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予告編

この話は、実際の歴史とは、多少異なる部分もありますが、大まかな流れはほぼ史実に沿っております。

また、基本的に歴史モノは、人名、地名など、読み方や書き方の難しい漢字が、数多く出てくるため、ふりがなをふってあることが多いです。


時は、西暦2016年…。


僕は、吉宗崇保(仮名)。

ごく平凡な、どこにでもいるような、そして、これといった取り柄のないような、冴えない男子中高生である。


しかし、僕は突然命を失い、歴史上のとある時代に転生することになったのだ。




西暦1684年、紀州(和歌山)藩の2代藩主光貞のもとに、五男となる男児が生まれる。その時の男児こそ、後の徳川幕府八代将軍、徳川吉宗である。

しかし、当初はまさか、この五男が、徳川幕府の八代将軍にまでのぼりつめるなどとは、その時はまだ、誰一人、思っていなかっただろう。

五男というか、いや正確には四男だったかな…。

それは置いといて、要するに、紀州光貞公のもとに生まれた男子のなかでは、一番の末っ子だった吉宗。

なにしろこの時代の、将軍とか殿様とかいうのは、側室が何人もいて、殿様の息子といってもみんな母親が違うという、これが、腹違いの兄弟という、そんな世界だった。そんななかで吉宗は、いや、幼名は源六といったかな…。

当時の紀州藩の腹違いの兄弟のなかで、一番の末っ子の、部屋住みという身分だった源六こと吉宗。


部屋住み=次男以下の兄弟で、独立していないで部屋に住んでいた、という意味で、当時はこのような呼び方をした、大名家や旗本の家などの、次男以下の男子が、主にこう呼ばれたという。


その一番の末っ子の源六=後の吉宗が、

思いもかけない成りゆきによって、やがて紀州藩主となり、

それからさらに幕府の八代将軍にまでのぼりつめるという、ある意味これは究極のサクセスストーリーだといえる。


八代将軍吉宗は名前が吉宗だが、

この僕、吉宗崇保(よしむね・たかやす)は、名字が吉宗ということで、何かと縁がありそうだ。


僕の方は、幼少期の頃より、身の回りの世話をする、世話係として、ある日突然紀州藩にやってきて、紀州藩への仕官を申し出るところから、物語は始まる。

「お頼み申す!仕官をお頼み申す!」


こちらの時代での僕の名前は、脇田久次(わきた・ひさつぐ)という。

やはり、ともに御用取次役となる加納久通(かのう・ひさみち)とともに、

幼少の頃から、この部屋住みの、末弟の、後に吉宗となる源六の世話係からはじめて、やがて八代将軍として頂点を極める、その八代将軍、しかも稀代の名君と讃えられる吉宗の、御用取次役にまで抜擢される、脇田久次の物語。これは本当に、究極のサクセスストーリーの予感がする…。


物語はこれより始まる。きっかけは、ある日、紀州藩に、いずこともなくやってきた、1人の浪人者が、紀州藩に仕官を申し出たところから始まったのだった…。



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