1-3 迫る男
【SIDE:咲波春馬】
雨だ。
雨が降っている。
アスファルトに打ち付けられる雨音が酷く耳障りだ。
足下、水たまりに映る自分が笑ってる。
俺はソイツの顔を思い切り踏み潰した。
頭が痛い。
*****
俺は、異世界転送トラックに乗って田瀬介通りを走っている。
転移者は古株佑樹。前にはフィーユの乱入によって失敗したが、今回はその心配もないだろう。
あの後、再びマンダーレを訪ねたが前と違い普通に居た。
景色もいつものめまいを起こすものに戻っていた。マンダーレが言うにはどこにも行っていないらしいが、では俺が見たのは一体何だったのだろうか。
「そういえば米無くなりそうだったかな……」
前回は失敗しているからかマンダーレから何故か給料が出なかったため生活費がギリギリだ。
フィーユの食費の分今までと比べると出費が厳しくなってきた上、妙なぐらい食べる。
異世界からの異邦人でもできるバイトがどこかにないだろうか。
そんな事を考えながらハンドルを切り角を曲がった。
歩道の端で白猫があくびをしてくつろいでいた。野良猫だろうか。
猫は気まぐれに立ち上がるとぴょこんと道路に飛び出してくる。一瞬、ひやりとしてブレーキペダルを踏みそうになったが、この猫はどちらにしても、轢かれない。何故なら……
突然トラックの前に黒い影……古株が突っ込んでくる。
猫を助けようと飛び出してきたつもりだっただろうが、猫は驚いて轢く前にさっとどこかへ行ってしまった。
古株はトラックの前に取り残される。
しかし、いつも猫だな。
まあこれもシナリオ通りだ。これが転送トラックでなければ猫に命をかけた古株は死んでいる。
そして轟音がすると、車体が少し揺れ思わずブレーキを踏んだ。
「いや、待て……音……?」
それを見た時、俺の息は止まったようだった。
恐る恐る顔を上げた俺が見たのはフロントガラスに全身をびたりと張り付けた古株の姿だった。
表情は全く窺えない。喜怒哀楽の表情が無く、ただただ石像のように瞬き一つしない黒目がちの瞳がフロントガラス越しに俺を見つめている。
よく見ると、古株は手にトンカチを握っていた。
そして、古株は手に持ったトンカチを振り上げる。俺はぼうっと古株の腕を見ていた。
直後、鈍い音が鳴り響き、フロントガラスが真っ白になる。
呆けていた頭は今度は一気に熱を持ち混乱し始める。全身の体温が急激に下がっていくのを感じた。
再び古株はトンカチをゆっくりと振り上げた。
「うわぁぁぁ!!」
直後、俺はほとんど半狂乱にアクセルを踏んでハンドルをきって古株を振り払う。古株はしがみつききれずに道路に振り落とされて転がった。
幸い広い道路だったのでそのまま旋回してアクセルを踏み込んだ。ミラーで確認すると古株は爬虫類の様に地面を這いずりながら猛スピードで追ってきていた。
益々体温が下がるのを感じた。反比例して動悸は早まっていく。
更にトラックの速度を上げる。もはやあれは人間ではない。あのドロリとした目、無感動な表情。
バックミラーを見るともうそこまで古株は迫っていた。カサカサと服が擦れるゴキブリの様な音が聞こえてくる。トラックのスピードに追いつてきている。
更に呼吸が乱れてくる。
気付くとヒビのせいで見辛くなった前方は突き当りになっていた。この速度では曲がりきれない!
