T隧道
以前、同僚だったTさんは怪奇現象に縁のある人で自分が怪談取材をしている旨を話すと、時間をとっていろいろ聞かせてくれた。
その中のいくつかの話を書いていこうと思う。まずは自分の家のすぐ近所の話から……
今から、四、五年前の事だ。
その日、Tさんは友人と一緒にマグロを食べに三浦に行っていた。思ったよりノンビリしていたらしく、マグロを食べに行っただけだったはずが、食べ終わって引き返す頃には夕方になっていた。
夏の夕方だ。昼間は馬鹿に晴れ渡り、濃い青空が気持ちよかったが、今は夕日に染まって当たり一面、綺麗な橙色だった。濃い大気が陽炎の揺らぎもなく、じっとりと同じ色に染まっていく様はまるで一枚の絵を見ているような錯覚に陥る。
それがどうもおかしいなと思ったのは、T隧道に差し掛かった時だったという。
そんな綺麗な瞬間が、なぜかとても長く感じられて何とはなしに近づくトンネルとその穴の空いた山を眺めていると、妙な破綻を感じた。そして、何かざらついた胸騒ぎのようなものがしたのだった。
柳の木の茂みの美しい緑。中央分離帯のガードレールにその枝が垂れ下がっている。最初、そう思ったのだが、それが風景の違和感だと気がついて、Tさんはぞっとした。
それは柳の枝などではなかったのだ。
近づくにつれそれが判った。あれは女の髪の毛だ。光の加減で深い緑に見えたがそれは黒く重く白いさびの浮いたガードレールに垂れ下がって、風もないのにゆらゆらと揺れていた。
ゾッとしながらのすれ違い様、それから目がはなせないTさんが見たものは、Tさんをじっと見つめる宙吊りの女だった。長い髪を垂れて、腕もだらんと垂らし、半開きの口から“アー ”といううめき声を出しているのが、車内なのにはっきりと聞こえた。
目と目が合ってはいたが、乗車中のこともあって邂逅は一瞬だった。ただ、それがあんまり鮮明に見えたものだから、
「俺、みちゃったよー」
と運転していた友人に言うと、
「なにー! もっと感じてみろよ! 心の中で話しかけるんだよ!! 」
などといってけしかけたが、Tさんはその女が印象が妙にはっきりしていてで気味が悪かったのでそんな気分にはなれなかった。
Tさんはそういい終えると、こちらの様子をうかがうように腕を組んだ。
そんな話を聞いて、私があそこにそんなものが出るのかと思っていたのが伝わったのだろう。Tさんはにっこり笑ってこう言った。
「原因についてさ、心当たりがあるんだ 」
そして、当時の仕事の事を話してくれた。
「その頃、俺、自動車の整備士やっていてさ。P車って外車の集中工場で働いてたのよ。でさー、今思い出したんだけど、その日の前日にね、事故車を動かさなくちゃいけなくて、俺が乗ったんだよ。まだ事故の跡、つまり乗ってた人の体の一部とか髪とかがついててさ、気持ち悪かったナァ 」
「へー、じゃあ、その事故車の持ち主だったんですか? 」
「その関係じゃないかと思うんだよ? んー、でも、何でかしらないけど、その女と目があった時は生霊だと思ったんだよ。ああ、まだ生きてるなって。だから、あそこに憑いてるお化けとは違うかもしれない。車が死亡事故の車だったような気もするんだけど、ちょっと忘れちゃったなぁ 」
Tさんはしばらく首をかしげていた。私はなぜか、Tさんが女の真似をして言った“アー”という声が耳から離れなかった。