。
「交代でもいいけど、待ち時間が長くない?」
ぼうずの少年。半袖短パンの、いかにも小学生らしい格好だ。
「じゃあ、僕が抜けるよ」
少し、おとなしめの声がした。
声の調子とは裏腹に、背の低い、よく日に焼けた子だった。
「え、いいのか? ……まあおまえがいると、バランス崩れちゃうけど」
「うん、それに僕は4時までしか遊べないから。一回うちへ帰らないと」
「ああ、校長が言ってたやつか。いいよなあ……」
「遠くで見るか近くで見るかの違いだけだよ。じゃ、またね」
「ああ、楽しみにしてるからな!」
こうして会話は終わり、少年たちは空き地から駆け出した。
それを見た富美子は、思案気な表情で、
「透、こうしないかい? 今からわたしがクイズを出す。正解したら片桐英二がだれか教える、っていうのは?」
と言ってきた。
「クイズ? ……ふざけてる場合じゃないだろ」
「あんたが笠井さんに協力してもらえたのは、だれのおかげ?」
痛いところを突いてくる。
「それは……」
「わたしが代わりに答えてあげたからだろう? 厳しいことを言うようだけど、あんたひとりじゃ、なにもできないんじゃないのかい?」
俺はしぶしぶ認めたうえで、
「だったら、富美子にも事件を解決する気があるんだろう? なんで片桐英二について教えてくれないんだ? まどろっこしいことをする必要なんかない」
と反論した。
「透のことを思ってだよ。あんな簡単な推理もできないのに、首を突っ込んでいいと思ってるのかい? 密室殺人だっていうのにさ」
なるほど、そういうことか。
ようするに俺の推理力を試しているわけだ。
だけどそれだけか? どこかひっかかるところがあった。
「……わかった。受けて立つ。クイズの内容は?」
「さっき抜けた少年の用事とその行き先を当ててごらん」
用事? 俺はきょとんとした。
富美子は、わざとらしいため息をついた。
「会話をちゃんと聞いてなかったのかい」
俺は懸命に思い出す。
「……4時までしか遊べないって言ってたな。そのあとの居場所か?」
「そうだよ。それを当てられたら、協力してあげるよ。ただし、今からあの少年を捕まえて吐かせるとか、そういうのはナシだよ。わたしが見たいのは、透の推理力であって、腕力じゃないんだからね」
なにを言ってるんだ? 知らない少年の行き先?
「そんなの分かるわけないだろ」
「やれやれ、もう降参かい」
「そうじゃない。富美子だって、あの少年がどこへ行ったのか、分からないはずだ。どうやって答え合わせするつもりなんだ?」
富美子が「違う」「ハズレ」と言い続ければ、俺の負けになる。
「大丈夫だよ。証拠は出せるから」
「……ほんとうだな?」
富美子はじっと俺の顔をにらんで、うなずいた。
「……期日は? いつまでに当てればいい?」
富美子はそこで、すこし考えた。
「今日中かね」
「!」
俺はスマホをチェックした。13時55分。
「日付が変わるまえ、ってことか?」
「それじゃあ遅過ぎると思うけど……まあ、透次第だね」
困惑する俺をよそに、富美子はその場を去ろうとした。
「おい、どこへ行くんだ?」
「公園」
「公園? ひとりで?」
富美子は、友達と遊ぶのだと言った。
マジか。もうそんな関係を築いてるんだな。
生前の富美子は社交的だったから、べつに不思議ではない。でも、生き返った老人が子供たちと友情を結ぶなんて、なんだかおかしなことのようにも思えた。
それとも、俺が間違っているのだろうか。
人間、年をとると、だんだん赤ん坊に帰っていくと言うじゃないか。
おばあちゃんのメンタリティは、むしろ小学生に近いのかもしれない。
「気をつけろよ。変なやつにはついて行くな」
俺は富美子を見送って、早速、推理に取りかかった。
……………………
……………………
…………………
………………
どこから始めたらいいんだ?
考えれば考えるほど、解答不可能なクイズに思えてきた。
見ず知らずの小学生の予定を当てるなんて、できっこない。
「まさか言いくるめられたか……?」
ほんとうは答えがないのかもしれない。俺は不安になった。
そこで助っ人を頼むことにした。スマホで京香に電話をかける。
プルル プルル
出てくれ。
《はい、もしもし?》
「京香か?」
《そうよ。なにかあった?》
「ひとつ手伝って欲しいことがある」
富美子から出されたクイズを、俺は伝えた。
すると電波越しに、京香のあきれた声が返ってきた。
《そんなの分かりっこないでしょ》
「無理難題なのは承知してる。富美子とだいじな賭けをしてるんだ」
賭けの内容については、うまくごまかした。
富美子がおばあちゃんの生き返りだというのは、絶対に秘密だからだ。
沈黙──そして、ため息。
《了解。つきあってあげる》
「サンキュ。夕方までに、どこかで一回会えないか?」