195.都
大変長らくお待たせしました。
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先に都に辿り着いたシン達。
駅馬車に乗っていたシンは都の駅で降りて都の街中を見渡した。
「ここが都か・・・」
上空映像から見た時の光景とイメージしていた光景は同じだった。黒い屋根は恐らく日本瓦と同じようなもので出来ており、光沢があり、白い壁と木や竹等の丈夫な植物の材料で造られた部分が見える。また、ガラス張りの窓や引き戸、木製の雨戸があり、その奥には障子が見えていた。そうした建物がほとんどで所謂、日本家屋だった。商店であれば大小様々な看板が掲げられて行き交う人が思わず足を止まる工夫されていた。その工夫は明治時代~昭和時代に見られた掲げ方と同じだった。違うのは使わている文字がこの世界の物だという事だ。物見櫓は時代劇で見られるあの物見櫓と同じで、釣鐘に似た鐘がぶら下げられており、恐らく火事等が起きた時はあれを鳴らすのだろう。
ここまでは日本の明治時代と同じ光景なのだろうが、ここからが違っていた。
建物と道路に則して、灯篭のようなが石造りの背の高い街灯があり、現代の車両2台分と歩行者が楽に歩ける程道幅が広く、馬車が行き交っていた。行き交う馬車は様々で、箱馬車や屋根が付いた荷馬車、大八車が主で、たまに警務隊が馬に乗ってパトロールを行っていた。中には何かしらの看板が付いた変わった馬車もあった。
行き交う人の服装は和装が多いが、肩から革製のカバンや洋風の帽子がチラホラと見かけていた。髪型は丁髷や丸髷等の様に江戸時代では主流となっていた髪型ではなく現代的で様々な髪型だった。中には武器を携えている者もそれなりにいる。髪の色も様々で金髪や茶髪、中にはピンクと言った髪の色の人もいた。
行き交う人間の角が生えている者が大半だが、中には角が無い者や動物の耳等、恐らく種族が違う人類と思しき人々の姿もあった。
「・・・・・」
映像で見ると実際に見るとでは大違いと言うが本当にその通りだ。映像であれば他人事のように感じる事もあり、角や獣耳を持っている人々が通常の生活をしている事自体がフィクションのように感じていた。しかしこの国に来てから見て、聞いて、触れて、味わい、改めてノンフィクションである事を思い知らされる。
同時に日本と同じような見知った風景や光景のせいか懐かしさを感じていたが、行き交う人々の姿や所々違う文化の片鱗によってここは日本ではなく別の世界である事を主張するかのように違和感もあった。
そうやってボ~ッと都の風景を眺めているとシンの前にある馬車が横切った。
「・・・移動屋台みたいなものか」
そう呟くシンの視線の先には看板が取り付けられた金属製の細い煙突が付いた大きめの箱馬車が走っていた。看板には「立ち食い飯」と書かれて客と顔を合わせるカウンター部分には暖簾が掲げられていた。
(さっきから馬車がよく見かけるが、この国では当たり前の光景なのか?)
シンがそう思いながらその屋台型馬車を見ていると今度は大きな牛が横切った。
「赤い牛?」
その牛はホルスタインよりも一回り大きくて体毛の色が赤茶色だった。その牛の口部分に紐で轡上に結ばれてその紐を引っ張る沖縄のエイサーを踊っている男性の様な格好した男がいた。最もエイサーと違っていたのは服の彩が地味であった事だ。
シンがそう疑問の言葉を口にした時アワダが答える。
「ああ、あれは「アカベコ」と言う牛ですよ。大きいでしょう?」
「アカ・・・ベコですか・・・」
野沢民芸品で有名なあの「アカベコ」がそのまんまに使われていた事にシンは「ええ・・・」と言わんばかりの顔をした。更に言えば「アカベコ」と言う言葉の意味は「赤い牛」という方言だ。大元を辿って言えば何の捻りもない。
意外ではあったが、どことなく呆気にとられる事にシンは何とも言えない視線を「アカベコ」に送っていた。
「あれは乳がおいしいですよ」
「乳・・・(牛乳・・・ジャージー牛乳みたいなものか?)」
シンがオウム返しにそう言った時ある言事に気が付いた。
「この国では乳を飲むのですか?」
牧畜文化を濃厚に継承する唐の影響の大きな時代では、彼らの乳の知識が日本にも伝わり、酪・蘇・醍醐といった乳製品に加工され一部の階級層には食べられていた。しかし、奈良時代に聖武天皇が肉食の禁を出した事により、仏教の普及と共に、次第に牛乳を飲む風習は薄れていったとされる。また、室町時代では牛乳を飲むと牛になるという迷信があり、それがより一層拍車が掛かった。因みにそれを知った少年時代の織田信長が、「実際に牛になるかどうか試す」と言って牛乳を飲んだという逸話があるがそれ程にまで牛乳を口にする習慣が無かった。
だから江戸時代の文化にも近いオオキミ武国の文化で牛乳を飲むという事に意外だった。
