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ASTRAL LEGEND  作者: 七瀬渚
第2章/秘密と罪
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6.苦戦〜Struggle〜



 覚悟のもと重苦しい肉体を纏いフィジカルに向かってほんの数日。まさかこんなに早く引き返すことになろうとは。


 アストラル界へ移行し肉体から解放されたところでレグルスはようやくとばかりに深く吐息を落とした。肩で整える呼吸。それは徐々に力ないものへと変わっていく。


 ちくしょう、と胸の内で吐き出した。



 王室から連絡が入ったのは昨夜。


 次元を超えて通じる電話などない。そこは蝙蝠コウモリ魔族の得意とする同族間のテレパシーの出番だった。



 桜庭伊津美が本来身を置く場所、日本の“トウキョー”という地域にレグルスはいた。


 理由は他の行方不明者は各国に一人ずつだが、この地域ではすでに二人。それもかなり近しい間柄の人物が狙われた興味深い事例だったからだ。


 もしかするとルナティック・ヘブンの求める人材がこの“トウキョー”に集中しているのかも知れない。はたまた桜庭伊津美の関係者がそれに該当する可能性も……そう考えての行動だった。


 幸いなことにこの“トウキョー”は人の多い場所に近付く程に干渉されにくくなる。抑えの効かない魔力の波長もいくらか誤魔化せたのではないか。


 それでもレグルスの容姿は相当目立つものだったらしく何度か小型の機械でフラッシュをたかれた。


 この世界では大人から子どもまでが当たり前のように写真機を持っているのか。しかもこんな小型の、とレグルスは目を見張った。


 揃いの服を着た桜庭伊津美と同じくらいの歳と見られる少女二人に好奇の視線を向けられ、同時に何ヶ所かの指摘を受けた。銀色の髪、赤い瞳、尖った耳、露出した腹だ。言われてみれば確かに珍しかろうと思い出した。


 すごいね、これ! と二人は口を揃えて言う。


 話を聞いたところ髪色を変えるには染料を使って染めなければならないようではないか。目も“カラコン”などという物体を入れて色を変えるという。


 そんな手間をかけてはいられない。後者に至ってはただでは済まなそうだ。白目まで赤に染まってしまうかも知れない。しかし他の二ヶ所なら何とかなると思った。


 レグルスは宿泊費として侍従長が手配してくれていたこの国の通貨を使ってまず腹の覆える服を購入。寒そうだからと動物の毛皮でできた襟巻きまで勧められた。


 それから次に何やら騒がしい電波の行き交う機械屋で耳を隠せそうな形状のものを見付けた。


 これはもしや一部の富裕層のみ入手できるという【エレクトロフォン】ではないのか、と額に汗が滲んだが店員の説明によると何のことはない、学生でも購入できるものだと言う。時代は変わったと実感せざるを得ない。


 何やら別の機械を勧める店員を何とか振り切ってそれだけの分を支払った。この際耳が隠せるなら何でも良かったし、とにかくこの凄まじく耳触りな電波の嵐から一刻も早く逃れたかった。


 一通りの準備を終えたところで桜庭伊津美の身辺の調査に当たることにした。


 彼女の通う学校の中からメイサとよく似た少女が出てきたのは驚きだった。訝しげに向けられる視線は彼女がレグルスのことを知らない、つまり別人であることを示していた。


 その後に続く学生たちのヒソヒソとした声。



 誰のカレシ?


 ヴィジュアル系?


 バンドマンじゃない?



 そんな呟きが聞こえた。続いて現れた目つきの鋭い大柄な男。背広を着た彼に生徒たちは一例して門を出て行く。


 やがてギラリとした眼光が向けられた。出直そう、とレグルスは反射的に思った。



 再びあの人で賑わう地域に戻って宿を探した。いくつか当たってみたが最初の2、3件は一人での入室は駄目だと断られた。


 家族専用の宿とは変わっている。幼い子どもを喜ばせる為の煌びやかな電飾なのか、としげしげと眺めた。宿泊費が手頃でちょうど良いと思ったのに、とレグルスは無念のため息をついた。


 次に見付けた宿は入ってみると個室こそあれど防音設備はまるでなっていない。書物が所狭しと置いてあるのも独創的だ。学者の集う宿なのだろうか。しかしこれでは意味がないと断念。


 もう何件目になるか数えるのも忘れかけた頃にようやく一人でも宿泊可能、防音設備の整った個室のある宿に辿り着くことができた。至ってシンプルな外観、設備なのに今までのどれよりも宿泊費が高い。


 時刻はすでに日付をまたいでいる。この国は一体どうなっているのだ、とレグルスはさすがにうんざりしていた。


 疲労で鈍く痛み始めている肉体をシャワーで洗い流し、宿を探す途中に買った酒で気を紛らわそうとした。


 それから明くる朝また調査に繰り出した。同じ宿で気休め酒のを流し込む、三度目の夜を迎えたときだった。侍従長からの波長を感じ取ったのは。



――ルナティック・ヘブンはすでにフィジカルへの干渉を打ち切っている。今後狙われるとしたらフィジカルの人間よりもむしろ……――



 ふざけんなよ!!



