193.鬼の強弓
人類最初の飛び道具として活用したのがそこら辺に落ちている石だ。つまり投石だ。次に発見されている最古の投槍器は枝角製のもので約1万7500年前でそれよりも更に昔には投槍を行っていたと考えられている。
自然環境の変化を考慮すると、大型動物の捕食は投槍でも対応できたが、大型動物が絶滅し、小形動物が狩猟の対象となると、命中させる為の精度が求められるようになり弓矢が発明されたと考える事ができる。
そしてこの時代以降弓矢は火薬の有効活用が本格的に使われるまで遠投用武器、或いは兵器として活用されてきた。
これにより人類最初の兵器革命が「弓矢」と考えられている。
「やはり、ただの弓矢じゃないのか・・・?」
シンはそう誰にも悟られない様に小さく呟く。
そう思わず声に出してしまうのも仕方がない。実際地面に刺さっている矢の威力が通常の弓矢とは思えないものだった。まるで中世ヨーロッパが舞台の映画に登場するバリスタから跳んできた矢かと思う位の威力だ。
この威力、盗賊が言っていた「鬼人族」と「鬼の強弓」に大きく関係している事は間違いなかった。
「さっさと武器を捨てろ!」
「それから中にいるお客人も出て来てこい!」
盗人猛々しいというのはこういう事なのかと思う位に余裕綽々とした態度でそう降伏勧告する盗賊達。
盗賊達の言葉を聞いたシンは改めてシャベルと握り直し屈む形で馬車の扉付近で構えた。
「ナメられたものだな・・・」
盗賊からの余裕で猛々しい降伏勧告に額に青筋を立ててドスの効いた低い怒声を上げるアワダ。
「我ら第三警務隊が弓矢ごときで恐れをなすと思っているとは・・・」
同じくアワダの部下の内の一人が怒りの呟きを零し、殺気を纏わせる。その様子に気が付いた盗賊の恐らく下っ端と思しき男は頭領の傍にさり気無く近付き耳打ちする様に話しかける。
「頭ぁ、やっぱり、弓矢持っていても警務隊引きません・・・」
今のアワダ達第三警務隊はいつでも斬り掛かって来てもおかしくない位に殺気を出していた。その上あれだけの威力がある矢を見せつけても怯む気配すらない。その事に勝ち目があったはずの盗賊稼業のプランが一気に崩れてしまった。
「ちっ、仕方ねぇ・・・」
今ここで即座に退却しても矢に怯む気配が無くなった馬に乗っている警務隊の方が有利だ。それにここで退却して走ったとすれば援護してくれる為に放った弓矢のせいで弓矢を持った仲間の盗賊達の居場所がバレてしまう。
そうなれば一網打尽になってしまう可能性がある。それならばここで剣を交えてある程度警務隊を怯ませて退却の機会を窺う方が余程よい。
盗賊の頭領と思しき男はそう考えに至り、剣を掲げた。
「多少傷つけてもいい!馬から狙えー!」
そう合図した時、森の奥からまたキラリと何かが光った。それを見た第三警務隊は剣で軽く一閃した。
ヒュン!
キィィィン…!
どうやら飛んできた矢を弾き落としたようだ。
(!?)
弓矢の飛距離は状況にもよるが一般的には和弓であれば約150mで鎧武者を確実にダメージを与える有効射程距離は約50mと言われている。最長飛距離記録は日置流と言う弓道流派の日本の弓で385mと言われている。
次に古代ローマの攻城兵器の一つであるバリスタの最大射程距離は約400mで石弾や専用の大口径の矢、鉄棒に油の染みた布を巻きつけた燃焼力の高い特製火矢を用いられていた。
弓矢を持っている盗賊達とシン達との距離が312m。
つまり盗賊達は300m位の距離でも平気で弓矢を飛ばしたのだ。それだけでも十分に驚くが、それ以上に驚くのがその飛んできた矢を持っていた刀で弾いて落としたのだ。
「なぁっ!?」
「うそ!」
驚く盗賊達。あれだけ早い矢がこうもアッサリと切り伏せられた事を想定していなかったのだろうか今自分達が間抜けな顔になっている事に誰も気が付いていなかった。
「突撃ーっ!」
「「「おおーっ!」」」
代わりに殺気を纏わせ鬼と呼ぶに相応しい位恐ろしい形相になるアワダ達は刀を握りしめて騎乗突撃を敢行した。
「「「・・・・・!」」」
歯噛みして眉間に皺を寄せる頭領の男は声を張った。
「・・・くそ!おい、「強行」だ!」
「「「おう!」」」
かくなる上は今いる人数でどうにかして切り抜ける事を考えた頭領は強行突破しようと命令を下した。
盗賊の手下達は武器を構えて応戦した。
「貴様ら程度の腕で我らを御せるとでも思ったのか?」
「片腹痛くさせる前にお縄につくべきだったな」
「「「・・・・・・・・っ!」」」
結果から言えば当然と言うべきか盗賊達は全員捕えられた。飛んでくる矢は切り伏せて、致命傷を与えない程度に刀で切り伏せたり、巻き技で武器を落とさせたりして盗賊をあっと言う間に制圧してしまった。
自分達が呆れた事を言葉にして投げかける第三警務隊に盗賊達はギロッと睨んでいた。
そんな中シンは盗賊達が使っていた弓矢を拾った。
(和弓・・・いや日本じゃないから長弓か強弓と呼ぶべきなのか・・・?)
