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ASTRAL LEGEND  作者: 七瀬渚
第3章/魂たちの傷痕
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15.涙〜Tear〜



奥まった場所に納められていたその箱は彼女が弟を失ったとされる日付で閉ざされていた。たった今、知った。開いた中から現れたのは二冊の分厚いファイルだった。


一冊はシステムエンジニアとしての彼女が開発したセキュリティシステム【ガーディアン・エンジェル】の仕組みに関する資料。もう一冊も“仕組み”について記されているという点では同じだった。


ただ、違っていたのは…



「…なるほどな」


拾い上げた一冊にしばし目を走らせていたレグルスがやがて呟いた。信じられない、だけど現実としてここにある。ここに記されている。


「こっちのファイルは目的が違うということだな。まさか、セキュリティを破壊する為のブレスレットが存在したとは…」



両手に重くのしかかる冊子。頭にも同じくらいの重みを感じ始める。もはや解放されたい思いで、あるじを失った机の上へ閉じたファイルを放り投げた。ドン、と響く重量感と同時に舞い上がった書類の数々。赤と黒に点滅する空間の中、ひらりひらりと堕ちる様が、虚しくて。


床で膝を着いているセレスと傍に浮いているクー・シーを一瞥することすらないまま、レグルスはついに頭を抱えた。軋む胸と重い頭を鎮静するべくふぅーっと気休めばかりの長い息を吐いた。…本当に気休めでしかなかった。



「メイサがこれを使って、スピカとミラを…?」



ぽつりとこぼしたそこへ、いいえ違うわ、遮る言葉が届いた。下から。レグルスはようやく指の隙間から見下ろす。



「それを持っていたのは別の人よ。あなたもよく知る…ね」



そこまで言ったセレスが顔を上げた。暗くてもわかるくらい溢れる水の膜が張った目。なのに鋭く射るような光さえ持った彼女のそれは佇むレグルスへ真っ正面から絡み付いてくる。捕らえられ身動きが取れない差中、彼女のたった今の言葉がいくつかの記憶を引き連れてくる。


交差し、ぶつかり、やがて繋がっていく。メイサが外部の者…おそらくは組織と深い関わりを持つ誰かと接触したタイミング…




……っ!




肝心な部分が繋がったのを感じた。素早く息を飲んだ後に口を割った声。



「まさか…!」



見開かれた赤の双眼。ドクドクと早まる鼓動と滲む汗。


脳裏に浮かんだ、アメジストの哀愁。



「…シャウラは、知らなかったかも知れないわ」


救いにもならないような彼女の言葉が届いた。だけどその読みはあながち外れてはいないような気がした。レグルスは思い返した。遠く、遠くまで。



自分の知るシャウラという男は幼い頃から気が弱く、欲もプライドもこちら程は持ち合わせていない。少なくともこの世界では。


そんな彼を道ならぬ方向に導いてしまったのは父親であるルシフェルの働きかけ…いや、実は違う。もういい加減気付いている。彼が動くのはいつだってただ一人の存在が絡んだときだ。あのときも、このときも、そしてきっと、今夜もだ。


自らここへ足を運んできたというのか?それならばこう考えるのが妥当ではないか。唯一無二の存在“彼女”に関する何か切迫した事態が発生した…と。



だけど、そうなると…


「あのブレスレットは…?」


シャウラは一年も前に受け取っていることになる。単なる装飾品として貰ったなどということはなかろう。レグルスは再び机の上のファイルを開いた。ひたすらに目を走らせた。



そんな以前から今日という日の為にこの計画を進めていた?一年前…それはメイサが王室の専属看護師に就任した年。嘘だ、嘘だろ。



…レグルス。



呼ばれる声でやっと我に返った。身体を起こしたセレスがすっと静かに近い目線まで近付いた。


「確かにこの説を肯定すると、メイサが組織のスパイということになってしまう。私だって信じたくないわ。だけど、今最も真実に近いと考えられることなの」



だって…



彼女の声が細く消えかかった。弱々しい表情とは反して力強く握られた両の拳。それは確かに予兆だったと知った。すぐに、だった。



「実際にメイサはミラの失踪事件を計画した張本人。無事に解決したように見えたあの事件は今もなお続いていた。みんなに知られないようにシャウラは定期的にここへ来ていたのよ…ミラに、会う為に…!」



……!