 聞き終える前にレグルスは思わず叫んでいた。水の泡。そんな虚しい響きが脳裏をかすめた。




 手がかりの一つも掴めないまま手ぶらで戻ってきた自分は周りの目にどう映るのだろう、と今更どうしようもないことを考えてみる。


 まずメイサが笑うだろう。あの小憎らしい顔で指さす姿が容易に想像できる。クー・シーとミラはそんなことなどしないだろうが胸の内は失望に染まるのではないか。


 自分のことなど初めから1ミリたりとも信用していないであろう桜庭伊津美の反応は想像する前に脳が飛び出して逃げそうな程、怖い。だけど……



 朝焼けが目に染みる。まとわりつく湿気を帯びた宙を羽ばたきならがらレグルスは眼下へ視線を落とす。おのずと震える自身の身体にしっかりしろ、と言い聞かせた。



 あのマラカイトと名乗る男にも劣らない強烈な波長を持つ人間。フィジカルに生きる身でありながら今もなお維持している……それが桜庭伊津美だ。恐ろしく、そして興味深い。


 しかし更に恐れずにはいられないものがある。


 逃げ出したくなる恐怖とは違う、この手をすり抜け遠のいてしまいそうな恐怖だった。何も得られないこんな無力な手から。



「情けねぇな……」



 いつの間にか冷えた白い唇がこぼしていた。レグルスは腹を括って再び前を見つめる。


 この世界を出る前に言葉を交わすこともできなかった、いや交わすことから逃げてしまったと本当は気付いている。今、誰よりもこの手に包み込みたい彼女の姿を思い浮かべた。



 アンタはいつ気が付いてしまうんだ。



 空よりも大きく広がっていく彼女に問いかけた。



 ✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎



 朝の王室。忙しく行き交う侍従たちの間を足早にすり抜けた。


 きっと驚いているであろう彼らは律儀に頭を下げてくれる。まるでドミノ倒しのように。やめてくれ、と思った。そのまま一直線に歩いて突き当たった一室の扉を開いた。



 お帰り、レグルス。



 柔らかく優しい声が言う。それは老いてなお十分な気品を保ったこの人によく似合っている。


 レグルスはそちらへ一礼をした。年季の入った木製のデスク越しにその人が微笑んだ。



 アストラル王室の侍従長・ウェズンは今年で87歳を迎える王室一の年長者だ。手入れの施された白髪はくはつのオールバックに口元を覆い隠す同色の髭。背広の似合うすらりと伸びた背筋は本来のよわいを感じさせない程だ。


 この余裕のある笑顔に何度迎えられたかわからない。そして何度救われたかも…

しかしそれは容易に口にしたくはないことだった。


 おっさん、とレグルスはぶっきらぼうな口調で呼びかける。煮え切らない感情を隠そうともせずに続けて言う。


「どうなってんだよ、打ち切られたって……」


「昨夜伝えた通りだよ。ルナティック・ヘブンはもう天界に肉体の依頼を出していない。つまり必要がないということさ。」


 ウェズンが落ち着いた調子で返す。レグルスはデスクにもたれ不機嫌な舌打ちを放つ。さもつまらなそうな顔を明後日の方へそむけた。


「そもそも何故あんな連中が肉体を借りられるんだ。」


 おかしいだろ、とため息混じりに吐き捨てる。


 当然ながらウェズンに非はない。これではまるで八つ当たりだとわかってはいた。だけどここまで滾り増大した苛立ちをどうやって抑えることができようか。


 予想通りの反応だったのかも知れない。弱ったように笑うウェズンに特に驚くこともなかった。


 憮然として視線を戻したレグルスに、そうだねと優しい声が言った。


「だけどね、レグルス……」


 ただでさえ皺に埋れた目を更に細めて彼は言う。


「神にとっては全てが世界そのものなのだよ。我々も、我々が【善】と【悪】と区別するものも、何もかもがね。」


 止めるというならばそれは我々のすべきこと、と言葉が続く。


 それは何度か聞き覚えのあるものだった。レグルスはふてくされた子どものようにデスクを背もたれにしてうつむく。


 やれやれとばかりにかすかな息を漏らしたウェズンがその背中へ言った。


「肉体での生活は相当こたえたのだろう、レグルス。あっちでもぶつくさとぼやいていたではないか。」


 やはり聞かれていたか。


 レグルスは背を向けたまま後頭部をかいた。気まずさと恥ずかしさで振り返ることはできない。


「余計なことまで聞くなよ、おっさん。」


 やはりぶっきらぼうな口調でこぼした。はは、と小さな笑い声が背後から聞こえた。



 聞こえてしまうのだよ、とウェズンは言う。


「遠い親族とは言え、私もガルシアの血筋なのだからね。」


 品の良い声が少ししわがれていた。深く、そして悲しげに。彼がどんな顔をしているのか目に浮かぶようだった。



 濡れた氷のような銀の髪はやがて落ち着いた白になる。陶器のような肌は皺を刻み蝋のような質感へ。瞳の純度と卓越した聴力は歳を重ねても衰えないと知っている。


 それが蝙蝠コウモリ魔族の象徴【ガルシア家】に代々伝わるものであると。



 まずは休んできなさい、とウェズンが言う。これくらいどうということはない、とレグルスは返す。苦笑と思われる声がした。



「その頑固さは父親譲りかい?」



 続く沈黙。問いかけに答えないレグルスにそれならとウェズンが一つの提案をした。


 この人には全て見抜かれてしまう。いつもそうだ。


 提案を受けたレグルスが笑みを落とす。決して見えないように、そっと。



 敵わねぇな。


 内心だけで呟いた。



挿絵(By みてみん)



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