ニャンの死
友人のmさんの祖母の話だ。もともとmさんの祖母は霊感の強い人だった。mさんは祖母のそんな話を昔から聞いていて、幽霊やその他“見えざるもの ”を身近に感じて、特別怖いと感じる事はなかったそうだ。現にmさんのおばあさんも「却って話し相手ができて寂しくないわよ」などとよく言っていたそうだ。ちなみによく話し相手になっていたのは先立った祖父だったそうだが。mさんの好きな逸話は横浜のA区に住んでいたの時のもので、ある時突然の来客があり玄関に出てみると祖母のお兄さんがいた。彼は北海道に住んでいて、突然連絡も寄こさずに来るような事をする人ではなかったから、その時点でなんとなく嫌な予感のようなものを感じた。兄は妹であるmさんのお婆さんにむかって微笑むと開口一番「水を一杯くれないか?」と言ったが上がろうとはしなかった。お婆さんはコップに水を入れて玄関に持って行くともうそこに兄の姿はなかった。翌日、北海道からの連絡で兄の死を知った。やっぱりと思ったそうだ。
さて、そんなmさんのお婆さんだが、晩年は横浜市A区から本牧に引越しをしたが、丁度その頃から体調を崩しがちになった。一緒に連れて行ったちび太とニャンという二匹の猫も同様だった。
まず、ちび太がおかしくなった。mさんが来る時はずっと玄関で待っていて、しかしいざmさんが来ると照れて隠れてしまうようなちょっと恥ずかしがりだが人懐っこい猫だったのだが、それが始終何かに怯えるようになってしまった。食欲もまるでなくなり、獣医に見てもらおうという事になって、動物病院に連れて行ったのだが、診察結果は便秘と言う事だった。しかし、家を移りはしたもののそれ以外に変わった事はないはずで、なぜ突然便秘になったのかわからない。挙句の果てに、処方された薬は吐いてしまう。これではあんまりだからと再診したところ、その時にした腸の掃除が元であえなく命を落としてしまった。ちび太が死ぬと、今度はニャンの番だった。最初はちび太の死にショックを受けているのかと思ったが、どうも違うらしい。全然なく事のない猫だったのだが、それが突然ニャーニャーとよく鳴く様になって、妙に挙動不審であった。mさんから見てもそれは別の猫の様でショックだったという。よく見てみると部屋のある方向に向かって執拗に鳴いているようで、公団の1DK3でけして広いとはいえない家だったが、明らかにおかしい場所があったのだった。それはダイニングとお手洗いを結ぶ短い廊下で、言われて見ると自分もなんだか寒気がするような嫌な気分になった。実際、mさんも電気を消してわたるのも嫌で、いつも小走りして駆け抜けるように通っていた。ニャンはだんだんその方向に敏感になり、最初は威嚇だけだったのが、その廊下から何かが出てくるかのように飛び上がって逃げ出すようになり、ついにはその“ナニカ ”に怯えて押入れに引き篭もり、空腹の時は餌だけ食べに出てくるのだが、食べるとすぐにまた押入れに引き篭もっているという生活を送るようになった。今にして思えば、ニャンとしては出来うる限りの用心をしていたのだろう。そして、その“ナニカ ”はそれほど恐ろしい相手だったようだ。
そんな日がしばらく続いた。その日、祖母から電話があって「ニャンが押入れから落ちた 」と言われた。偶然それを見た祖母の話では、ニャンは押入れの上段から誰かに叩きつけられるように落ちてきて、酷く頭を打ったのだという。祖母はあまりの事に自分の目を疑い、押入れの中を確認したがそこにはただ何もない空間があるだけだった。投げつけられたニャンは益々酷く怯えて、祖母が抱きしめても震えが止まらず、腰が抜けたように座り込んでいたという。その時の後遺症でだろうか、よたよたとよろけながら歩くようになり、目玉が飛び出したようになってしばらく後にニャンも死んだ。
ニャンが死んでしばらくすると、とうとう祖母の具合が悪くなった。病院で何度検査しても具体的なことは何一つわからず、ついには入退院を繰り返すようになった。mさんは母に連れられて病院によくお見舞いに行ったのだが、なぜかとても行きたくなくなる事が多かった。普段酔わない車にも酷く酔って、祖母の家のあの場所に感じたような“行きたくない ”という感情を強く感じた。特に病院内、祖母の入院している内科病棟では具合が悪かった。祖母の症状はと言うと、やはり猫たちと同じで、食べても食べてもやせてしまい日に日に衰弱して行った。そんな祖母が言うには、mさんが祖母に送ったキャラクター物のぬいぐるみをよく来る女の子が気に入ってしまい、夜中に遊びに来るのだというが、そんな女の子は病棟のどこにも入院していない。祖母はそのまま回復することなく、猫と同じ症状で亡くなってしまった。
祖母が亡くなってからと言うもの、例の廊下はなぜか恐ろしくなくなったとmさんは言う。そして、これも不思議な事だが、彼女の曾祖母、祖母、猫のちび太の命日は同じ日であり、mさんの誕生日と言う事だ。