73.黒い者
白い壁に囲まれた庭にはキッチリと整えられた植木が正方形の形で等間隔に存在していた。正方形となった中庭は特別何かあるわけでも無く、ただ綺麗に刈り込んだ芝と名前の分からない可愛らしい花が存在するシンプルな庭だった。その花から甘い香りが程良く辺りに漂っていた。こんな中庭を子供が見れば笑いながら、かけっこ等して遊んでいただろう。
「・・・・・」
エーデル城の中庭の真ん中でギアはぼんやりとしながら立っていた。すると、そんなギアの後ろから声を掛ける。
「お久しぶりですね・・・」
気が付いたギアは声がする方へ向く。
「ギア様」
「おお、久しいな女王陛下」
そこにいたのはシャーロットただ一人だけだった。ギアは礼節を弁える素振りや礼儀正しい行動こそ無かったが、口調から恭しさと気軽さが窺える。
「今回の一件もまた貴方が何か事を持ってこられたかと思いしましたわ」
それ聞いたギアは透かし顔を顰める。
「・・・念のために言っておくが、今回は我が始めた事ではないぞ?」
「フフ、そういう事にしておきますね」
シャーロットはクスリと笑う。シャーロットも「ギア=トラブルメーカー」という認識でいた。だが、今回の一件は誤解であり、シャーロットがそういう認識でいる事にギアは少し不満を持つ。
「違うと言っておろうに・・・」
ギアがブスッとむくれたように言う。するとシャーロットはいたずらっ子の様な笑みを浮かべクスクスと笑い声をあげる。
「「今回は」という事は何回もあるという事ですね?」
「む・・・」
実際、事実である為何も言い返す事ができず、「ぐぅの音も出ない」と言う状況に陥っていた。
今回の場合は「むの音」だが・・・。
また、今回の誤解が更に深くなり最早それを解くのが面倒なくらいになっていた。
「むぅ、それよりも何か用があったのであろう?」
ただ純粋に疑問に思っただけなのか、話を逸らす為なのか、ギアはシャーロットに何の用でここまで来たのかについて尋ねる。それもエーデル公国の女王であるはずなのに御付きの者一人も無しにシャーロットただ一人で。
「私がここまで来たのは貴方が連れて来た男、シン様と言う人についてです」
「む・・・」
ギアは何となくではあったがシャーロットがここに来た理由はシン絡みの事だろうと考えていた。そしてその考えていた事が現実になっていた為、特に驚きもしなかった。
「ギア様から見てシン様どう思われますか?」
シャーロットがそう問うとギアは考える間がほとんど無いまますぐに答えた。
「我から見れば「黒い者」だったな・・・」
少し遠い目をしてシンを見た時からイメージとして沸き上がったのが「黒い者」。それを聞いたシャーロットは特に大きなリアクションする事は無かった。むしろ、何となくギアと同じようなものを感じていた。
「そうですか・・・。そうですね、私も似た様なものを感じました」
「そうか、其方もか」
「あの方を一言で表すなら「底知れぬ者」でしょうか・・・。不安や恐れが込みあがってくるのですが心のどこかで見てみたい、と言う気にさせられる人ですね」
それを聞いたギアはニヤリと笑うような表情を作った。
「確かにな。まるで箱の中に何があるのだろうと不安と好奇心が沸き起こる様な男だ」
「フフッ、それ良い例えですね」
ギアが上手い例えを出した時、シャーロットは子供の頃に貰ったプレゼントの事を思い出していた。ギアが言ったようにプレゼントの箱の中には何があるのかとワクワクとドキドキ、小さな不安があった事を思い出していた。それと重ねて思わず小さな笑い声を出してしまった。
「シン様は相当お強いのでしょうね」
「うむ、とんでもなく強いぞ」
だが、この二人が言っている「強い」は意味合いがだいぶ違っていた。その証拠にシャーロットの額から小さな冷汗が垂れており、ギアはその事に気が付いていなかった。
同じ頃。シンとニニラ率いる謎の冒険者風の男4人が対峙していた。ニニラ含め5人の連中は顔をニヤニヤしながらシンの方へ近づこうとした。
その時シンは大きく息を吸って周りに明らかに聞こえる様にこう叫んだ。
「アイトス帝国はクズでどうしようもないゴミのような国だ!!!」
すると周りにいた通りすがりの者達は何事だとキョトンとした顔でシンの方へ見る。
「「「「「・・・・・・・・・・・・・・・」」」」」
しかし、シンを見て明らかに敵と認識している数人がいた。
「「「・・・・・・・・・・・」」」
パーソを護衛していた冒険者風の連中とニニラだった。シンはリースの方も見る。
「・・・・・・・・・」
リースはキョトンとした顔でシンの事を見ていた。
どう洗脳されているかまでは知らないが、少なくとも「帝国に忠誠を誓う」と言った内容だろうと考えていた。そこでシンは「帝国」の事について大きな声で貶したのだ。こうする事により誰が敵で誰がそうでないかが分かる。結果は今の通りだ。
(リースは洗脳されていないのか・・・)
シンがそう考えていた瞬間――――
ビュン!
