95.報告と鉄槌
シンが去ってから10日程経った頃。
目の前には西洋の屋敷でよく見られる様な装飾が施した鉄の柵で屋敷を囲っている。だが、門がほぼ武家屋敷その物だった。
こんな風変わりな物を見れば奇異の目を向けるか、関わりたくないと考えあまり近づきたくないと考えるだろう。
しかし、その門の先の屋敷の家主が誰なのか、事情を知っていれば伺わせざるを得ない。
そして、その家主の事を知り、会う為に門の前に立っていたのはギアだった。
「む・・・」
冷汗を垂らし青い顔をしていた。仁王立ちしているにも拘らず、両足は今にも震えそうにピクピクと痙攣に近い状態になっていた。もし、ここで気を抜いてしまえば明らかに分かる位に震えているだろう。下手をすれば生まれたての子鹿並の足の震えになりそうな位にまでの緊迫した状況だった。
「・・・・・・・」
深呼吸したギアはそんな風変わりな門を開けて中に入る。するとギアの目の前には見慣れた庭園があった。水底まで見える澄んだ池や、展望小屋に、手入れされた生垣の迷路等が見えていた。ここまではヨーロッパの貴族でよく見かける様な庭のオブジェクトが存在していた。だが、その奥には屋敷があるのだが、それが何とも奇抜な物だった。
「来てしもうた・・・」
屋根は日本家屋によくみられる形で玄関の門の柱は西洋の門の柱のデザインでテラスは明らかに西洋風だった。
この様から鑑みれば武家屋敷と西洋の屋敷を組み合わせたようなデザインと言えるだろう。
だが、そのせいで傍見ればこの世界では見た事もない文化を取り入れ、良く言えば奇抜、悪く言えば何を主張しているのか分からない屋敷だった。
意見が分かれてしまう屋敷を見たギアは思わず呆れたようなため息が出る。
「・・・・・」
ギアは大きく深呼吸をして扉を軽くノックをして大きな声で訪問の一声を掛けた。
ドンドン
「御免!重大な所用故、ここに参上した、ギアと申す者だ!」
すると屋敷の扉が開いた。そこから見えたのは長髪のオールバックで後ろの髪は紅いリボンでくくり、銀製の丸いモノクルを掛け、きちんとした身なりで黒い燕尾服を身にまとっていた初老の男性。
「ようこそおいで下さいました、ギア様」
扉を開けた人物は、この屋敷の執事アルバだった。恭しく一礼してギアに訪問について尋ねた。
「ご用件は何でございましょう?」
「うむ、シンの事について何だが・・・」
ギアがそう言いにくそうに答えるとアルバは小さな溜息を付いた。アルバ自身、何かあまり良い事ではない報告だろうと判断した。
「左様でございますか。それではお嬢様をお呼び致しますので応接室までご案内します」
ギアがそう答えるとアルバはそっと応接室へ案内をした。この時のギアはブルリと身震いし顔は更に青くなっていた。
「それでこの有様か?」
ミシミシ…
「め、面目ない・・・」
床の上にギアは俯せに倒れていた。そのギアの上に乗っていたのはこの屋敷の主、サクラ・キシュリーゼ・エイゼンボーンだった。しかもギアの右腕を両手で絡み取り、右肩の付け根を左足で抑えて動けなくしていた。そしてその右腕をあらぬ方向へと動かし、技を決めていた。
そんなサクラとギアのやり取りを見ても動じる事無く唯々控えていた執事とメイドがいた。
執事は言わずともアルバ。メイドはこの屋敷に仕えているステラ・ミゼラフだ。この2人に共通していたのはサクラとギアのやり取りを見ていて動じこそしないものの呆れた様に溜息を付いていた。
