第4話 綱誠死す!そこから始まる死神の連鎖!
そもそも事の発端は、5代将軍綱吉に世継ぎがいなかった、ということだった。
そこから今回の将軍後継争いに発展したわけだが、その中でも有力候補となっていたのは3人。
尾張藩の綱誠、紀州藩の綱教、つまり頼方=吉宗の兄と、それから甲州の綱豊だった。
この綱豊には、水戸藩の、水戸のご老公こと、光圀が、後ろ楯となって、次期将軍候補に、推挙していた。
しかし、頼方も、そしてその世話役の脇田久次も、誰が次期将軍になろうが、相変わらず、我関せずといった感じで、ほうぼうを遊び歩いていた。
これが後に8代将軍と、その御用取次役になる人間たちの行動とは、とても思えなかった。
まさか、よもや、自分たちのところに、その次期将軍の話が舞い込んでくるなどとは、その時はまだ、全く考えてもいなかったようだ。
だがその運命の歯車は、静かに、そして確実に、動き始めていたのだった…。
こちらは、尾張藩江戸屋敷。
ここには3代目藩主となる、綱誠と、
その父である2代目藩主の、光友と、
その他、家臣たちや侍女たちなども集まって、宴を開いていた。
「我らが尾張藩の、綱誠様が、次期将軍になられたあかつきには…。」
尾張藩は当然のことながら、藩をあげて、綱誠を次期将軍候補に推していた。
ところが、その宴の最中に、綱誠が、突如苦しみだした。
「うっ…!ぐっ…!」
綱誠はそのまま倒れ込み、それから目を開くことなく、実にあっけなく、絶命してしまったのだった…。
「綱誠様!綱誠様!」
「一大事にございます!綱誠様が…!」
そして父、光友は、
「綱誠!綱誠ー!つななりー!」
「光友様!光友様…!」
その日の尾張江戸藩邸は、騒然となった。
こうして綱誠の急逝によって、次期将軍争いは、綱誠がはずれ、
紀州の綱教と、甲州の綱豊の、2人に絞られた。
尾張藩の綱誠が急逝したという知らせは、ただちに紀州藩にも伝えられ、そして、頼方=吉宗と、脇田久次、加納久通にも伝えられた。
「尾張藩の…、そうか、光友様がついに…。」
「いえ、ご逝去あそばされたのは、綱誠様にございます…!」
「何!?綱誠様!?綱誠様は、まだそんなに年もいっていないというのに…!」
尾張藩の藩主が逝去したと聞かされて、初めは皆、誰もが年寄りの光友が逝去したものと、思い込んでいたら、なんと綱誠の方だったという。
その日の脇田久次と、頼方の会話。
「尾張藩の綱誠様はご逝去により、次期将軍争いのレースからは脱落。
頼方様の兄上の、綱教様と、甲州の綱豊様との、争いになった。」
まず脇田久次がそう言う。続いて頼方が、口を開く。
「のう、もし仮に、兄上が次期将軍になったとして、そうなると、紀州藩の次期藩主は、頼職兄者となるわけだ。」
頼方はうかない表情を見せる。
「あの頼職兄者が、紀州藩の藩主になるのか…。
じゃが結局、誰が次期将軍になろうと、誰が次期藩主になろうと、わしの部屋住みの身分は、変わらぬということじゃ。」
脇田久次は、この絶対的な身分社会、殿様の息子が次の殿様になる、
それも、上の兄弟として生まれなければ、跡を継ぐことはできない。
どんなに無能でも、力量や、人間性に問題があっても、上の兄弟が跡を継ぐという決まりになっている、
下の兄弟や、身分が下の者は、どんなに能力が優れていても、跡取りになれない、
そんな、この絶対的な身分社会に対して、もどかしさを感じていた。
「やっぱり、実力のある者が、しかるべき身分、立場につかないとだめだ。
頼方様には、その力量、実力がある。人間性も、申し分ない。だから…!」
脇田久次は、腹の中で、そう思っていた。
それからまもなく、西暦では1700年、尾張藩2代藩主、光友は、綱誠亡き後、失意のうちに過ごし、そしてこの年に、まるで綱誠の後を追うように、逝去した。
同年には、水戸藩2代藩主の、水戸のご老公こと、水戸光圀公が、その光友公の後を追うように、逝去した。
水戸光圀公は享年73歳。
尾張光友公も、やはり70歳代、同じくらいの年齢だったようだ。
これで徳川御三家の、2代目の藩主で、存命なのは、紀州光貞公、綱教や頼職や頼方の父、だけとなった。
その後、世の中では、世にいう「忠臣蔵」で有名な、松の廊下刃傷事件、それから、吉良邸討ち入り事件と、世間を騒然とさせる事件が続いていた。
そして、その後の紀州藩。まさにこれは、運命のめぐり合わせか…、というような事態が、次々と発生するのだった…。
次話に続く