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ASTRAL LEGEND  作者: 七瀬渚
第1章/幽体の世界『アストラル』
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10.レグルス〜Regulus〜



挿絵(By みてみん)



 藍色の空を乳白色の霧が侵食してぼかす。星の形が薄れる頃。この時間帯に起きている者は大きく分けて二通りいる。すごく早起きか昼夜逆転のどちらかだ。


 レグルスは自室に戻るなり脱力して靴も脱がずにソファに身を投げ出した。風船の空気が抜けるようにふーっと長い息を吐く。もう自分がどちらに属するのかもわからなくなっていた。



 ここ数日のうちにルナティック・ヘブンの動きが加速して、目の回るような激務に追われることとなった。しかし問題はもはやそこではなかったのだ。


(くそ……)


 レグルスは胸の内で毒づく。ただただ自身が腹立たしくて仕方がない。不覚なことに今の今まで奴らの真の目的に気付くことが出来なかった。長年に渡って目を光らせ監視し続けてきた敵だというのに。



 気付いたときには一足どころではないくらい遅く、既にフィジカルの人間が数人連れ去られた後だった。しかもその中にはまだ17歳の若者までいるというではないか。


 アストラルでその歳はもう十分に大人のたぐいだが前世を知らない彼らは違う。極めて無垢で純粋な魂であるということは前世を自覚している者なら誰もが知っている。



 そして昨夜、新たな報告が入った。また一人、フィジカルの人間が狙われているようだと。


 詳細は部下が調査に当たっている。彼らにもまた安息の時はない。その現状は責任感として重くのしかかり必要最低限の睡眠さえ奪ってしまう。もう次はないと緊張に強張った。


 次こそは何としてでも阻止する。本来関係のないはずの者が巻き込まれるなどあってはならないと部下たちに言った。口先では。




 レグルスは薄暗い天井を仰ぎ見ると、弱く息を漏らして苦笑した。


(しれっと綺麗事などを口にするようになるとは……この俺が、ねぇ)


 寝不足だろうが余裕が無かろうが親衛隊長としての顔ならごく自然に作れてしまう。それだけの年月を重ねたという表れなのかすっかり板についてしまっている。ただ時折こんなふうに思い返しては反吐が出そうになるというだけだ。



 目を閉じてみるとやがて身体が更に沈んでいくのがわかった。深く、深く、底無しの沼に飲まれていくように。束の間の安息だろうとわかっていた。きっとすぐに逃れられない現実が迎えに来るのだろうと。





 レグルスが王室親衛隊に入隊したのは16の頃だった。



 ちょうど連れ去られたというフィジカルの少年と近い年頃だが前世の記憶も十分に思い出していた頃。


 大人の概念を持っているとは言え、それは生半可な決意などではなかった。ガルシアの名はすでに世間の知るところとなっていたからだ。長きに渡るの栄光さえ塗り潰してしまう程の闇の印象ばかりが表立っていたことだろう。



――父さん……!!――



 忘れもしない遠いあの日、舌足らずな声で何度も叫んだ。


 見間違いそうな程によく似た男が二人、激しく揉み合っていた。小さな手を必死に伸ばすも届かなくて、意識は無情にも途切れてしまった。何も出来なかった。そしてそれが初めてではないことを数年後に知ることとなった。



 思い出すだけで怒りが滾り、その熱で喉が焼けそうになる。レグルスは低い呻き声を漏らした。一体いつからそんな状態になっていたのかはわからない。



――レグルス!