「ええ、そのまま飲んでも甘くて美味しいです。更に言えば「蘇」とか「塩蘇」とかもいいですよ」
「「蘇」?」
小首を傾げオウム返しするシン。
「ああ、それは流石にご存知では無かったですか。蘇と言うのは鍋に乳を注いで焦げ付かないようにヘラで良く混ぜながら、乳を煮詰めて、固めて、乾燥した食べ物です。基本的には甘いのですが、少し前に塩を混ぜた「塩蘇」と言う物も人気があります」
「それが「蘇」ですか・・・(フレッシュチーズみたいなものか?)」
ミルク風味のキャラメルかチーズみたいな食べ物を思い浮かべるシン。
(まぁ考えてみれば考え方や宗教とかが丸切り違うから動物の肉みたいな動物性たんぱく質を口にする事に忌避する理由なんかないか・・・)
確かに仏教の様な肉食を禁じられている宗教があれば、シシ汁みたいな汁物や「蘇」の様な牛乳を口にする事は無かっただろう。つまりこの国には少なくとも肉を口にしてもとやかく言われる様な宗教は一般的に普及しているわけではないという事だろう。
そんな事を考えているシンにアワダは思い出した事を口にした。
「最近では「飲蘇」、「飲む蘇」があるらしいですね」
「「飲む蘇」・・・どんなものですか?」
イメージとしては甘いチーズ風味の飲むヨーグルトかカルピスの様な物と考えているシン。
「実際飲んだ事はありませんが、何でも果実の様に甘酸っぱくてとても飲みやすい物だそうです。今度飲もうかと思っています」
どうやら想像通り飲むヨーグルトかカルピスの様な物の様だ。やっぱりか、と思っていると今度はアカツキから通信が入った。
「ボス、あの街灯をよく見てくれ」
「街灯?」
アカツキが言う街灯と言うのはシンの近くにあった石造りの街灯だった。その街灯は日本の石灯篭に似ていたが、高さが通常の街灯とほぼ同じで遠目に見れば細く見える。
「これがどうかしたのか?」
シンはそう尋ねつつ街灯まで近づいた。
「これ多分だが、コンクリートだぞ」
「は?コンクリート?」
アカツキから意外な言葉にシンは思わず訊ね返してしまった。だが、よくよく見れば確かに石灯篭の様に石を積み上げた時の隙間が無く一つの石の削りだしか、コンクリートの様な物質で固められている様に見える。
「ああ。正確には古代コンクリートだがな」
「古代コンクリート・・・」
「古代コンクリートは現代のコンクリートよりも倍以上の強度があり、火山灰が材料だ」
更にアカツキから古代コンクリートの事を聞いた。
別名ローマン・コンクリートとも言ってローマ帝国の時代に使用された建築材料。現代のコンクリートは、カルシウム系バインダーを用いたポルトランドセメントであるが、古代コンクリートはセメントおよびポッツオーリの塵と呼ばれる火山灰を主成分とした。アルミニウム系バインダーを用いたジオポリマーであり、倍以上の強度があったとされる。ローマのコロッセオには古代コンクリートも使用されており、二千年近く経過した現在も存在しているのはその為とされる。しかし、ローマ帝国滅亡後の中世ヨーロッパでは使われず、大型建築は石造が主流となり、現代のようなコンクリートが利用されるようになったのは、産業革命後である。
「いや、待て。これが古代コンクリートだとすれば・・・」
「ああ。この国とんでもない量のコンクリートを使っている事になるぜ?」
街灯に火山灰が大量に含まれているコンクリートを使用しているという事は、一般施設でもこれを使用している可能性が高い。もしそうなら古代コンクリートで造られた建物が当たり前の文明という事になる。
(という事は、この国の主な建築材料は木材と古代コンクリートだという事か・・・?)
古代コンクリートを使われているという事は火山がある、或いはかつて火山だった山が多くある可能性がある。オオキミ武国は文化こそ日本にだいぶ寄せた和風ファンタジーの様な文化だが、まだ断言できない部分が多いが現状、資源等の関係で火山灰で作られた古代コンクリートや木材の建物が中心のようだ。
シンがそんな事を考えているとアワダから声が掛かった。
「シンさんー!そろそろギルドに・・・!」
「はい、今行きます」
そう返事をしてサッサと用事を済ませてアワダとは別れようと考えたシンはそのまま冒険ギルドオオキミ支部へ向かった。
今月の投稿なのですがゴールデンウイークの間、今回の話を含めて3連続投稿する事になります。
ただ・・・その代わりといいますか・・・こうした形になるというべきか・・・ゴールデンウイーク以降の話はあと1話投稿できるかどうかが分からない状況になります。
理由はリフレッシュ目的と仕事等々と言った作者の都合上によるものです。
一応6月には都合が付いたり収まったりと落ち着きますので以前の様に投稿すると思います。
こちらの都合によって楽しみにされている方々には大変ご迷惑をお掛けします。
大変申し訳ありません。
続きは明日ですのでお楽しみ~!