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ASTRAL LEGEND  作者: 七瀬渚
第1章/幽体の世界『アストラル』
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18.ミラ〜Mira〜



――世の中には不思議なことがあるものだ。



 木製のベンチの上で心地のいい具合の風に吹かれながら伊津美は思っていた。



 目の前では奇妙な形の木がそびえ立っている。まるで人が大の字になったような形状の樹木。そしてあろうことかその “両腕” に生えた細長い葉が回転して風を発生させているのだ。夏に目にするあの家電を思い起こさせる、まさにそんな動き。


「……あり得ない」


 はぁーっ、と長いため息をついて伊津美は頭を抱えた。


 “扇風木せんぷうき” ……この後に及んでそんな言葉が浮かんできてしまうのがたまらなく嫌だ。ついさっきまでの予感はもはや確信へと変わりつつあった。




 やはりそうなんだ。これは夢でないとするならやはり私は……




「お洋服、乾きましたか?」



 トテトテと細かな足音が近付いてきた。さっきぶつかった少女だった。伊津美はかろうじて笑顔を返して見せる。


「ええ、大丈夫よ」


 頭はおかしくなりそうだけど。



 皆まで口にすることはできなかった。何せ相手は幼い少女なのだから。


 それも自らも濡れていながらまずこちらのパジャマのスボンを先に乾かそうとここまで連れてきてくれた優しく育ちの良さそうな子。言うまでもない、誰が見たっていい子だ。




「あなたも早く着替えたほうがいいわ」


 伊津美は言った。少女はにっこりと微笑んだ。


「大丈夫です。私もここにいればすぐに乾きます」



 温室だから安心です、と少女は言う。風邪はひかないと伝えたいのだろう。


 ごく自然に少女が隣に腰を下ろした。可憐な顔立ちが伊津美を見上げてきた。



「この植物、珍しいですよね」


「そうね、珍しいわ。まさか植物に服を乾かしてもらうことになるなんて……」



 同じ方を見上げながら返した。両手を振り回す植物を穴が空く程見つめて。


 その様子を見てなのか少女がふふ、とくすぐったそうに笑みをこぼした。伊津美はゆっくりとそちらへ視線を向けた。




 透き通るような薄桃色の髪は少し癖っ毛のようで非常に柔らかそうだ。おだんごのボリュームからから相当の長さであることがうかがえる。


 ウエストをリボンで留めた真っ白なワンピースにストラップ付きのサンダル。小さな身体には浮いているやけに太めのブレスレット。


 歳はおそらく5、6歳だろうか。子ども特有の瑞々しい肌が羨ましい程。細めた瞼からは宝石のアクアマリンみたいな水色の瞳が覗いている。



 まさにファンタジー。柄にもなくそんなことを思ってしまった。




「もしかしてあなたが伊津美さんですか?」



 え、と思わず声を漏らした。見上げる円らな目を見つめ返した。



「私を知っているの?」



 ええ、と少女は頷いた。




「レグルスさんに聞きましたから」


「そう……」



 伊津美は少女から目をそらした。無意識だった。





――レグルス。




 その名を聞く度に言葉にできない何か複雑な感情が胸を侵食してくる。そして未だにその理由ははっきりとしないのだ。単なる第一印象の悪さと考えるのが普通なのだろうが。




「急な出来事で混乱されたことでしょう。お気持ちをお察し致します」




 一瞬、誰が言ったのかと思って振り向いた。 “二度見” というものを久しぶりにした。


 

 聞き間違いではなかった。その辺の大人よりはるかに洗練された言葉遣いは紛れもなく隣の少女の声。上品な微笑みがそれを示していた。少女が言った。



「私はミラと申します。毎日ここで植物の世話をしているのでいつでも遊びにいらして下さいね」



 あの可能性が更に信憑性を増す。


 可憐な容姿、あどけなくも美しい微笑み。全体的に眩しい。これを天使と呼ばずして何と呼ぼうか。この子は何故……



 そう思うと次には無性に心配になった。伊津美はやっと口を開いた。


「ミラはまだ小さいのに働いているの?」


 澄んだ目が丸くなる。キョトンとした顔の少女が顔を傾けた。



「生きていく為なら子どもでも働きますよ?」


 あどけない声が言った。伊津美は息を飲んだ。



「そ……そうね」


 思わずうつむいてしまった。何だかすごく世間知らずなことを口にしてしまったような気がしてばつが悪く、そして恥ずかしくなった。



 どうやらミラは察したようだ。大丈夫、とでも言いたげに彼女は微笑む。それから言った。




「私は2年前、王宮に引き取られました。両親がいないんです。レグルスさんはそんな私を兄に代わって受け入れてくれました。私は恩返しがしたいんです。働きたいから働いている、それだけなんですよ」



「お兄さんが……いたの?」



 恐る恐る聞いてみた後、すぐに後悔の念が沸いた。ミラの目が悲しそうにくすんで見えたからだった。



 ええ、と答えた彼女が顔を上げた。




「兄は今、忙しくて会えないんです。だから今はレグルスさんがお兄さんなんですよ」



 花開くような明るい笑顔。さっきまでの憂いを帯びた瞳が幻だったみたいに。伊津美はまじまじと少女を見つめた。




 不思議な子。何だろう、この子やけに…




「い、伊津美さん?」




 戸惑いがちな声が届いた。



「どうしたんですか? そんなに見られると……ちょっと恥ずかしいです」



 頬を朱に染めたミラがもじもじと身をよじっている。ちらつく上目遣い。同じような目をする人物をもう一人知っているが、それとはやはり違うとわかった。



 きっと間違いなくピュアで繊細だ。なのに……




「ミラって何歳?」


伊津美は聞いてみた。



「7歳になったばかりです」


ミラが答える。うん……と伊津美は小さく唸った。



 思っていたよりかは年上だった。だけどそれ程驚くような違いではない。外見だけなら。そして今感じているのはそんなレベルの違和感ではないのだ。



「どうしたんですか、伊津美さん! 具合でも悪いんですか?」


 眉間に皺が寄ってますよ、と言われて我に返った。本気で心配しているミラの顔が目に飛び込んだ。伊津美は慌てて皺を伸ばすように眉間をさする。ごめん、と呟いた。笑顔を保つよう努めて彼女に言った。




