後編
次の日、王様は久しぶりに金の鷲を呼びつけました。
どうしようもなくむしゃくしゃして、鷲が狩りをするのを見たくなったからでした。
王様が呼ぶと、金の鷲はすぐさま降りてきました。
黄金の羽が豪華に広げられ、立派なカギ爪がバルコニーの手すりを掴みます。
金の双方が細められ、鋭いくちばしが開かれました。
「お久しぶりですね、王様。今日は何を狩りましょう」
得意気に言う鷲に、王様は苛々した様子で言いました。
「森の動物を根こそぎ連れてこい。生け捕りでも、殺してでも良い。たくさん、たくさん連れてくるのだ」
「かしこまりました」
鷲が頷き、飛び立とうとした時、小さな何かが、太陽の光をはじきました。
「お待ちください!」
白い羽をばたつかせ、小鳥が舞い降りました。
「王様、なぜそのような事をなさるのです。森の動物たちは、私の大事な仲間です。どうぞお止めになって下さい」
王様は小鳥を見ると、笑みを浮かべました。
「小鳥よ、これはお前が受けるべき、当然の罰だ」
ひどく冷たい笑みに、横で見ていた金の鷲は、ぞっとして少しだけ後ずさりしました。
小鳥は黒い瞳で、王様を見上げます。
「王様、私が何をしたと言うのです」
「お前は私を怒らせた、それだけだ」
その声は淡々としていました。
感情がこもっていないわけではなく、押し殺しているのだと、金の鷲は分かりました。
けれど、小鳥は大まじめに王様を見つめ返します。
「王様、何がいけなかったのですか? 私はあなたの話し相手になると約束しました。だから何でも仰って欲しいのです。あなたが私を嫌っているのは知っています。話しかけるのも歌うのも、お嫌だとは分かっています。でもあなたが寂しそうだったから、どうしてもそうせずにはいられなかったんです」
小さくて真っ直ぐな瞳に、王様は吐き気がするようでした。
「何がいけないかだと? お前のそのすべてだ」
王様は分かっていました。自分は確かに寂しくて、誰かと話したかったのでしょう。
けれどこのちっぽけな小鳥が、王様を想い心配することが、殺したくなるほど嫌だったのです。
「どこかへ消えろ、飛んでいけ。そうしたら、狩りなんてやめてやる」
小さな生き物を見据えてそう言いました。けれど、白い羽は動く様子もありません。
「王様、ごめんなさい」
不意に小鳥は言いました。
小さな瞳で、強い視線を向けてきました。
「確かに私は、あなたを気遣って傍に居ました。でもこれは建前なんです」
そう言って、喉を震わせました。
「お願いです。ここから離れることなどできません。本当は私が寂しいんです。あなたのお傍にいたいのです。どうか近くに置いてください」
王様は、自分の頭がおかしくなってしまうのではないかと思いました。
心臓が焼け付くように熱く、水を浴びせられたように冷たく感じました。
黒い瞳が真っ直ぐにこちらを見ています。
それは胸を突き刺し、それでも王様を責めてはいませんでした。
「分かった、お前のいう通りにしてやろう」
王様は静かに言うと、金の鷲を一瞥しました。
「鷲よ、森の動物たちはもういい。代わりにこいつを生け捕りにしろ」
「かしこまりました」
「王様!」
小さな喉が、叫びました。
「何をすると言うのです!」
小鳥は本当に鷲を怖がっているようでした。羽を広げて逃げようとしましたが、その前に黄金のカギ爪が小鳥を捕まえました。
白い羽が飛び散ります。
王様は後ろに控えていた召使を呼びつけました。
「鳥かごを持ってこい。こいつをぶちこんでやる」
召使は頷くと、すぐに去って行きました。
鋭いカギ爪に掴まれた小鳥は、身動きもできません。
「王様、やめて下さい! 私はどこにも行きません。あなたのお傍にいますから、鳥かごなんかに押し込めないで下さい!」
「望み通り、ここに置いてやると言っているのだ」
王様は残酷に微笑みました。
「お前を鳥かごに入れたまま、誰も来ない場所に押しこめてやる。もう私の周りをうるさく飛び回れないよう、頑丈な倉庫にな」
「王様、」
王様は踵を返すと、歩き始めました。
「行かないで、待って……!」
王様は振り返りもしません。
鳥籠を持った召使とすれ違い、顔色一つ変えずに命令しました。