「うわぁぁぁあ! 何だってんだよおっ!」
あまりの恐怖に硬直した身体から絞り出した叫びが虚しく車内に響いた。同時にどうしていいか、思考が追いつかずに思わず目を閉じた。
次の瞬間、身体がフッと軽くなる。トラックがしばらく余力で走っていたが、それもやがて止まると俺はゆっくりと目を開けた。
まず目に飛び込んできたのはもう見慣れたサイケデリックだった。
「……あ、れ?」
「春馬くん! 大丈夫?」
俺がトラックを辛うじて降りると心配した様子でマンダーレが駆け寄ってくる。俺は腰が抜けてしまっていてその場に倒れ込んだ。
「あ、ああ、なんとか……な」
まだ呼吸が荒かった。冷たい汗が次々と滲み出てくる。
「よかったあ……本当はこんなことしちゃダメなんだけどね」
「ありがとな」
少しずつ呼吸も落ち着いてくる。
「あの古株は普通の人間のじゃあないのか?」
「うーん、ただの人間のはずなんだけど、どういう事なんだろ」
「もしかしてさ……いつか言ってた『世界の意思』ってヤツ?」
そう言った途端マンダーレは突然体をビクッと震わせ俺から目を逸らした。
「えっと……ど、どうかなあ」
『世界の意思』……マンダーレは一体何をそんなに隠したがっているのだろうか。
目も泳いでいるし俺と目を合わせようとしない。
もし古株に追いつかれていたらどうなっていただろう。マンダーレの助けがなければきっと殺されていたに違いない。だが、そもそもこんな仕事さえなければあんな目にあうこともなかった。
こんな普通とかけ離れた事をして、危険な目にもあっているのだからもっと詳しく知る権利だってあるはずではないか?
しばらくの沈黙。
「なあ、マンダーレ」
「へ、あ、はい!?」
声が裏返ったマンダーレがまた驚いて跳ね上がって背筋を伸ばす。
何故何も教えてくれないのか? そんな怒りともつかない感情がふつふつと湧き上がる。
「いや……何でもないよ……」
だが、俺にはその怒りを言葉にするだけの勇気もなかった。
あれから、話し相手なんてものもマンダーレしかいなかった。他に家族も、友人もいない。
マンダーレは神なんだ。似ているようで根本的に俺達とは違う圧倒的上位の存在で、本来なら決して交わってはいけないのだ。
それを「いい友達だ」なんて、思い上がりだったのかもしれない。
「ねえ春馬くん……このお仕事さ」
「うん?」
「辞め、たい……?」
そもそも、俺はこんなことには関わりたくなかったのだ。
*******
古株に襲われたあの日から、何も起こらずに比較的平和な数日が経った。
最近、ナスタッドとフィーユは忙しそうにしている。何か調べものがある様だが、知らない世界では中々上手くいっていないようだ。基本的に暇なので手伝ってやろうと思ったが断られてしまった。なので何を調べているかは俺には知る由もない。
他に変わった事と言えばフィーユが家事をし始めた事くらいだった。
これでただの穀潰し卒業かと思われたが何かとフィーユが持ち前のポンコツぶりを遺憾なく発揮するので以前とあまり変わっていない。
本人は至って真面目にやっていてのポンコツぶりであるので責めることもできない。ただ嫌になるほどに酷いと言う訳でもないので実際、家事への苦労は減ったような気がする。
特に言うとフィーユの料理は一度出てきたが確かに何とも筆舌に尽くしがたい味がした。それは流石にオーバーな表現かも知れないけれども。
味はそんなに悪くないのだが、やっぱり何かが違う。その何かが分からない。欠けているのかもその逆なのかも分からない。
なので結局料理は俺の担当だ。
異世界転送の方は、あれから一度だけ仕事があった。それだけ。
「……おい、フィーユ。みかん何個食べるつもりだよ」
フィーユはこたつに入ってみかんの皮を剥いている。みかんが好きなのか最近すごいペースでみかんがなくなっていく。異世界にはみかんはないのだろうか。
「すいません、あは、つい食べ過ぎちゃいますね」
と、いいつつ皮を剥く手は止めない。
「まったく。俺、買い出し行ってくるよ」
「みかんもお願いします」
「だからどんだけ食べるんだよ……」
フィーユに見送られて俺はスーパーへ向かった。もう月が出始め、落ちた日の残光の薄橙色と夜の紺色のグラデーションが出来ていた。
そして曲がり角を曲がろうとしたその時だった。ユラユラと足取りのおぼつかない人影が現れた。
「あっ、お前は、古株……?!」
