219.ジョン・ドゥ
「・・・・・」
手前シン。対するは四つん這いのロクロクビ。互いの距離は4m程。
ヒュー…ヒュー…
虎落笛の様な呼吸音を上げながらシンの方をジッと見るロクロクビ。
「・・・・・」
シンはロクロクビがどう動くのか見極めんとしてスコップを軽く握りながら様子を窺っていた。その時ロクロクビがアクションを起こした。
メリ…
ロクロクビの首部分から本来首の役割ではあってはいけない音が聞こえた。メリメリと何かが引き千切って破ろうとする音が聞こえた。
「!」
音がする方を見ると首の部分で皮膚が裂けて白い糸の様な寄生虫が出て来てウネウネと動いていた。不思議な事に決して地面には落ちず、外に出て動くだけのロクロクビ。まるでシンの様子を見ているかのようだった。
グジュ…
メキメキメキ…
首部分がロクロクビの本体が集まりだして膨らみだした。メキメキと言う筋肉に力を入れた時の音が聞こえなくなった瞬間、ロクロクビの初動が事態の動きとなった。
ギュンッ!
ロクロクビの宿主の首が一気にシンに向かって伸びた。
カーン…!
シンは持っていたスコップの平たい部分で咄嗟に自分の頭部を守って軽くいなした。
「っ…!」
ザンッ!
宿主の頭部を受け流して宿主の首部分をスコップの刃で切断した。スコップはビリビリと震えており、どれだけの衝撃だったのかが物語っていた。
ドサッ…
「っ!」
宿主の頭部が地面に落ちた。すると宿主の胴体と頭部の皮膚がロクロクビによって蠢いてプクリプクリと皮膚に浮かび上がり、切断面や口、鼻、目、耳とグネグネとロクロクビの本体が現していた。それが酷く気持ち悪くて蟲等を嫌う者から見れば身の毛がよだち、目を逸らし、走って逃げだしてもおかしくない光景だった。
「サトリ、これでいいのか?」
未だにウネウネと動いている宿主の頭部に不安を覚えたシンはサトリに訊ねた時
ジャバァ!
アンリがすぐに駆け寄ってきて予め持っていた大きな水筒の中に入っている液体を宿主の胴体の切断面と
「!?」
ジャバァ!
頭部に掛けた。するとロクロクビが激しく動いて数秒後に動かなくなってしまった。
(湯気・・・?)
どうやらその液体は湯気の出る何かの液体だった。シンがジッとロクロクビの様子を見ていると
「うむ、これでいい」
と声がした。
声のする方へ見るとサトリはいつの間にか首を切り落としてその遺体は燃えていた。平然とシンに手を振っていた。腰の刀は収まっている。まるで何事も無かったかのような振る舞いだった。
ボォォォォ…
その首と胴体は全体に燃えて広がっており、今ではすっかり元の形が人間である事が辛うじてわかる位に焼かれていた。
シンに攻撃を仕掛ける瞬間の少し前の事、サトリは鯉口を切っていた刀を抜き切った瞬間、炎を纏わせる。
ヒュー…ヒュー…
ロクロクビはグネグネと動かない数の部分が動いて不気味な歩行方法でサトリに近付いていく。
ヒュー…
対してサトリは飄飄とした態度で沈黙を漂わせてロクロクビを待つ様に動かずにいた。
トッ…
サトリとの距離があと4mになった時、ロクロクビが前に一歩踏み込んだ瞬間の時だった。
ゴォォッ!
横一文字の直線の切れ目から大きな炎が現れた。
ヒュ…
驚いたのか虎落笛のような呼吸音が途切れるロクロクビ。
ズル…
宿主の首に煙が浮き上がる形で一筋の線が浮かび上がり、首がズルリと地面に向かって滑り落ちる。
トサッ…
地面に落ちた瞬間、ほぼ同時に
ボボッ!
首と胴体の切れ目から小さな爆発の様な形で炎上した。その炎のお陰か最初はビクンビクンと痙攣の様な動きをしていたが、3秒程で動かなくなり、次第に炎が頭部全体と全身に広がっていった。
バッ!
同時にサトリは刀に纏っていた火を、まるで刀身に付着した血を振り払う形で消して
シュ~…
カッ
鞘に納めた。
丁度その時
ジャバァ!
