310.リハビリ
あ~ん。
そう言わんばかりに大きく口を開き、その中を見る目はギョロギョロと動かしていた。
酷く尖っている犬歯を見て興味深そうに見る目は子供のような好奇心に満ち溢れていた。大きく口を開けていた口から少し震えを覚え始めていた。それに気が付いた目の主は
「もう大丈夫そうやな~」
と言って切り上げた。
切り上げた張本人はリーチェリカだった。
「ん・・・レンスターティア王国のサクラ公爵令嬢として礼を申し上げます。ありがとうございます」
口を閉じて軽く唾を飲み込むのはサクラ。ベットの上にいるサクラは普段と違って丁寧な口調でそう答える。しかもサクラの今の服装はピンクの入院服を着ており、腕には点滴の注射跡が残っていた。
「ええよ~ええよ~、欲しい物は手に入ったさかいな~」
「?」
妙にホクホク顔でそう答えるリーチェリカにサクラは首を傾げる。そんなサクラにリーチェリカは書類や検体サンプルが入っているとされているカプセルやシャーレをまとめて、扉の方へ向かった。
「ほなな~」
「ほ、ほな?」
聞き慣れない言葉に思わずオウム返しに訊ねてしまうサクラはリーチェリカの姿を見送る形で目で追った。
その場を後にしたリーチェリカはルンルン気分だった。
「・・・・・」
目で追うサクラの目はどことなく不安と疑問を持っているかの様に感じた。
「どうだった?」
サクラの部屋を後にしたルンルン気分のリーチェリカに素気ないない口調で訊ねるシン。そんなシンにルンルン気分の口調で
「後遺症も症状もあらへん。バイタルも問題あらへんわ~」
と答える。
とても医療に携わっている者が口にしていいような口調では無かった。寧ろどことなく不安を覚える様なものを感じさせる。だがシンはリーチェリカの性格と言うべきか、性質と言うべきか、深い事情を理解できている者からすればそれは大丈夫であると言う絶対的な信頼のある言葉だった。
「そうか」
ホッとしたシンの声は安堵の色が出ていた。
「元々の種族による免疫力が大きいのか、それともサクラはんの特有のものなんかは分からへんけど、思うてたよりも相当早いもんやったわ~」
難しいテストの問題を解く事が出来た子供の様に答えるリーチェリカ。その様子にシンは
「だから、サンプルを手に入れたのか?」
と訊ねた。
ここまで正確に答える様子からして恐らく吸血族、それも日本人とのハーフであるサクラの検体サンプルを手に入れていてもおかしくなかった。
「・・・せやな~」
事実だった。
「・・・・・」
だからシンはズイッとリーチェリカに無言で詰め寄った。
「まってぇな~!それを解析したら、今後サクラお嬢様が何かあった時に対処できるやろな~!」
「ん・・・」
確かにそれは正論だった。
今回の様な事が起きてもおかしくない。サクラは飽く迄もこの世界の住人で文明レベルは中世に近い。だから医療面も期待できない面の方が多い。今回は現代世界でも、シンが居た世界でも良く知る病気だったから問題無かったものの、この世界特有の病原菌やウイルスがある可能性も十分にある。酷い場合であれば風土病や感染症がジンセキの中で蔓延と言う事態も十分にある。また、サクラは吸血族だ。吸血族にしかない特有の疾患も十分にある。
そうした事からサクラから検体サンプルを採取して研究する必要がある。
そこまで理解出来たシンは強く言う事が出来なかった。
「そないな事よりもや、これからどうするつもりなん~?」
「・・・・・」
リーチェリカの懸念は当然シンも持っていた。サクラはこの世界の住人。変にジンセキの技術を見せるのは大きな問題になる。重大事項であるがゆえに軽くてもサクラをマザーベースに幽閉と言う処置に乗り出さなくてはならない可能性も十分にある。
だがシンは問題ないと首を横に振る。
「サクラはフリューの件については口外していない。だから今回の事についても口外はしないと判断したんだ」
今の今までサクラはシンの事やフリューの件については誰にも言っていない。その面から考えれば仕様に値する判断剤用とは言える。
しかし・・・
「そない言うても、サクラお嬢様は種族はちゃうても人間やろ~?その上に、魔法があるやろな~」
「・・・・・」
「サクラお嬢様は強いんは認めんで~?けどな、攫われた事もあるんも事実やろな~」
「・・・・・」
魔法があるという事は現代世界にはない技術があるという事だ。サクラが現代技術に触れた事を別の第三者に知られたら魔法による尋問、自白出来る魔法で公になる可能性も十分にある。
しかも、サクラは不意打ちとは言え攫われた事がある。敵の目的も知らない。その事を考えればサクラの誘拐はシンの技術を狙っている可能性も十分にある。
だからなのかシンが考えたくない方法が頭にちらつかせた時にリーチェリカの言葉が止めを刺す。
「幽閉でもするん~?」
シンが考えたくない事を平然と口にするリーチェリカの言葉に眉間に皺を寄せる。
「・・・様子を見たい」
「様子~?」
「ああ」
問題を先延ばしする様な提案だった。はっきり言えば甘い。甘すぎる。これでは事情を知るサクラがどうなろうと知った事ではないとも言える件だ。
だがこのセリフを言った時、シンの目が真剣で何か確証を得た様な信ずる真っ直ぐな目になっていた事をリーチェリカの目は見逃さなかった。
「よう分かったわ~。ほないやったら、試したい事があるんやけどええか~?」
「・・・どうするつもりだ?」
一瞬リーチェリカが理解できたのかと少しでも思ったシンは少し後悔する。リーチェリカは飽く迄も研究者肌だ。だから何か確証を得る要素が欲しいのだ。
だが、リーチェリカはかなりと言うべきか相当と言うべきかえげつない面を持っている。提案次第では却下以上の事をせざるを得なくなる。
「簡単な事やで~。ウチと模擬戦闘したらわかるわ~」
「何・・・!?」
意外と言うべきか想定外と言うべきか、スタンダードな事を言っているのにリーチェリカが言うと酷く違って聞こえる。だからシンは思わず大きく声を張った。
「りは・・・何でしょうか、それは?」
聞き慣れない単語に思わず聞き返すサクラの口調は変わらず丁寧口調だ。
「リハビリやで~。リハビリと言うんは長期間、運動しなかった時に体のどこかが鈍っているさかい、身体が固くなって動きが鈍ったり、動けなくなることを防ぐ為の行為やで~」
どことなく安心できるような口調で説明するリーチェリカの言葉にサクラは
「ああ、なるほど」
とすんなりと納得できた。
「ほんでな~、ウチと模擬戦闘・・・手合わせをして欲しいんどす~」
「手合わせ?」
「更に言うたらな~?魔法も使うてもええんやで~」
「魔法か・・・」
「(確かに動けん期間が短いとは言え、使う感覚が鈍っているのは良くない・・・)よろしい、受けて立ちましょう」
リハビリの意味と理解が出来たサクラは何か違和感を感じた。だが短いとは言え、身体を動かさなかった期間があると久しぶりに体を動かすと思う様に動けなかったり、鈍かったりする。
所謂「体が鈍る」というあれだ。同時に魔法もそれも同じ事だ。
魔法も使っていない期間が長ければ長い程、勘を取り戻すのに時間が掛かってしまう。その事を考えれば魔法も運動も同じ事なのだろう。だから違和感を覚えつつもリーチェリカの提案は理に適っている事の方が多いから承諾したのだ。
「ほな、決まりやなぁ~。付いて来てな~」
そう言ったリーチェリカはそう言ってサクラをある場所まで案内する事になった。