第2話 頼方への兄による仕打ちとその兄へのいたずら
松平頼方と名を変えた、後の八代将軍吉宗。この頃はこの、松平頼方と名乗っていた。
その頼方の、身の回りの世話係として仕えていたのが、加納久通。
そしてその加納久通とともに、やはり世話係として仕えていたのが、この脇田久次だった。
とにかく世話係というのは大変だ。朝から晩まで、身の回りの世話をしなければならないからだ。
しかし、この加納久通という人物は、それを嫌な顔ひとつしないで、淡々とこなしているのだから、いくら忠義のためとはいえ、感心するよ。
さて、頼方には、3人の兄がいて、この当時の常識で考えたら、とても末弟の頼方には、あととりの座などまわってこないだろう、というのが、大方の見方だった。
頼方には3人の兄がいたが、とりわけ特に深く関わることになるのは、
長兄=一番上の兄の、綱教と、その下の兄の頼職の、2人の兄だった。
長兄の綱教は、次期将軍候補にもあげられるほどの人格者といわれ、甲州の綱豊や、尾張藩の綱誠らとともに、誰が次期将軍になるのかと、いわれていた。
5代将軍、綱吉には世継ぎがおらず、このままでは将軍家が断絶してしまう、ということで、急遽、次期将軍を御三家から迎える、あるいは甲州の綱重の忘れ形見である綱豊を次期将軍として迎えようか、ということで、もめていた時期だった。
当然、紀州藩としては、2代藩主光貞の嫡男である3代藩主、綱教を、次期将軍として、推していた。
それはまた後ほどとして、長兄で、人格者としても知られる綱教は、末の弟の頼方のことも、しっかり分け隔てなく、面倒を見て、かわいがってくれていたという。
一方で下の兄、頼職は、弟の頼方のことが気に食わないのか、
事あるごとに頼方に突っかかり、ありとあらゆる嫌がらせや、暴力、暴言と、とにかくひどい仕打ちをしていたという。
そしてその頼方の世話係である、脇田久次や、加納久通もまた、その頼職の、頼方に対する仕打ちを目の当たりにし、時には世話係の僕ら、脇田久次や加納久通に対しても、頼職は暴力を振るったり、暴言を吐いたりすることもあった。
僕らは頼職から殴る蹴るの暴行をたびたび受け、心ない暴言もたびたび聞かされていた。
そして、こんなことも、頼職は言っていた。
「ふん、頼方にはどうあがいても、あととりの座など、まわってはこぬ。
たとえこの紀州藩が存続の危機になったとしても、頼方にあととりの座がまわってくることなど、決してありえぬ。」
これを聞いて、さすがにキレかかった。
「お待ちください。おそれながら、頼方様は教養もあり、とりわけ武術に長けております。
頼方様はご立派な人物にございます。そのことを、なにとぞわかっては、くださいませんか?」
これに対して、キレたのは頼職の方だった。
「ええい!黙れ!黙れ!世話係の分際で!」
ドッ!ドゴッ!バシッ!ビシッ!
頼職は脇田久次を殴る、蹴る、そこに止めに入ったのは、加納久通だった。
「お待ちください。脇田をこれ以上責めないでいただきたい。
これ以上殴るというなら、この加納を、殴ってくださいませんか…?」
それを聞いた頼職は、
「ええい!もうよい!」
こう言って、さっさと立ち去っていった。
「脇田、すまない、この頼方のために…!」
頼方は脇田をねぎらった。そして脇田の傷の手当てをするように命じた。
そして、加納久通だ。こんな時に、わざわざ自らの身の危険もかえりみず、かばってくれるとは…。
まったくこの加納久通という人物は、なんという人物なんだ。
僕にはとても、この人のまねはできない、こんな人には、とても僕はなれないだろうなと、脇田は思っていた。
しかしこの僕、脇田久次としては、このままでは腹の虫がおさまらなかった。
なんとかあの頼職に、何か仕返しをしてやろうと、画策していた。
そう、そういう仕返しの方法を考えたりすることに関してだけは、この脇田久次は、長けていたのだった。
そして考え付いた方法は、そうだ、墨でもぶちまけて、恥をかかせてやろう、ということだった。
そしてある日、頼職が、自分の部屋でくつろいでいるところに、ちょうど真上から、墨をぶちまけてやろうと、脇田は屋根裏から、忍び込んでいた。
そして、決行の時。
ブシャアアアアアーーーッ!
「の、のわっち!なんだこの墨は!」
頼職は全身墨まみれになってしまう。
やったあ、見事に仕返し成功、と思った脇田久次は、スタコラサッサと、屋根裏から忍び足で、立ち去っていった。
そしてその後、これが誰の仕業なのか、バレることもなく、結局この件はうやむやのままで、やり過ごされることになったのだった…。
「やったあ!仕返し成功だ!見とけよ!この僕は後の八代将軍の世話係として、その手助けをしてやるんだ!
皆のもの!余の顔を見忘れたか!はっはっは!」
ここから、頼方から吉宗となり、さらに八代将軍となるまでには、更なる紆余曲折があるということを、この時の脇田久次は、まだ知らずにいた…。
次話に続く