260.二人きり
出された食事は豆お強の塩漬けシソの葉乗せ、小鉢には根菜類の酢の物、煮豆、胡麻豆腐、茶碗蒸し、大魚の煮つけと言った豪華なメニューだった。
詳しいメニュー名は食べながらといった形で食事を摂っていたがほとんどは今までこの国で食べてきた物が多い物だった。
「どうぞ」
シンがお強を箸で摘まんで食べているとナオから徳利を向けられてきた。どうやら酒を勧められてきたようだ。
「・・・・・」
頬張っていた為、シンは首を横に振って要らない事を示した。
「然様でございますか・・・」
少し意外そうに答えたナオは勧めてきた徳利をそっと引き戻した。
「酒以外でございましたらこちらがお勧めでございます」
代わりに琥珀色の液体が入った徳利を進めてきた。
「これは?」
「甘露水と言うものでございます」
「かんろみず?」
訊けばこの液体はある樹に穴を開けてそこから管を通して樹液を入れ物に入れて不純物を取り除く。その後に水とその樹液で希釈すれば出来上がるというかなり簡単に出来る飲み物の様だ。
(というかその樹液ってメープルシロップじゃないのか)
確かにシンがメープルシロップの収穫方法は樹木の幹にドリル等で穴を開けて、採取口からメープルウォーターをチューブやバケツで集め、さらにシュガーハウスと呼ばれる小屋の中にある大きなタンクに集める。メープルウォーターは、糖度約3%の透明でさらさらとした水のような液体である為、樹液を高温で時間をかけて、糖度66%になるまで煮詰め、ろ過して不純物を取り除くと、メープルシロップの完成となる。
メープルシロップと同じ物でそれを薄めた物なら知れている。
単純にメープルシロップやケーキシロップを水で薄めた味と思ってそのまま口にしたシン。
「!」
その瞬間、頭を殴られたかのような衝撃が走った。確かに甘かった。だが思っていた様な甘さでは無かった。メープルシロップをそのまま単純に薄めた程度では独特の甘さと香りのせいでしつこさがある。その為、余程の甘党でない限りとてもうまいとは言い切れないものだ。
だが口の中ではそうしたしつこい甘さがなくサラリとした飲みやすいものだった。薄くて飲みやすいという訳ではない。メープルシロップの様な独特のコクと香りのある甘さがあり、しつこさのないアッサリとした味わいがあった。
例えるならサイダーのメープルシロップ風味と言えばいいだろうか。
そんな味わいにシンは思わず目を大きくしてしまった。
「お口に合いましたか?」
そう尋ねてくるナオはシンの顔のすぐ近くまで近づけていた。
「ああ、思っていた以上に」
シンがそう答えると
「それは良うございました」
ニッコリと笑いながらそう答えたナオはチラリと周りの様子を窺った。
「・・・・・」
ワイワイと各々の食べている物について感想を述べているサクラ達の方へと視線を向けてすぐにシンの方へと戻した。
「シン殿はこの後は余暇がありますか?」
「(余暇・・・時間があるという事か)ええ、あるにはありますが・・・」
「ではこの後、私とお話いたしませんか?」
手を合わせてニコニコと笑いながらそう尋ねるナオ。シンは少し後ろへと体を逸らす。その様子を見たナオは更にシンの方へ寄って耳元で
「2人きりで・・・」
と囁いた。そんなナオにシンは静かに小さく頷いた。
「まぁ、嬉しゅうございます」
と華が咲く様な可愛らしい笑顔を見せたナオ。
対してシンはグイッと甘露水を飲み干した。
豪華な食事を終えたシンはナオが案内されるままに城の廊下で歩いていた。
2人きりという事だからサクラ達には何も言わずそのまま付いて行く形で案内されていた。だから今廊下にいるのはシンとナオの2人きりだった。
「・・・・・」
「・・・・・」
何か言葉を交わす事無くただ只管ナオの案内に従って歩くシン。ナオは案内を始めた時に「こちらでございます」と発して以来、何も言葉を発していなかった。
「「・・・・・」」
只管壁が光る廊下の中歩いているナオとシンの漂う沈黙。こうした沈黙が数秒ほど流れた時、気まずく感じたのか先に口を開いたのは
「どこへ向かっているんだ?」
シンだった。
先程から窓のない廊下を歩いているせいか流石に何か違和感を感じたシンは思わず訊ねてしまったのだ。その問いに対してナオはそのまま案内をしながら
「もうすぐでございます」
と答える。
具体的な事が知りたいシンは更に質問を重ねた。
「どんな場所なんだ?」
「とても綺麗な場所でございます」
抽象的だった。
先程からぼかしている様な言い方にも聞こえる。気になったシンは更に質問をしようと考えた時だった。
「着きました」
そう言われてきた場所は周りは未だに窓のない廊下の終わり。目の前には周りの壁画と同じ様に描かれた大きな障子。恐らくその向こうには部屋か、若しくは廊下か。
