308.記憶の中
白く輝く空に走っているその場所は唯々何もない芝生の丘だった。
「・・・あ」
声を漏らしていたのはサクラだった。
丘の上には誰かがいた。その人物は手を後ろの方に組んで丘の向こうを眺めていた。
「あれは・・・」
その人物は後ろ姿ですらも一体誰なのか、すぐに分かってしまう位に親しく身近にいた人物だった。
「父上・・・」
それはサクラの父親、タムラ・ソウイチだった。
「まってくださ~い!ちちうえ~!」
気が付いたサクラの声が幼くなった。同時に視点が低くなり、伸ばす手も幼児の手だった。
「ちちうえ!」
自分の父親であるソウイチとは1mもない距離まで縮んだ時、ソウイチは光る空の逆光によって自分の父親である顔が陰りを帯びしてしまって見えなかった。
「サクラ」
ソウイチがそう言ってサクラの頭まで手を伸ばしてフワリと撫でた。
「エヘヘへ・・・」
気持ちがいいと言った幸福感が自分の胸いっぱいに広がって思わず無邪気な幸福の声を漏らす。そんな様子のサクラにソウイチは
「大きくなったな」
としみじみとした幸せそうな穏やかな声でそう言った。
「はい」
サクラは素直にそう返事をした。
父上がいなくなった。
そう実感できてしまうのは目の前に眠ったかのように息を引き取って横たわっているソウイチが存在していたからなのだろう。ソウイチの顔からして髪と言う髪は全て白髪になり、皮膚は瑞々しさが無くなり皺が目立っていた。
老衰だった。
吸血族と普人族では生きる時間が余りにも違う。それ故にサクラは吸血族ではまだ若いどころか幼いとされている年でソウイチはこの世を去ってしまったのだ。
「・・・・・」
只管に動かず一点を、瞬きすらせずソウイチを見ている幼いサクラは泣きもせず、無言のまま立ち尽くしていた。
「お嬢様・・・」
白い長卓の奥の方で座っているサクラは目の前に出された上品に調理された麦粥には手を付けずに黙って座っていた。そんな様子のサクラに若い普人族のメイドがそっと声を掛ける。
しかし反応がないサクラにおどおど気味に
「少しでもよろしゅうございますのでどうかお召し上がって下さい」
と優しく声を掛けた。
だが決まっているかの様に、いや決まってこのセリフを耳にする。
「いらない」
この一言だ。
メイドはどうする事も出来ずに
「・・・・・」
ただ黙って様子を見ている他なかった。
何故なら食事を摂らずにいるこの状況が3日も続いて居た。メイドは心配していたが、この時のサクラはエイゼンボーン家当主としていた。だからこのセリフは命令でもあるからメイドは従う他なかった。
かと言ってこのまま下げるわけにもいかない。少しでも食べて頂きたいから、だ。
こうした事が3日も続いた。
レンスターティア王国の王城の迎賓館のパーティーにて。
煌びやかな部屋の空間に貴族は勿論、大商人に大物の人物と言った、権力者達が集って会話を楽しんでいた。
その時、幼い頃のサクラは白いドレスを着てパーティー会場のど真ん中を歩いていた。
「サクラ様は此度も麗しいでございますな」
「ええ」
そんな様子のサクラに貴族達は心にもない事を陰でそう言う。コソコソと言う貴族達の言葉を耳で拾うサクラは
「・・・・・」
只管反応が無かった。寧ろ鬱陶しく感じていた。
パーティー会場から少し離れた所にて。
「・・・・・」
サクラは外の風にでも当たろうと移動していた時、或る会話を聞いた。
「よいか、何が何でもエイゼンボーン家に取り入れる様に動け」
「はい、父上。伯爵家が安泰の為にも」
「お前が動きやすい様にあの屋敷に私の息が掛かった者が入っておる」
貴族連中の内の一族でこうした会話を耳にするサクラは
「・・・・・」
自分のドレスの裾を強く握り締めた。
「どういう事でございますか!?」
声を荒げるのは執事服を着た若い普人族の男だった。
「我々全員に暇をお与えになられるとは!?」
40代の普人族の執事も声を荒げていた。荒げた声を向けた先にいたのは
「・・・ワタシが気に入らなかった。それだけだ」
幼い頃のサクラだった。
「納得が出来ません!」
獣人族のメイドは声を張り、
「断固抗議させて頂きます!」
小人族のメイドも前のめりに強い声で張る。
そんな彼らにサクラは目を鋭く細めて
ピン…
反論が激しい代表の執事一人の首に糸を掛けた。
「・・・!」
気が付いた執事は今起きた事に冷たい汗が流れる。そして絶句。それも全員が、だ。
「黙って、去れ」
「「「・・・・・!」」」
サクラの静かな一喝とも言える様な迫力ある言葉をホロッと出した。その言葉に執事、メイド達が一気に戦慄し、一言も発する事無く、言葉に従った。
その日サクラに付き従う者は誰一人としていなくなってしまった。
「お初にお目にかかります」
「ああ、頼むぞ」
「はい」
誰一人として従者がいないだだっ広い屋敷と言うのは何かと不便だ。それ故に当然と言うべきか執事とメイドの募集を掛ける。
今回やって来た普人族の若いメイドは明るく活発そうな人柄だった。これからやっていくメイドの仕事と生活に張り切っている様子だった。
そんなメイドにサクラは
「ああ、それから・・・」
「はい?」
ギュリッ!
