【短編】カトレア~女性だけの世界にたった一人生まれた男性の切ない恋物語~【セカイ系SF】
高度に発展した文明の中で、人類は戦争による遺伝子攻撃により、男性が絶滅した。
1000年後。遺伝子工学が発達し、種の保存のために、人類は独自の進化を遂げていた。
それは、女性だけが存在する世界の誕生だった。
◇◇◇◇
ある日、非常に珍しい遺伝子の突然変異が観測された。
それが、遠い昔に人類が失った【男性】を示す遺伝子であることを最初に知ったのは、小さな病院の老いた医師だった。マリアと名付けられた男の子は、いたって健康だったが、身体的な障害を持つ少女として育っていった。両親もまた、マリアの『奇形』について理解することができず、育児放棄へと至った。医師は孤児院に入ることが決まったマリアに手紙を書いた。
人類は気の遠くなるような長い期間にわたり、女性だけで交配してきた。遺伝的な問題を抱える子供たちは、そんな歴史の被害者だった。マリアは、同じように肉体に問題を抱えている子供たちが集う孤児院へ預けられ、周りの少女達と同様に女性として育てられた。
マリアは内気な子どもだった。だから、常に自分を引っ張ってくれる存在の側にいた。
同じ孤児院に居た同い年のカレンは勝気な性格だった。
また、いつもニコニコと笑っていた1歳年上のレムも明るい性格だった。
マリアはいつも二人と一緒に過ごしていた。
変化が訪れたのは、10歳の冬のある日、カレンの唇にリップクリームを塗っていたときだった。
(どうしよう……気持ち悪い)
感情の高ぶりを自覚して、肉体が強張る。訪れる肉体の変化への恐怖。
「どうしたの? マリア、顔が赤いわ」
「ごめん……ちょっと、気分が悪くて……」
マリアの障害について、カレンは知らなかった。
カレンだけではない。孤児院の子ども達は、お互いが何かしらの傷を持っている。だから、踏み込むのはタブーとされていた。
「大丈夫? マリア、歩ける?」
顔を赤らめて呼吸が浅くなっている無言のマリアを、カレンはそっと抱きしめる。
「大丈夫、私がいる」
「……うん」
いつしかその感情の高ぶりは確かな恋心へと変化し、カレンもまた同じ気持であった。
◇◇◇◇
マリアとカレンは12歳で孤児院を出て、同じ学生寮で暮らし始めた。
同じオンライン授業を受講し、同じ学校へ進学した。
しかし、16歳の声変りをきっかけに、肉体の変化を知られるのを避けるため、次第に避けるようになった。困惑するカレンとは、すれ違う日々が続いた。
そして、マリアが18歳の成人式の日。
古い教会の片隅で、百合の花束を持ったカレンが、マリアに告げる。
「マリア、ずっと言いたかったことがあるの。……私と結婚して欲しい」
「カレン……。ありがとう。私も、言わなければならないことがあるの……」
カレンから結婚を申し込まれたマリアは、今までずっと隠していた肉体の秘密を打ち明けた。
しかし、カレンはそれを受け入れることができなかった。
「ごめん、なさい……」
状況に耐えられなくなり、逃げるように立ち去るカレン。
マリアは悲しみを封じ込め、二度と恋人は作らないと心に誓い、生きていくと決めた。
ずっと信じてきた相手が、自分とは違う生き物だと知り、人間不信に陥るカレン。
しかしその一方で、カレンもまた、マリアとは異なる肉体の秘密に苦悩を抱えていた。
◇◇◇◇
「聞いた? エリア32の集団突然死のこと」
「ああ。あれ、自殺でしょ? なんか、集団自殺っていう噂だよ」
カレンと別れてから3年後。世界的に、集団突然死の奇病が流行っていた。
駆け出しジャーナリストのイヴはこの奇妙な事件について追っていた。
彼女は症例を知るため、カレンが所属する循環器研究で有名な大学を尋ねた。
異なる大学に進学したマリアとカレンだったが、学会で偶然の再会を果たした。
その時、カレンの隣にはイヴが居た。
カレンとイヴはただの友達であったが、マリアはイヴをカレンの新しい恋人だと思ってしまう。
「話があるの」というカレンに、今更話すことはないと拒絶するマリア。
修羅場の中、立ち去るマリアを見たイヴがマリアに一目ぼれをしてしまう。
翌日。イヴから「マリアに惚れた」と告げられ、困惑するカレン。
肉体の秘密を打ち明けられた過去のトラウマが訪仏し、苦悩するカレンだったが、
イヴの存在をきっかけにマリアへの恋愛感情がまだくすぶっていることを再認識する。
当初、イヴをカレンの恋人だと認識していたマリアだったが、誤解であったことを知り安堵する。
カレンへの気持ちを、未だに捨てられていないと認識したマリア。
マリアの安堵した様子を見て、自分に脈があると勘違いしたイヴが、マリアにアプローチを始める。
そしてある日、イヴは意を決してマリアに交際を申し込んだが、見事に玉砕した。
◇◇◇◇
傷心の中、イヴは集団突然死の原因が、人類にとって未知の感染症であったことを知ってしまう。
