204.持ち帰り
成長と言う物は不思議なものだ。時が経つにつれて子供の時食べられなかった食べ物が今では躊躇いも無く食べられるものが多くなっていく。
子供の頃、ひつまぶし等、小骨が多すぎて口の中で異物感を強く感じてとてもでは無いが食べれなかった。
だが今では嫌いではない。むしろ好きだ。あの頃の自分が今の自分を見れば不思議がる位に異様な光景だろう。それだけに今平らげたひつまぶしが入っていた丼がペロリとキレイになっていたのだ。
(美味かったな。ウナギよりも濃厚な脂だったが、アッサリとしていて食べやすかったし、あのタレも俺好みだったな)
もっと言えばアヤカシのひつまぶしだけでなく、旬のお造り、オオシャコガイのお吸い物、トオカウリの香の物、御茶瓶に入っていたアヤカシの出し汁でさえも全てが空になって満腹の余韻にシンは浸っていた。
アヤカシのひつまぶしはウナギやアナゴのひつまぶしと違ってこってりと脂が乗っているくせに、サラサラとした食べやすいアッサリとした脂だ。食感もふんわりとしており、骨を取り除いているのかウナギやアナゴの様に小骨が無い為非常に食べやすかった。その上、甘辛く香ばしい粘りのあるタレがアヤカシの蒲焼との相性が良く食が進む。
蒲焼の食べやすさに先に消えていく事に気が付いたシンは急いでアヤカシの出汁を入れて、トオカウリの香の物を添えつけてかき込む様に口に入れていく。
すると、サラサラと流し込む様に入っていく蒲焼には骨が無い為より食べやすく、ホロホロと崩れ落ちていくように解けていく。
そして嫌なねちっこい脂っぽさが無い上に更に食べやすい出汁のお陰でより食べやすくなり、トオカウリの旨味としょっぱさのお陰で出汁の旨味と脂の甘さがより引き立たせていた。
そしてそれを平らげた事により残ったのはやや冷めてしまったオオシャコガイのお吸い物だった。
オオシャコガイのお吸い物のお椀の中にある具はミツバと思しき香草に直径5cmもある大きな貝柱だけしか入っていなかった。
あとはほぼ透明のだし汁のみ。
たったそれだけのシンプルな汁物だが、一口すすると今までの「たったこれだけなのか」というレパートリーの少ない事に対する不満に近い思いが払拭される程に満足のいく旨味が口いっぱいに広がった。
腹持ちが良くなりこれ以上食べられない程の満腹感がある胃には優しい味だった。
貝柱はよく煮込んでいるせいからか箸の先で軽く突くとホロホロとほどけて崩れていき、細長い川の流れを表現するかのように貝柱の繊維が次第にお椀の中一杯に流れていき箸を動かした事によって小さな渦が出来上がっていた。
それを再度口に流し込むとその貝柱の旨味なのか始めに口にしたあの味と違ってより深味が増してまろやかさと優しい口当たりを感じた。
シンは良く味わうかのように解けた貝柱のお吸い物を口にゆっくりと一気に飲み干し、箸を置いた。
「ごちそうさまでした」
そして今に至る。
平らげて綺麗に何も無くなった皿や丼を取り下げていく仲居はシンに
「如何でございましたか?」
とニッコリと笑いながら訊ねた。
「ああ、どれもこれも美味しかったよ。な・・・久しぶりに」
シンは「懐かしい」と言う言葉を飲み込みつつ、確かに美味であった事を伝えた。言葉を飲み込んだ事に気が付いたのか、それともシンの態度で気になったのかは分からないが仲居は更に訊ねた。
「どこか懐かしそうにしてらしていた様に見えましたが?」
その言葉にシンは少しギョッとして少しだけ目を大きめに開いた。だがすぐに
「懐かしいかもしれないが、味わった事の無い味だった。とても不思議な感覚だった」
と説明した。確かに素朴で純朴でありながら決して青臭さや生臭さがなく、上品な味付けだった。だから懐かしいと言う単語を使いつつも決して間違っておらず、真実から逸らした内容で答えるシン。
「左様でございますか」
と穏やかな口調で答える仲居。
「では食後に甘味でもいかが?」
そうデザートを進める仲居にシンは躊躇いも無くすぐに
「頼む」
と答えた。
「お待たせしました。こちら揚げ饅頭でございます」
