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203.宿

 およそ午後4~5時の時間帯。今の時期、夜が歩いて来る足の速さがより速くなる時だ。それ故に日の落ちる速さがより速くなるせいで太陽の色が白から赤に染まる速さもより速くなっていた。

 だからオオキミの街中も赤く染まっていき、元々の色が分かりづらくなる事もある。と言うのは黒い屋根瓦から発せられる白い光沢も赤く染まったせいで赤黒く見え、壁も赤よりのピンクになっていた。

 それがより美しさと懐かしさを出し、シンはその感覚に浸っていた。


「ここが美味しい宿、か・・・」


 シンが辿り着いた宿、それは現代で言う「古民家ゲストハウス」の風貌の和風建物だった。黒い瓦屋根に白い漆喰の様な壁の部分部分には木目調がむき出しの箇所があり、木製の格子窓にはガラスがはめ込まれていた。


(雰囲気は・・・こう、懐かしさがあっていいな・・・)


 宿の建物を見たシンは何とも言えない懐かしさを感じていてただ只管立ち尽くしていた。

 そんなシンに宿から主人が出てきて声を掛けてきた。


「失礼でございますが、もしや国外の方でございますか?」


 そろりと出てきた店の主人は鬼人族ではなく、人間の耳に当たる部分が獣の耳になっていた中年の男性だった。


「ああ(鬼人族じゃないのか。耳の感じからして・・・狸、か?)」


 シンがそう答えると主人はそそくさと近付いて更に訊ねた。


「では宿の方は・・・?」


「まだだ」


 シンが頭を横に振ると主人はニッコリとアルカイックスマイルになった。所謂商売時のあの笑顔だ。


「そうでございますか。それではこちらの宿をご利用されてはいかがでしょうか?」


 その言葉にシンは眉を小さく顰める。


「どこか空いているのか?」


 シンの疑問は当然だ。食事が美味しいだけでも大きな売りだ。だから多くの客が泊まりに来ていてもおかしくない。

 シンの問いに主人はニッコリと笑って


「ええ、ございますとも」


 と答えた。


「分かった。ここで」


「え?ええ、ありがとうござます」


 二つ返事でアッサリと決め事に思わずキョトンとしてしまいそうになる主人だが、泊まってくれる現実に気をしっかり持ち直したのかすぐに行動に移した。


「では失礼ですが、お宿代は銀の6枚です」


 主人の「銀の6枚」と言う単語聞き覚えはない。だが、この表現で連想したのは「銀貨6枚」だ。しかし万が一違う金額の可能性もあった為、取敢えず大銀貨一枚だけ出した。


「確かに。では差し余りを」


 金額を確認した主人はニッコリと笑いお代の大銀貨を受け取り、一度奥へ戻っていった。戻ってきた主人の手には宿泊帳とお釣り持っていた。どうやら「差し余り」と言うのはお釣りの事のようだ。

 持っていたお釣りをシンに手渡した。シンは金額を確認すると懐に入れた。


(なるほど、宿泊費は6000円ってところか・・・)


 シンはそう考えていると持っていた宿泊帳を差し出して


「失礼でございますが、そちらの宿泊帳にご自身の御名前をご記入下さいませんか?」


 と伺った。


「ああ」


 シンはそう返事をして履物を脱いでそのまま上がり、宿泊帳に自分の名前、「シン」とだけ書いて閉じた。


「ありがとうございます。丁度夕餉の支度をしておりますので部屋をご案内した後、下の階の奥の食堂まで来ていただけるとすぐに食事が出来ます」


「それはありがたい」


 その言葉を聞いたシンは顔こそ変わらなかったが、心では顔が綻んでいた。


「では、こちらの仲居にご案内させます」


 そう言って仲居を紹介する。

 その仲居の耳も獣の耳だった。


(耳の感じからして狐・・・か?)


 シンはそんな事を思っていると仲居はニッコリと笑顔を浮かべた。


「いらっしゃいませ、「チトヤスミ」をご利用頂き有難うございます。ではご案内いたしますので、こちらへ」


 シンは静かに頷いて案内する仲居に後を付いて行った。





「こちらでございます」


 案内された部屋は2階の旅館の和室の大部屋だった。

 12畳の畳の部屋で真ん中に小さな座卓が置かれ座布団が二つ対面と言うか体で置かれていた。白い壁に格子状の木製の窓には和紙と思しき紙が貼られて、その奥にはガラス窓が見えていた。部屋のでは入り口近くには押入れがあり恐らくそこに敷布団等が入っているのだろう。