そもそもこんな事になったのは遡る事少し前の事だ。
応接室で床に座るギアとソファに座るサクラ。
ギアはまずエーデル公国とアイトス帝国、ギルド支部等の事の経緯を話し始める。少し経った頃にサクラが何気にシンはどうしたのだ?、と訊ねた。
するとギアは青い顔になり、急にいなくなった事と謝罪をした。するとサクラはスッと立ち上がって跳び、ギアの顔を右足で横に薙いだ。ギアの顔に見事にヒットして床に倒れる。倒れたギアの肩に左足で固定して、右腕を両手で絡めとってあらぬ方向へと技を決めた。
痛みと苦しみが湧き上がってきた為青い顔から少し赤い顔になり、悲鳴を上げた。
そして今に至る。
「・・・・・・・・・」
無表情のサクラは何の躊躇いも無く更にギアの右腕をあらぬ方向へと曲げて技を決めていく。
「グォォォォォォ…!」
余りの苦痛に思わず悲鳴を上げるギア。しかしサクラはそんな事お構いなしに技を決め続ける。サクラは眉間に皺を寄せ問い詰める。
「ワタシはシンをこの屋敷までさり気無く連れてこいって言ったはずだが?それが何故数か月も間失踪する事になっているんだ?」
「だ、だから・・・さっき言うたように・・・!」
「それでも引き留めるくらいはできたよな?」
「とっ・・・突然いなくなったのだ!だからどうしようもなく・・・!」
苦しい中、兎に角言い訳をするギア。だが、その言い訳もバッサリ斬られる。ギアは更に言い訳をするも鋭く追及が来る。これによりギアの言葉数が少しずつ減っていく。
「だが、そこまで国家との関わりがあればそうなってもおかしくなかっただろう?お前ならそれくらい頭にはなかったのか?」
「そっ、それは・・・」
「お前、その間、別の事をしていたのではないのか?」
「・・・・・・・・・・・」
図星だった。実際シンがいなくなる前の晩、ギアはシンとは別の客室に居て、爆睡していたからだ。つまりシンの様子を見張っていたのではなく、単にエーデル城の宿泊を楽しんでいたと言われてもおかしくない事をしていた。
明らかに目線を逸らして俯くギアにサクラは更に眉間に皺を寄せる。
「その様子だと、心当たりがあるようだな?」
「そ、それは・・・」
「自分には翼を持っているからいざとなればどうにかできる、とか自分の強さで逃げないだろう、とか考えていたのだろ?」
「・・・・・・・・・」
目が泳ぎ言い訳はおろか何も言い返す事ができずにいるギア。その様子を見たサクラは溜息を付いた。
するとサクラは両腕の力を緩め、左足をどかした。今の技を決めている所を止めてギアを解放する。
「・・・・・」
ギアはムクリと体を起こし、肩が痛いのか、手で擦っていた。そんなギアに対してサクラは腕を組んでギアの前に仁王立ちしていた。
「高を括るな、この役立たずトカゲが・・・」
「ト、トカゲ・・・」
トカゲと言う単語に反応するギア。しかし、明らかに強く、正論を言っているサクラに対して反論しなかった。
サクラはジッとギアの目を見据えるように見ていた。
「そんな事だと痛い目に見るぞ」
「・・・・・」
サクラが言う痛い目とは自分の強さを過信しすぎて搦め手や裏をかかれたりすれば痛い目に見るぞ、と言っているのだ。
ギアは少なくともシンが想像しているよりも遥かに上をいく強さだ。しかし、先程の様に慢心さを持っていればいずれ痛い目見るのは間違いない。
と言うより、もう既に痛い目に見ているのだが・・・。
荒っぽくて苛烈な形ではあるが、サクラはサクラなりにギアの事を心配していたのだ。
