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04

 葬式に参列しているような顔だった。

 寝台を取り囲んで立ちすくむように、実父と医師、そして夫であるラジル皇子が並んでいる。

「ご懐妊にございます」

 おめでとうございます、という言葉を医師は口に出さなかった。その暗い口調は、まるで死期の迫る患者に死を諭すもののように聞こえた。

 冷水を浴びせられたようなびりびりとした感覚が、頭に襲い来る。アンジャハティは死期の宣告を受けたような気分で、寝台に横たわる自分を見下ろす暗い顔から視線を反らした。

「アンジャハティ……そんな顔をするな、名誉なことだ」

 長い間押し黙っていたせいで、突然発せられた父の声はどんよりと重苦しい。けれどそんな顔をするなとは、よく言ったものだ。一番「そんな顔」をしているのは、他でもない自分たちであろうに。

 言葉とはおよそ噛み合わぬ態度で、父はアンジャハティの冷たくなった左手を握った。

「やめてください」

 書簡ばかりをあつかっている、軍人では決してないその細く長い指を乱雑に振り解いて、アンジャハティは起き上がった。

「ディアスですわね? そうなのでしょう、父親は。きっと彼です。ならば私は……私は!」

 自分の声が、遠くに響くような感覚。ぼやぼやと耳鳴りがして、すべての音を身体が拒絶している。

 彼の子ならば、なにも怖くはない。たとえこの身分を失っても、命が危うくなろうとも、産んでみせる――アンジャハティは狂ったように、泣きながらそう叫び訴えた。

「アンジャハティ……」

 宥めるように名を呼ぶ父の向こうで、深く細いため息を残したラジル皇子が、部屋を出て行くのが見えた。

 ハレムに入宮して三月(みつき)――夫とは一度も肌を合わせてはいない。なによりラジルはこの三月のあいだずっと、直轄領の北の方、ちょうどバッソスとチャダ小国の国境の付近で両国の睨み合いを牽制していた。

「ジャーリヤ・アンジャハティ、最後に第四皇子殿下と、お会いしたのは、」

五月(いつき)ほど……前ですわ」

 落ち着きはじめた頃を見計らい、医師は質問した。しばしの時間を空けて答えたアンジャハティの、頬に涙がつたう。

 ――腹はまったく膨れてはいなかった。月のものが来ないと気づいたのはここ最近のこと……。もしやと不安に思っていたら、案の定、食事をもどしてしまうようになった。

 どう計算しても、五月というのは無理がある。

「ジャーリヤ・アンジャハティ、よくお聞きください。お宿りになった御子は、」

 葬式のような顔をやめてほしい。やめて!

 アンジャハティは医師の言葉を遮るように、寝台から這い出し、転げ落ちた。

「アンジャハティ!」

「ジャーリヤ!」

 医師と父、二人が慌てたように駆け寄ってくる。

 深紅に織られた絨毯の上に爪を立てて、アンジャハティはむせび泣いた。

「産みたくありません……!」

「わかっておろう、アンジャハティ。それは出来ぬことだ。その御子は、」



 〝現帝アエドゲヌ陛下の嫡出となるのだから〟


 聞きたくなどなかった最後の宣告を受けて、アンジャハティは目を固く瞑る。

 葬式だと――思った。

 自分という存在が、ゆっくりと死んでいく。

「彼に逢わせて……」

 かすれた声で呟いて、下唇を固く噛んだ。

 警備の強化は目に見えている。逢えるはずもないというのに。それでも逢いたい。彼に逢いたい。

「――ご懐妊の報告を陛下に致しましたところ、明日にでも陛下のハレムへと御身をお移し頂くことになりました。アンジャハティさま、皇帝宮にお入りになれるのでございますよ。それまでご自宅で、しばしお休み下さいませね……」

 そっと寄り添った侍女がささやくのが、遠くのほうで聞こえていた。



 ――季節は暑いあの夏の日を、あっという間に奪い去った。

 もうじき灼熱の国イクパルにも、乾いた空気と高い夜空に散り輝く星々が、冬の訪れを告げる。

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