第8話 とりあえず紀州藩主にはなったものの…。
紀州藩は2代光貞、3代綱教、4代頼職と、相次いで歴代藩主を失い、不穏な空気が流れていた。
これで紀州藩には、末弟の頼方以外に、跡取りに該当する男子がいなくなり、消去法で頼方に紀州藩主の座がめぐってきた。
しかし、城下では依然として、4代藩主頼職の死因に関して、ああでもない、こうでもない、という、よからぬ噂が流れていた。
もしかしたら、頼方が頼職の度重なる仕打ちに対して、積年の恨みを晴らすために、毒を盛ったのではないか、という憶測が流れていた。
いや、いくらなんでも、頼方が直接自分で頼職の食膳に毒を入れるはずはないだろう、だとすれば、部下に命じて毒を盛らせたのではないか?と噂する者たちもいた。
命令したのは頼方で、それを実行した部下というのは…。
そういえば、頼方には、世話役の、加納久通と、脇田久次という、2人の世話役がいるという。
もしや、あの2人が…。
こうして脇田久次らは、あらぬ疑いをかけられたのだが、2人とも、断固として関与を否定した。
「我らは断じて、この件には関わっておりませぬ。
天命に誓って、毒を盛るなどということは、行ってはおりませぬ。」
結局その後、この件はうやむやにされてしまう。
「そればかりか、この件に関する記録も、一切合切、残っていないんですよ。
この件に関することだけ、記述が残っていないなんて、考えられません。
まるで、誰かが意図的に、消し去ったかのように…。」
紀州藩に仕えていた侍女が、そうつぶやいた。
それからまもなく、まるで頼職の件など、何事もなかったかのように、
そればかりか、頼職という人物が存在していたということすら、意図的に消し去られてしまったかのように、
頼方の、紀州藩5代藩主への就任の儀が、執り行われた。
「頼方様、紀州藩第5代藩主へのご就任、まことにおめでとうございます。」
…何がめでたいのか。先代藩主があんなことになったというのに…。
と思いながら、聞いていた。
それからまもなく、歴代の藩主の御霊を弔うために、菩提寺にある墓所に、供養塔を建てることとあいなった。
そして、頼方の、紀州藩5代藩主就任の挨拶のため、頼方とともに、加納久通や、脇田久次もまた、江戸へと赴くことになった。
江戸に到着。紀州藩上屋敷へ。
しかしよもや、紀州藩主として、この江戸の紀州藩上屋敷に赴くとは、全く思ってもいなかった。
そしてその日はこの上屋敷に宿泊し、明日には、江戸城に登城して、紀州藩主就任の挨拶を行うということで、手はずは整った。
その夜…。
頼方は、夢を見ていた。
そこには、脇田久次と、頼方の、2人だけだった。
誰か人の気配がする。
姿を現したのは、綱教だった。
これは、夢なのか…?
それとも…。まさか、幽霊…?
そんなことを考えているうちに、綱教が話しかけてきた。
「頼方…。頼方か。
わしじゃ。綱教じゃ。」
綱教の姿を見て、少々びびっている2人だったが、
「安心いたせい。わしは危害を加えたりはせぬ。
それより、頼方、そなたは大変な時に、紀州藩主になったものだな。
わしは体が弱かったからのう、次期将軍の座も、フイにした。
じゃが頼方、そなたなら、きっと、立派な紀州藩主、そしてあわよくば、立派な徳川宗家の将軍になれるやもしれぬぞ…。
それと、脇田久次とやら、頼方のこと、くれぐれもよろしく頼む。
それでは、わしはこれにて、お鶴のもとに戻るとするぞ…。」
それだけ言うと、綱教は去っていった。
さらにもう1人、今度は頼職が現れる。
「頼方か。わしじゃ、頼職じゃ。
よう、紀州藩主になったものじゃ。
生前にはいろいろあったが、今は、そなたたちのことは、露ほども恨んではおらぬ。
むしろ、今はそなたたちに期待しておるのじゃ。
頼方、そなたが、いかなる紀州藩主になっていくのか、
それと、その紀州藩主を、こちらの脇田久次が、いかに補佐して、支えとなっていくか、
それを見届けられれば、わしはもう、思い残すことはない…。
頼んだぞ、この紀州藩の行く末を、頼方、そして、脇田久次よ…。」
そして頼職もまた、それだけ言うと、去っていった。
そこで夢の内容は終わる。
起きた時には、朝を迎えていた。
いったいあれは本当に、夢だったのか、それとも、本当にあれは、綱教と頼職が、幽霊になって現れたのか…。
しかし、そんなことを考えている暇はなかった。
そうだ、本日は江戸城に登城し、将軍綱吉に、頼方が紀州藩主に就任した、その事を伝えに行かねばならなかった。
朝食を済ませ、出立の準備を済ませ、いよいよ、将軍綱吉のいる、江戸城へと赴く…。