「その、何だかすごく大人っぽいなって。7歳でこんなにしっかりした子、私初めて見たからびっくりしちゃった」





 あっ……




 ミラが小さく声を漏らした。




 それからクスクスと笑い始めた。ありがとうございます、と恥ずかしそうに頬を染めた彼女が言った。



「褒め言葉として言われるのは初めてです。同年代の子にはよくからかわれるんですよ。おばさんみたいだって」



「そんな……私はいいと思うわ」



 伊津美もまた笑みで返した。ミラはまだ恥ずかしげにしている。



「そう思って頂けると嬉しいです。ここには私より一つ上の男の子がいるんですけどね、からかわれていると怒ってくれるんです。すごく可愛いんですよ」



 懐かしむような淡く優しい表情を浮かべるミラ。伊津美は苦笑した。




 可愛いって、同年代の男の子でしょ? しかも年上……




「ミラはおませさんなのね」


「そうかも知れません」



 落ち着いた面持ちでミラが答えた。彼女は続けて言った。



「おませついでに一つ、聞いてもいいですか?」


 どうぞ、と伊津美は返す。


 小さな少女はためらうようにちらちらとこちらを見てくる。一体何を言うのだろうと楽しみですらあった。このときまでは。





「……運命の人って、信じてますか?」




 幼い彼女が口にしたのはそんな問いかけだった。




 運命の人……



 伊津美もその言葉を繰り返してみる。


 何てむず痒い響きだろう。口にした自分に寒気を感じてしまう程。少なくとも得意とする分野ではないように思えた。



「正直、考えたこともなかったわ。私、面白みのない人間だから……」


 たまらないむず痒さを紛らわすように下手な笑みを浮かべて言った。対してミラはそんなこと、と首を横に振る。伊津美は彼女を見て聞いてみる。



「ミラは信じているの? 白馬の王子様」


「白馬の……? あ、昔聞いたことがある気がします」




 昔って……



 伊津美はくすりと息を漏らす。ここではあまり一般的ではない表現なのかな、と思った。



「私は信じたいです」



 ふっと視線をそらしたミラが答えた。その横顔に伊津美は魅入った。



「出逢うべくして出逢う相手がいて、その人とは必ず幸せになれるって……」



「素敵じゃない……」



 視線は釘付けになった。夢見がちな少女の横顔。純粋で、切なくて、何て悲しい顔。



 一抹の不安のようなものがよぎった。何かわかってしまったような感覚に伊津美は戸惑った。




 この子、ミラという少女はきっと私が思う以上に賢い。おそらくは “信じたい相手” がすでにいるのだろう。そしてその相手と想いを成就させるのは簡単ではないと知っているのだろうと。


 口にすることさえできない相手はもしかしたら彼女にとってすごく大人なのかも知れないと思った。同年代の少年ならば何も悪びれる必要はないからだ。からかわれたときに怒ってくれるという可愛い年上の少年は候補から外していいだろう。



 まさか、と一つの可能性が脳裏をかすめた。こんな考えが浮かんでしまうことが自分でも怖い。




 あ、あの……



 ミラがまたもじもじしている。伊津美は我に返った。


 分析癖という悪癖が出てしまったことに気が付いて反省した。恥ずかしそうな薄桃色の少女に言った。



「ミラが少し寂しそうに見えたからつい……ごめんね、じろじろ見ちゃって」



 二つのアクアマリンが潤い、揺れたように見えた。だけどそれも一瞬のことだった。



 次の瞬間には何事もなかったように戻っていたのだ。あの可憐で無垢な顔に。



「心配させてしまってごめんなさい。私なら大丈夫ですよ」



 ミラはにっこりして言った。伊津美はしばらく口をつぐんだ。そうするしかなかった。



 こんなに幼くしてここまで人に気を遣えるのは何故だろう。生まれ持った気質? いや、それだけではないはずだ。


 考えたくはない。出来れば考えたくなんてないけれど、もしかすると彼女にとって今の生活は想像以上に過酷なのではないか。たった7年の間に凄まじい程の経験が凝縮されてしまうくらいに。



 考えれば考えるほど不安が胸を占めて息さえ浅く苦しく感じた。





「あのさ、ミラ……」



 伊津美は体勢を整えた。不思議そうに見つめ返す彼女に言った。たどたどしくも。



「私で良ければまた聞かせて。私、冷めてるからロマンチックな考え方はあまりできないけれど、分析力には自信があるの……」



 慣れない仕草と知りつつも親指を上に立てて見せた。表情までは動かせなかった。恥ずかしさに指先が小刻みに震えた。





――ありがとうございます。




 くすっと漏れる声を受けて再び見据えた。



 ミラが笑っていた。嬉しそうに。




「伊津美さん、あなたのように素敵な人に出会えて良かったです」




 本当に良かった。




 彼女は繰り返した。声は笑っているのに両手で半分覆われた顔は泣いているみたいに見えた。




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