強過ぎる衝撃にレグルスの喉元はあっけなく潰された。そのときだった。



「ちょっと待ってよッ!!」



甲高く響き渡った。泣き叫ぶような怒鳴るような、そんな口調が幼い声色で。



「メイサがスパイだって!?そんな訳ないじゃん!確かに意地悪することもあるけど、メイサはいい人だよ?本当は優しいって、僕知ってるよ?二人だってそうでしょ?」


「クー・シー…」



身を乗り出して力説する彼を前に、ただ気まずそうにうつむくセレス。レグルスも思わず目をそらしてしまう。視界の端に映っている、落ち着きなく彷徨うクー・シーが不自然な程に明るい笑い混じりの声で続ける。


「だって僕たち仲間じゃん!この間、一緒にスピカ様を守ろうって言ってたじゃん。簡単に裏切ったりなんてするはずがないよ!」



クー・シー…レグルスが口を開くより先にセレスの方が彼の名を呼んだ。ぐっ、と目をつぶった彼女が重い口調で切り出した。


「確かにメイサがスパイだと決まった訳じゃないわ。何か事情があるのかも知れない…だけど…彼女が何らかの形で今回の件に関わったのはもう否定できないの。辛いとは思うけど…」




わからないよッッ!!




もはや耐えられないとばかりに突き上がったクー・シーの叫び声。怒りやら悲しみやらがぐちゃぐちゃに入り混じったような顔をしている。固く握られた拳がその苦悩を示しているようで。


「そんなの信じられないよ…」



それに…



次の言葉にためらう彼の目はやがて鈍い光を放った。絶望の色だった。



「セレスは…何で、そんなこと知ってるの…!?」



「………」



うろたえる様子もなく黙り込むセレス。もちろん思っていた。クー・シーと同じように、何故って。レグルスも彼女を見た。



セレス…



セレス…どういう、ことだよ…?




声に出すことも叶わない思いを虚しく繰り返しながら。




「…メイサとミラに聞いたのよ。私はミラがシャウラと会っているのを見てしまった。事情を聞いて、これがいけないことなのも、スピカ様を危険に晒すことなのも、よくわかっていた。その上で私は、彼女たちと一緒に秘密を守る約束を、したのよ」


力なくうなだれる彼女が目を閉じた。まるで自ら地獄の業火にでも焼かれようとしているみたいに、罰を受けようとしているみたいに、すっかり覚悟の決まったような様子で続きを言った。



「私も…共犯だわ」



ぽつりと最後にこぼれた。あまりにも哀しい雫。


返る声などなかった。凍てつく静寂の中、風に吹き付けられる窓だけがカタカタと乾いた様子で鳴いていた。どれくらいそうしていたかわからないくらい続いた、茫然自失とした、時間。



セレス…



口を開きかけたレグルスはその名を飲み込んだ。奥深くへ。違う、と思った。やり場のないこの思いは彼女に向けるものではなく、と…




ーー俺が…




言い直した。そうだ、もう、それしかない。




「俺が逃げるような真似をしたからだ。今も、昔も…」



呆然とした顔で注目してくる二人。無理もない。煮えたぎる怒りさえ覆い隠してしまう程のあの悲劇の記憶が、きっと意味もわからないであろうこんな言葉を俺に言わせているのだから、とレグルスは一人思って陰を落とした。覚悟を決めなければ。セレスがしたように、自分も、と決意の元で続きを告げる。



「俺は、ミラから逃げてしまった。俺の弱さのせいで命を落とした彼女を直視することができなかった」


「レグルス…それって…?」



見開かれるセレスの青の瞳。すでに何か察し始めている、それを示すように表情を変え始めている彼女へ向かって、こく、と頷く。



「俺はミラを知っているんだ。シャウラのことも…前世から」



押し寄せる記憶の波に飲まれていた。その中でも際立った。彼女と再会した、あの日が。








お兄ちゃん!



待って、お兄ちゃぁん!!





去っていく後ろ姿を泣き叫びながら追いかける少女。託されたレグルスは為す術もなく、ただ後ろから見守るくらいしかできなかった。追っても追ってもどんどん開いていく距離に焦ったのか、少女はついにもつれるようにして冷たい廊下の床に倒れ込んだ。


わぁっ!と激しく上がった泣き声に一瞬、遠いシャウラの動きが止まったが、再び動き出した彼の足取りは更に早いものとなっていった。振り返りもせず先へ進んで、進んで、やがて見えなくなった。


「お兄ちゃん…!お兄ちゃん…っ!」


倒れ伏したまますすり泣く少女の元に、遅れて我に返ったレグルスは駆け付けた。怪我をしていないか、今更のように案じて小さな身体を抱き起こした。泣き声が止まっているのに気付いた。異変に気付いたのもそのすぐ後だった。



「やっと…見付けたのに…」



あなたを…ずっと…



探して……!




