第1話 生きていたとは富子さん
先月、おばあちゃんが死んだ──そして生き返った。理由は分からない。
神か仏か悪魔のしわざか、とにかく生き返った。正確に言うと、生まれ変わった。孫の俺が理解できていないのだから、これ以上の説明はもとめないで欲しい。
「透、さっきからなにしてるんだい?」
すらりとした黒髪。弓なりの眉毛。ひとみはつぶらで、ちょっとおてんばな大和撫子、とでも言えばいいのだろうか。体型は──まあ年相応とだけ言っておこう。小学校高学年くらいにしかみえない。
そんな幼女が、タンクトップにスカートで、アイスクリームを食べていた。
「おばあちゃん……死んだんじゃなかったのか……?」
「またその話? 抹香くさいから、やめて欲しいんだけどねぇ」
いや、そういう問題じゃないだろう。俺は返答にこまった。
「殺されたんだろ? 犯人は?」
おばあちゃんは「あ、それ」ととぼけてから、
「わたし、最後の2年ほどボケてたらしくて、記憶があいまいなのよ」
と言った。
それは正しい。おばあちゃんは70を過ぎたあたりでボケはじめて、しょうがないから老人ホームに入ってもらった。あのときは、俺もちょっと泣いちゃったんだよなあ……なんて、懐かしんでる場合じゃないんだよ、これ。
「全然おぼえてないのか? 顔も? 名前も?」
「寝てるときに殺されたんだろう?」
とおばあちゃんは言って、「ぐええぇ」と演技してみせた。ふざけているようにしか見えない。だが警察から聞いた情報と一致していた。死体が発見されたのは、老人ホームのベッドの上らしい。
「警察へ行こう」
俺の提案に、おばあちゃんは「はぁ?」と小馬鹿にして、
「透、あんたほんとに抜けてるねぇ」
と、あきれかえった。
「どうしてだ? 殺人事件なんだぞ?」
「警察に、なんて言うんだい? 『うちのおばあちゃんが生き返りました。事情聴取してください』とでも言うのかい?」
うん、そうだ。おばあちゃんが正論だった。さすがに警察を説得できない。
「おばあちゃん、とにかくだな……」
「それ以上おばあちゃんって呼んだら、怒るよ。どう見てもそんな歳じゃないだろうに」
いや、それはどうなんだ。見た目の問題じゃない。
「おばあちゃんはおばあちゃんなんだよ」
「あんたねぇ、むかしはかわいい子だったのに、いつのまにかグレちゃって……」
昔話が始まった。今はそんなことをしてる場合じゃない。
「そんな昔話は、どうでもいいんだ。とりあえず現場に行って……」
そのときだった。ピンポーンと、威勢よくチャイムが鳴った。この押し方には聞き覚えがある。おばあちゃんのほうも、的確に反応してきた。
「京香ちゃんじゃないの?」
「ああ、俺が出る」
俺は座敷から腰をあげ、縁側をとおって表玄関へむかった。くもりガラスの引き戸を開けると、そこにはショートカットの少女が立っていた。幼馴染の小泉京香だ。
「透、遊びにきたよ」
「取り込み中。あとでな」
京香は「はいはい」と言って、勝手に玄関へあがりこんだ。
「こういうときの透は、なにか隠しごとしてるのよね」
「か、隠しごと? ……そんなわけないだろ」
「バレバレ。しかも女だとみました」
なんで分かるんだ? 女のカンか? それとも、くされ縁か?
困惑する俺に、京香は手荷物を押しつけた。さっさと靴を脱ぐと、廊下にあがり、座敷へ直行した。俺はあわてて追いかけたが、あとの祭りだった。
「あら、かわいいお客さん」
俺が駆けつけたとき、京香はおばあちゃんと御対面していた。
「これはこれは、京香ちゃん、こんにちは。おひさしぶりねぇ」
おい、おばあちゃん、なに言ってるんだ。俺はあせった。
京香もきょとんとした。
「あたしのこと、知ってるの? ……どこかで会ったことある?」
「最後に会ったのは、京香ちゃんが中学二年生のときだったかしら」
京香は眉間にしわをよせ、ひとさし指をひたいにあてた。
記憶をたどっているらしい。
「……ごめんなさい、思い出せない。透の親戚?」
「祖母の……」
俺はあいだに割って入った。
「こいつは、俺の従姉妹」
「従姉妹? 従姉妹がいたの?」
「しばらくうちであずかることになったんだ。おじさんがいそがしくてさ」
「おじさんがいそがしいって……透のご両親、海外出張でしょ? ひとり暮らしの高校生に、押し付けてきたの?」
「あ、うん……おじさんも、同じ海外出張なんだ、3人で……」
俺の必死の説得が功をそうしたのか、それとも京香がなんだかんだで抜けているのか、「ふぅん」とだけ言って、それっきりだった。
「夏休みに子守りだなんて、たいへんね」
京香はそう言って、テーブルのむかいに腰をおろした。
するとおばあちゃんは、
「そうなのよ、透ったら高校生にもなって、洗濯ひとつできないんだから」
と愚痴をこぼした。
おい、ちがうだろ。俺がおばあちゃんの子守りをしてるって意味だ。
俺が子守りされてるわけじゃない。
「あなた、まるでおばあさんみたいなこと言うのね」
