21.銀色〜Silver〜
見るからに重量のありそうな鉄の塊が上下する。数十回目かでそれは止まった。
マラカイトはすぼめた唇から深く息を吐き出した。そっとバーベルを置いて上体を立ち上げる。さすがに疲れているようだ。
じっとりとした大量の汗を首からかけたタオルで拭う。気配が迫っていることに彼は気付くのが遅れてしまった。
――精が出るねぇ。
地から沸くような低い声に彼は振り向いた。その顔は一瞬にして緊張に満たされた。
「ルシフェル様……!」
マラカイトは素早く身をひるがえし、膝を付いて深々とこうべを垂れる。見下ろすその人は弱ったようにはは、と笑う。
「そんなに恐縮しなくても…」
優しく声をかけられようともマラカイトは姿勢を崩さず、はっ! と答えるばかり。彼にとっては優しいその言葉こそが無理な相談なのだろう。
彼の目の前の人が腰をかがめた。視線を合わせるように。
サラ、と前へ流れる銀の長髪は相変わらず血の気のない顔を半分覆っている。後ろ髪に至っては腰まである。
覗く紫の瞳、鋭利な耳、甘い声、仕草、どれを取っても “あの人” に似ている。血の繋がりは明白だった。
「マラカイト、君は期待の新人……いや、勇者だよ」
年季の入った、でも少年じみた声が彼に言う。そんな……とこぼしたマラカイトは更に頭をめり込みそうに深く垂れる。
銀髪の人は微笑ましげに笑う。満足気な顔。まるで彼のような腰の低い若者を好んでいるようだ。その人は言った。
「次の任務も引き受けてくれるね?」
マラカイトは顔を上げた。
「もちろんです!!」
黄色の目を朝日のように輝かせた彼は大音量で答えた。重々しいトレーニング機材が埋め尽くす部屋にびぃん、と響く。
紫の目が一瞬瞼にきつく塞がれた。アメジストの持ち主の顔に苦笑が浮かぶ。少々うるさかったと言ったところか。しかしすぐに気を取り直した様子でその人は語りかけた。
「これはね、君にしかできないことなんだよ」
「そんな、自分なんてまだまだ……」
でも、とマラカイトは続けた。意志を込めた力強い声で。
「お役に立てるように必ず力をつけて見せます! 自分、頑張ります!」
そうかい、と優しい声が返した。マラカイトは口元をもごもごと不自然に結ぶ。嬉しさを堪えるように。彼は素早く立ち上がり頭を下げた。
「自分、外周……外走ってきます!!」
先日と同じように彼は駆け足で部屋を立ち去った。それはまるで空気を読んだかのよう。実際は偶然なのだろうが。
しん、と静まったフローリングの広い部屋。
そこへやがて一つ、声が流れた。瞳を伏せたその人が口を開いていた。
「……いるんだろ? シャウラ」
しばらく間があった。それから観念したように姿を現した。
“ルシフェル” と呼ばれるその人の後ろ、機材の陰から音もなく。
銀のセンターパートの髪が揺れる。黒ずくめの華奢なシルエット。尖った耳に陶器のような肌。二つのアメジストが上目で “ルシフェル” の背中を見ている。
「レグルスがシリウスの墓を訪れていたらしいよ。今はフィジカルに調査に向かっているとか……」
大いに的外れだけどね、と悪戯っぽい声が言う。長髪に覆われた背中からだった。
だいぶ離れた後ろに立つ彼は声一つ発しない。ただ静かな眼差しだけが暗く険しく細まっていく。背中からは声が続く。
「でも何かに気付いて動き出したのは間違いない。奴だってガルシアの血筋だもんね」
背中が反転した。腰までの長い髪が宙を踊る。その人は言った。同じ瞳を持つ遠い彼に向かって。
シャウラ。
その名を呼んだ。慈しむような声色だった。
「もう目覚めていい頃だろう?」
逃げては駄目だよ。
その人は言う。柔らかく細まる片方の目。離れた彼は見つめ返した。
やはり声もなく、刺すような冷たい色に瞳を染めながら。