ガッ!
「がはっ!?」
男はいつの間にかシンの目の前まで来て剣を抜いていた。その剣で急に切り付けようとした。シンは咄嗟に避けて鳩尾に一発拳を入れた。男は膝から崩れ落ちて気を失う。
「いきなりかよ・・・」
シンは残り3人の冒険者風の男達とニニラの方へ目をやる。仲間の男一人倒れたというのにも変わらず憎悪の目でシンを睨み付けていた。いつの間にか残りの冒険者風の男達も剣を抜いていた。
(仲間への心配なしで俺への殺気丸出しか・・・)
シンは呆れた目でニニラ達を見る。
「この野郎・・・!」
「殺す・・・!」
剣を握っていた手はフルフルと小刻みに震わせ、小さな声でシンへの恨み言を呟いていた。
(帝国の事を軽く悪く言っただけでこの有様か・・・)
冷静に観察していた。
(つか、こいつら俺を捕らえようとしに来たんじゃないのか?)
帝国の事を貶しただけで我や目的を忘れる程の怒気を出していた。そんな目の前にある事実を見たシンは呆れて溜息が出た。すると一人の男が剣を振り上げてシンへ走って迫ってきた。
「死ねえぇぇぇぇぇ!!!」
シンの目の前まで迫った瞬間だった。
パカッ!
「ぉぉぉ・・・」
ドサッ…
「・・・ん?」
グランツは何が起きたのがあまり分からず思わず疑問の声を漏らす。シンに切りかかろうとした男は急に乾いた音がしてそのまま空中で舞い地面に落ちる。大通りで何が起きたのかはさっぱり分からず通行人達はざわついていた。グランツはシンの右腕から何か動いたようには見えたが何が起こったのかは分からなかった。
この場で何が起きたのかについて知っているのはシンだけだった。
「・・・・・」
呆れた眼差しを倒れた男に向けていた。それもそのはずだ。こうも立て続けに軽い挑発で斬りかかってくると馬鹿馬鹿しさを通り越して呆れてくる。
男が思いきり振り下ろした瞬間、剣を右に除けボクシングで言う所の右アッパーをかました。そのアッパーは元Aランク冒険者のグランツですら微かにしか見えない程のとんでもないスピードだった。だが、軽く握っていただけだったため与えるダメージは少なかった。その為シンに斬りかかった男は気を失っていた。
つまり通行人は男が剣を振り下ろした瞬間空中で舞って、グランツはシンが右に避け、素早い何かで男の顎に向かって打ち込んでいる様に見えた。
「おらぁぁぁぁ!」
さっきの光景を見ていなかったのか、形振り構わず剣を振りかざしながら真っすぐ突っ込む男。その男の様子を見てシンは呆れる。
ドズン!
シンは男の腹部めがけて蹴った。無論殺傷する程の威力は無い。
「おっげぇぁ…!」
それでも動けなくさせる位はあった。濁った悲鳴を上げながら、そのまま数m程吹っ飛ばされ男は気を失っていた。
(くだらねぇ・・)
呆れて溜息を付いていると突然シンに向かって何かが飛んできた。
ヒュンッ!
パシッ!
シンが掴んだのは投げナイフだった。
「また考えなしか・・・」
シンがそう言った瞬間、いつの間にか横にいた。しかも横薙ぎにしようと剣を振ろうと男は構えていた。
「!」
他の男達と違って無言のまま、素早く近づきシンを横薙ぎにしようとしていた。
パンッ!
シンは裏拳で殴り飛ばした。男は錐もみ状態で3m程吹っ飛ばされた。
「残るは・・・」
シンはニニラの方へ見た。
「・・・・・!」
「・・・・・」
ニニラは両手で強く剣を握りしめる。
「・・・!」
カッと大きく目を見開き雄叫びを上げるニニラ。
「ウアア“ア”ア“ア”ア“ア”ア“ア”ア“!」
剣の切っ先をシンの方へ向けそのまま突き刺すように駆けた。
パキィィィン…
キンッカラカラカラ…
シンは左の拳を裏拳に変え、ニニラが握っていた剣の刀身を折った。折れた剣を持っていた右手首をシンは右手で掴む。
ギュウゥゥゥ…
「・・・・・・」
「・・・!」
強い力により痛みと段々と力が入らなくなる感覚を覚えたニニラは顔を歪ませる。
トスッ
シンの握る力に負けそのまま折れた剣を落とし地面に突き刺さる。武器であるはずの剣はもう使い物にならない。それでもシンは注意深く目を光らせていた。ニニラは憎悪と悔しさに更に顔を歪ませ歯を食いしばりシンを睨み付けていた。まるで親の仇を見るかのような目だった。
「・・・・・」
「・・・!」
次の瞬間、ニニラはカッと大きく見開きシンに掴み掛る。
「あ“あ”あ”あ“っ!」
ガッ!
