14.刺激〜Stimulus〜
――今でもはっきり覚えている。
目と目が合うなり空気が変わった。初めて会ったはずの彼女の顔が驚きに硬直した後、堪えきれずにほころんだ。エメラルド色の双眼が潤いで満たされていった。
ただでさえ童顔な顔立ちが無邪気な微笑みと合間って、彼女をなおさら無垢な人に見せていた。目が眩む程に眩しく。
――ずっと待っていました――
花びらのような小ぶりな唇が囁いた。そのときは意味がわからなかったが、やがて思い知らされることとなってしまった。
今になって思うと無理もない。
彼女にとっては待ち焦がれた数年ぶりの再会だったのだから。
夜、荷造りを終えたレグルスはおもむろに立ち上がり自室を後にした。
なんだか無性に刺激が欲しいのはやはり慢性的な睡眠不足のせいだろうか。
一言に “刺激” と言ってもいろいろある。
とりあえずは炭酸飲料でも流し込むのが無難だろうという結論に至った。間違えても彼女に求めるなどもってのほかだと思った。そうしたいのは山々なのだが。
もう夕食時はすっかり過ぎている、人気のない食堂に入ったレグルスは真っ直ぐ冷蔵庫に向かった。重い扉を開くと冷気が溢れて頬を撫でる。冬だというのに何故だかそれが心地よかった。
タイミングのいいことに今日はレモネードの瓶が入っている。迷わずそれを手に取った。これが一番効くのだとよく知っているからこその選択だった。
そのときヒタ、という足音と気配を感じた。レグルスが振り返るとその人物はすでに斜め後ろに立っていた。
パジャマの肩をほどかれた漆黒の髪が埋めている。いつもとはだいぶ雰囲気が違っているのだろうが、見慣れている立場からしたら特に驚くこともなければ見間違うこともない。その彼女が言った。
「でっかいネズミが食料を漁ってると思ったら……」
「なんだメイサか」
なんだとはなんだよ、といつもの返しをする彼女は呆れたような顔をしている。レグルスは構わずに瓶の蓋を開けた。ぐい、と天を仰いで一気に飲み下す。メイサが傍で喉を鳴らした。
「……私にもよこせよ」
物欲しそうな顔。レグルスは横目で見ると唇を離した。まだ少し中身の残っているそれを、んと言って彼女に突き出す。
メイサがそこを見つめて少し身を引いた。表情まであからさまに引いていた。
「いや、新しいのをよこせって」
「これしかねぇよ」
じゃあいらない、と彼女は吐き捨てる。レグルスは小首を傾げて残りを飲み干した。
メイサもレモネードが好きだと知っていた。半分近く残っているのだから素直にもらえばいいものをと思いながら空になった瓶をゴミ箱に投げ捨てた。
割れたかと思うような鋭い音が鳴り響いた。
なぁ……
壁にもたれかかったメイサが言う。
「明日、行くんだろ?姫にはちゃんと会えてんのか?」
ぶっきらぼうな口調が問いかける。レグルスはへっ、と小さく笑って返す。
「今、あいつに会ったら俺は腑抜けちまう」
今はまだ……
自分に言い聞かせるみたいに呟いた。自然と頬が緩んで自嘲的な情けない顔になった。
見ていたメイサが同じように鼻で笑った。
「何を今更」
彼女はまた吐き捨てる。レグルスはむっとして顔を上げた。もちろん聞き捨てならない言葉だったからに他ならない。
「俺がいつも腑抜けてるって言うのか?」
「気付いてないのが怖いね」
アンタなぁ! と思わず声を上げると、彼女がなんだよ、と返してくる。挑発的な笑みがまた憎たらしい。レグルスはいよいよ語気を強くする。
「アンタなんかコスチューム趣味の為にナースを名乗ってる変態医師だろうが!」
「人の趣味にいちゃもんをつけるとはナンセンスだと思わないかね、レグルス君」
フン、と鼻を鳴らすメイサは決して動じずあくまで楽しんでいる様子だ。
ますます熱くヒートアップしていく中で新たな気配に気付くのは難しかった。聴力に長けた蝙蝠魔族の名が廃ると後から反省する羽目になった。
レグルスさん……
か細く頼りない声が呼ぶ。両腕に枕や抱え、白目まで赤くしている。
小さなその姿を目の当たりにしたレグルスはやっと我に返った。




