第5話 綱教と頼職と頼方で徒競走
紀州藩の部屋住みの頼方にとっては、正直な話、紀州藩に関わること以外は、他人事だった。
そもそもこれまで、紀州藩より外に出たことがなかった。
この時、頼方、のちの吉宗は、16歳。
そんな中、綱教が、参勤交代で江戸におもむくことに。
そして、弟たち、頼職と頼方も、同行させるという話になった。
そしてさらに、その頼職と頼方の身辺警護として、
加納久通、そして脇田久次が、大名行列とともに、江戸へ出立することになった。
紀州藩は徳川御三家の1つ、さすがに大名行列も、豪華絢爛なものだと思った。
「それでは、出立!」
当時の交通手段からすれば、紀州和歌山から、江戸までは、何日もかかる工程だ。
「したにー、したにー!」
やはり大名行列といえば、この掛け声だ。
紀州藩の大名行列は、大阪から、大津、三重と、進んでいき、三重で一泊する。
「江戸まであとどのくらいなんだ…。」
三重から、尾張名古屋を経由し、三河、駿河、遠江、相模と進み、小田原、鎌倉と進んでいく。
「ここまで来れば、江戸までもうすぐだ…。」
そして江戸に到着。初めて見た江戸の町は、和歌山の城下町よりもさらに、大きな町で、にぎわっていた。
「おお!ついたぞ!ここが江戸の町か!」
「すごいな、和歌山の城下町とは比べ物にならないな。」
「さすがは、将軍様のおひざもとと言われるだけのことはある。」
家来たちは口々に、江戸の町について言った。
「あちらに見えるのが、将軍様の住む江戸城。
そしてこちらの方角に進むと、諸大名の江戸藩邸がある一帯だ。」
そして、紀州藩上屋敷にたどり着く。
頼職も、頼方=吉宗も、脇田久次も、江戸に来たのは今回が初めてだ。
当然、紀州藩上屋敷も、ましてや江戸城への登城も、もちろん初めてだ。
綱教は、もう何度も、江戸と紀州を行き来して、登城も、何度も行っている。
綱教が初めて江戸城に登城したのは、
父光貞の付き添いという形だったという。
その前に、頼方の付き添いで、江戸の町を、適当に散策することになった、加納久通と、脇田久次。
この江戸には、全国の藩から、他の大名たちの、大名行列も来ていた。
「あれは?他の藩の大名行列か。久通殿。」
「さよう、全国の藩から、この江戸に、参勤交代のため、大名行列が来ておりますぞ、久次殿。」加納久通と脇田久次の会話。そこで、頼方がぼそっとつぶやく。
「わしも、このくらいの藩の、藩主にでもなれればな…。のう久通。」
「何をおっしゃいます。頼方様は、将来紀州藩55万石の、藩主になられるかもしれないお方でございますよ。」
「俺が、本当に紀州藩55万石の藩主になど、なれるものかな…。」
頼方はまた、つぶやいた。
そして、いよいよ江戸城への登城の時が来た。
江戸城には、全国からやってきている大名のほか、
老中や、若年寄、北と南の江戸町奉行、勘定奉行、寺社奉行などの、幕府の要職にある者たちも、登城してくる。
将軍からのお呼びがかかれば、登城することになっているのだった。
そして、徳川御三家と、供の者たちが、将軍謁見の間へ、集められ、将軍への謁見を行うことになった。
「上様の、おなーりー!」
そこに姿を現したのは、徳川幕府5代将軍、綱吉。
「くるしゅうない。皆の者、おもてをあげい。」
徳川御三家の、尾張、紀州、水戸の3人。
尾張藩は綱誠亡き後、吉通があとを継いでいた。
紀州綱教、水戸綱條も、おもてをあげる。
と、そこで、綱吉の目にとまったのは、頼方と、加納久通、そして、脇田久次だった。
「そこの者は?」
「はっ!こちらの頼方様の世話役を仰せつかっております、脇田久次と申します。」
「む、松平頼方に、その世話役の、脇田久次か。
実に良い面構えをしておる!
良き世話役の教えを受けておると、わしは思う。
おおそうじゃ!ささやかながら、そなたたちに、贈り物をしよう。
これへ、持ってまいれ。」
部下たちに命じ、頼方と脇田久次への贈り物を、持ってこさせた。
「これは、わしが良き人物になると見込んだ者にのみ送る、太刀じゃ。」
綱吉からじきじきに、太刀をもらった、頼方と、脇田久次。
「はっ!ありがたく頂戴いたします!」
それにしても、まさか、あの将軍綱吉から、じきじきに、太刀を贈り物として、もらうことになるとは…。
これが、5代将軍と、8代将軍、それとその8代将軍の御用取次役になる脇田久次との、初めての出会いの場となった。
さて、紀州藩上屋敷、通称は紀州藩江戸藩邸ともいう、屋敷に帰ってきて、しばらくすると、綱教と、頼職と、頼方が、何か勝負をしようという話が、持ち上がった。
そこに、脇田久次が、割って入る。
「ここは、徒競走にて、勝負してはいかがでしょう?」
「何!?徒競走!?」
脇田久次は考えた。この兄弟の中で、一番足が早いのは、実は頼方だということも、わかったうえで…。
兄たちに対して劣等感を抱いていた頼方が、これなら勝てる、という種目を、あえて提案したのだった。
そして…。場所は、各藩の藩士たちが、運動場と称して、運動不足解消のために使用している、この広場だった。
徒競走のルールは簡単。この広場を一周して、一番早くゴールした者が勝利、というもの。
そして、3人は、スタートラインに立つ。
号令をかけるのは、脇田久次。
「よーい!始め!」
3人一斉に走り始める。
が、長兄の綱教は、頭はいいが、体力はそれほどないらしく、早くも遅れてしまう。
これで一位争いは、頼職と頼方の一騎打ちに。
「さあ!最後の直線に入った!」
頼職も頼方も最後の追い込みに入る。
そして、頼方がわずかに差をつけて、ゴール。
本当にわずかの差、微妙な判定となったが、
「優勝は、頼方様!」
この徒競走は、見事に頼方が優勝とあいなった。「やったぞ!やったぞ!」
頼方は飛んで大喜びする。
「まさか、頼方に負けるとは…。こんなわずかな差で…。」
頼職は悔しがるが、実は内心は、頼方の資質を、恐れていた面もあったという。
そして、綱教は国元の様子を見に行くためと称して、再び大名行列とともに、紀州に戻っていったのだった…。