ギリギリ…
「・・・!」
ニニラは両手でシンの首を締め上げる様に掴む。全ての力を両手に込めるように凄まじい形相で力を入れる。
「・・・・・・」
締め上げられているはずのシンは苦しくてもがくと言ったアクションは無かった。それどころか冷めた目でニニラを見ていた。
「・・・・・・・・・」
そんな様子の2人にグランツはただジッと見ていた。グランツも引退しているとは言え元Aランク冒険者だ。その気になればこの場を収める事はできる。だが、しなかった。
その理由はシンの強さ・・・ではない。
(・・・なんじゃ、あの目は?)
グランツは2人の様子を見ていた。その時シンの目も見た。
その瞬間ゾッとした。
シンはニニラに首を絞められているはずなのに苦しがっている様子が無い。それどころかシンの黒い瞳がニニラの方を見ていた。それだけでも異様な光景で不気味なのに、シンの黒い目はそれ以上に不気味で不安があった。
まるで果てしなく澄んだ水なのに底が見えない湖の様な・・・
ガシッ!
「ガハッ・・・!」
シンはニニラが首を掴んでいた両手を振り解こうとせず、右手でニニラの首を掴んだ。
グググググ…
「ア“ッァ…」
右手に徐々に力が入っていく。苦しくなり口から声にもならない音を出す。シンの首を掴んでいた両手を離して、シンの右手を振り解こうともがくニニラ。
「・・・!・・・!!」
「・・・・・・」
指から剥がそうとしたり、右手を叩いたり等をして解こうと抵抗するがビクともしなかった。
「ゥ“・・・!」
意識が遠のき、瞳が徐々に上を向く。
「っ・・・・・!」
やがて気を失った。
ドサッ
その事を確認したシンはそのままパッと手を離した。
「・・・・・」
さっきまでギャアギャアと騒いでいたニニラは、首にシンの右手で掴んだ跡が残り、パッタリと静かになった。しかし、決して死んでいるわけでは無い。胸の所を見れば微かに呼吸独特の動きがある。
そんな様子のニニラを見ていたシン。すると上から大きな叫びが聞こえた。
「ニニラ!」
そう声を張り上げたのはネネラだった。どうやら外の様子が気になって窓から様子を窺っていた様だ。今にも身を乗り上げそうな位窓から上半身を出していた。シンは上を向き今のネネラの状態を一言で説明する。
「大丈夫だ!気を失っているだけだ!」
ホッとするネネラだが、シンの首を見た瞬間顔を青褪める。
「シン、その首!」
シンの首にはニニラが両手で首を絞めた跡がくっきりと残っていた。
「ああ、これは大丈夫だ。すぐに治る」
「・・・・・」
シンは首を擦って何事も無かったかのように言った。そんなシンに対しネネラは何か違和感を覚えた。
「・・・ホントに大丈夫なの?」
「ああ、本当に問題ない」
「そ、そう・・・」
「それよりもこの連中の事を頼みたいんだが!」
「何?」
違和感が拭い切れずつもシンの言葉に耳を傾けるネネラ。シンは視線をニニラも含め自分を襲ってきた連中に向ける。
「こいつらを頼む!」
ニニラ達の拘束と保護を頼んだ。するとそれに答えたのはシンの近くにいたグランツだった。
「そやつらは儂らが何とかしよう」
「分かった。それから皆・・・子供らを頼む」
「うむ」
その返事を聞いたシンはパーソとリースがいる所へ向かった。
「パーソさん、それにリース」
「シン殿これは一体どういう事ですか?」
「詳しい事はギルドの2階で話す」
「「!?」」
シンが言い放った言葉の「ギルドの2階」で2人は何かただならぬ事がもう既に起きていると察した。その判断から出た結論は当然頭を縦に振るものだった。
「・・・分かりました」
「・・・・・」
2人の同意を得た事を確認したシン。襲ってきた5人を縛り上げ、後はギルドの職員に任せたグランツと合流する。4人は皆がいる2階の方へ向かった。