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ASTRAL LEGEND  作者: 七瀬渚
第2章/秘密と罪
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13.美談〜Heartwarming story〜



ーーだだっ広い部屋にただ一人。どれくらい時間が経ったのかはわからない。考えてもいない。


うっすらと開かれたままの目は乾いていくかのように思えた。もう涙すら出る気配はない。

私は果たして瞬きをしているのだろうか。それすら記憶にない。


頭を占めるのはひたすら遠く、だけど昨日のことみたいに間近に存在している記憶ばかり。




太古の妖精女帝・セレスタイト。


それから2000年近い歳月の後にフィジカルへと生まれた桜庭伊津美。



今、二つの人格が同じ場所に存在している。簡単に受け入れられるはずもない。



今の私はきっとセレスタイトなのだろう。だけどあの一瞬、確かに桜庭伊津美はいた。クー・シーがすすり泣いたあの瞬間に。



前世の記憶を取り戻すのがこれ程までに苦痛なことだったなんて。わずか5歳の段階でこれに耐えたミラはすごい、そう思わずにはいられない。



ふっ、と息がこぼれた。きっと今、笑っている。力のない乾ききった笑みが浮かんでいるのだろう、と自らを察した。




脳裏に焼き付いたおぞましい魔族の姿。その面影と波長を残したレグルス。


めまぐるしく記憶の渦に巻き込まれる中で実感した。ああ、それで、と思った。彼に対する言い知れぬ嫌悪感の正体がわかってしまった。



今もなお消えないそれと共にもう一つの嫌な感情が責めてくる。彼はおそらく悪者ではないだろう。わかっているはずだった、とっくに。


もう少しだった気がする。あともう少しでこの感情も越えられたかも知れない、と。




だけど【セレスタイト】を取り戻した今、立ちはだかる壁は更に高さを増してしまった。向こう側の彼の姿が見えない程に。


どう向き合えばいいのか、ますますわからなくなってしまった。



私は…



声には出さずに呟いた。




桜庭伊津美に戻った方がいいのかな。




ずっと心に引っかかっていたあの言葉が脳内でエコーをかける。



ーーどっかの段階で自分を騙してるってこと、ない?ーー



ミラと初めて会った後、メイサが口にした言葉。それが内側で反響して激しく揺さぶってくる。今ならその意味がわかると思えた。



ああ、そうか。そうだったんだ。



きっと【セレスタイト】は私の中に居たんだ。生まれたときからずっと。



だけど私は魂に刻み込まれた記憶から、彼女のように生きることを拒否してしまった。きっと怖かったに違いない。


感情移入などしない。


誰かの為に生まれて戦って、それでも報われることはなかったのだから。


自分の願いなどなに一つ叶えられないどころか夢を見ることさえ許されない。そして、一番大切なものさえ失った。そんなのは二度と御免だった。


いっそ全てのものから少し離れた場所で見ている傍観者の方がいいと思った。それでも湧き出してくる好奇心の為に勉強にのめり込み、宇宙を時には人を分析することで心を満たした。


だけど口にはしない。余計なことももちろん…そんな桜庭伊津美でいるのは楽だった。


優輝に出逢ったことで変わり始めてはいたけれど本当はそれすら何処か怖くて、心に決めた自分の生き方を必死に守ろうとしていた。



そして優輝は、姿を消した。そこからセレスタイトは目覚め始めていたのではないか。そう考えれば合点のいくことばかりだ。


彼女はきっと伊津美を責めただろう。せっかく再び出逢えたのに何故繋ぎ止めておかなかった?何故もっと素直にならなかったのだ、と。


そんな彼女の想いはやがて桜庭伊津美を乗っ取ってしまった。


思えば彼が失踪してから、私の行動は感情が軸となった衝動的なものばかりだったと気付く。表面上は平静を装っていても身体が自然と動いていた。


アストラルに来なくても前世を思い出さなくても、きっと彼女の想いは蘇ったのだろう、そんな気がする。





自身の肩を抱く両腕は折れそうに細い。昨日のものよりもはるかに。


うつむくとはらはらと前へ流れ落ちる青い髪。唇を強く結んだ。



ーー私は…ーー



内側で声がした。そこへ耳を傾けた。




ーー私は、消えたくない。


一番失いたくなかった人に…彼に、想いを伝えられないまま消えるなんて二度と嫌よ。


伊津美、あなたもそうでしょう?