京香のひとことに、俺はヒヤリとした。が、それも一瞬のことだった。京香は俺から手荷物──初めて見るクリーム色の布袋だった──を受け取って、なかからオレンジジュースのペットボトルを3本取り出した。どうりで重いわけだ。これだけで1キログラムを超えている。袋のなかには、まだ2本ほどのこっているようだった。
「はい、飲んで」
「めずらしいな。京香がおごってくれるなんて」
「飲み終わったら、キャップについてるシールをちょうだい」
なんだ、景品目当てか。俺はペットボトルをあけて、キャップのシールを読んだ。
「『シールを集めて、イラっクマ人形をあてよう』……ガキだなぁ」
「うるさい。ひとのコレクションにケチつけないでよ。コンビニ限定品なの」
そう言って京香は、俺に手をさしだしてきた。シールをよこせ、ということだ。
俺はシールをはがして、京香に手渡した。京香はポケットから財布をとりだして、シール台をひきぬくと、そこにペタリと貼った。
ひとさし指で順ぐりに数えて、「14、15……あッ!」とさけんだ。
「どうした?」
「マズったわ。一本多い」と京香。
俺は笑って、
「京香は夏になると、頭が回らなくなるからな」
とからかった。からかったとは言え、事実だ。一学期末の考査と、二、三学期末の考査とをくらべれば、京香が暑さに弱いのは明白。順位がかなりちがうのだ。普段は頼りがいのある姉──そう、こいつには弟がいた。とんでもないシスコンで、サッカー部のエースだ。毎日午後は中学のグラウンドで練習している──そんな京香も、夏場は天然ボケみたいになってしまう。小学校のときからそうで、もうネタにもならない。
「ま、いいわ」
と京香は言って、おばあちゃんのほうへむきなおると、
「お名前は?」
とたずねた。冷や汗をかく俺とはちがって、おばあちゃんはにっこりと笑った。
「富美子」
「トミコ? 透のおばあちゃんと、おなじ名前なんだ?」
「漢字がちがうのよ。富士山の富に、美しい子」
おい、なにかってに改名してるんだ。家庭裁判所の許可がないだろ。
「京香ちゃん、シールあげようか?」
「一枚あまってるから、いいわ。ところで透、ミス研のレポートは書いた?」
俺はむせた。無慈悲な京香の視線を感じる。
「もうちょっと待ってくれ」
「夏休み前に出しなさいって言ったでしょ。印刷かけないと、9月に出せないんだから」
「俺のレポートなんか、べつに落としても問題ないだろ」
京香は胸もとで腕組みをして、
「あのさ、それがミス研会長の言うこと?」
と、俺をにらんだ。そう、俺は無縁坂高校ミステリ研究会の会長。ちなみに、副会長は京香だった。3年生は受験でいそがしいから、2年生の俺たちが選ばれたというわけだ。
「京香は、もう出したのか?」
「あたりまえでしょ。朝練のあるあたしが出せて、家でぶらぶらしてるあんたが出せないなんて、どういうことなの」
なるほど、これは反論できない。京香は剣道部の主将でもある。かけもちの京香が出せて、半帰宅部の俺が出せないというのは、筋がとおらなかった。客観的分析ってやつだ。今日だって水曜だというのに、俺はなにもしていない。時間は無尽蔵にあるはずだった。一方、京香は夏休みだと言うのに、毎日午前中は部活にはげんでいた。
まあ、生き返ったおばあちゃんの世話があるからな。俺も1日中寝てるわけじゃない。
京香は「しょうがないわね」と言ってから、ビシッとひとさし指を立てた。
「あたしがネタを提供してあげるから、感謝しなさい」
「ネタ? ネタってなんだ?」
「ミステリのネタよ。いい、これはあたしの実体験」
京香は、さきほどの財布をテーブルのうえに置き、ぽんと叩いた。
「昨日、この財布を紛失しちゃったのよね。家の中をひとりで小一時間、捜しまわるハメになったんだけど、意外なところで見つかったの。さて、どこにあったでしょう?」
俺はペットボトルを口につけたまま、固まった。
「……それだけ?」
「そう、それだけ。『九マイルは遠すぎる』みたいでしょ?」
京香が言っているのは、ハリイ・ケメルマンの有名な短編推理小説だ。ホームズ役とワトソン役のふたりが、「九マイルもの道を歩くのは容易じゃない、まして雨の中となるとなおさらだ」という台詞から、現実に起きた犯罪を突き止める内容になっている。いわゆる安楽椅子探偵ものの傑作だった。
「……トイレ?」
「はずれ……っていうか、ちゃんと推理しなさいよ。あてずっぽはダメ」
俺がなやんでいると、となりでおばあちゃんが、「透、分からないのかい?」と訊いてきた。俺は顔をあげて、眉をひそめた。
「なんだ、おばあちゃんは分かったのか?」
俺がうっかりそう言ってしまったものだから、京香は、
「ちょっと、女の子におばあちゃんなんて言っちゃダメでしょ」
と注意してきた。
俺は建前上、あやまらざるをえなかった。
だが、当のおばあちゃんはなにも気にした様子がなく、小悪魔じみた笑みを浮かべて、
「透が分からないなら、わたしが当ててあげる」
と言った。これには京香もおどろいた。
「富美子ちゃん、ほんとうに分かったの?」
もちろん、とおばあちゃんは返して、食べ終わったアイスクの棒をひらひらさせた。
「じゃあ答えてみて。理由もつけないと、正解にしてあげないからね」
「いいよ。財布が見つかったのは……」