表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ASTRAL LEGEND  作者: 七瀬渚
第1章/幽体の世界『アストラル』
15/100

13.ルナティック・ヘブン〜Lunatic Heaven〜



 その夜遅くまでメイサはその場に留まった。


 食欲すら起こらない伊津美に彼女はせめてと常温の水を持ってきたり、こまめに点滴の交換をしてくれた。その途中で伊津美はいくつか質問をした。



 優輝が囚われているかも知れない【ルナティック・ヘブン】とはいかなる組織なのか。


 何故フィジカルは消されようとしているのか。



 レグルスという男のことは少し引っかかるが優先順位を立てるなら決して上の方ではない。要は全て元通りになればそれでいいのだから。




「まずはアストラルの話からだね」



 はぁ? と伊津美は不機嫌な声を上げる。何故この女はいちいち話を回りくどくするのだと。


 しかしメイサはここから入らなければ多分何を言っても理解できないだろうと譲らない。順を追ってというやつだ。それも一理あるようには思えた。


 沈黙をもって。伊津美がしぶしぶ耳を傾ける姿勢を示すと、彼女は満足気に語り出した。



「レグルスも言った通り、ここは幽体の世界。ここにあるものは全部フィジカルでは実体がなくてここでだからこそ見えるものなんだ。だけど確かに存在している」



 この王宮もね、と彼女は微笑む。



 いきなり訳のわからない話が始まったと伊津美は頭の痛みを覚えてしまう。とりあえずは聞いてみようと覚悟してはいたが何やらいろいろと突っ込みたい気持ちでいっぱいだ。



「アストラルには国境がないんだ。この世界全体を治めているのが【アストラル王室】。王族は人間なんだけど、この世界で唯一アストラルの中だけで転生し続ける一族なんだ。今は21歳の姫君が治めている……表向きは、だけどね」



 何だか意味深な言い回しだ。だけど鋭く突っ込む前にメイサはきっちりと引っかかる部分を解説してみせた。




――21歳の姫君。



 おそらくはとてつもなく広いのであろうアストラルという世界に於いて、民衆の頂点に立つにはあまりに若すぎる。


 更に王族は強い霊力を持ってはいるが、彼女は訳あってその力がほとんど使えない。政治の手助けをしている者がちゃんといるのだという。



 一人は年配の侍従長じじゅうちょう、もう一人が若いながらにやり手の親衛隊長、つまりあのレグルスなのだと。


 そして彼にはもう一つ、とんでもない肩書きがあるのだとメイサはもったいぶるように含み笑いをした。




「姫の婚約者なのさ、レグルスは」




 いずれアストラル王になる男だよ。




 メイサはまるで自分のことのように胸を張った。当然、姫と世界を守る責任がある訳だ、と。



 伊津美は胸元を押さえたい衝動を感じた。


 戸惑って思わず視線を落とした。いかにも勘の良さそうなメイサはきっと見逃さなかったことだろう。




 ねぇ、



 彼女は切り出した。低く静かな声色で問いかけた。



「何で私らがフィジカルとアストラルとを交互に転生しているのか、わかる?」



 そんなのわかる訳がない。伊津美は黙ってかぶりを振る。


 だよねぇ、と彼女が言った。やたら得意気な顔をしていた。腹が立った。しかし彼女は相変わらずお構いなしといったふうだ。




「魂を高める為だよ。アストラルも “記憶” 以外はフィジカルと同じ。争いもあるし死だってある。そして双方は影響し合っている。だからどちらも進化する」



「……私の質問の答えに繋がる気がしないんだけど」



 伊津美はついに痺れを切らして指摘する。聞きっぱなしもいい加減疲れるというのが正直なところだ。


 もうわかっていたのだろう。まあまあとなだめるように呟きながらメイサは苦笑した。




 もうちょっと付き合ってよ。



 彼女は言う。思わず気だるいため息がこぼれた。




「フィジカルは経験を積む為にまっさらな状態からスタートするんだ。前世を覚えていないから怖れず新しい道を歩める。それに対してアストラルは記憶を有することで自らのカルマと向き合う……前世の結果発表みたいな場なんだよ」



 当然いいことばかりじゃない、黒歴史なんて思い出しちまった日にはトラウマもんだね。




 何とも恐ろしい言葉が続いた。ニヤニヤと面白そうに笑うメイサとは反対に伊津美のそれは渋く険しく歪んでいく。


 もしそれが本当ならすごく嫌だと思った。でも、とメイサは続けた。



 「この繰り返しがあるから魂は成長する。ただね、このシステムを良く思っていない……いや、心底憎んでいる連中がいるんだ」




――それが犯罪組織【ルナティック・ヘブン】。




 やっとか、と内心呟いた。やっとその話題に辿り着いたと。



 伊津美は無意識に背筋を伸ばしていた。




「フィジカルの存在は魂の成長どころか足手まとい、成長の妨げでしかない。それが奴らの言い分さ。そして奴らのほとんどはフィジカルで負ったトラウマに未だ苦しめられている」