拾った弓は地面に立たせて矢を射る所謂、長弓と呼ばれる弓だった。弓をよく見れば弓弦以外の弓幹等の部分は木材に繊維の様な物を合わせて樹脂の様な物を塗られていた。それが幾つも重ねられていた。よく見れば所々ハンマーのような物で叩かれた跡がある。シンはジッと拾った長弓に張っている弦を見て触れてみた。
ギリギリギリ…!
「!」
シンは弓を恐らく弓の限界まで引いた時、目を大きく見開いた。
その様子を目撃をしたアワダはシンに近付き声を掛けた。
「おお、凄いですね。それを限界まで引ける人はそういません」
「やっぱりこれは相当膂力のある人間でなければ引く事が出来ないのですね」
「はい。我々鬼人族の弓は強く弦を張った弓を扱う事が出来ます」
シンが思いきり弓を引いた時、信じられない位の弦の張りの固さを感じた。それは通常の人間では無理なくらいの固さだった。
(よくよく考えてみれば、ここから弓を持ったこいつらとの距離が何百mという時点でこの弓自体がとんでもないんだよな)
待ち伏せている男達の存在に気が付いた時点で弓の射程範囲内の400m以内に入っており、鬼人族であれば問題なく矢を届かせられる。
弓を引くに当たって弦の張りの固さ、これを弦を引く重量としてkg、或いはポンドで表している。
バリスタの最大射程距離は400m。
和弓であれば40~70kg程度で張った弓を、ロングボウも平均は36kgで強い物であれば70kgも使っていた。
つまり盗賊・・・いや、鬼人族の弓を持った事がある者であれば命中率、精度問わず400m位であれば何の事も無い、という事になる。
(さっき引いた感じであれば・・・少なくとも100以上は超えているのは間違いない)
ロングボウや和弓では届かず、バリスタ並みの飛距離を出し、矢が地面に刺さっている状況の事から考えればこの弓の弦の張りの重量は単純計算をすれば少なくとも160kgはあり、多ければ200kgあってもおかしくない。
これはバリスタの平均はおろか最大飛距離よりも大きく伸ばしている。当然威力も桁違いという事が分かる。
つまりバリスタよりも長く飛ばし、より高い威力を持ち、それでいて携行する事が出来る弓を鬼人族は一般的な武器として持っているという事になる。
(あとこの矢も何なんだ?あれだけの威力で折れていないなんて・・・)
あれだけの威力を出しているにも拘らず折れているどころか一切刃こぼれも起こしていないのだ。この矢もただの矢ではない。よく見れば矢も弓と同じく木材に幾つも重ねる形で繊維の様な物を合わせて樹脂の様な物を塗られていた。こちらも所々にハンマーのような物で叩かれた跡がある。
(この樹脂の様な物・・・膠に似ているようにも見える)
膠と思い浮かんだ時、或る物を連想した。それはリネンキュイラッサだ。これは麻の繊維を接着剤で接合した簡素な作りだが、馬鹿にできない守備力と耐久性を持ち、その上軽い。これは木工用ボンド等の糊を厚く広げて乾燥させると、柔軟性を持ちなおかつ堅い素材になる。つまりこれを利用して鎧を作っているのだ。
実は日本の大鎧、平安時代のものによく使われている。日本の鎧は膠水を染み込ませた動物の皮や十数枚の布を乾燥させ、小さい札状にし、穴を開け、糸を綴る、という工程で作られており、矢が重く遠くまで飛翔する「和弓」を防ぐ役割があった。弾性と靭性に優れ、札と札の間に隙間があり、通気性が良く、高温多湿の日本の夏に適応していた。更に鎧全体は変形するので、動きやすく、素早い動きが出来て、攻撃にも最適だ。
(いやハンマーで叩かれていた所もあったから、日本の鎧の兜とか作られた方法の要素も組み込まれているかもな・・・)
所々にハンマーで叩かれた後の事を考えれば、リネンキュイラッサの製法だけでなく、練革の様な作り方も入っているのではないかと考えた。
練革は膠を溶かした水に皮を浸し、芯まで膠水が浸通ると、堅木の板の上に置いて鉄の槌で打ち、薄く延ばす。これを数枚重ねて打てば、着いて一枚の板ができる。これに石灰をまぶして乾かせばたやすく矢も通すことのない堅牢無比の甲板が出来上がる。これが兜や手甲等に使われていた。
(現代の世界にはない素材がある・・・という事は300m位難なく飛ばす事が出来る弓と丈夫な矢を造る事位あり得なくもないか・・・)
正直な所、リネンキュイラッサと練革の製法だけでここまで矢を飛ばせるとは考えにくかった。という事はこの世界特有の素材を活用している可能性も十分にある。
そう考えているシンにアワダから声が掛かった。
「シンさん、そろそろ移動しましょう」
アワダはそう言って手を差し出した。どうやらその弓をそろそろこっちに渡して欲しい様だ。
「・・・そうですね」
シンはそう答えてアワダに弓を渡して馬車に乗ろうとした時の事だった。
「あっ!こいつ・・・うおっ!」
シンとアワダは大きな声がする方へ向くと
「うおおおお!」
ダダダダダッ…!
盗賊の頭領が短刀を片手にシンに向かって襲い掛かって来た。