124.練習のつもり
昼食を済ませた正午過ぎ。サクラはシンを元いた部屋に戻る様に言われた。
何故戻る様に言われたのかは何となくではあるが分かっていた。フェイセンとの話し合いで決まった事についてだろう。
だから、今シンが居た部屋にはシンとサクラが対面する形で椅子に座っていた。
「それで何か用か?」
「ああ、お前に話したい事があってな。・・・その前に聞きたい事がある」
「何?」
「あの時、お前がいなかったのは何故だったんだ?」
サクラは腕を組み、足を組んで訊ねる。
サクラの言う「あの時」とは当然サクラとフェイセンとのやり取りの事だ。サクラにとってはシンも加わっても問題無いはずだ。寧ろ、あの話し合いで加わるべき案件だ。
そうであるにも拘らず、シンは加わっていなかった。
「その話し合いってはっきり言えば、今回は王族の事だろ?だったら、部外者の俺が加わる事ではないと思ったんだ」
シンの答えは決して嘘では無かった。サクラが王族の一人である以上、王族に関わるような話に関わってしまえばほぼ確実にお家騒動等の様な面倒事に関わってしまう事になる。
だから、可能な限りそう言った事は関わらない様にしていた。
「・・・お前ならそう言った事は気にせず加わっている様な者だと思ったのだがな。少なくともワタシは加わっても何も言わないからな?それで、いない間何をしていたんだ?」
「フェイセンに気になる事について尋ねたんだ」
「気になる事?」
「ああ、どうやってここまであまり被害を受けずに来たのか、とかな」
別に隠す事でもないし、恐らくサクラでも気になっていた事だろう事柄であるから正直に答えた。
「そうか。それでお前の推測通りの事だったか?」
「概ね」
シンは首肯しながらそう簡潔に答えた。そんな答え方にサクラはフッと笑った。
「やはり叔父上は幻影魔法で乗り切ったのだな」
「ああ、だからほぼ無傷でここまで来たんだ」
シンの行動や目線を見てマーディスがここまで来た推測は同じだと判断していたサクラは自分が考えていた推測を話を進めた。
すると、推測通りだったからシンの話しとも噛み合った。
「叔父上らしいやり方だ」
サクラは椅子の肘掛けに乗せる形で頬杖をつき、どこか懐かしそうにそう言った。親戚との付き合いでどこかで見た事があるのだろう。シンは半ば確認で訊ねる。
「サクラはマーディス公爵の魔法を見た事があるのか?」
「ああ、誰から見ても分からないだろう」
懐かしそうに目を細めながら頷きながら答えた。サクラの答えで「誰から見ても」と言う言葉に反応したシンは当の本人でも見破る事が出来ないのかどうかも訊ねる。
「サクラでもか?」
「そうだ。実際幼い頃に何度も騙されたものよ。まぁ、今は早々騙されないがな」
ニカッと笑い自信満々にそう答えるサクラにシンは何か含んだ様な間を置いてから
「・・・そうか」
と答える。
「・・・・・」
そんな含みのある答え方にサクラは少し気になったが先に今後の事についてシンに伝える。
「今後の事について何だが、お前の予想通りの事なのだろうが、マーディス公爵は今回の騒動の間はこの屋敷にいる事になった。」
「やっぱりか・・・」
その言い方でシンはある程度予想していたのだろうとそう察したサクラは小さな溜息を吐く。
「お前には気を遣う事が多くなるだろうが堪えてくれ」
「・・・言葉遣いとかか?」
シンがそう答えるとサクラはやや前のめり気味になる。
「そうだ。お前はどうもそう言った事には慣れていないようだな。お前が気を付けているつもりでも、うっかり普段の言葉遣いが出てしまう恐れがある」
思わず僅かな身じろぎをしてしまう程思い当る節があったシン。実際ギルドでマリーに慣れない言葉遣いが分かってしまった事を思い出してしまう。
「そういえば、前にもそんな事言われたな・・・」
思わずそう呟くとサクラは少し呆れ気味に眉を顰め、毅然とした口調になる。
「ここでは更に気を付けるように心掛けろ」