アンリが宿主の胴体と
ジャバァ!
頭部に液体をかけていた。その様子を見ていたサトリは
「うむ、これでいい」
と何事もなかったかの様に振舞っていた。
そして現在に至る。
ゴォッ!
ザスッ!
今サトリはもう一度抜刀して炎を纏わせてロクロクビの宿主の胴体と頭部を焼いていた。その様子を見ていたシンは眉間に皺を寄せてアンリに疑問を投げかける。
「こいつら火に弱いのか?」
口調は疑心暗鬼気味に感じるものがあった。無理もない。火や湯に弱い事は知らなかった。そうであるにも関わらず、シンはロクロクビと戦わせた。
「正確には熱に弱い。だからお湯を掛けた」
頷きつつ答えるアンリ。それを聞いたシンは眉間に皺を寄せて更に訊ねる。
「・・・お湯は最初から持っていたのか?」
アンリは水筒の蓋を閉めつつ、頷いた。
「そう。サトリにこれから相手するロクロクビの止めを刺す時にかけろと言われたの」
その返答を聞いたシンは目を鋭く細めた。
「そうか」
シンはそう答えるとロクロクビに止めを刺し終えて残心しているサトリに間合いに入らない程度に少し近付き訊ねた。
「サトリ、こいつ等が炎とかお湯といった高温に弱い事を知っていたのか?」
シンの言葉に気が付いたサトリはすぐさま振り返って合掌して
「あ~すまん、すまん!この事を言うのを忘れておった!」
と屈託のない態度でありながら申し訳なさそうに謝罪するサトリ。
「・・・・・」
サトリの様子に更に眉間に皺を寄せるシン。
(本当に忘れていただけにしては、随分タイミングよくアンリがお湯を掛けていたよな・・・)
確かに思い返してみれば、シンが宿主の首を切断したほぼ直後に、アンリが水筒の蓋を開けていつでもお湯を掛けられるようにスタンバイしていた。
今のメンバーでは松明やランプ等、火の気のある物を持っているようには見えない。ましてやシンは魔法が使えないからすぐに火を出せる事等できない。
それなのにアンリはお湯の入った水筒の蓋を開けていた。
(それにサクラ達が手を出さなかったのも気になる。サクラは王族だからサクラが直接手を出さなくても、アルバかステラが動いてもおかしくない)
サクラは雇い主の上に王族だ。だからアルバとステラがサクラを守ろうとする様子が無いのは妙な話だ。サクラ自身が糸の魔法で何か仕掛けていた可能性もあるが、それでも無防備とも言える位の隙や油断がある可能性は十分にある。しかし、そうした護衛はおろか防衛をせずにいた。
何よりも気になったのは戦闘中サクラの方から視線が飛んできていたのを感じた事だ。
(まるで俺の手札を見る為に動いているかのようだ)
出来過ぎた状況にシンは疑念を抱く。何も知らずにまごまごしているシンにアンリはタイミング良く入ってロクロクビにお湯を掛けた。だとすれば、サトリとアンリは最初からシンが魔法を使えない事を前提で行動している様に見える。
いや、正確にはシンが魔法を発動するしないどころか、シンのアクションを見ようとしているようにも感じる。
シンがそう考えているとサクラが口を開いた。
「この近辺ではこいつ等しかいない」
「安心できるね」
「助かるよ」
この信頼性はやはり糸の鳴子のお陰だろうか、サクラの言葉に疑問を持つ者はいなかった。
「ボス、嬢ちゃんの言う通り、誰も何もいない」
それを裏付けるかのようにアカツキが確認してシンに伝える。シンは小さな頷きを返した。この頷きはサクラの言葉に対してでもあり、アカツキの言葉に対するものでもあった。
頷きを見てかそうでないか、シン達はロクロクビの宿主の事について考察の言葉を交わし始めた。
「あの格好、冒険者と言うよりも・・・」
サクラが腕を組んで言葉を続けるとサトリが言葉を続ける。
「兵士、か?」
見ていないと言うのにまるで見てきたかのように言うサトリ。その様子からシンはチラリとサトリを見た。
そんな中アンリがもう一つの意見を述べた。
「それもあるが、武術の修行の身に置いている者の様にも見える」
少し意外な意見にサクラ達はアンリへの視線が一気に集中した。
「何故そう思う?」