腕の中で小刻みを震え出した身体。陰を落とす顔。収縮した瞳孔が壊れんばかりに激しく揺れ始めた。そして。



「きゃあああああぁぁぁぁッッ!!」



突如空気を切り裂いた凄まじい叫びから程なくして、少女は意識を失った。




その日の夜、レグルスは少女が運ばれた王宮内の救護室を訪れた。すでに目を覚まし、暗闇ばかりの窓の方向を見つめていたミラという名の少女。ほどかれた薄桃色の髪は思いのほかはっきりとしたウェーブがかかっていて、あの瞬間芽生えた予感と重なるように感じた。


少女はやがてゆっくりと振り向いた。息が止まる程、静かで深い眼差しからは、つい数時間前までの少女らしさなど感じられず、レグルスはいよいよ確信に近付いた。



「…先程は、申し訳ございませんでした」


すでに見た目とはアンバランスな口調をものにしている彼女に、レグルスは恐れながらも向かい合う。



「あなたはもしかして…ラナさん?」



呼ばれた名にすでに新しい名を持つ彼女が目を見開いた。それから尋ねた。


「あなたは……?」


その問いに一瞬、喉を詰まらせたレグルス。だけど、遅れながらも意を決して名乗った。彼女と同じように、ここで名を与えられる前…



「ーーライアンです。ニコルの幼馴染だった…」



「…っ、あなたが…!」



すぐに次を言うことができない程、驚いた様子のミラ。対面しても気付かなかったのは無理もない話だと思った。彼女はおそらく、彼の話の中でしか自分を知らないのだから、と。



「そう、そうだったの…あなたが、ニコルの守ろうとした…」


独り言を呟く彼女を見ているのが辛かった。今もなお変わらず心優しい彼女は決して責めたりはしないかも知れないと頭でわかっていても、身体じゅうが嫌でも萎縮してしまうのだ。


「いつかあなたと再会したら、合わせる顔がないと思っていました。まさか、こんな形で…」


思い詰めてしまう。言葉の通り視線を合わせるもままならないレグルスに彼女が首を横に振って言った。


「あなたは悪くありません。あのときは皆生きるのに必死で、数少ない大切なもの以外に目を向けている余裕はなかった。…誰も、責められないのです」


レグルスは顔を上げた。幼い容姿ながらも凛とした瞳を保っている彼女を前に、ああ、と心で嘆いた。思っていた。



何て、強く清らかな女性なのだろう。この女性ひとを目の前で失ったアンタはどれ程辛かったことだろう。


ニコル。それでアンタは、記憶を。



「アイツはきっと戻ってくる。俺も、それを信じて奴らと戦う」


だから…




声は消えていってしまった。それ以上の何か続きを口にすることはできなかった。暗く暗く、沈んでいくレグルスへミラの柔らかい声色が届いた。


「ええ、ありがとうございます。レグルス様」


再び目を止め、映ってきた優しい笑顔。だけど確かに見えた。薄れた光、絶望に浸食された、淀んでいく海のような、目。


レグルスは口をつぐんだままだった。ありきたりな慰めしか言えない自分を、今世においても無力な自分を、心底呪って唇を噛んだ。







ーーミラは…



時が流れて現在。あのときと同じようにしているレグルスは二人に言う。


「急激な変化の中で、ミラは自分の運命と戦おうとしていた。自ら危険を冒してシャウラと再会する道を選んだのも、俺が何一つ変えてやれなかったからだ」


ぎゅっ、と固く瞼を閉じる。


「ミラに罪を犯させたのは…俺だ」



まるで酸素が薄まってしまったかのよう。どんより重い空気が占めていた。




…何だよ、それ。




低い響きにレグルスは顔を上げた。セレスも同じタイミングだった。二人の目の前にはわなわなと身を震わせるクー・シーの姿が。



「ミラちゃんが、前世を覚えてる…?レグルスさんのことも…?」



目を見開いて見上げていた。彼がせきを切ったように叫んだ。



「そんな訳ないじゃん!ミラちゃんは僕より年下なんだよ!?そんな…ミラちゃんが、そんなこと…する訳ないじゃないかぁ!!」



「クー・シー…!!」



風を切って飛び出した、部屋の外へと向かう彼に手を伸ばすセレスの声が虚しく残った。呆気にとられたレグルスもがらんと開いたドアを眺めたまま。




ごめん、ね…




細い声がした。詰まりがちな声が残された彼女の方から。



「クー・シー…あなたの笑顔が好きだって、言ったのに…私…」



長い青の髪に覆われた顔は所々光っている。言いたいことはわかった。案じていることも、手に取るように。



セレス。



レグルスは呼んだ。きっと心の中はすでに自らを罰する業火で覆い尽くされている。そんな彼女が灰になってしまう前に。


待っていろ、そう瞳に込めて頷いた。遅れて返ってきた弱々しい頷きを合図に部屋を飛び出した。


一つの姿を求めて走り続けた、その差中。



どいつもこいつも、独りで抱えやがって。仲間だって言うだけじゃ足りないのか?力を得ただけじゃ、生まれ変わっただけじゃ…



「くそ…!!」



無我夢中だった。熱く増してくる目の奥の痛みが鬱陶うっとうしかった。



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