「・・・肝に銘じておくよ」
少なくともマーディスの前では丁寧な言葉遣いでいる必要がある。普段の言葉遣いになりやすいシンにとっては気を張る場面が多くなる。だが、仮にも公爵と言う身分の高い人間の前ではそんな事は言い訳にはならない。
少なくともマーディスの関係者の前では丁寧な言葉遣いでいる様に心掛ける事にしたシン。
「それからもう一つ、ホームステイの事だ」
「もしかしてマーディスにもその事を伝えたのか?」
シンの言葉に首背になりながら答えるサクラ。
「今後ホームステイしている様子を見せていく方針になった。その為にもお前に見せたいものは見せよう。ただし、こちらが求める物は当然頂く」
サクラの言う「見せたいもの」は恐らくこの国の文化面の事だろう。シンは一応何かを学ぶためにここまでやって来た者という事になっている。医療面は問題がある為、別の何かをシンに学ばせる事になる。今回の場合はこの国の事を知ってもらう為に文化面についてを学ばせる事になるだろう。逆に「こちらが求める物」は当然吸血族が求める物だ。
「俺の血だな」
シンがそう答えると自信満々に頷くサクラ。
「その通りだ。・・・それでだな・・・その・・・予行練習も兼ねてだな・・・」
徐々に言葉と言葉の間が切れていき何が言いたいのかを曖昧にしていくサクラ。しかも、どことなく恥ずかしそうにも見える。そんな物言いをするサクラにシンはすぐにサクラが何をしたいのかが分かった。
「・・・今からか?」
何故恥ずかしそうにしているのかイマイチ分からなかったものの、シンがそう答えるとサクラは静かに首背する。
吸血族の異性間の吸血行為は傍から見れば男女が抱き合ってる様に見える事がある。しかも、この国は異種族間の恋愛交際や結婚は認められている。その為サクラはそれを意識してしまい恥ずかしく感じている。ただし、この事情はシンは知らない。
これからそう言う事をしなければならないか、と考え席を立とうとしたシン。
「・・・分かった、そっちに行く」
シンがそう答えるとサクラは待てと言わんばかりに手を出した。シンはそれに気が付きピタッと止まる。
「いや、ワタシが行く。噛みつかれる側は動かず、力を抜いてくれ」
「分かった」
席を立とうとしたシンは座り直し、全身の力を抜きそのままジッとしていた。
「・・・・・」
深く深呼吸したサクラはシンの元まで近づき、そのまま両肩に手を添える様に乗せる。
今のサクラの顔は少し赤くなっていた。
「い、いくぞ?」
言葉からしても緊張が伝わってくる。その緊張のせいでシンも少し緊張してしまう。
「うん」
シンはそう答えて首を左に傾ける。
サクラはシンの首筋を見える様にジャケットははだけさせて、シャツをずらして首筋を露わにした。
「・・・・・」
筋肉質であるが決して酷く硬そうには見えず、まるで獣の様にしなやかで強靭さが窺える肩を見せつけ、脇役とばかりにある首筋にサクラは視線を移す。
口を大きく開き、鋭い犬歯を出す。
ガリッ…
小さくもゴムを噛む様な鈍い音がシンとサクラの間に響く。同時に小さく
ビクッ
と痛みのせいで身体が僅かに強張ってしまう。
シンの身体でBBPになっている箇所は触られている事は分かっても痛みを感じる事は無い。だからBBPになっていない箇所は当然痛みを感じる。しかし、脳も「BBP」化しており、頑丈で感覚神経を意のままにコントロールができる。その為、苦痛に対して生身の人間と同じ苦痛の情報源であっても必要以上に喚かなくなったり、苦しんだりしなくなる。
ただ、痛みによる緊張は全く無いわけでは無い。痛みが伝われば身体は緊張して強張ってしまう。
しかも、二度目とは言えこれから血を吸われるという未知の体験をする事になる。そのせいでその緊張に拍車が掛かる。
「・・・・・」
その事に気が付いたサクラは顔の赤さが無くなり、穏やかそうに目を細めて手をシンの頭の上に添えた。
フワッ…
(え・・・?)