その集中する視線に臆する事無くサクラの疑問に湯を掛けた方の遺体に近付き、手の甲に指差して答えるアンリ。
「手の甲の・・・この出っ張った所に何かしらの傷跡かタコがある。これは何かの武器を所持によるものではない」
確かに宿主を焼く前の事を思い返せば手の甲の中手骨骨頭にはタコか傷跡が出来ている。また、手の平には火傷の後もある。
通常の兵士であれば剣を扱う訓練をするから、剣ダコや切り傷が出来てしまう。だが、格闘や武道を嗜んでいる者の特徴の拳ダコはない。
だがこの死体には拳ダコがあった。
その事を確認しているサクラ達に対してアンリはもう一つの黒焦げになった遺体の方へ向いた。
「それに体格も気になる。随分と細いけど、しなやかでそれなりに逞しい体。歯は妙に小綺麗だったし、服装もどことなく何かの団体の制服に見える」
もう一つの遺体は黒く焦げており、最早誰がどこのものなのか分かり辛い。その上、筋肉や内臓はロクロクビ侵されて食われているから判別し辛い。
だがロクロクビは体格や歯等の骨は決して食う事は無い。その為、相手がどんな人物像なのか位はある程度であれば予想が出来る。
食生活もかなり質素なのか味が極端に薄い物を食べていれば歯を磨かなくとも綺麗に保つ事は出来る。体格も幼い頃から細いけれどもしなやかで逞しい体を作る為の育成をすればこうした体になる。
「結論、この死体は何かの団体、それも戦闘面に力を注いだ団体に所属している組織で戦闘面を売りとしており、かなり若い面々が中心。この様子から誰かの弟子、或いは兵士としてこの国に来ているのではないかと思う」
拳にタコが出来ており、細くしなやかで逞しい体。その上、武器を持っている。2体のロクロクビの宿主は同じ服を着ていた。こうした事からどこかの国の軍属の人間である事が分かる。その上、本来兵士の体格は太い筋肉の鎧を纏った体である事が多い。だがそうではなく、斥候や諜報部隊と言った様な体の動きの速さを求められる様な体であった。こうした事から一般の兵士ではないも窺える。ああした細けれども逞しい体になるには幼い頃からの教育でなければああした体を作るのは難しい。
そう考えれば年をいってから軍に属したのではなく、生まれた時から軍属にさせられていた事になる。そして彼らは若い事も分かる。だとすればこの国に彼らの「師」と呼べる存在がいる。つまり彼らは何かしらの「武門」に入門した弟子と考えるのが自然だろう。
その言葉を聞いたサクラは目を細める。
「兵士として、か?」
続けてサトリが低い口調で口を開く。
「もしそうなら、これはかなり問題があるな」
そう、この国に断りもなしに軍隊と思しき武装集団を侵入を許した事になる。
当然許しもなしに軍隊を国内へ入れたという事は、国の内側から崩して動く形の侵略をするという事でもある。故郷であるサトリからすればこれは由々しき事態である。
(だが、もし兵士としてなら何でこんな分かりやすい格好で来ているんだ?)
現状を見ればこの死体は何かしらの戦闘面に力を入れている団体、所謂何かしらの「武門」に所属している者達。死体の年齢から誰かに教えを受けている弟子の身分か、兵士の身分。もしくはそのどちらも当て嵌まっているか。
「正直な所、分かるところはここまでしか分からない。情報が足りていない」
兵士であれば無断でこの国に入国している可能性はあるし、弟子であれば必ず「師匠」の存在がある。
こうした事か分かっても何かしらの可能性が浮上してこれ以上は分からない。
アンリの言葉通り、更なる疑念が次々と浮上していくが、情報不足の為、結局の所はこの死体は身元不明の死体という事に変わる事は無かった。
「そうだな。今はこの国でこいつらが何かしようとしていたという事が分かっただけでも大きな収穫だ」
サクラがそう言うとサトリも頷いた。
「・・・分かった。一旦この事を報告しに戻ろうか」
サトリのこの言葉を合図と言わんばかりにその場を後にする行動に移った面々。ギルドの依頼は達成した証拠として、遺体の黒焦げになった耳を切り落とし、この件についての報告をする為にそのままギルドへ向かう形でその場を後にした。