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ASTRAL LEGEND  作者: 七瀬渚
第3章/魂たちの傷痕
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18.女帝と勇者〜Empress&Brave〜



挿絵(By みてみん)



ーーいくつ季節が巡ろうが変わらなかった。居る場所も自分の置かれている立場も決して変わりはしなかった。ただどうしようもなく流れていく歳月を同じ場所から確かめるだけ。


朝日が昇れば誰よりも早く目覚めていなければならなかった。皆が捧げる祈りをこの身に受ける為に。


自分が何者か知る頃にはすでに完成された姿で、歳をとることもない。いつ見ても美しいと憧れられ、皆の希望だと語られ続けた。


あの泉の側、ただ置物のように景色や仲間の変化を眺めているうちに空想というものを覚えた。現実ではない頭の中の世界の私は自由で、無邪気に森を駆け回り、時には大胆な冒険もする。無意識のうちに目を奪われてしまう彼とだって実に自然に話しているのだ。


そんなありもしない世界に居るのが楽しくって、よくそのまま眠ってしまった。再び現実に戻るのは夕暮れ時。そっと瞼を開くそのとき、最初に目にするのは決まって彼の後ろ姿で、夕日の赤に照らされた草原のような髪と広い背中を見ているだけで自然と安らぎの息がこぼれた。


幾度の朝を迎えても、私にとっての新しい朝は他でもないこの瞬間だって。そして実感するのだ。


こちらを向いてはくれない、この背中が守ってくれている、いつでも。宝物のようなこの時間だけは決して手放したくない。


例え、あの甘く輝かしい空想が現実になることがないとしても。






見ているだけでは飽き足らず、空想の中にまで求めた彼の元へと、セレスは一歩、また一歩と歩み寄る。真っ直ぐ見据える先の彼、マラカイトが何か紛らわすみたいにへっと小さな笑みを漏らす。不自然に片方の口角を上げた彼が言う。


「賢い女だ。そう、お前はこっちに居るべきなんだよ。こんな薄汚れた罪人なんかとではなく、な」


軽蔑の視線を投げ付けられたレグルスは歯を食いしばって彼を睨むが、螺旋らせんつるにきつく締め付けられている今、身動きの一つもとれないようだ。もちろん見えている。直視しなくたってわかる。良くも悪くも波長の揃っていた彼のことなら手にとるように、心で見える。


だけど歩を止めなかった。今目の前にいる、ずっと求め続けた対象だけに向かって歩いていく。



ーーカイト。



触れられるくらい近付いたところでセレスは足を止めた。遠く懐かしい気配をすぐ傍に感じながらうつむき、視線を落とした。少しためらってしまう、考えがあった。



彼は、変わってしまった。いや、変えられてしまった、無理矢理に。だけど奥底から残っているものを感じるの。まだ消えてなんていないって、思えるの。



だから、伝えるの。その奥に向かって、真っ直ぐと。



今、私ができる、精一杯。




覚悟は決めるなり、瞬時に動いたのは指先だった。冷たく硬い感触を絡め取った。こちらへ引き寄せた。



「……っ!」



前かがみの体勢になった彼の動きが静止する。戸惑い行き場を失くした息の感触をこの唇に感じる。


私が私を保っていられるのもこれが最後かも知れない。だからこそ羞恥心をかなぐり捨て、かすかな息が漏れるところを分けて更に奥へと入っていく。



太古の昔から肌身離さず首から下げている彼のあの鎖をセレスの白く細い指が強く握っていた。この場に居る誰もかれもが驚いている、そんなわかりきった事実さえ忘れてしまうくらいにのめり込んでいるうち、やがて自らの奥から眩い白光と温かな疾風が生まれた。



広がりを増していく光に包まれた二人。少し目が慣れた頃、ゆっくり薄く開いてみた瞼。すぐ近くのシトリン色の瞳が虚ろに細まっているのを目にした。そして重なっているところにも現れ始めた変化に涙した。


彼のものがわずかに応えてくれているような、動き。こちらへ、こちらへと、まるで立場が逆転したみたいに。




セレス……タイ、ト……様……?