ナオの口ぶりからして部屋の可能性が大きいのだが・・・。
「大変長らくお待たせしました」
ナオはそう言って障子をそっと開けたその場所はまだ廊下だったが、奥の方を見ると庭先があった。庭先の奥には庭があった。その庭はグルリと囲む様な形で縁側が、所謂回廊があった。この事を鑑みて、その場所は中庭のようだった。
その中庭は綺麗に手入れされていた。真ん中に大きな苔の丘が一つ盛り上がっており、御影石の様な岩を3基程地面から頭を出しており、その苔の丘のど真ん中にリュウビンタイによく似た細くも大きな木が1本植えられて綺麗に剪定されていた。まるで一つの箱庭のような空間だった。
「ここは?」
どことなく懐かしさを感じさせ、馴染みのある様な空間に赴いたシンは本当は日本に戻ったのではないかと錯覚してしまう程に見慣れた光景だった。
だからなのかそう尋ねてしまってもおかしくないのだろう。
「私のお気に入り、私だけの場所でございます」
シンの疑問の真意とは違う意味で汲み取ったナオはそう答えた。
だがそれ良い。
シンの真意を汲み取られた時はシンが日本人、来訪者である事を認める事になるのだから。
少し危ないと思いつつ、今見ている光景でナオの口ぶりと比較して気が付いて口にした。
「随分と手入れされているが、これはもしかしてナオさんが?」
お気に入りならそれなりに腕の立つ庭師等に選定してこの庭を保全しているのだろう。だが、何となくだがこの庭はナオが手入れしているように感じてシンは思わずそう尋ねてしまった。
そしてシンの疑問は
「はい」
当たっていた。
その返事を聞いたシンは素直に
「綺麗だな」
と一言ながら決して浅はかではない感想を述べた。
こうした感想は感受性を持ち、こうした趣味に没頭と集中できる者からすれば、長々と蘊蓄を垂れたり、変に物や値段に例える等よりも万倍嬉しい言葉だ。
それ故なのかナオの表情が更に柔らかくなり
「ふふっ、嬉しゅうございます」
と今まで見てきた中で最も嬉々とした反応だった。
こうした自分のプライベートスペースとも言うべき場所に連れてこられた事にシンは
「これの用意があるという事はここで何か話を?」
と静かにそう尋ねた。
ほとんど状況的な根拠になるのだが、こうしたプライベートスペースに連れてこられたという事は敵対するような真似はしないと考えた。
何となくだが敵対しないだろうと考えたシンは身構える心境や緊張を一旦は解く事にしたのだ。
その様子を見てからなのか
「ええ」
この一言の言葉にはどことなくホッとしたような色が窺えた。
そう感じつつシンは
「何の話を?」
と更に詳しく尋ねる。
するとナオは無邪気な子供の様な物言いで
「貴方の事についてでございます」
と答えた。
「そうか・・・」
想定通りとは言え、出来れば当たって欲しくなかったと思っていたシンには心のどこかで残念がっていた。だが、お茶濁しや遠回しな物言いよりも遥かに素直な答えだ。
その事を考えればまだ親切だ。
だがこちらの情報は出来れば出したくなかった。だからシンはナオに気になっていた事を口にした。
「じゃあ・・・自分からも一つ聞きたい事があります」
シンの問いに
「はい何でしょう?」
小首を傾げるナオ。
シンは先に口にする前に
「単刀直入に伺います」
事前にストレートな質問である事を宣告し
「何者だ?」
と真摯に向き合った低い声色でそう尋ねた。
するとナオは普段と変わらない雰囲気であったが、
「・・・私はイイ ナオとご紹介扱いましたが?」
言葉を詰まらせたような間をおいてから答えた。
その答えにシンは小さく頷いて
「質問を変えます」
と言う。
するとナオはシンが何を訊ねたいのかについてほぼ確信を得たような心境になった。
「剣、とか武器を握った事は?」
先程と変わらない真摯に向き合った低い声色でそう尋ねるシンにナオは笑い始めた。
「あははは!私、そう言った類は持った事がございま・・・」
「嘘ですね」
ナオが否定の言葉を言い切る前に、断ち切る様にして言葉を遮ったシンの言葉は真摯に向き合った低い声色が更に低くどことなく張り詰めた物を感じさせた。
「はい?」
どうしてそう言うの?
と言おうとしたナオの目に映ったシンの目は邂逅した当初とは違う緊張の色と空気を感じたナオは思わず口を閉じてしまった。
「・・・・・」
少しの間どうしようとか、考える間を設けたものの
「どうも・・・誤魔化す事は出来ませんね」
諦めて事実を口にする事にしたナオ。
するとシンの張り詰めた緊張の色と空気を解いた。ナオは心のどこかで「解いて下さってありがとうございます」と礼を言って
「確かに武器を握った事・・・主に剣の方を握った事の方が多うございます」
自分が武器を持った経験がある事を告白した。