「小鳥をそこにぶち込んで、かごごと宝物庫に押しこんでしまえ」
小さな叫び声が響きました。無慈悲な鉄格子の閉まる音。
ガチャリ、という響きを聞きながら、王様はその場を後にしました。
*
鳥籠に入れられた小鳥は、召使によって、宝物庫に閉じ込められました。
宝物庫は誰も来ず、助けを呼ぶこともできません。
小鳥はすっかり困り切って、檻の外を見回しました。
辺りは黄金や宝石に囲まれ、まばゆいばかりに輝いています。
けれど王様は、この宝の山をがらくた同様に思っているようでした。それを知っていた小鳥は、自分もいらない子だと言われたようで悲しくなりました。
事実王様は、自分を嫌っているのです。
小鳥は今まで、何度もあちこちを飛び回り、面白い話を探しに行きました。
小鳥は王様の話し相手です。そう約束したことすら、王様は忘れているかもしれません。
けれど小鳥は、憂鬱な目をした王様に、自分と同じ寂しさを見た気がしたのです。
怒鳴りながらも、きちんと話を聞いてくれる王様と、もっとお話ししたいと思っていました。
森の動物たちは、あいつは危険だから近づくなと小鳥に言いました。
けれど小鳥は、どうしても傍に行きたかったのです。
王様は近づくたびに怒鳴りましたが、小鳥を殺しはしないのです。
だから小鳥は約束を守り、話し相手のふりをして、王様の傍でさえずり続けました。
小鳥は王様が、好きでした。
宝物庫は灯りもつかず、誰もいませんでしたが、一つだけ灯り取りの窓がありました。
窓には鉄格子がついています。その隙間から、白い光が差し込んでいました。
ああ、あの外へ出られたら王様のところへ飛んでいけるのに。
小鳥が窓を見つめていると、不意に黒い影が落ちました。
鉄格子の向こうから、金色の瞳がのぞきます。
「おい、小鳥。とうとうお前も見捨てられたな。良いザマだ」
金の鷲はあざけるように言いました。小鳥はつぶらな黒い瞳で、鷲を見返します。
「何をしに来たんですか? 私はこの通りかごの鳥です。あなたの腹の中には入れませんよ」
そう言うと、鷲は面白そうに笑いました。
「俺はお前をどうこうしようなんて思っちゃいない。お前は邪魔だったが、今は確かにかごの鳥だ。これから起こることを、何もできずにそこから見ているがいい」
「どういうことですか?」
訳も分からず小鳥が尋ねると、金色の瞳が音もなく光りました。
「俺は東の王から、この国の王へ送られた贈り物だ。だが本当は、贈り物のふりをして、この国を偵察するためにやって来たのさ。俺の主は、この国の王がお嫌いだ。主だけじゃない、この国の民の誰もがそう思ってる。あの我がままな王を倒す時期を、主は今か今かと待っているのさ」
小鳥は驚いて、まん丸い目を更に見開きます。金の鷲は楽しそうに笑いました。
「主はいつでも出撃できるように、たくさんの兵を準備してるんだ。知らせるには、今日が丁度良い頃合いだ。俺の翼なら、東の国なんてひとっとびさ。今知らせに飛び立てば、今夜にでも襲撃ができるだろう」
「なんですって」
小鳥は全身の毛が逆立つような感覚に陥りました。
「やめて下さい、王様は確かにわがままかもしれませんが、こんなやり方あんまりです」
「そんな風に言うのはお前だけだよ。そのお前も、今はかごの中だ」
鷲は一声、勝ち誇ったように甲高く鳴きました。
黄金の羽を広げ、ばさりと大きく揺らします。
「じゃあな、せいぜいそこから、何もできずに見ているがいい」
小鳥はくちばしを震わせ、叫びました。
「待って下さい! お願いだから、やめて!」
その声はもう、鷲には届きません。
鷲は金の光となって、空の彼方へ飛んで行ってしまいました。
「王様!」
誰もいなくなった宝物庫で、小鳥は叫びました。
なんとかして、知らせなければなりません。
「王様! 王様!」
叫びながら、鳥籠に体当たりしました。
くちばしでつつき、カギ爪でつかみ、鉄格子を壊そうとしました。
けれど、ちっぽけな小鳥に何ができるでしょう。
やがて羽は抜け落ち、その体は傷だらけになりました。
小鳥はそれでも、何度も王様の名を呼び、檻にぶつかっていきました。
*
王様はその日、例えようもない感情にさいなまれていました。