熱い二つの息が離れたとき、それは聞こえた。すっきり細く象られた瞼の奥で丸くなって揺れている瞳は確かに紛れもなく、昔から知る彼のもので。


立場は完全に入れ替わった。ぐっと強く引き寄せられる勢いに息を飲もうとするセレスの唇は一瞬で塞がれた。細い胴だけでなく、頭まで抱え込んでくるマラカイトはまるで理性を失くしてしまったかのようで、たまらなく熱いにも関わらず表面はぞくぞくと総毛立ってしまう。



カイト……



やっと息をつく合間で呼んだ。



「カイト……!」



ドーム状になった光の中で共に息を切らせながら互いの名を繰り返した。もう想いは一つだった。こちらから外の様子が見えないように、恐らく外からもこちらは見えていない。それが救いのように思える反面、もはや誰が見ていようがすることは同じだったかも知れないという程に抑えられない切なさが二人の間で膨れ上がっていた。



やがて、光は薄れた。彼しか見えなかった視界に映り込み始める現実の背景。



セレス!


マラカイト!



離れた位置から呼ぶ声がした。いくらか落ち着いた二人の妖精は同時に振り返る。その先にいる、妖術から解放された彼が叫ぶ。



「いい雰囲気のところ悪りぃが、アンタらは一度すっこんでろ!立て直して、それから出て来い!」



…奴らも、そろそろ気付いた頃だ。



最後に低く呟いた、レグルスの視線は遠い闇の群れを睨んでいる。そうだった、と今更我に返るセレスの元へ…


「セレスタイト様、こちらへ…!」


駆け付けた数人の兵士に囲まれ、促された。ちら、と振り返ると、うん、と強い頷きを返してくるレグルス。


同じように返したセレスはおずおずとためらうマラカイトの手を強く握って引いた。王宮の方へ身を翻すその途中、遠い向こう側から、低い声が。




ーーマラカイトが寝返りました。…いかがなさいましょう?ーー




こちらにだってかすかに聞こえたそれを卓越した聴力を持つ彼が聞き逃すはずもなく。



「時間がない。来るぞ…!」



警告を示す若き親衛隊長の声の後、再び動き出した。手を繋ぎ王宮へと駆け出す二人の背後で低い地響きと爆音が鳴り響いた。



✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎



天井も床も今に抜けてしまうのではないかという程に揺れていた。王宮内に逃れたセレスは外のけたたましい音を気にしつつもマラカイトの手を引き、奥へ、出来るだけ奥へと進んだ。


万が一踏み込まれたときの時間稼ぎの為に階段を駆け上がって自室の傍まで辿り着いたとき、ぐい、と後ろへ引かれてやっと足を止めた。振り返った。


「カイト…?」


すがるような目をした彼が立ち尽くしている。震える唇から放つ声が問いかける。


「セレスタイト様…これは一体…何故…?」


カイト…彼の名を呼んで向き合った。そうなるのも無理はない。本来を取り戻したばかりの彼にとって、今頼りなのは自分しかいないのだと思い知らされた。そのときだった。


困惑に鈍い色をしていた彼の双眼が、何かに気付いたみたいに突如、激しく小刻みに揺れ出した。それから鋭く形を変えていく。ピリピリと伝わってくる波動の意味を知るなりセレスの息は詰まった。



「…あの男が、あなたをここへ、閉じ込めたのですね?あの…魔族が…ッ…!!」



もはや自分でも抑えが効かないのであろう、その正体は憎悪。近くに付いていた兵士たちがその様子に身構える。セレスは彼らへ待って、と制止する。“あの男”なる者が誰を示すのかもちろんわかっていて。



「カイト、聞いて」



胸元の鎖を握り、魔族の兵士たちを睨み付ける彼を引き戻すべく向かい合う。ようやくこちらへ戻ってきた、まだ怯えたような目を見てセレスは言う。



「魔族との争いはもう終わったのよ。ここは2000年前の世界ではないの」


「2000年…前…?」



再び困惑が現れた彼に向かって頷いた。そして問う。



「…昭島優輝として生まれ変わったことは…覚えてる?」



アキシマ…



しばらくぶりのその名を口にするなり、マラカイトはセレスの手を握ったまま膝から崩れた。セレスも同じようにしゃがみ込み、頭を抱えて悶える彼を支えた。



「そうだ…俺は…昭島優輝だった…」



そして…


あなたは……っ



顔を上げた、彼の目が見開かれていく。そこに理解が宿っていく。濡れていくセレスの目を見てなのか、更にはっきりと。




伊津美…っ!