 いつの間にか瞬きさえ忘れていた。引き込まれていた。



 話の内容よりもむしろ笑みを失ったメイサの顔に。




 それぞれ一生懸命生きているだけ。なのに人は何故か最後まで自分を信じきれない。




 ぽつりぽつりとこぼれる彼女の言葉が内側に流れ込む。伊津美も考え始めていた。思いを重ねるように。




「何も知らないフィジカルの人間は好き勝手に振舞って生態系まで乱してくる。それはアストラルにも影響する。志半ばで命を奪われる者もいる。アストラルでその記憶を取り戻したときの絶望はどれ程のものか。何も知らない、覚えていない、そんな環境が招いた悲劇だ」





 暗い声、暗い横顔。ついさっきまでおちゃらけていたのが嘘のように。


 まるでルナティック・ヘブンなるものに身を置く者の言葉そのもののよう。



 伊津美は背筋に強烈な冷たさを感じた。彼女は女優なのではないか、そんなことまで考えてしまったくらい。




 やがてメイサが振り向いた。我に返ったようにカラッとした笑顔で。



「まぁ私は共感しかねるけどね! それでフィジカルを丸ごと消そうなんて極端すぎるだろ。いい前世を送った人間だっているんだよ」


 私みたいにね、と彼女は真っ白な歯を見せつける。




――なるほどね。




 伊津美は呟いていた。



 実際はまだ半信半疑。いや、少なくとも8割形は “疑” だ。


 それでも何度も考えさせられそうになったことが怖い。とりあえずわかったことがあった。



 このお調子者の看護師・メイサの言葉には引力がある。それこそ “魔力” と称されるような得体の知れないものが。




 ところでさ、



 すっかり元の表情に戻った彼女が言った。



「今度は私から質問! アンタがさっき言ってた “ミサキ” って誰よ? 私のことを見てそう言ったよね?」



 ああ、と伊津美は呟いた。今更のように思い出した。


 改めて目の前の彼女を見つめてみた。



「私の友達。あなたによく似ていたから」


「へぇ! そんなに似てんのか?」



 メイサが目を丸くして身を乗り出してくる。顔が近い。そして妙に嬉しそうだ。



「そりゃ相当の美人ってことだねぇ」



 自分で言うか、と言いたい。でもあえて違う返しをしてみる。



「まぁあなたより若いんだけど」


「悪かったな!!」



 声を荒立てたメイサは顔を赤くしてそっぽを向いた。



私だってまだ20歳なのに……


 そりゃ女子高生から見たらちょっとばかり上だけどさー、などとぶつくさ言っている。



「ねぇ、あなた……」


「何だよっ!」



 メイサがふくれっ面のまま振り向いた。リスの頬袋みたいだ。



 思わず口元が震えた。続いて肩も震えた。目を見張った彼女が声を上げた。


「え、え、アンタ笑ってるの? 私を見て?」


 アンタでも笑うんだぁ、と彼女は言う。その声が嬉しそうに上ずっているのがわかって少し腹立たしかったが、もう何でもいいわ、とできるだけ平静を装って答えてやった。



「ってかさ、 “あなた” って呼ばれんの気色悪いからやめてくんない?」


 メイサは呆れたような顔をして言った。




「いつまでも友達似の女って思われてんのも微妙だし。“メイサ” って呼んでよ」



 自信ありげな表情。伊津美はあくまでも落ち着いて、はいはいと相槌を打つ。それから彼女に返す。



「他人の空似てここまで似ているのも珍しいと思ったんだけど、やっぱり全然違うわね」



 そう、美咲はボーイッシュだけどこんなに口が悪くないしガサツじゃない。自分で美人とか言わないし……




 脳内で重ね合わせてみると似ているのはただぱっと見の印象だけだとわかって、見間違えたことが何だか可笑しい。いや、むしろ不覚だと思った。



「でもそこまで似てるんなら関係あるのかも……」



 彼女の言葉に伊津美は顔を上げて、え、と漏らした。


 考え込んでいたメイサもぱっと顔を上げた。彼女は勢いよくVサインを突き出して言った。




「私の先祖の生まれ変わり、とか!?」




 しばらく言葉もなく彼女を見ていた。まじまじと。




 そうか、転生するならそういう可能性も……




 伊津美は胸の内で呟いてみて、すぐにかぶりを振った。



「ないない! メイサみたいに口悪くないし、ガサツじゃないし、自分で美人とか言わないから」



 キッパリと言い切ってやった。なっ! とメイサが声を上げる。



「私の何処がガサツだって!?」


 ベッドの上に靴のまま立ち上がって詰め寄ってくる彼女に伊津美は、そういうとこ、とほくそ笑んで返した。



 ✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎



 ……ててっ。