殺意や憎悪に似た何かが、腹の中をぐるぐると回っています。
立っているのもやっとな王様は、自分がこんな感情を覚えることすら驚きでした。
それは目が合った召使が青くなる程で、逃げ出しそうな彼らを、今すぐ殺してしまいたくなりました。
「王様は大層機嫌が悪い」
「いつものことだが、いつも以上だ」
「それよりも聞いたか、鷲の話」
「今夜中に逃げないと――」
家来たちは何やらごちゃごちゃと話しています。けれどもう、何も聞きたくありません。王様は聞こえないふりをしてさっさと自分の部屋に帰りました。
暗い部屋に戻ると、王様は灯りもつけずに長い間立ち尽くしていました。
一人きりになると、たくさんのことが浮かんできます。忘れようとすればするほど、無精ひげや禿げ頭の笑顔、そして小鳥の優しい歌声がくっきりと思い出されるのでした。
王様はこれ以上、何も見たくありませんでした。
何も知りたくもありませんでした。
どれくらい経ったのか分からなくなるほど、そこに一人で立っていたのです。
考え疲れた王様は、ベッドに横になると、静かに眠りにつきました。
夜も更けた頃、王様は何かの物音で目を覚ましました。
ベッドから起き上がると、窓の向こうが赤く染まっているのが見えました。
悲鳴のような馬のいななき。重なる怒鳴り声に、鉄や鋼の音。
王様はすぐさま立ち上がると、急いで部屋に隠してあった短剣を手にとりました。
戦には慣れていましたが、それは数年前のことです。
「奇襲だ! 迎え撃つ準備を!」
王様は怒鳴りましたが、物音ひとつしません。
「おい! 武器を持って来い!」
叫んでも、誰一人出てきません。
王様はそこで初めて、異変に気が付きました。
あまりに静かすぎるのです。
慌てて廊下に走り出ましたが、いつも扉の傍に控えている召使はいませんでした。
傍仕えである家来たちは、王様の手によって少しずつ減っていましたが、一人もいないはずないのです。
四人になった兵士と九人になった召使いを探し、王様は城中を駆け回りました。
彼らどころか、他の家来も、料理人も馬屋番も、誰も見当たりません。
「おい! 誰かないのか!」
広間を、食堂を、馬小屋を、くまなく探し回りました。
その間にも、遠かった喧騒が近づいてきます。
数えきれない程の怒鳴り声は、押し寄せる波のようです。
遠くで何かが壊れる音がしました。
それが城の門が開け放たれた音なのか、希望が崩れる音なのか、分かりませんでした。
城の人間は皆逃げてしまいました。
誰一人この危険を知らせようともせず、王様を見捨てて去ったのです。
「王はどこだ!」
「暴君を倒せ!」
遠くから聞こえる声に、王様は後ずさりました。いつもなら隠れもせずに言い返してやりましたが、それはたくさんの家来に囲まれていたからです。今はもう、王様の傍には誰もいません。
このままでは逃げる他ないと、裏口を目指して走りました。
そこではたと、小鳥のことを思い出したのです。
敵の兵士達が騒ぐ声が聞こえます。
「どういうことだ! 誰もいないぞ!」
「逃げられたか!」
今すぐ逃げれば助かるかもしれません。家来と共に逃げたと、敵に思わせるのです。
けれどあの小鳥はどうするのでしょう。
かごの鳥は動けないまま、たった一人で残されるのです。
王様は踵を返し、宝物庫へと向かいました。
宝物庫は、城の一番奥にありました。
黄金で出来た扉は重々しく、威厳に満ちて行く手を塞ぎます。
この扉を開くことができるのは、王様と一部の家来だけでした。
けれど、どういうことでしょう。
慌てた王様が、鍵も取り出さずに扉を押すと、それは簡単に開いたのです。
足を踏み入れた途端、中にいた男達が振り返りました。
男達は五人ほどいて、中央の男は、立派な王冠をかぶっていました。
その王冠は盗んだものではありません。元からその男が持っている、つつましく荘厳な王の証でした。
「やはりな。ここに来ると思ったのだ」
東の国から来た王は、勝ち誇ったように言いました。
「言っておくが、ここにある物には手をつけていない。やったとすればお前の家来だ。この城にはお前以外誰もいないし、私が来た時には、ここの扉は開いていた。お前は家来に見捨てられると同時に、裏切られたのだ」