ギアもその事を理解していた。だが、癖になってしまい中々抜け出せないでいた。
「・・・・・・・・・・」
ギアの心境を察したのか静かに目を閉じ、大きく溜息を付き、サクラはソファにドカッと沈むように座った。天を仰ぐようにして上を見るサクラ。ギアは何も言わずサクラの様子を見ていた。
「・・・そう言えば」
「む?」
急にサクラの口が開いた事にギアは素っ頓狂な声を上げる。
「・・・アイトス帝国の動向は気になるが、連中よくあんな武力を持てたな?」
「何の話だ?」
「アイトス帝国は小国とも呼べない程の集落の様な傭兵集団だった。不意打ちとは言えアスカ―ルラ王国の侵略に成功したんだぞ?」
「むぅ、それは我も気になっておった。あの国は元々そんなに武力は持っておらぬはずだったのだが・・・」
「問題は武力をどこで手に入れたか、だ・・・」
サクラとギアはお互いに腕を組んで考え込む。
「ギア、この事について「高笑い」や「予見」らが知ってるかどうか尋ねろ」
「もし、知っておらぬのなら集まるか?」
「ああ、今回のは国絡みに一枚噛む可能性があるからな」
「うむ、承った」
「さてと、最後に・・・」
そう言って立ち上がるサクラ。それを見たアルバとステラはどういう訳か応接室のドアの前に控える。
「?」
急にそんな行動に出た3人にギアの頭の上には疑問符が浮かんでいた。
「シンを逃してしまったのは、お前の悪い癖のせい」
「・・・・・サ、サクラ?」
サクラの声は妙に低くなり、眼光が妙に怪しく鋭く、生々しく見えた。背後には怒り狂った仁王の様な、鬼の様な形相した何かとドス黒さのある赤いオーラが浮かんでいた。
明らかに様子がおかしい事に気が付いたギアは恐る恐るサクラに訊ねる。
「それに、未遂とは言えエーデルも狙っていたのにも関わらず、お前は何もしていなかった上にエーデルに取られそうになった・・・!」
「ま、待たれよ・・・!まさか・・・!」
サクラはニッコリと笑い右手には拳が出来上がっていた。手の甲にははち切れん程の青筋が浮かんでいた。
ここまで来てギアは、これから何をされるのか漸く分かったが遅かった。その証拠にアルバとステラはそっと退室と言う名の避難に既に成功していた。
「そのまさかだ」
その言葉を聞いた瞬間、ギアの顔は蒼白になった。
「お、終わりではないのかぁぁぁぁ!!??」
「誰が終わったと言ったあああぁぁぁぁ!!!」
ギアの方へ跳びかかるサクラ。それに絶叫するギア。
アルバとステラは退室していたから中の様子は当然見えない。ドア向こうの状況を知る方法は中の音だけしかない。アルバとステラは溜息を付き、音だけを頼りに中の様子を窺いながら、掃除用具を取り出しに向かった。今回のサクラとギアが出会えばこうなる事位予測出来ていた様だ。
ドア向こうでは大きな音を立てている為、ドアに耳を立てる、或いはそのままドアに耳をつける必要は無くとも十分すぎる程聞こえていた。いや、それどころか部屋からだいぶ離れていてもかなり聞こえていた。
「ぬおっ!」
ドガッシャン!!!
ビィィィィ!
「はぁぁっ!」
ドゴッ!
「ぐぉ!」
ガシャン!
「くらえっ!!」
ドゴッドゴン!!
「がっ!」
バキバキッ…!
「ま、待たれよっ!」
「待った無し!」
ゴッ!
バキャ!
バキバキッ!
グシャ!
「殺す気か!」
「ハッ、今頃気が付いたかっ!」
バッ!
「ちょっ・・・サクラァァァァァァァ!!!」
「くたばれえええぇぇぇぇぇっ!」
ドガ―――ンッ!
パリーン!