だってあなたは、私なんだからーー



この声はセレスタイトだと確信した。肩を抱く手に力がこもって食い込む痛みすら走った。



今、この青い瞳に映るのは、風になびく草原のような緑の髪。すらりと高く逞しい逆三角形の後ろ姿。




「カイト…」




懐かしいその響きで呼ぶと瞳に多すぎる程の潤いが戻った。



✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎



ーー夜が来た。



いつの間にか降り始めていた雨は激しさを増して窓に打ち付け主張する。やはり今も、一人。



昼を過ぎても部屋から出てこないのを心配したのか、夕方になってミラが遠慮がちな仕草で食事を運んできた。


人形サイズの身体に合わせて全てが小皿に少しずつ盛られていた。


ありがとう、小さかったけれどそれだけは返した。笑えてはいなかったと思う。


何か言いたげな表情を残しつつミラは部屋を後にした。何かあればすぐに外へ出られるようにと気遣ったのか、ドアを半開きにしたまま。



すでに宙を飛ぶ術を思い出していた。羽が付いているのだから飛べるはず、いや、飛んでいた覚えが確かにあると記憶を呼び起こし試みてみたのだ。


こういうところはやっぱり桜庭伊津美ね、と一人苦笑した。



問題なのはサイズだ。こればかりはどうも納得がいかない。


私はマラカイトより少し小さいくらいの背丈だったはずよ。


床に散らばった本の山の上で頭を悩ませる。



時刻は20時過ぎ。


暇に耐えかねて飛び立った。本棚の上段まで浮かんでまだ手を付けていない本を引っ張り出した。その結果がこれだ。


直せないものは仕方がないと諦めて、その場で未読の本を手当たり次第読み漁った。



やがて目に止まった一冊。


タイトルは【Metempsychosis】すなわち“輪廻転生”。荘厳で年期を感じさせる分厚い本だった。


束に戻ろうとするそれに膝を乗せ、小さな手で両端を押さえ付けた。そこには覚えのある事実が第三者の目線から記されていた。



ーー魔族の反乱によって命の森に住まう多くの妖精が滅ぼされた。


女帝・セレスタイトはたった一人で命の泉を守るべく森に残った。


助かった妖精たちは皆、妖力の未熟な子どもや少年、少女ばかり。


彼らは女帝と共に戦うことを望んだが、勇者・マラカイトはそれを制止した。


彼は皆を森の外へ逃がすと一人で森の中へ向かい、二度と彼らの前に現れることはなかった。ーー



そんな…



息が詰まった。今更のように。

自分が知らなかったことと、自分しか知らないことが混ざり合う。


まだ若い妖精の仲間たちが自分を助けようとしていたことを初めて知った。そして、森へ戻ったマラカイトのその後は自分しか知らない。


女帝の為に命を投げ出した勇者の彼よりも、破滅を招いた女帝の方が美談と化している皮肉に奥歯が軋む。



何故…



どうしようもない問いかけを何処かへ投げる。



ただ女帝として生まれたというだけで何故、と。




守ろうとしてくれた仲間の想いも知らず、責任を丸投げされたと勝手に孤独を感じて、挙句に一つの時代を終わらせてしまったと言うのに。


何一つ守れなかった。報われなかった。だけどそれは他でもない私の弱さが引き起こしたことなのだ。


深い孤独感に飲み込まれる。それは無邪気な子どもたちや初々しい男女を眺めていたあの頃のものとは、違う。


あれは“見えなかった”故の孤独。生まれ持った使命と存在意義、それがこの視界にもやをかけてしまった。


傍にいるのにわからなかった。自分で自分を独りにしてしまった。だけどそれはちょっとしたきっかけで“見える”ようになるものだ。



2000年も経ってしまった今なのが悔やまれるが。




長い歳月の中で全ては変わった。


あの頃、同じ世界で同じ景色を見ていた者はもういないのだ。たった一人を除いては。


その一人にさえ、今は手が届かない。




はは…




こぼれる乾いた笑い声。


広げた本の上にその身体を倒した。古ぼけた紙の匂いが雨上がりの森のそれと似ている。


閉じた瞼を腕で覆い隠した。限界を感じたとき、よくこうしていたことを思い出した。


目をそむけたい、だけど逃げる訳にはいかない。


だから目を閉じる。力を抜いて身を横たえる。生まれる前の自然に戻るみたいに。


それが唯一の休息だった。孤独と戦い続ける運命を背負った自分なりの。


そうしているうちによく眠ってしまった。気が付く頃には布がかけられていた。


傍には彼が西日に向かって座っていた。夕暮れどきだというのに日陰を作ってくれていた、ちょっと心配性な人。


ありがとう、そう言うと彼は気まずそうに目をそらした。気にしないで下さい、いつもそう答えていた。


決して真っ正面から見てはくれないその顔が赤みがかって見えたが夕焼けのせいだろうと思っていた。