それは女性だけが持つミトコンドリア遺伝子にのみ作用するというものだった。
女性しか存在しない世界にとって、それは世界の滅亡を告げるほどの脅威だった。
知ってはならないことを知ってしまったイヴに、国家警察から常時監視がつけられてしまう。
報道規制が敷かれる中、複数の国家プロジェクトが動き出す。
病原となるウィルスの発生源を突き止めて根絶するプロジェクト。
ウィルスへの耐性・ワクチンを獲得するプロジェクト。
ウィルスが及ばない地域へと避難するプロジェクト。
発生源の特定は困難を極めた。発生地域に共通するものを見つけられなかった。
ウィルスは既に世界中に蔓延しており、誰がキャリアとなっているのか分からない状態だった。
これは避難プロジェクトにも影響が出た。
さらに、ワクチンを作るには男性遺伝子が必要なことが判明し、類似した遺伝子を持つ人間がいないか、特異な遺伝子を持つ人間について世界中で調査が行われるようになる。
人類の存続が絶望的となる中、隠れて独自調査を進めていたイヴだったが、マリアが男性遺伝子の保有者であることを知ってしまう。
そんな中、一報の電話がカレンに届く。
「レムが、死んだ……?」
レムの死から集団突然死事件を知るカレン。被害者のほとんどが孤児院の関係者だった。
困惑するカレンに、イヴは「あれは集団突然死ではない。何者かに偽装された殺人事件だ」と告げる。
翌日、監視下におかれたイヴの自宅に見せしめの『警告』が届く。
身の危険を感じたイヴはカレンから距離を取るように身を隠す。
イヴが何かを知っていると踏んだカレンは、イヴを探し出して問い詰める。
イヴは、男性遺伝子保有者の身に危機が迫っていることを告げる。
「カレン、心当たりが……あるのね……?」
◇◇◇◇
永久生命維持装置「カトレア」。
太古の昔存在していたそれは、現在も歴史博物館の片隅に眠っていた。
ずっと避けてきたカレンから、レムの死について話したいことがあると連絡を受け、カトレアの前に呼び出されたマリア。
「……あのね、マリア。私、ずっと言えなかったことがあるの」
カレンが涙ながらにマリアに告げる。
「私、子どもを産めない体なんだ。だから、マリアに子どもを産んでもらいたかったの。
私のエゴで、ずっと貴女を苦しめてきた。ごめんね、マリア」
「関係ない」
マリアがカレンを抱きしめる。
「私が好きになったのは、愛しているのは、他の誰でもない。カレン。貴女ただ一人だ」
突入してきた国家警察に拉致されるマリアとカレン。
マリアは被検体として強制収監される。
◇◇◇◇
カレンの身を案じ、収監所からの脱出を試みてあがいていたマリアだったが、
最後の検体サンプル収集の日「カレンは死んだ。彼女は知りすぎた」と告げられる。
突然外に放り出されたマリア。
マリアは愕然とし、カレンのいない世界で生きていくことを放棄した。
イヴが小さなワンルームに訪れたとき、マリアは自らの首にナイフをあて、絶命しようとしていた。
必死に止めるイヴがマリアに告げる。
「カレンはまだ生きている」
「嘘だ」
「嘘じゃないわ。……来て」
イヴに連れてこられた場所は、かつてカレンから結婚を申し込まれた古い教会の地下だった。
様々な機器が配線され、薄暗い中で機材のランプが発光しており、それは異様な雰囲気だった。
その中に、歴史博物館に展示されていた物、カトレアと同じものがあった。
中身が空っぽである博物館の物とは異なり、液体で満たされ、稼働中を示すランプ。
窓からカレンと同じ顔をした少女が見える。
「これは、いったい……?」
困惑するマリアにイヴが告げる。
「彼女は……カレンは、クローンなの。こっちが、オリジナル。そしてこれが、カレンの『記憶』」
「マイクロチップ……まさか……」
「ええ。『カレン』は、オリジナルのこの子『カトレア』が、外で過ごすために作られた模造品」
「そんな……」
「……ここに入っているオリジナルは、声を出すこともできないわ」
カトレアを見つめるマリア。マイクロチップの存在は、カレンの肉体の死を意味する。
むせび泣くマリアがポツリと言った。
「……カレンに、合いたい」
イヴが伝える。
「方法が、ないわけじゃないわ……。貴女に、世界を救う覚悟はある?」
◇◇◇◇
古い教会の地下には、永久生命維持装置が、二つ置かれていた。
300年後。日曜日の教会はミサで少し混んでいる。
スカートを履いた男の子が、教会の前に置かれた石像を指さして父親に質問をした。
「パパ、これなーに?」
「これはマリア様の像だよ。こっちはカトレア様。どちらも女神様だよ」
「マリアさま、おちんちんついてるの?」
「そうだよ。お前にもついているだろう?」
「じゃあ、わたしもめがみさまになれる?」
「はは、そうだね。お前はもう私の小さな女神様だよ」
「えへへ!」
二つの石像は向かい合ってお互いを見つめている。
【ずっと、一緒に居よう】
そう呼び合っている気がした。