突如としてメイドの手首にサクラの魔法によって作られた糸が現れた。こうした事にメイドは一気に戸惑った。
「あ、あの、お嬢様?これは・・・」
オロオロしながらそう尋ねるメイドの言葉にサクラは冷淡な物言いで
「ワタシから逃げるな」
と監視するかのような鋭い眼光を光らせながらメイドに命令した。
「・・・・・」
メイドはただ黙ってその手首の糸を受け入れるしかない。そうした重々しい状況ではそうするしかなかった。
「サクラ様の噂をお聞きになりまして?」
カチャンと食器の音を立てながらそう尋ねる身分の良いご婦人が口を開いた。所変わってそこはレンスターティア王国内のとある貴族の御茶会にて。
そこでは最近の出来事を、世間話をする為の場。
所謂井戸端会議の様なものなのだが、貴族社会においてはこうした場は重要な情報交換の場として重宝している。当然ながら一つのコネクションを作るという意味合いでも決して軽んじてはならない場だ。
「ええ、ええ。存じてますもの。「クモヒメ」様の事」
「あら私は「縛り姫」様と」
皮肉交じりで他人事のように物言うご婦人達の言葉から一切のサクラの事について心配している様な色がなかった。
「あらあら沢山ありますのね。一時はお抱えになっていた全ての従者をお暇を与えて、新しく来た従者の方には糸や人もを繋げる・・・。従者の事をお人形とでも思っていらっしゃるのかしら」
今後の王家の事について心配する物言いだが、今までの会話の中で最もと言っても良い位に心が籠っていなかった。寧ろどことなく野心の様な澱み切った欲望が色濃く出ていた。
サクラの屋敷の使用人専用の部屋にて。
その部屋は使用人が会議や食事を摂る為として重要な場として設けられている部屋だった。その部屋の中ではサクラの屋敷内にいる使用人全員がそこに集っていた。
「冗談じゃない!我々は家畜でも愛玩動物でもない!」
日頃の鬱憤が爆発したかのように荒げた声を出す使用人の男。
「でもあの可愛らしい方なんだろ?それくらいなら・・・」
宥めるつもりなのか、色ボケの馬鹿な発言なのかまでか分からない事を言いだす男は顔が緩んでいた。
多分色ボケだろう。
だからなのか
「馬鹿か?」
と鋭く言い切る使用人の男は苛立ちの色が出ていた。
「馬鹿とは何だ馬鹿とは!」
少しカッとなった使用人の男。その様子に溜息をついて
「お前さぁ、少しでも変な動きととられる動きをすれば繋がれている紐がきつくなるんだぞ!」
自分の手首を見せた。
「・・・これは」
それは手首に細い紐で擦ってできた傷跡が生々しくあった。それを見た使用人の男は息を飲んでしまう。同じく見ていたメイドは自分の手首の方を擦る、視線をそちらの方を向ける。
「私も、手首が切れてしまうのかと思いましたわ」
メイドはそう言って袖を捲った。すると使用人の男と同じ傷がそこにあった。それを見た息を飲んでしまった使用人の男に傷跡ある使用人の男が
「分かったろ?」
と低い口調でそう尋ねた。
「ああ、これじゃあ誰も従者になりたがらない訳だ」
使用人の男はそう言って頷いた。
そうした会話をしていた部屋のドアの外には白い糸がキラリと輝いて、貼り付いていた。