19.意地悪〜Unkind〜
薬品の匂いが漂う白い部屋に戻るなり伊津美は思わず、げ、と漏らしそうになった。
メイサが立っている。仁王立ち、それも鬼の形相で。
「何を怒っているの?」
あえて聞いてみる。もちろんわかっているのだが。
案の定、メイサは呆れ返ったようなため息を落とした。何をじゃねぇよ……と彼女は言った。
「点滴を引き抜いて出歩くなんていい度胸してるじゃないさ」
「薬剤は切れていたわ」
「そういう問題じゃねぇだろ!」
メイサが声色を尖らせる。
「この状況を見たら逃げたと思うだろ。探したんだからな!」
づかづかと詰め寄る彼女はどう見ても煮え滾っているが何故だかそれ程怖くはない。友人の顔に似ているからか、それとも相手の感情に反比例するタイプの性格だからだろうか。
伊津美はお構いなしに壁を見上げた。掛け時計に目をやった。10時半……以外と時間が経っていることに驚いた。
服が乾いた後、あの興味深い植物たちを見て回ったせいだろう。本当にどれだけ見ても飽き足らないくらい興味深く、そして不可解だったことを思い出す。
ぼんやりと宙を見るような視線に目の前の彼女も気付いたようだ。聞いてんの?と顔を近付けてくる。鼻がくっつきそうなくらいに近い。伊津美は変わらぬ表情で身を引いた。
「まぁ大体は……というか近すぎ。暑苦しいわ」
「憎たらしいくらい動じねぇな、アンタは」
苦笑いするメイサの口元はピクピクと震えている。ちょっと面白いと思いつつも面倒臭そうなので言うのはやめておいた。
「せっかく新しい服を持ってきてやったのに、気を遣って損したぜ」
メイサが荒々しく後頭部を掻きながら吐き捨てる。服? と伊津美が返すと彼女は何故か急に得意気な表情を咲かせた。
「いつまでもそんなパジャマじゃ可哀想だと思ってよ、ちょっくら見繕ってきてやったのさ」
「メイサ……」
ここに来てやっと胸の奥がぎゅっと握られた気がした。
なんだかんだ心配をしてくれて……
伊津美はベッドの上に何着かの衣類が広げられていることに気が付いた。そちらをまじまじと見て、そして硬直した。
どれもレースとフリルがふんだんにあしらわれたいわゆる【ロリータ】系のワンピースばかり。
自身のこのキャラクターにそぐわないのは誰が見たって明らかだろう。伊津美は苦々しい顔を上げた。
「まさか……あれを着ろと?」
「おう! 可愛いだろ」
ついさっき沸いたばかりの感謝と罪悪感をすぐにでも撤回したくなる。
これが本当に彼女の好意なら趣味がずれていたっていたしかたないのだが、客観的思考に長けた彼女が悪気もなく自分の趣味を押し付けるような間違いをおかすだろうか。いや、多分ない。
「わざと? ねぇ、わざとなの?」
「人の好意を疑うなんてアンタもつくづく捻くれてんのな」
メイサがふふんと鼻を鳴らす。意地悪そうな笑みを前に伊津美はいよいよ確信を覚えた。悪意。これは紛れもなく悪意であると。
「たちの悪いサディストね」
「Sっ気のあるナースとか萌えるだろ」
メイサはしれっと言い放つ。ほんのり蒸気した嬉しそうな顔に、変態かと言ってやりたくなる。
伊津美ははぁ~と間延びした息を吐いた。とりあえずこの状況は望ましくない。観念してわかった、と切り出した。
「私が悪かったわ。だからお願い、もうちょっとシンプルなものにしてちょうだい。デザイン性とか求めていないし最低限の機能性さえなっていれば文句は言わないわ」
メイサがにっと白い歯を覗かせる。了解、と言った彼女が踵を返す。してやられた感覚に少し悔しくなる。
メイサは何処からか大きなボストンバックを持ってきて、中から何着かの服を取り出した。
「これ着て」
そう言って差し出してくる。伊津美は恐る恐る受け取ったそれを広げてみる。
きめの細かいニット素材の白いタートルネックのトップスに、同素材、同色のカーディガン、ジャガード織りで薄いグリーンの膝丈のフレアスカート。
満足だった。何故先にこっちを出さないのかと言いたい気持ちで一杯になった。
「下着のサイズはこれくらいでしょ?」
メイサは次に上下セットになった下着を投げ渡してきた。白と水色のシンプルなものが2セット。伊津美の表情はみるみる渋くなっていく。
見事にサイズが合っている。一体いつの間に、と疑問が沸いてくるのは必然だ。
「なんで下着のサイズまで知っているの? まさか寝ている間に測……」
「測ってねぇよ!!」
メイサがやたら大音量で返してきた。さすがに少し焦ったらしいく彼女は困ったように笑う。
「大体、寝そべった状態で正確なサイズなんて測れるわけないだろう。私はね、その人を見れば身長も体重もスリーサイズもほとんど正確にわかるんだよ」
ふん……と伊津美は顎に手を添えて考える。上目で彼女を見る。
「つまり人の身体を観察する趣味がある、と」
「ちげーよ! そういう言い方やめろ!」
数分前まで余裕に満ちていたメイサが今、顔を赤くして狼狽している。これはいい。伊津美はここぞとばかりにほくそ笑む。赤い顔の彼女がギロリと目を剥いた。
「私をからかおうとは面白いじゃねぇの」
彼女の顔に笑みが満ちていく。何か企んでいるような邪悪な表情の彼女か言った。勝ち誇ったような口ぶりで。
「私は伊津美の体重だってわかるんだよ! 言い当ててやろうか、ドア全開にして大声で!」
ふはは、と豪快な笑い声が上がる。伊津美は変わらぬ表情で見ていた。いいわよ。しれっとした姿勢で返してやった。
「私の体重は適正であるのはもちろん、美容体重の範囲内だから特に問題もないわ。言いたかったら言いなさい。惨めにならないなら、ね。」
笑い声がぴたりと止んだ。直後、きーーっ!! というヒステリックな叫びが室内に響いた。