第6話 紀州藩の悲劇
紀州藩3代藩主の綱教は、再び紀州藩に戻ってきていた。
しかし、紀州藩に戻ってきたあたりから、体調がすぐれなくなっていた。
「ああ、ここのところ、体調がすぐれなくてな…。」
そんな綱教を支えていたのが、綱教の御台所として嫁いでいた、鶴姫であった。
鶴姫は、5代将軍綱吉の娘で、
初めは紀州藩と将軍家との深い関わりを示すための、いわば、政略結婚というものだったが、
いつしかこの2人は、本当に愛し合うことになっていった。
「ふふっ、頼職も、頼方も、元気そうで、なによりです。」
「ああ…。お鶴…。」
綱教は鶴姫のことを、お鶴と呼んでいた。
本当に、この2人は愛し合っていたのだと、後に祐筆となり、ときの紀州藩や、幕府や、この時代の世相、風俗などを後世に残すための記述を任されることになった、脇田久次は語っている。
ところが、そんな紀州藩に、次々と悲劇が訪れる。
鶴姫が病に倒れ、その後まもなく、亡くなってしまうのだった。
「お鶴…!お鶴…!」
綱教は悲しみに暮れる。
鶴姫の父の綱吉も、その悲報を聞き、悲しみに暮れる。
「親より先に旅立つなど…!これ以上の親不孝はない…!お鶴…!お鶴よ…!」
綱吉は実子にことごとく先立たれ、これで世継ぎの芽は、事実上なくなった。
そして、次期将軍には結局、消去法で、甲州の綱豊が選ばれた。
「次期将軍は、綱豊でよいな。」
「異議無し!綱豊様が、次期将軍だ。」
この時に選ばれた、甲州綱豊が、6代将軍、家宣。
一方、御台所の鶴姫を失い、次期将軍の芽もなくなった綱教は、その後、失意の日々を過ごしていた。
それよりも何よりも、生きる気力を失ってしまったかのようだった。
「綱教様はこのところ、食事も満足に召し上がらない…。
鶴姫様の死が、よほどこたえたのだろう。」
お供の侍の話を聞き、脇田久次も、そして、頼方=吉宗も、同じようなことを、思っていた。
「のう、久次。もし我らが、紀州藩の藩主の家ではなく、普通の家に生まれていたら…。
そうなれば、次期将軍争いとか、藩主の座をめぐっての、跡取り争いとか、そんなことにはならずに、兄弟仲良く、過ごせただろうか…。」
頼方はこう言った。脇田久次が答える。
「いやいや、頼方様。
普通の家でも、兄弟というのは、いろいろあると思いまするぞ。
ささいなことでの兄弟喧嘩とか…。」
偉そうなことを言ってしまった脇田久次だが、かくいう脇田久次はというと、実は一人っ子だった。
そして綱教もまた、余命いくばくもない状態に…。
「頼職、頼方…。
わしは、まもなくお鶴のところへ行く。兄弟仲良くいたせよ…。」
「わかりもうした。兄上。」
「兄上!兄上!死んではなりませぬ!」
しかし必死の祈りもむなしく、紀州藩3代藩主、綱教は、40歳代の若さで、逝去した。
御台所の鶴姫に先立たれ、世継ぎも、側室もいない、寂しい最期だった…。
「綱教…。綱教…。」
父光貞も、嘆き悲しむ。
その後、その光貞もまた、先立った息子の綱教のあとを追うように、逝去したのだった。
もっとも光貞は、80歳という高齢。
徳川御三家の2代目は、長生きしたことでも有名だったが、
これで光友、光圀に続いて、光貞が逝去したことにより、
徳川御三家の2代目藩主は、これで3人全員が、往生したことになる。
あるいは、光貞は、光友や、光圀や、
あるいは先立った息子の綱教のいるところへ、旅立っていったのかもしれない…。
そして、紀州藩は、鶴姫、綱教、光貞と、3人の要人を相次いで失い、
そして、相次いでその葬儀を行う羽目になったのだった…。
「いったいこれは…。」
脇田久次も、立て続けに起こった一連の事象に、疑念を抱かざるをえなかった。
これで紀州藩は、綱教の下の兄の、頼方=吉宗からしたら、下の兄にあたる、頼職が、4代藩主として、跡を継ぐことも決まった。