表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/16

第4話 綱誠死す!そこから始まる死神の連鎖!

そもそも事の発端は、5代将軍綱吉に世継ぎがいなかった、ということだった。

そこから今回の将軍後継争いに発展したわけだが、その中でも有力候補となっていたのは3人。

尾張藩の綱誠(つななり)、紀州藩の綱教(つなのり)、つまり頼方=吉宗の兄と、それから甲州の綱豊(つなとよ)だった。

この綱豊(つなとよ)には、水戸藩の、水戸のご老公こと、光圀(みつくに)が、後ろ楯となって、次期将軍候補に、推挙していた。

しかし、頼方も、そしてその世話役の脇田久次も、誰が次期将軍になろうが、相変わらず、我関せずといった感じで、ほうぼうを遊び歩いていた。

これが後に8代将軍と、その御用取次役になる人間たちの行動とは、とても思えなかった。

まさか、よもや、自分たちのところに、その次期将軍の話が舞い込んでくるなどとは、その時はまだ、全く考えてもいなかったようだ。

だがその運命の歯車は、静かに、そして確実に、動き始めていたのだった…。




こちらは、尾張藩江戸屋敷。

ここには3代目藩主となる、綱誠(つななり)と、

その父である2代目藩主の、光友(みつとも)と、

その他、家臣たちや侍女たちなども集まって、宴を開いていた。

「我らが尾張藩の、綱誠様が、次期将軍になられたあかつきには…。」

尾張藩は当然のことながら、藩をあげて、綱誠を次期将軍候補に推していた。

ところが、その宴の最中に、綱誠(つななり)が、突如苦しみだした。

「うっ…!ぐっ…!」

綱誠(つななり)はそのまま倒れ込み、それから目を開くことなく、実にあっけなく、絶命してしまったのだった…。

綱誠(つななり)様!綱誠(つななり)様!」

「一大事にございます!綱誠様が…!」

そして父、光友(みつとも)は、

綱誠(つななり)綱誠(つななり)ー!つななりー!」

「光友様!光友様…!」

その日の尾張江戸藩邸は、騒然となった。




こうして綱誠(つななり)急逝(きゅうせい)によって、次期将軍争いは、綱誠がはずれ、

紀州の綱教(つなのり)と、甲州の綱豊(つなとよ)の、2人に絞られた。


尾張藩の綱誠が急逝したという知らせは、ただちに紀州藩にも伝えられ、そして、頼方=吉宗と、脇田久次、加納久通にも伝えられた。


「尾張藩の…、そうか、光友様がついに…。」

「いえ、ご逝去あそばされたのは、綱誠様にございます…!」

「何!?綱誠様!?綱誠様は、まだそんなに年もいっていないというのに…!」


尾張藩の藩主が逝去(せいきょ)したと聞かされて、初めは皆、誰もが年寄りの光友(みつとも)が逝去したものと、思い込んでいたら、なんと綱誠(つななり)の方だったという。


その日の脇田久次と、頼方の会話。

「尾張藩の綱誠様はご逝去により、次期将軍争いのレースからは脱落。

頼方様の兄上の、綱教(つなのり)様と、甲州の綱豊(つなとよ)様との、争いになった。」

まず脇田久次がそう言う。続いて頼方が、口を開く。

「のう、もし仮に、兄上が次期将軍になったとして、そうなると、紀州藩の次期藩主は、頼職(よりもと)兄者(あにじゃ)となるわけだ。」

頼方はうかない表情を見せる。

「あの頼職(よりもと)兄者(あにじゃ)が、紀州藩の藩主になるのか…。

じゃが結局、誰が次期将軍になろうと、誰が次期藩主になろうと、わしの部屋住みの身分は、変わらぬということじゃ。」

脇田久次は、この絶対的な身分社会、殿様の息子が次の殿様になる、

それも、上の兄弟として生まれなければ、跡を継ぐことはできない。

どんなに無能でも、力量や、人間性に問題があっても、上の兄弟が跡を継ぐという決まりになっている、

下の兄弟や、身分が下の者は、どんなに能力が優れていても、跡取りになれない、

そんな、この絶対的な身分社会に対して、もどかしさを感じていた。

「やっぱり、実力のある者が、しかるべき身分、立場につかないとだめだ。

頼方様には、その力量、実力がある。人間性も、申し分ない。だから…!」

脇田久次は、腹の中で、そう思っていた。




それからまもなく、西暦では1700年、尾張藩2代藩主、光友は、綱誠亡き後、失意のうちに過ごし、そしてこの年に、まるで綱誠の後を追うように、逝去した。

同年には、水戸藩2代藩主の、水戸のご老公こと、水戸光圀公が、その光友公の後を追うように、逝去した。

水戸光圀公は享年73歳。

尾張光友公も、やはり70歳代、同じくらいの年齢だったようだ。

これで徳川御三家の、2代目の藩主で、存命なのは、紀州光貞公、綱教や頼職や頼方の父、だけとなった。


その後、世の中では、世にいう「忠臣蔵」で有名な、松の廊下刃傷事件、それから、吉良邸討ち入り事件と、世間を騒然とさせる事件が続いていた。


そして、その後の紀州藩。まさにこれは、運命のめぐり合わせか…、というような事態が、次々と発生するのだった…。


次話に続く



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