仲居が持ってきたのはかりんとう饅頭によく似た饅頭が乗った皿とジャスミン茶の様な花のような香りのする薬膳茶が入った湯飲みだった。
「ああ、ありがとう」
シンはそう言って置かれた揚げ饅頭を手に取って、口に入れた。
カリッ
外はサクサクのカリカリで油と生地の甘みが最初に広がってきて
(!中に柿の様な物が入っている)
濃厚な甘さでありながらさっぱりとした味わいが口いっぱいに広がる。間違いなく果物特有の甘さだ。恐らくただでさえ揚げているのに変に餡子の様な甘い物を入れるよりもさっぱりとした果物を使った餡を使ってさっぱりとした味わいに仕上げようと考えられたのだろう。
だから、腹持ちのいい今の状態でもこの揚げ饅頭を胃に入れても胸焼けどころか重くて食が進まない様になっていた。むしろさっぱりとした味わいのお陰でサクサクと食べ進めて添えつけられていた香りのよい薬膳茶を飲み干した。
「ごちそうさまでした」
シンは手を合わせてそう言った。
その言葉を聞いた仲居は
「ありがとうございました」
とお礼を言われた。
恐らくシンが食べた事の無い食事のメニューを綺麗に平べた事に対する感謝の言葉だろう。
そう考えたシンは静かに頷いた。
丁度その時
「すみませーん」
と飄飄とした軽い男の声が宿の中に響いた。
シンと仲居は誰だろうと考え声のする方へ向いた。
「頼んでおいた粽を頂きに参ったんだけど?」
(粽?)
粽は端午の節句のお祝いの食べ物として出されているあの団子だ。関東では炊き込みのお強のお握り、関西では餡子が入った生麩やもち米を利用した甘味物として食べられている。
端午の節句に粽を食べるのは、元々中国で供物を捧げていた行事が由来で二千年以上も昔、中国にあった楚の国の屈原という詩人が、国を憂いながら汨羅の河に身を投げた命日が5月5日だったので、楚の国の人々は屈原を偲び、毎年この日に竹筒に米を入れて河に投げ入れ供養されたのが始まりとされている。
これが、奈良時代に端午の節句の風習の1つとして日本に伝来当時、都のあった近畿地方を中心に、白く甘い団子を笹の葉で包んだ形の粽が広まった。一説によると、その後も伝統を重んじる近畿地方では、粽を食べる習わしが引き継がれている。
「あ~ようこそいらっしゃいました」
どうやら主人が応対していた様だ。
主人は人当たりの良い声で応対している。声と言葉から察するにどうやらここの常連客か顔なじみのようだ。
「サトリ様、こちらのお重の中に例の粽が入っております。上段は鳥とタケノコ、山菜のもち米の粽、中段は青豆とエビとシャコガイのもち米の粽、最後の下段はアカウリ、カキオトコ、イワイマメの餡が入ったこちらももち米の粽でごさいます。これら8人前でよろしかったでしょうか?」
「忝い。助かるよ」
サトリという男はそう言った時
チャリリリン…
と小さな金属製の何かがかち合う音が聞こえた。どうやら粽の代金を渡したようだ。
「毎度ありがとうございます。今後ともご贔屓に」
「うん、今夜の夕食は中々のご馳走になる」
その言葉以降サトリという男の声は聞こえなくなった。どうやら用が済んで宿から出て行ったようだ。
シンはそのサトリという男よりも気になったのが
「この店に粽があるのか?」
端午の節句で出される粽の事が気になった。端午の節句は春だ。今の時期は四季で言う所の秋に当たる季節だ。そうであるにも関わらず粽が今の時期出てくるのはこの世界の習慣からだろうか。
そう考えつつ、サトリという男が頼んだ粽の味の事について気になり訊ねてみたのだ。
「ええ、ございますがお客様も?」
「ああ。出来ればさっきの客が頼んだ粽と同じものを2つずつ欲しい」
さっきまで御膳料理を平らげたばかりだというのに更に胃に重く来る物を皿に頼むシンだが、仲居は驚く事は無かった。そればかりか「まぁ、当然か」と言わんばかりの態度で
「畏まりました。フフフ、旬の物を食べたくなられましたか?」
とクスクスと笑いながら訊ねた。
そんな反応の仲居にシンは首を傾げて
「旬?」
「「シュン」?」
聞き返すサクラにサトリは持って帰ってきた粽のお重の蓋を開ける。
サクラ達はシンの宿から数件離れた高級宿屋に泊まっていた。