王様は立ち尽くしました。何も言えず、黙ったまま穴が空くほど東の王を見つめました。
東の王の家来たちは、誇らしそうに主人を見上げます。
若い王は美しく、見る者を引き付ける生命力に溢れていました。
「こんな時にまで宝物を探しに来るとは、哀れな男だ」
東の王がそう言うと、彼の肩に止まっていた黄金の鷲が、面白そうに目を細めました。
「違いますよ、主。こいつにとっちゃ、宝物なんかその辺のがらくたと同じです。貴方が贈った、この俺も」
驚いた顔をする東の王に、鷲はどこか呆れたような笑みを浮かべました。
「こいつが用があるのは、そこの小鳥だけですよ」
金の鷲が振り向いた先を、皆が見つめました。視線を受けた鳥かごの小鳥は、小さくピイッと鳴きました。
「王様! お逃げ下さい!」
その言葉に、王様は壊れかけていた何かが、再び形を取り戻すのを感じました。
それが何かは分かりません。
けれど、それを失ったら最後、王様は本当に死んでしまうのではないかと思いました。
東の王が、何かを分かったような顔をしました。
「ほう、私にとっての国民が、お前にとっての小鳥というわけか」
隣の鷲がくちばしを尖らせます。
「国民? また綺麗ごとを。私ではないのですか?」
「お前はまだ、残忍なところがあるからな。いずれお前にも、分からせねばなるまい」
王様は訳が分かりませんでした。
ただ小鳥に近寄ろうと、足を動かします。
けれど王様が手を伸ばすよりも先に、東の王が鳥籠を持ち上げました。
「そう簡単に渡すとでも思ったか? 今までの行いを考えてみろ。お前はたくさんの人間を殺したのだ」
東の王は、無情な瞳で王様を見下ろしました。
「この小鳥を殺せば、お前もその痛みが分かるだろう」
王様は目を見開きました。
「か、返してくれ」
信じられないことに、声が震えました。
「それは私の小鳥だ。こっちへ渡せ」
隠していた短剣を出し、脅すように睨みましたが、東の王は動じません。
「ああ、鍵はこれか」
近くに置いてあった銀色の鍵を手に取ると、鍵穴に差しました。ガチャリと音を立て、鉄格子の扉を開きます。小鳥は恐怖のせいか、固まったまま動こうともしません。
その白いかたまりを、東の王の大きな手が掴み、かごの外へ出しました。
小さな鳥はその命を、東の王に握られてしまったのです。
「王様、どうぞお逃げ下さい」
小鳥は再び言いました。その声はか細く、震えています。
小鳥を置いて逃げるなど、王様にはとてもできませんでした。
「頼む、そいつを離してくれ」
王様は東の王を一心に見ました。
鋭かった瞳は、嘘のように揺らいでいます。
東の王は答えません。ただ、その手に力を込めました。
キュッと、小鳥が声にならない声をあげました。
「やめてくれ、やめろ、何でもする」
王様は強く握っていた短剣を捨て、震えながら膝をつきました。
昨日まで殺そうとしていた命を、なんとかして救いたいと思ったのです。
何と虫のいい願いでしょう。
「お願いだ。その小鳥を、殺さないでくれ」
見下ろす若い王の目は、冷たいものでした。
「そうしてやりたいが、お前は何もかも奪い過ぎた。もう遅いのだ」
欲しい物は必ず手に入れ、肥えた土地は根こそぎ奪い、数えきれない命を狩りつくしてきました。
王様はそれが間違っていないのだと、信じてきました。
けれど今、そのすべてに、初めて後悔したのです。
小鳥を失うことは、死ぬより恐ろしいことでした。
王様は、誰かの小鳥を、何千もの小鳥を、自分が殺してきたことに気づいたのです。
浅はかでした。
こうでもされなければ、きっと一生理解しようとも思えなかったのでしょう。
愚かという言葉では例えきれない程、王様は浅はかでした。
もう遅いのです。
今まで手にしたたくさんの宝物が、狩りつくした一つ一つの命が。
王様の頭をよぎっては声をあげて責めたてました。
生きている資格などない。
王様は思いました。
ここで死んでしまった方がいいかもしれない。
でもこの小鳥は、どうするのだ。
「お逃げ下さい」
か細い声で、小鳥は言うのです。
もうすぐ絞められるその喉で。
消えてなくなるその声で。
「王様、どうか、あなただけでも」