やっと聞けた、彼の声で、はっきりと。



「優輝…!」



呼び返すその声が震えた。目まぐるしい体験を経た今となっては懐かしい響きと声色に沸き上がる感情が抑えられない。確かに戻ってきた、愛しい人の変わらず硬い髪を気が付くと撫でていた。ぐすっ、とすすり、笑みをこぼしながら、言った。



「そうよ、私たちは生まれ変わって新しい世界で新しい人生を生きているの。今はこんな姿だけど、実際は普通の高校生。もう、私を女帝などと思わなくていいのよ」



優しい手つきに撫でられている、マラカイトがそっと目を閉じた。目尻に光る潤いを残したまま、身を委ねるみたいにこうべを垂れた。やっと逢えた…微笑むセレスにまた実感が増してくる。



もう、絶対に離れない。目を背けたりしない。この人は、2000年もの間、私の魂に寄り添い続けてくれたのだから、と。





爆音、破裂音、時折揺れを感じる中、二人で廊下の隅に腰を下ろしていた。水分が抜け切るくらい泣いた気がする。ここに来てからずっと。思いを馳せつつ、セレスはやがて口を開いた。



「あなたのいない日々はただひたすら苦痛でしかなかった。だけど、仲間ができたの」


横から視線を感じると、そちらを向いて微笑んだ。


「レグルスもその一人よ。みんなのおかげで私はあなたを取り戻すという目的を果たすことができた」


「そう…か」



かすれ気味の弱々しい返事だった。それから少し遅れて、まだ同じ声質を保った彼が、恐る恐るといった口ぶりで。



「レグルス、という男は…」


「…大切な人」



「そう…」



うつむいたままのマラカイトはこちらの返答の後、更にしぼんでいくみたいに小さくなる。それから陰った表情で言う。薄い笑みまで浮かべて。



「…しょうがないな。あっさり洗脳された俺から、おま…あなたを守ったのは、その男、だもんな」


そうね。セレスは小さく答えた。だけど、とすぐに続けた。



「仲間なのよ、彼とは。命をかけてでも守りたい人がそれぞれにいて、目的を果たす為に力を合わせたの。答えを見つけたの。…変わらなかったの」



あなただったのよ、カイト。



ちら、と横目でこちらを見た、彼がまた視線を落とす。セレスは優しく眺めていた。そして呟いた。



心の中で、ごめんね、と。




「セレスタイト、様…?」



おもむろに立ち上がると定まらない口調の彼が見上げる。胸の奥を握られるような感覚を覚えてつつも、セレスはそちらに背を向ける。慌てた彼の声が後を追うように。



「何処に行くのですか!?まさか…っ」



ついには腕を掴まれた。それでも動かなかった。後ろの彼が声を荒立てた。



「あなたの目的はもう果たされたはずだ!今は女帝じゃない、普通の高校生だとさっき言ったじゃないか!何故、そこまで…!?」


「カイト…」



やっと振り返ったセレスは自分を掴む震える腕から祈るような彼の眼差しへと視線を移していく。マラカイトと昭島優輝。まだ間で彷徨っているような彼の想いなら痛いくらいに伝わっている。それが自分のものと極めて近いこともまた。



だけど…




セレスはやがて真っ直ぐに視線を定めた。息を止める彼の表情に強く、優しく笑って見せた。そして言った。



「セレスタイトも桜庭伊津美も、どっちも私なの。今、私の中で、一つになっているのよ」



目を見開き、口を空回らせるマラカイト。言葉が出てこないのであろう彼に、セレスは続けて言う。



「確かに今の私にはもうかつての女帝としての使命なんてないわ。だけど救いたい未来がある。それは紛れもなくあなたと生きる未来なのよ」



少し力を緩めた彼の手から逃れるのは容易だった。セレスタイト様…っ!張り上げる声が付いてきた。その響きが胸の奥で切ない痛みを起こした。



セレスはもう一度だけ、振り返った。固まっていく覚悟の中で確かになった彼への一つの願い。




セレスと呼んで…カイト。



「……っ」




背を向けた。走り去った。彼の声はもう、付いては来なかった。







「ーー強いお方なのですよ」




取り残され、呆然と立ち尽くすマラカイトは振り返った。低く柔らかい声に気が付いて。


鋭利な耳を持つ白髪の老紳士が一礼をした。侍従長のウェズンと申します。品の良い口調でそう名乗る。魔族であることがありありとわかる容姿でありながら、野性味のない洗練された立ち振る舞いの彼へマラカイトは引き込まれていくかのようにすっかり大人しく、心地の良い声色に耳を傾ける。



「彼女は伝説であり、そして今世、また新たな伝説を創り上げるお方なのです」



…貴方様も、ね。




「俺…も…?」



揺れる二つの黄色に実感が宿るまである程度の時間がかかった。その間も変わらない、全て見透かすような老紳士の静かな微笑みが続いていた。




挿絵(By みてみん)


 こちらは2017.5.12『お花見企画』(企画者:花守くう様)に参加させて頂いた際に描いたイラストです。


 桜の季節、約2000年の時を超えた二人の巡り逢いをイメージしてみました。



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