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ASTRAL LEGEND  作者: 七瀬渚
第5章/未来のために
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6.旅立ち〜Setting off〜



ーー空気がだいぶ暖かさを増した頃、時刻にすると9時くらいだっただろうか。時計を見ている余裕なんてなかった。本当に、大体だ。


いつか王と王妃が目覚めたときの為に綺麗に保っておいた部屋の中、みんなでテーブルを囲んでいた。気が付くともうそこに居た。どうやって来たのかは覚えていない。昼前だというのに、記憶が飛ぶくらい飲み歩いた酔っ払いの気分だ。



レグルスはかぐわしい香りを立ち上らせるカップに触れた。まだ指先が震えている。カラカラに乾いた口内へカップの中身を流し込む。


相当な猫舌のはずなのに割とすんなり飲み込んだ。熱いものが喉を伝う感覚ばかりで、香りも味も認識するところまで至らない。目が合う度に微笑むスピカの視線に、全身がまた、固くなった。




スピカが正気を取り戻したのは案外早かったのだという。あらゆる治療や検査を付きっ切りで施してくれた医療チームが、彼女の身体のわずかな変化に気付いたそうだ。妊娠3週目という早い段階での発覚だった。トン、と空のカップを置いた、レグルスはまた震え上がった。



それまで彼女の身に起きたことを思い返すとゾッとする。


拉致されたときは何らかの衝撃により意識を失わされたと考えられる。その上、洗脳された彼女との戦いの際には、状況が状況であったとは言え、彼女の身体を地面に叩き付けてしまった。


それより以前には、すでに身篭っていたであろう彼女に強引に迫った覚えさえある。頭が痛くなって今にも抱え込んでしまいそうだ。もう二度とこんなことはしない、二人目のときは…と、早くも迷走しかけている思考に気付いて更に頭痛が増す。もう、何だ、自分を殴りたい気持ちでいっぱいだ。



「アストラルにはね、不器用な男が多いんだよ」



誰に向けたかもわからない言葉を不意に放ったのはアルタイルだった。レグルスは恐る恐る顔を上げた。何か見抜かれたような気がしてならない。


自分よりも獅子の名が相応しい、逞しい顔立ちが苦笑いしていた。その顔のまま、アルタイルは言う。



「時代が変わったとは言え、フィジカルでは男が先頭をきって進んでいるような風潮があるでしょう?精神世界のこちらに入った途端、弱さが際立つのはその反動さ。最もこの世界でしか転生してこなかった私なんかは最初からかなわないけどね、特に彼女には」



横目で見られたベガが、美しく気品漂う笑みを浮かべる。したたかだ。


一方でセレスはへぇ、などと漏らしながら身を乗り出している。興味深げでいて、何処か納得しているような顔。その隣のマラカイトは少しばかりばつの悪そうな複雑な表情を浮かべて、彼女とは反対に身を引いている。この二人にも身に覚えがあるのだろうということは、現在もなお語られ続けている伝説からも容易に想像がつく。



「今はフィジカルに身を置いているはずのあなた方を巻き込んでしまってごめんなさい。大変な思いをされましたね」


しおらしげなベガが言う。セレスがいいえ、と答えて首を横に振った。彼女は言った。



「おかげでアストラルの平和への一歩を見届けることができましたから。この経験がなかったら、もしかしたら、私は…」



偏った人間のままだったかも知れません。



そう彼女は続けた。凛と強く輝く青の瞳にレグルスは見入った。



遥か昔、激情が招いた破滅。そしてあのときルシフェルが放った呪いのような一言が、きっと彼女の中に深く刻み付けられている。もう、消えることなどないのだろう。この先も、ずっと。


だけど彼女はその忌まわしき刻印と向き合うすべを見出す旅へと向かい始めている。未だ戸惑っている愛しい彼の手をも引いて行くつもりなのだろう。アルタイルの言葉が一層真実味を増してくる。すっかり参ったレグルスの唇からは、力ない息がこぼれてしまう。



「明日、お二人をフィジカルへお送りしようと思います」


ベガが切り出した。労わる優しげな眼差しを二人へ向けて。


「あなた方は為すべきことを持ってフィジカルへ転生しました。このままこちらに居ては肉体に戻れなくなってしまいます」



何となく予感していたのだろうか。セレスとマラカイトは飲み下すみたいに喉を動かしただけで、驚きの一つも見せない。


別々の道を歩む。元の流れに戻るだけ。それが本来だ…レグルスは自分に言い聞かす。


やがてアルタイルも二人の妖精を見据えた。彼は一つ、問いかけた。


「二人には夢があるのかな?」


目を見開いたそちらに彼は更に語りかけた。



「助けてもらったお礼をさせてはくれないだろうか。あなた方の夢が叶うよう協力するよ。天界に願えばきっと、力強い運があなた方へ向くはずだ」



優しい眼差しを落とすアルタイルの傍でベガも同意の頷きをする。セレスとマラカイトが顔を見合わせた。心が通ったように一度頷いた二人は元の方へ向き直って。



ありがとうございます。でも…



セレスが続けた。


「夢は自分の力で叶えて見せます。それがフィジカルでの生き方だと思っています。その代わり…この世界で過ごした私の記憶を残しておいて頂けませんか?」


「俺からもお願いします!」


口数の少ないマラカイトも彼女に続いて声を張り上げる。レグルスは目を見張った。セレス、マラカイト…思わず二人の名を呼んでしまった。すっと静かにこちらを向いた二人の眼差しは少しのブレも感じさせないくらい、強い。息が詰まりそうだった。



「アストラルの記憶を持って、フィジカルで生きるというのですか?」


同じように驚いていたベガが問いかける。射るような視線を二人へ向けながら。



「それは周りから理解されない、話すこともできない、家族にさえも…本来、存在しないはずの痛みを伴うかも知れない」



それでもいいのですか?