何故気付かなかったのだろうと悔やまずにはいられなかった。あんなことになる前に、何故もっと早く、と。




私は、本当に独りなのね。




ぼんやりと薄れていく意識。瞼の裏に居る彼の後ろ姿に手を伸ばしていた。



ーー伊津美ーー



はっと息を飲む。瞼の裏の彼が姿を消す。


目を見開いた。戻ってきた【桜庭伊津美】が耳をすませた。



ーー伊津美、迎えに来たよーー



身体を起こして辺りを見渡す。


夢なんかじゃない、これは現実…そう悟るなり懐かしい彼の記憶が脳を突き破りそうな勢いで駆け巡る。




「優…輝…っ!」




伊津美は部屋を飛び出した。取り戻したばかりの羽で宙を駆けていく。衰えない勢いのまま、吸い寄せられるように裏庭へ向かう。


フィジカルでの最後の夜と全く同じパターン、もちろん気付いていた。


それでも引き返そうとはしなかった。待っているものならわかっている。激しい雨が小さな身体を容赦なく打ったが冷たさも痛みも感じることはなかった。


ただ一分、一秒でも早くこの声の元へ辿り着きたい、その一心だった。


ミラの働く温室の横をすり抜けた。その先には不気味な闇をたたえた森が続いている。深く。


森とこちら側との間には何か白みがかった壁のようなものが見えた。メイサの言っていた“バリア”だとわかった。


迷いもなく通過した。普段なら二の足を踏んでしまうであろうその先へ。


セレスタイトがいるせいなのか、あんなに不気味に思えていた深い森は決して恐ろしくは感じられなかった。何より彼の気配が紛れもなくその中にあったからだった。


降りしきる雨でけぶった景色の中で徐々に形になっていく、輪郭。


灯りに照らされたマラカイトの姿が目に飛び込んできた。




……!?



ランタンを持った彼は明らかに驚愕していた。無理もない。


呼んだはずの相手とは異なる姿。小さな妖精を前に困惑が露わになる。




何だ、お前。




冷たい声色で、彼は言う。



「チビに用はないぞ」



余裕を見せつけ見下すような笑みはわずかに引きつっている。動揺を隠しているのがわかる。




優輝…




伊津美は呼んだ。消えた笑顔、目を見張っている彼に向かって。



「いえ、マラカイト」



その声は雨音にかき消されていく。それでも彼は息を飲んでいた。波長が絡み合うのを全身で感じた。





ーー雨音が、消えていく。



割れた雲の隙間からチラチラと輝きが現れ始める。


目の前のマラカイトが驚きに見開いた目で空を仰いだ。



「お前…まさか…」



そう口にした直後、彼ははっと何かに気が付いたような顔をした。なるほどな、という呟きがした。


「前世の姿ってやつか。天気まで操れるとは恐れ入ったぜ」


ニヤリ、と歪む口角。差し伸べられる手へ視線を落とした。


「ますますこんなところに置いておくのはもったいない…」



来いよ。



彼の声が呼ぶ。欲望を感じさせるかすれた調子で容赦もなく。


自然と身体が震えた。寒さではない、こみ上げる激しい悲しみの為に。


不器用で、だけど誰よりも優しかったあの頃の彼を思い出してしまった今、それを抑えることなど叶わない。




マラカイト…!!




力の限り、叫んだ。抑えられない悲しみを声色に乗せて。


呆然とマラカイトが固まった。



「私…セレスタイトよ。思い出して、お願い…」



「セレス…タイト…」



名が繰り返された。口にした彼の顔からみるみる余裕が消えていく。



はぁっ…!



水中から顔を出したみたいに彼が息を荒げた。落ち着かない呼吸を続けながらこちらを睨んだ。



「俺を洗脳するのか…っ!」



首に下がった鎖を引き抜き、構えの姿勢をとるマラカイト。完全に怯えた顔。敵意の鋭い眼差し…


悲しみは更に拡大していく。ついに青の目から大粒の塊がこぼれ落ちた。



……!!



声を詰まらせる彼を見て、わかったような気がした。



そうだ。カイトも今、苦しんでいるんだ。


自分が誰なのかもきっとわからない、辛いのね?



それなら…




両手を広げた。するとみるみる間に視線が彼に近付いていった。


等身大に成長した妖精の姿を目の当たりにしたマラカイトはいよいよ完全に言葉を失くした。




「カイト、戻ってきて。いつも私を守ってくれた…あなたが大好きよ」



「お前…何、言って…」




震える黄色の瞳がすぐ近くにあった。波が引いていくみたいにすっと静かに息が通った。



懐かしい。そして会いたかった。



こんな状況にも関わらず笑みがこぼれた。






ーーやり直したいよ、カイト。



あのときあなたが言おうとしていた言葉を、ちゃんと、聞かせてよ。



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