 意識を覚まさせたのは聞き慣れた声だった。うっすらと開いた瞼の間から艶めくルビーが覗く。


 ぐしゃぐしゃに乱れたセンターパートの前髪が思いっきり顔面を覆っていたが、見下ろす人物が誰かレグルスにはすぐにわかった。


「なんだ、メイサか」


「なんだとはなんだよ」


 うなされてるから起こしてやったのにと彼女はむくれる。腰に手を当て漆黒の瞳だけで見下ろしている。相変わらずふてぶてしい立ち姿の彼女は言った。


「シャワーでも浴びてこいよ。クマがひでぇぞ」


「もうそんな気力もねぇし……」


 レグルスは前髪を荒々しくかき上げながら苦笑する。


「代わりに洗わせてやろうか?」


「嫌だよ、汚ねぇ」


 冗談を飛ばしてみると彼女はキッパリと吐き捨てて背を向けた。こんなやりとりはいつものことだ。仕方なくレグルスは重い腰を持ち上げた。




 王室の専属看護師であるメイサはレグルスより3つ下の20歳。女にとってまさに全盛期とも言える年頃だろう。


 見るからに気が強そうではあるが顔立ちも悪くはないし、プロポーションに至ってはいい具合の場所がいい具合に肉付いたなかなかレベルの高いものだ。その上尋常じゃなく頭がいい。ただとにかく口が悪く何処かズレている。


 グラマラスで才女、サバサバした姉御肌。しかしその全ての冒頭に“残念な”をつけなければならない。残念だ。



 とりあえず彼女の言う通りにシャワーでも浴びてみようとレグルスはクローゼットを開けて一式の着替えを掻き集める。


 未だに側で佇んでいるメイサに見るなよと背中で言うと見てねぇよと返ってくる。女子か、と苦笑混じりの突っ込みを彼女は続けて吐いた。




 部屋を出る直前でメイサが、あっと何やら思い出したような声を上げた。今度は何だとばかりにレグルスは気だるく振り返る。真顔の彼女が言った。



「次の標的と見られるフィジカルの人間の詳細がわかったらしいぜ」



 なっ……



 レグルスは小さく声を上げて今度は身体ごと彼女の方へ向いた。


「アンタ、何でそれを先に言わねぇんだ」


「風呂に入る時間くらいあるだろ」


 呆れ気味に眉をひそめるメイサ。こっちはそんな悠長に構えてはいられないのだと説教してやりたくなる。それで、とレグルスは続けて尋ねる。



「わかっていることだけでいい、教えてくれ」


 風呂ん中で対策を考える。そう言うと彼女は観念したようにため息を落とした。



「サクラバイヅミ、高校2年だ」


「ああ」


「女子高生だ。ピチピチだぞ」


「聞いてねぇよ。それより高校2年とは何歳だ? 国は?」



 冗談めいた流れに乗ってもらえないのがつまらなかったのかメイサは少し唇を尖らせる。彼女はしぶしぶ答える。



「17歳、国は日本……“トウキョー”のどっかだって言ってたな」



 また17歳……しかも日本。例の少年も確かそこだったとレグルスは思い出す。


 確信はないが予感はあった。少年が連れ去られた意味がここで繋がるかも知れない、そんな期待とそれに反する不穏な気配が。ますますこの機会を逃す訳にはいかないと身が引き締まる。



「奴らにまだ動きはないよ」


 メイサが言う。レグルスの荒い息遣いをなだめるかのように眉を下げて薄く笑った。傾いだ顔の上部で切り揃えられた黒の前髪がさらりと流れた。



「動き出すのは深夜でほぼ間違いないだろうって」


「深夜?」



 レグルスは怪訝な顔をした。しばし思考した。


 高校というとつまり学生。『サクラバイヅミ』という人間がどんな生活下にあるのかはわからないが、狙うならむしろ登下校の時間帯など一人になったタイミングがベストではないのか。


 深夜は確かに人目につきにくい時間帯ではあるが家にいれば誰かしらに気付かれる可能性が高い。一体どんな状況に持ち込むつもりなのだろう。



「作戦会議の準備ならアンタの部下達が進めてくれてるから安心して風呂に入んな」


 ドアの方へ向かってメイサが両手で背中を押す。戸惑いがちに後ろに視線を残すレグルスを彼女は可笑しそうに見ている。



「アンタは本当に人望が厚いな。言われなくてもみんな動いてくれる。その若さですげぇよ」



 彼女のその言葉を聞いたとき胸の奥が軋んだ。少しだけうつむいた。



「……簡単ではなかったよ」



 過去の長い道のりに想いを馳せると小さな呟きと一緒に木枯らしのように乾いた笑みが表れた。



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