小さく首を傾げたベガへ、少しの遅れもなく、はい、と揃った返事が返った。二人はその場で立ち上がり、更に改まった様子で。



「もちろん話すつもりはありません。次元は違っても、これは大切な経験です。この記憶があることで私たちもフィジカルを導く何かが…例え小さいものだとしても、生み出せるかも知れません」


真摯な表情のセレスが言った。



「いや、むしろ生み出して見せますっ!!」


力強い口調のマラカイトが言った。そこへハハ…と全体に広がる豪快な笑い声が響いた。


「それは頼もしい」


アルタイルが満面の笑みを咲かせていた。ゴワゴワとした髪と伴って、いつかスピカが部屋に飾ってくれた、あの夏の花のように見えた。ああ…レグルスは胸の奥で呻く。



たった今耳にしたセレスの決意…あれ程手に取るように感じていた彼女の思いを今度は予想することができなかったと気付く。そして気付いたが最後、もう彼女が遠く感じるのだ。フィジカルへの帰還は明日、そう聞いたから…だけではない、恐らく。



「フィジカルの未来、あなた方に託そうじゃないか」


満足気なアルタイルの声は、更に続けて


「アストラルにも頼もしい若者がいる」


こちらを向いた。柔らかい三日月型の目と共に。



いい世界になるよ、きっと。



そう締め括られた。自然と背筋が伸びていくのを感じた、レグルスはしばらく動けずにいた。たまらなく喉が渇く。あんな熱い紅茶を無理矢理流し込んだことが今更のように悔やまれる。




突如、背後の扉が開く音に振り返った。皆もそちらに注目する。


「あら、初めまして。待っていたのよ」


ベガの優しげな声が語りかける中、レグルスの唇は震えた。おぼつかないながらもやっと、その名を口にすることができた。



クー・シー…



幼い顔に満ちた期待の色が、辺りを一通り見渡すなり、頼りなくしぼんでいく。その意味がすぐにわかってしまった。それ以上の声をかけるのがためらわれた。



「おはよう、レグルスさん」


無理に笑顔を作ったクー・シーがすぐ隣にやってきた。まだ8つの彼は初めて会う王と王妃にしきりに頭を下げ、たどたどしい口調で挨拶をしている。痛々しい程、健気な姿に息が詰まった、そのときだった。



ガルシア親衛隊長!



呼ばれて振り返った。見ると部下の兵士が一人、扉の側で何やら囁いている。


“こちらへ”


その唇の動きを読み取った。皆に一礼して、レグルスは立ち上がった。


何かの報告であることは間違いないだろう。それも急ぎの。しかし多忙な今、親衛隊長にはかなり幅広い内容の報告が届けられる。一体どれだろう、と思いつつ、部屋の外へ出た。



実は先程…



閉じた扉のわきで部下がそっと耳打ちをした。そこから伝わった内容は予想以上に身近なもの。レグルスはすぐに、ひゅっ、と短い息を飲んだ。


扉を開け放った。勢いよく。居ても立ってもいられなかった。



クー・シー…!!



皆と一緒に目を丸くしている彼の元へ駆け寄った。若草色の硬い毛に覆われた大きな竜の手を両手で握った。彼に告げた。



「行方不明者の捜索依頼の中にお前の名前があった。差出人は不明だが、手紙の中に、お前の家族だと…今、配送ルートを辿ってる」



ぽかんと見上げるクー・シーの顔が水中にあるかの如く、揺らぎ、滲んでいく。レグルスは鼻をすすった。



「お前の…兄さんかも知れない」



え…と、か細い声が返ってくる。その後、遅れ気味に。


「本当に…?レグルスさん…」


もはやよく見えない、でもわかる。クー・シーの声が震えていると、わかる。レグルスは強く彼を引き寄せた。両腕で頭までしっかりと包み込んだ。やがて胸元からくぐもった声がした。でも…と弱く切り出していた。


「あれから4年も経っているのに今頃なんて…きっと兄さんは、動けない程の酷い怪我を…っ」


「悪い方に考えるな」


腕に力を込めた。今、伝えられる想いの全てを注ぎ込むように。



「お前のことを覚えてくれているんだ。後はどうとでもなるじゃねぇか」


そう言ってやると、ずびぃっ、とすすり上げる音がした。胸元が生温かく湿っていく。



うん、うん…



繰り返し呟くクー・シーの頭をわしゃわしゃ撫でた。眼下の草原のような髪にいくつか雫を落としてしまった。



やがてレグルスは顔を上げた。きっとみっともないことになっているのだろうが、今更取り繕う気にもなれない。それより、もう一つ聞いたことを…


「セレス、マラカイト」


もうあちら側へ向かい始めている、彼らへ。



「ルナティック・ヘブンから保護した数名が、フィジカルから連れ去られた人間であることがわかったそうだ。まだ全て確認できた訳じゃないけれど、後は俺らが責任を持って…」



そう…


良かった…



温かな二人の呟きを聞いていた。頼んだぞ…アイツに続いてまた一つ、託す思いで。



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