第六話 輝ける未来(1)
救世主は人を原罪から救うために十字架にかけられた。
ならば、かの使徒の裏切りは予定されていたことだったのか。
彼は神の手で裏切り者に貶められたのだ。
「無事に悪魔を狩ったようだね、アヤメちゃん」
"ハカセ"と呼ばれる男が、少女を出迎えた。
彼らがいるのは町外れの廃ビルだった。昔はこの町で唯一のデパートだったのだが、町の発展に伴って町の中心から外れていき、何年も前に潰れてしまった。
荒廃したビルの中で、彼らのいる部屋だけが人の生活する気配があった。
「その呼び方は止めて」
「ははは、すまないね。どうしても、昔のイメージに引きずられてしまう」
ハカセは肩を揺らして笑った。
年の頃は50代前半ぐらいだった。同世代に比べても明らかに多い白髪と顎の無精ひげが、年齢以上に男を老けて見せていた。
「今回の現場は被害者の恋人の家だったそうだが、その場には居なかったのかい?」
「居たわよ。運良くまだ生きてたわ」
それを聞いてハカセは微かに眉をしかめた。
「それで、その恋人君はどうしたんだ?」
「どうもしてない」
「・・・やっぱりなぁ」
ハカセはがっくりと肩を落とした。そして、いつも通りの小言を続けた。
「目撃者にはきちんとした対処をしろっていってるだろう。その男は君の顔を見ている。下手に警察に目を付けれたら動きにくくなるんだぞ」
「どうせなにもできない」
だが、ハカセはそれを否定した。
「・・・悪魔憑きだって表向きは普通の人間だ。死体が残らなかったとしても、行方不明として警察が捜査する可能性はある。そうなったら、その男の口から君の事が警察に漏れ、警察が参考人として君を追うかもしれない」
少女は侮蔑の眼差しでハカセを睨んだ。
「彼の言うことを誰が信じるの? 死体が塵になって消えたなんて、警察が信じるわけがない。恋人が死んで錯乱しただけだと思われるわ」
「それでも、警察に顔を知られるだけで、障害になるんだよ」
少女はハカセの心配を嘲笑した。
「何の障害? 警察が私を追うというのなら、勝手に追えばいい。彼らの目の前で悪魔憑きを始末してやるわ。彼らがどんな顔をするか見物ね」
「傍から見たらただの人殺しだ。警察は邪魔してくるよ」
「彼らに私を止める力はない」
「・・・」
ハカセは沈黙した。彼女の言うことがただの事実だということを理解しているからだ。
そして、今度は少女の方がハカセを問い詰める。
「ねぇ。前から疑問に思っていたんだけど、何故ハカセは悪魔の存在を隠そうとするの?」
「・・・どういう意味だい?」
少女は目を細め、殺気すら漂わせてハカセを睨んだ。
「人類は、悪魔の脅威に晒されている。それなのに、その事実に気付いているのは私達のような一握りの人間だけ。悪魔を駆逐するにはあまりにも手が足りないわ」
「・・・」
「私達に必要なのは、悪魔と戦う意志を持った人間よ。その為には、悪魔の存在を・・・悪魔の脅威を皆に知らしめる必要がある。私達がすべき事は、悪魔の存在を隠すことではなくて、逆に、悪魔の存在を公衆に認知させる事じゃないかしら」
「それは違う」
少女の言葉をハカセは真っ向から否定した。
「確かに、戦士を確保するという事だけ考えたら、それは間違っていない。でも、勘違いしては駄目だ。我々の目的は戦士を集めて悪魔と戦うことではない」
「勘違いしてはいない。悪魔と戦う事が私達の使命よ」
「違う。それは手段であって、目的ではない。我々の目的は、人間社会を守ることだよ」
ハカセの言葉に、少女は眉をしかめた。
「同じ事よ。悪魔と戦うことが、人間社会を護る事に繋がる」
「もう一度言うけど、それは違うよ。悪魔の存在が公になれば、人間社会は崩壊する。他ならぬ、人間自身の手によってね。君のやりかたじゃ、戦士は増えるかもしれないが、結果的に人間社会は崩壊する」
「人間自身の手で?」
少女の目に困惑の色が浮かび、ハカセは我が意を得たりとばかりに頷いた。
「そうだ。悪魔憑きかどうかは同じ悪魔憑きにしか分からない。つまり、人間には自分のすぐ隣にいる人間が悪魔憑きかどうか判別できない」
「・・・」
「となれば、どうなるかは言うまでもない。自分の隣人が悪魔憑きではないかという疑心暗鬼に取り憑かれ、人間の間で不和が広まる。そして、最悪の場合には、悪魔憑きではないかと少しでも疑わしい人間に対する私刑が始まる。中世の魔女狩りの再来だよ」
「・・・私達には分かるわ」
少女の言葉をハカセは首を振って否定した。
「我々が分かっても、彼ら自身が分からないのでは意味がない。人間達は我々を信じないからだ。むしろ、魔女狩りが始まれば、最初に狙われるのは我々だろう」
「そんな! 私達は悪魔と戦っているのよ!?」
少女の顔が苛立ちに歪んだ。
「それを信じる根拠がない。彼らには悪魔憑きが判別できないのだから、我々の戦っている相手が悪魔憑きと立証することができないからだ」
「・・・そんな」
少女は臍をかんだ。
少女は純粋に人間を護るために戦っているのに、それを理解されないばかりか、邪推される可能性など思いつきもしなかったからだ。
「君にとっては認め難い事実かもしれないが、これが現実だ」
「・・・」
「だから、安易に悪魔の存在を認知させようなどと考えない方が良い。どんなに迂遠に思えても、それが結果的に人間を護ることに繋がる」
「・・・」
ハカセは黙り込んでしまった少女の肩を軽く叩き、慰めた。
「大丈夫。今は無理でも、いつか必ず我々の活動が受け入られる時代がくる。だから、目先に囚われず、もっと先を見据えて行動するんだ。我々の・・・人間の未来の為に」
「・・・私はもう帰るわ」
肩を落とした少女は力なく呟き、身を翻して出ていった。それを見送っていたハカセは、その背に優しく声をかけた。
「今はゆっくり休むんだ。後もことは私に任せなさい」
ハカセは少女の姿が見えなくなるまで見送ると、胸ポケットから煙草とライターを取り出し、一服した。
そして、小さく呟いた。
「そう、目先に囚われてはいけない。我々の未来のために」