「ノ“オ”オ“オオオオオオォォォ…!!!」
ギアの叫び声、サクラの怒号等々の声が聞こえていた。更に部屋の中ではあらゆる酷い物音が辺りに鳴らし散らしていた。
ガラスか陶器が割れる様な音。木製の家具の様な乾いた物が折れる音。布か紙が破ける様な音。
そして、先程のギアの叫び声を最後に部屋の中からの音や声は一切しなくなった。
「「・・・・・」」
急に物音と大声がしなくなった事に2人はああ終わったな、と判断した。今の様子にステラは叶わない望みを呟く。
「今回はそれ程散らかっていない事を祈ります」
「やめなさい、ステラ。無駄な望みを祈っても仕方が無いでしょう」
アルバはそう言って諦めるように促した。実際応接室の物音とサクラの怒声とギアの叫び声から判断すれば相当荒れていると考えて間違いないだろう。
「でしょうね・・・」
そこまで考えに至ったステラは小さく溜息を付いた。アルバはだいぶ前から諦めていたのか少しも動じる事も無く物置のドアを開けた。
部屋の中の散らかりと荒れ具合を想像しながら物置から掃除用具を手に取り応接室へ戻っていった。
アルバとステラは溜息を付きながら掃除用具を持って応接室のドアの前に立っていた。
コンコン…
「失礼します」
「入れ」
サクラの返事を聞いたアルバとステラは応接室の中へ入った。
「「・・・・・」」
パラパラ…
ガゴンッ!
2人が目にした光景は兎に角荒れていた。壁はヒビが入っているか、抉れていて、大丈夫そうな壁は最早存在していなかった。ソファはズタズタに引き裂かれ、中にあった絵画や壺等の装飾品は完全に修復不可能なまでに破壊され、窓ガラスは割れて外に飛び散っていた。天井は何かぶつかったのか、ヒビが入って抉れていた。天井のひび割れから出る砂埃や瓦礫が落ちてきており、今にも崩れそうだ。
そんな部屋の様子を見たアルバは応接室の後片付けの許可について尋ねた。
「只今より、清掃をしようと考えていますがよろしいですか?」
スッキリとした顔のサクラは気分が良さそうに頷いた。
「うん、お願い。それからそこのトカゲの生ゴミもついでに処分してくれると助かるのだが・・・」
サクラの足元には大の字になって仰向けに倒れていたギアがいた。ゼ~ゼ~と呼吸音から察するにギアは生きている。しかし、自分から立ち上がる様な体力と気力がないのか一向に動こうとしなかった。
「・・・畏まりました」
「ああそうだ、ギアに言い忘れていた事があった」
そう言ってギアに近付き軽く蹴った。
「動けるようになったら今度こそシンをこっちに来させろ。何においても最優先だと思え」
「・・・・・・・・・」
声に出す事はおろか頭を振る事さえもできない位まで憔悴しきっていた。そんな様子に対しサクラの声は更に低い声でギアに語り掛ける。
「・・・今度は間違うなよ?」
サクラが半ば脅し・・・というか完全な脅しにギアは最後の力を振り絞って頭を振った。
「・・・」
ギアが首を振った事を確認したサクラは2人の方へ向いた。
「ではお願い」
そう言ってサクラは部屋から出ようとドアノブに手を掛けた。その様子にアルバはどこ向かうのか尋ねた。
「お嬢様はどちらへ?」
するとサクラはステラの方へ向いてこう言った。
「そいつのせいで服が汚れた。沐浴と着替えを頼む」
「畏まりました。すぐに準備を致します」
「うん」
ステラはサクラの側に控えた。
「ではアルバ、後をお願い」
サクラとステラは応接室から出て行った。残ったのはアルバとギアだけだった。残ったアルバは小さな溜息を吐いてギアにこう声を掛けた。
「大変申し訳ありませんが、ご自分から動いていただけると大変うれしいのですが・・・」
疲れ切ったケガ人・・・ケガトカゲにとんでもない事を言うアルバ。当然ギアは動かなかった。と言うよりも動けなかった。
「・・・仕方ありませんね」
アルバそう言ってギアの右腕を持って引きずる様な形で部屋の外へ運んだ。
「全く、こんなご老体に負担をかけないでください」
何も言わないギアに対してそういうアルバ。だが、文句を言いつつも部屋の外まで運ぶ事に成功したアルバ。
「・・・・・」
改めて中の様子を見るアルバは深い溜息を付いた。
「・・・ステラは早く戻ってきてくれればよろしいのですが」
小さく首を横に振りながら部屋の後片付けを始めた。