王様は地に手をつきました。
頭を床にこすりつけ、東の王にひれ伏し、ひざまずきました。
「私のすべてをくれてやる。この宝の山も、城も、私の命もだ。だからどうか、その小鳥を助けてくれ」
東の王は少しだけ目を見開きました。
そうして少し考えあぐねると、空いた方の手で腰から剣を引き抜きました。
それをおもむろに振りかざします。
王様は目をつむりました。
いよいよ殺されるのだと、その瞬間を待ちました。
ピイィっと甲高い悲鳴が響き渡りました。
王様がはっと顔をあげると、血に濡れた小鳥が、目の前にぽとりと落ちてきました。
翼を失った小鳥の、黒い瞳は揺れています。
辺りに、白い羽がひらりひらりと舞い落ちました。
「……どうして、」
喉がつかえて声が出ません。小鳥を掻き抱く王様を、東の王は見下ろしました。
「羽をもいだだけだ。お前に免じて命は残しておいてやる」
王様は小鳥を抱きしめたまま、動きません。
頭上から、冷たい声が降ってきます。
「お前も殺しはしない。私は人々の苦しみを、どうにかして知ってもらいたかったのだ」
そう言う東の王の目は、どこまでも静かなものでした。
「こんな行いをするのは、これが最初で最後だと誓おう。さあ、その小鳥を連れて出て行くがいい」
王様は小鳥を抱きかかえたまま、ゆっくりと立ち上がりました。
東の王を一度だけ見ると、静かに背を向け、おぼつかない足取りで部屋から出て行きました。
荒野を風が吹き抜けます。
乾いた土はひび割れ、イラクサは音もなく揺れていました。
誰もいない広い地を、王様は小鳥を抱いて歩きます。
「小鳥よ」
王様の手は優しく、白い塊を包んでいました。
まるで自分で潰してしまうのを、恐れるようでした。
「小鳥よ。すべて私のせいだ」
悲しげに目を伏せる王様を、黒い瞳が見つめます。
「王様。あなたこそ、私のせいで全てを失ったのです」
弱々しい声でしたが、小鳥の心臓はまだ、はっきりと動いていました。
王様はその温もりが、今まで感じた何よりも温かいと思いました。
「私にはまだお前がいる。お前がいたから、私はすべてを失えたのだ」
王様が答えると、小鳥は悲しげに笑いました。
「王様、どうぞ私を置いて行って下さい。私にはもう翼がありません。ただの足手まといです」
小鳥は何かを堪えるように喉を震わせました。
「私はあなたの話し相手になると言ったのに、もう物語を探す方法も、あなたについていく手段もないのです。……ごめんなさい、あなたとの約束を果たすことはできません」
「いいや、約束は守ってくれ」
王様は静かに言いました。それは命令ではなく、ただの願いでした。
「私も約束を守りたいのだ」
自分のやって来たことを見つめ直すと、生きることさえ恐ろしくなります。生きる価値もない自分は、死んだ方が良いのではと考えてしまいます。
けれど小鳥のためなら、生きていけると思えました。
生きていれば、償う手段も見つかると思えました。
「私がお前の翼になろう。一緒にたくさんの場所へ行き、たくさんの物語を探そう。だからついて来てくれないか」
一心に見つめれば、小鳥は瞳を輝かせました。
「いいのですか!?」
その声は鈴のように綻び、辺りに響き渡ります。
「ありがとうございます! 王様!」
「私はもう王様ではない。お前の翼だ」
翼になった王様は、ゆっくりと微笑みました。
今まで欲しかった何かが、胸に溢れて行くのが分かりました。
いつか伝えられたらいい、と翼は思います。
自分がどうして小鳥を連れて行くのかを。
約束を守るのは建前で。
本当は一緒にいたいから、小鳥が大切だから、ただ傍にいたいのだと。
どうやって伝えればいいのか、今は分かりません。
けれど一緒に旅をしているうちに、その方法も見つかるでしょう。
翼はそう信じて、小鳥を胸に歩きます。
彼らの行く手には、まだ見ぬ物語が待っています。
見ても聞いても足りないほど、たくさんの出会い。
その一つ一つを知るために、小鳥と翼は進むのです。
出会った人は皆言います。
彼らはとてもお喋りだと。
空を駆けるように、いつも一緒に、幸せそうな笑顔を浮かべていると。
今日もどこかで、小鳥と翼は旅をしています。
おわり