「(思っていた以上に旅館だった・・・)いい部屋だ」


「ありがとうございます。厠はこの部屋を出て右手奥にございます」


 一礼してから説明する仲居。


「分かった」


 シンは変わらない表情で答える。仲居も同じく変わらない笑顔である事を訊ねた。


「ところでお客様、お食事の方はいかがいたしますか?」


 食事はするかどうかについて尋ねた仲居。シンはそろそろ空腹を感るか位の感覚を覚えた。


「ん?ああ、すぐに食べようと考えているが・・・」


「それでしたら、これからお食事が出来る所までご案内いたしますが、いかがなさいますか?」


 シンの言葉にニッコリと笑い食堂の案内に促した。シンは流石にそろそろ食事に入ってもいいかなと考え


「じゃあ、頼もうかな?」


 と答えた。


「畏まりました。ではこちらでございます」


 また仲居が先に行く形で案内を始めてシンは付いて行った。




「こちらが食堂でございます」


 食堂は敷居を跨いだ先に畳の床に座卓と座布団が置かれてそこで食事する様になっていた。ざっと見て4人の座卓が6つある。つまり最大で24名の客がここで食事が出来る位の広さがあった。

 白い壁には達筆な文字で食事のメニューが掛かれていた。一般的な食堂と違って文字と文字の間がゆったりとできる様な間隔が空けられ、且つキッチリ並べており、上品な印象があった。

 食事の時間には早いせいか誰もいなかった。


「(ここ本当に一般的な宿だよな・・・)ありがとう」


 それを見たシンはここ本当はかなり宿泊費が高い宿では無いのかと思ってしまう程に清潔で上品な空間だった。


「早速、何か召し上がりますか?」


「じゃあ、この宿のおすすめをお願いしたい」


 誰もいない事に自分が一番乗りである事を確認したシンは何か食べようと考え、この店のオススメを注文した。


「畏まりました。好きな席に座ってお待ちくださいませ」


「ああ」


 シンは注文してそのまま適当な席に座った。





「お待たせしました。チトヤスミ定食でございます」


 十数分程待つとさっきの仲居が何か定食を持ってきた。


「ぉぉ」


 出された定食は品数が少ないが御膳料理だった。だからなのかシンは思わず小さな声を出してしまった。


(刺身とこれは・・・丼もの?)


 出された御膳料理は、ひつまぶし風の丼ものに山椒のような香辛料、鯛の様な白身魚の刺身、お吸い物、香の物、だし汁が入った御茶瓶、栗きんとんだった。


「アヤカシのひつまぶし、旬のお造り、オオシャコガイのお吸い物、トオカウリの香の物でございます。こちらの御茶瓶にはアヤカシのだし汁が入っておりまして、ひつまぶしを半分程召し上がりましたら好きな量だけお掛けになって召し上がって下さいませ」


 聞き慣れない単語が多い事に気が付き「旬のお造り」の事で訊ねるシン。


「旬?今の旬は何だ?」


 その問いにニッコリと笑う仲居は口を開いた。


「イソナデです」


 聞き覚えなし。


「・・・そうか」


 聞き慣れない生き物の名前は間違いなくこの世界にしかいない生き物だと分かって少しばかり諦め程度の心境でそう答えるシン。

 そんなシンに仲居はハッと何かに気が付いて申し訳なさそうに


「お客様、何か苦手なものがございますか?」


 と訊ねた。

 確かに今の今まで見てきた文化は中世ヨーロッパ寄りが多かった。という事は生魚を食べる習慣が無いと考えてもおかしくない。

 だから仲居はシンは生魚の刺身が食べられないと考えたのだ。


「いや、苦手な物は無い。食べた事が無いものが多いが多分食べられる」


 仲居の意を察してすぐに否定するシンはすぐに手を合わせて


「いただきます」


 と言った。

 シンの否定の言葉には一応受け取った仲居だが、それでも「食べた事が無い」シンの口に合うかどうかが気になって少し心配そうに見ていた。


(すげぇ見られているな・・・)


 見られている事に気になりつつも先に箸をつけたのは仲居が気にしているイソナデのお造りだった。


 ゴクリ…


 生唾を飲み込む仲居。

 シンは少し居心地が悪い中でお造りを口に運んだ。


「!」


 シンの目は僅かに見開いた。

 仲居は未だに少し心配そうに見ていた。


 もしかして口に合わなかったのでは・・・?


 そう頭に過り、さりげなくシンに近付き下げる事を伝えようかと考えていた時の事だった。


「美味い・・・」


 子供の時、どことなく魚の事が苦手で食わず嫌いだったシンを父親と祖母が馴染みの寿司屋に赴いて、食べさせてくれた鯛のお造りを食べさせてもらった時の事を思い出していた。

 そう。

 このイソナデのお造りは寿司屋で出されたあの鯛のお造りと同じ味だ。


「・・・・・」


 シンは懐かしんで唯々黙って味わってイソナデのお造りを眺めていた。

 そんな様子のシンに仲居はホッとした心境になる。


 お造りをそのまま食べ進めた後に「イソナデ」について尋ねた。

 どうやら見た目は5~6mのサメに似ているが、背びれが無く、代わりに大きな尾びれを持ち、無数の細かい鉤状の針がある巨大魚のようだ。海面を撫でるように泳ぎ、船に擦れる位にまで近づき、大きな尾びれの針で人を引っかけて海に落として食べ、犠牲者は自分が海に落ちるその瞬間まで、襲われていたと気が付く事が無い為、漁師達から恐れられている。

 シンは一瞬固まったが再び箸を進めてお造りを平らげた。

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