 彼は後頭部を押さえて呻いた。




 薄暗い部屋。冷たいコンクリートの壁と床。じかに座って背をもたれる。


 質素なベッドと小さなテーブルが置いてあるだけ。窓もない殺風景な箱のような部屋の中、上部に取り付けられた換気扇のブゥンという音だけが響いている。



 彼ははぁーっと長い息を漏らす。ほんのり白くなったそれはすぐに闇に溶け込んで消えた。



 ドアをノックする音がした。彼は反射的にといった仕草で背筋を伸ばし、はい! と大きく答えた。





――入るぞ。



 ドアの向こう側から声が届く。その後すぐに開かれた。


 隙間から見えた姿に彼のシャープな目が丸くなった。




「調子はどうだ、マラカイト」


「わ、若っ!」



 すぐに立ち上がろうとする彼を入ってきたその人が片手で制止する。



「まだ痛むんだろ? 無理をするな」


「申し訳ありません……」



 口調に似合わない少し甘さのある声が座れ、と命じる。


 マラカイトはばつが悪そうにうつむき、そっと腰を下ろした。おどおどとした上目遣いで彼は言った。



「すみません、自分、未熟なので……肉体だけでなく幽体にもダメージが……」


「相手は強かったのか?」



 はい、マラカイトは答える。悔しそうに唇を噛み締めている。重々しい口調でその名を口にした。




「レグルス……でした」




 そうか、という小さな返事は “若” と呼ばれた人からだった。



「すみません、自分っ、奴を見たとき一瞬若と間違えて……アイツは違うんだって言い聞かせたつもりだったんですけどつい動揺してしまって、自分……っ!」



四つん這いで身を乗り出すマラカイトに “若” は薄い笑みを落とす。



「似ているからな。気にするな」


 相変わらずの甘い声で返した。そのままマラカイトの傍に寄ってしゃがみ込んだ。



「頭を貸せ」


「若……?」



 マラカイトがそちらを見上げて固まる。ゴワゴワした髪で覆われた彼の後頭部へと白く細い腕が伸びて触れる。




 最初は小さな光だった。



 それは徐々に熱と光度を増して薄暗かった部屋を青みがかった白に染めていく。


 のっぺりとした壁に二つの影が写る。それがまた闇に消える頃、しなやかに腕が離れた。



「若、何を……?」



 訳のわからないような顔のマラカイトが恐る恐る尋ねると “若” が彼を見下ろしながら目を細めた。



「痛みが引いたはずだ」



 あっ、とマラカイトが声を上げた。


 慌てたような仕草で後頭部を両手でまさぐるなり、黄色の双眼がみるみる見開かれていく。



「すっ……凄いです、若! こんな力をお持ちだったなんて! ヤバイっす、本物の癒し系っす!」



「い……癒し系?」



 興奮に目を輝かせるマラカイトに対して見下ろす彼の方はぽかんと薄い唇を半開きにしている。


 困惑したその様子にやっと気付いたマラカイトは慌てて姿勢を正した。



「すいませんっ! 自分、調子に乗り過ぎました。ご無礼をお許し下さい!」



深々と頭を下げてまさに土下座の姿勢をとる。そこへすぐに両手が伸びて彼を起こそうとする。




――いいよ。




笑い混じりの声が言った。





「自分、トレーニングしてきます!」



 マラカイトがすっくと立ち上がった。しゃがんだままの “若” が驚いた顔で見上げた。


「今からか?」


「はい! 若のおかげでもう痛くないし平気っす!」



 マラカイトは光を含んだ目で見下ろした。無邪気な輝きというよりは、貪欲なギラつきという表現が相応しい色。彼は言った。



「ルナティック・ヘブンの一員として、早くお役に立てる力を付けたいんです! もう失敗はしたくない……自分、頑張ります!」



 唇が硬く強張っている。悔しさを噛み締めているように、拳まで作って。



 しばらく見入るように止まっていた “若” が口を開いた。



「……期待している」



 はい! とマラカイトは答えた。嬉しそうな顔で、元気よく。


「若、ありがとうございました!このご恩はきっとお返しします!」


 ゆっくり立ち上がった “若” にマラカイトは一礼をしてドアへ向かった。帰りのことを考慮してかドアを開けたまま出て行った。





「……でかい声」




 冷たく静かな部屋に一つの声が消えそうに流れた。




 癒し系……




 たったさっき出たばかりの言葉が繰り返される。



 一人残った彼は視線を下へ落とす。自身の両の手のひらを見つめている。




「情けない響きだ」




 小さい、本当に小さい苦笑するような声が単調な換気扇の音に混じった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