果たしてその人影は古株であった。あの一件きり何もなかったので油断していた。手に握られたナイフは月の光を反射して鈍く光っていた。
俺は咄嗟に踵を返し勢い良く駆け出した。俺の手に負える相手ではない。
走りながら俺はちらりと後ろを確認した。しかし、そこには既に古株の姿は無い。
なんだぁ、見間違えかぁ。
安堵して立ち止まり前に向き直った。
「んん……見間違え……じゃ、ないのか」
そしてその目の前に古株はいた。俺は息を呑んだ。どういう訳かこのしばらく分かれ道の無いこの道路を回り込んだらしい。
そうだ、警察を呼ぼう。一応人間の形をしているので相手にされないという事はないはずだ。
携帯電話を探してポケットに手を突っ込んだがどこにもなかった。家に忘れたらしい。
そういえば、財布も無かった。俺は何をしに来たのだろうか。
古株はナイフを力任せに振り回しながらじりじりと距離を詰めてくる。逃げた所で追いつかれるだろう。
「獣愚の時は何とかなったし、やるか、うん」
俺は拳の震えを止めるように、息を吹きかけると自分に期待をこめて古株に突っ込もうとした……が、俺の突撃は別の声によって止められた。
「……それっ!!」
その聞き覚えのある声の後、古株の体の周りが薄水色に光りだし、キンと高い音が辺りに響いた。古株を見ると、厚い氷の中に下半身を閉じ込められていたのだった。
「フィーユ!」
「は、春馬さんっ、これは」
その声の主はフィーユだった。
「えっと、その内説明する。それよりこれ魔法?」
「はい。まぁ、体の周りに氷を作っただけですけど。その内溶けますよ」
それから数秒程古株は身動きがとれず狂気的とも言える程にジタバタと暴れていたが突然動きをピタリと止め、ガクリとうなだれた。
確認すると気絶しているようだった。気味が悪い。
「春馬さん、お財布忘れたでしょ。届けに来たんです。意外と抜けてるところあるんですねぇ」
フィーユに言われたくは無いとは思ったが、そのおかげで助かった。なので素直にお礼を言っておいた。
その時だった。
「へぇ〜凄いのねぇ」
後ろから聞き覚えのない声がした。
振り返ると見知らぬ女性が立っていた。長い黒髪を下の方でまとめている。スタイル抜群で背も女性としては長身だろう。ただでさえ突き出た胸をさらに主張するかのような胸元の開いた服を着て胸の下で腕を組んでいる。
「まるで魔法……ね。面白いわ〜」
い、一般人に魔法を見られてしまった。何とか誤魔化さないと!
「いや、凄いでしょう。このマジック。はは、あはは」
「そっちの子がやったのかしら」
そう言ってフィーユに近づいた。
「……ま、いいわ。こんな道端で大掛かりなものの練習したら駄目よ」
「い、以後気を付けます」
「じゃあね。春馬クン」
「えっ? あ、ちょっと!」
俺の制止も聞かずにその女は行ってしまった。何故、俺の名前を知っているのだろうか。
側に立つフィーユはぽかんとしていた。
「春馬さん、知り合いですか」
「いや、あんな人は知らないと思うけど」
フィーユが訪ねてくる。記憶を探ってみたが、やはりあんな人の記憶は無かった。もっとも、ただ忘れているだけかもしれないが。
「……春馬さんもやっぱり、ああいう人が好みですか」
しばらく女の去って行った方を見つめているとフィーユがほんのりと顔を赤くしながら聞いてくる。
「……?」
「いや、だから……その、胸……とか」
突然の発言に思わず吹き出しそうになる。
「えー、んー、まあ、そうだな」
とりあえず、適当にあしらっておく。だが、一応本音だ。
確かに、フィーユには凹凸が無いと思う。貧乳だ。だが、それを気にしつつも今も最初に会ったときと同じ、ぴっちりの服だ。
洗っているとき以外は基本的にあの服装だが余計にスタイルが強調されるのに何故わざわざ着るのだろうか。
確か、プロッセータの魔法使いの正装だったか。
「お、おいフィーユ?」
見るとフィーユは膨れっ面でさっさと家に向かって歩き出していた。途中、振り返ってあかんべえをされた。
……まだ、財布受け取ってないんですけど。
フィーユを呼び止めようとした時、古株が地面に現れた黒い渦に飲まれているのに気がついた。
唖然と見つめていると、古株が渦に飲まれきる直前にカッと目を見開いて俺の顔をじっと見つめた。
しかし、そのまま渦に飲まれその渦も消えてしまった。俺はまだ、古株の脅威が去った訳ではなさそうだと直感した。
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