何をされたのか分からずシンは思わず目を大きく見開いた。
そしてサクラはそのまま頭を撫で始める。
サラ…サラ…サラ…
柔らかい手の平が何度も何度も繰り返して動く事にシンの驚きが徐々に減っていく。
サクラはシンの首筋を噛みついている時にずっと子供を安心させるかのように頭を撫でていた。今の状況が漸く分かってきたシンは視線をサクラの方へ向ける。
「・・・・・」
首元にチュ~と言う小さな音が骨を伝って聞こえてくる。だがシンはそんな事よりもサクラが安心させるように頭を撫でている事に気を取られていた。
そのお陰か、緊張で強張った体は解れていた。
当然シンの体の力が抜けているからサクラも安心して血を吸い続けた。
「んむ・・・はぁ・・・」
必要な分の血を吸い終えたサクラは口元をシンの首筋から離す。シンの首筋とサクラの唇にピンク色の銀の糸の橋がかけられていた。
「んん・・・む?」
その事に気が付いたサクラは口元に付いた血を人指し指と中指を揃えて拭っているとシンの首筋に視線を向けるとある事に気が付いた。
シンの首筋に垂れていた血が舌に落ちかけた時、さっきまであったはずの噛み傷がいつの間にか無くなっていた。
「・・・!」
小さいとは言え、血管まで通す程の深さはある為すぐに塞がるわけでは無い。だが、それが無くなっていた。という事は血を吸ってから数秒も経たない内に傷が塞がった事になる。
(血の味から見ればシンは人間だ。・・・いやでも、それにしては匂いが薬草である事と妙に旨味があったな・・・)
サクラは舌なめずりしながら改めてシンの顔を見る。
「ん?」
シンは首を小さく傾げた。
(・・・本当にこいつは何なのだ?少なくとも人間寄りの何かである事は間違いないのだが・・・)
そんな事を考えていたサクラは徐々に神妙な顔つきになってくる。その事に気が付いたシンはすぐさまサクラの目の前まで近づけ顔を覗く。
「どうかしたのか?」
「・・・!」
そう尋ねるとサクラの目が大きくなり、口をキュッと一文字になった。さっきまで平然としていた顔色がすぐさま紅潮した。
「な、何でもない!」
慌てて大きな声で否定して腕を組んだサクラ。
「・・・そっか。大丈夫ならそれでいいんだ。もし用事が済んだなら俺は外を見回ってくるんだが、いいか?」
シンはBBP化になったこの体の血でサクラが摂取しても問題ないかどうか心配していた。だが、今のサクラの様子を見て少し安心もした。
「あ、ああ、もう行って良いぞ」
サクラの返事を聞いたシンは部屋を後にした。残ったサクラは冷静になってシンの正体を探ろうとさっきのシンの首筋を噛みつく時の事を思い出していた。
(傷跡が無くなった・・・と言うより、すぐに傷が治ったと考えた方が良いだろうな。だが、傷跡が無かったな・・・。そもそもあの黒いのは何なんだ?匂いは最初に嗅いだ時の様に言い匂いだったし・・・顔も・・・良く・・・)
そう考えているとサクラの顔は更に赤くなり、熱くなった。
「あ~・・・何を意識しているのだ、ワタシは・・・」
誰も見ていないひとりの部屋なのに覆い隠す様に紅潮した顔を左手で押さえる。押さえた左手の下は目を細め、再び口を一文字になったキュッと閉じていた。