第五話 正義の味方(1)
私は私だ。私は自分が自分であることを決して諦めはしない。
どれほどの悪意が私を蝕もうとも・・・私は人間だ。
いつからだろうか。
この世界に悪魔と呼ばれる存在が現れるようになったのは。
彼らが何者なのかは、誰も知らない。しかし、アレを見た者は誰もがこう認識するのだ。
あれは悪魔だ・・・と。
悪魔は人間の前に現れ、取り憑き、狂わせる。取り憑かれた人間を私達は悪魔憑きと呼んでいた。
悪魔は段々と私達の世界を蝕んでいる。
でも、ほとんどの人間がそのことに気付いていない。悪魔の存在を信じていない彼らは、悪魔の起こす異常な事件をまだ原因が分かっていないだけで、科学的に説明できる出来事だと考えているのだ。
彼らを非難する気はない。私だって実際に悪魔をこの目で見ていなければ、彼らと同じように考えていたかもしれない。
だが、確かに悪魔は存在し、私たち人間の脅威となっているのだ。
この世界には私達以外にも悪魔の存在に気付いている人がいる。しかし、彼らの大半はただ悪魔を恐れ自分の殻に閉じこもって震えているだけだった。
そして、私達のような一握りの人間だけが、悪魔と戦うことを選んだ。
私は今、とある街の教会にいた。
そこで起きた惨殺事件が悪魔によるものかどうか調査するためだ。
昨日、教会で刃物で滅多刺しにされた女性の死体が発見された。悪魔が関わっているかは不明だが、こうした悪魔憑きがこうした凄惨な事件を引き起こすのはよくある事だ。
教会の周囲は警察官がまだ目を光らせていたため、現場に近づくことはできなかった。ただ、教会からは悪魔の気配を感じなかった。
『・・・何か分かったかい、アヤメちゃん?』
「ちゃん付けは止めて。現場を確認したけど、悪魔の気配はしなかった。ここは悪魔のテリトリーじゃない」
ハカセに連絡を入れた私は、彼の軽い声にうんざりとしながらも、何も分からなかった事を告白する。
『なら、被害者の関係者を辿るしかなかろう。彼女には恋人が居た。その恋人の住所をメールで送るから確認してきてくれ』
「分かった・・・ところで、そんな事どうやって調べているの?」
『企業秘密だよ。それより、気を付けるんだな。力を振るっていないと悪魔かどうかの区別は付かない。人間に接する時は注意することだ』
「いつもそれね。分かっている」
私は毎度の警告にうんざりしながら電話を切った。
「・・・?」
被害者の恋人のアパートに着いた私は眉を顰めた。
中学生らしき子供が、目的の部屋の前に居たからだ。部屋の中を恐る恐るのぞき込んでいる。危険な存在には見えなかったが、状況がよく分からない。
「・・・!」
と、そこで私はあるものに気付き、状況を理解した。
部屋の前に、引きちぎられたドアが転がっていたからだ。
こんな事は人間にできることではない。この部屋の中に悪魔が居る。私はそう確信した。
私は気配を殺して部屋の入り口に立った。部屋をのぞき込んでいた子供は私に気付かなかったらしく、驚いている気配が伝わってきた。
部屋の中の様子を見ると・・・いた。
怯える男性を女性が抱き締めている。その女性からは黒い靄のようなものがにじみ出ていた。間違いなく悪魔憑きだ。
と、そこで悪魔憑きがこちらに振り返った。
「・・・貴方、悪魔ね」
しばしの間、私を凝視していた悪魔憑きが、敵意をむき出しにして言った。
「・・・!」
その言葉に私は深い怒りを感じた。悪魔などと一緒にされたくはない。
私は・・・人間だ。
「この人を傷つけさせはしない。貴方たち悪魔が何度現れようとも、私はこの人を護ってみせる」
この人とは部屋の隅で怯えている情けない男のことだろうか。
この悪魔憑きは何を言っているのだろう。
あの男を傷付けているのは他でもない、貴様自身だというのに。何から守るというのだろう。
だが、それを追求する機会はなかった。
悪魔憑きはスラリと血塗れの包丁を取り出す。恐らく、あの女性を殺した凶器だろう。
それをみた私は無言で背負っていた相棒を構えた。
私の相棒を見た瞬間、その場にいる誰もが息をのんだ。
それは一振りの刀。
銘は"葵切り"。
歴史に名を残すような名刀ではないが、ただの包丁など敵ではない。
ましてや、悪魔憑きの構えを見れば、何の心得もない事は一目瞭然だった。
そんな私の分析を余所に、悪魔は叫び続ける。
「私は・・・悪魔になんか負けない!!」
それを聞いた瞬間、私は失笑した。
この悪魔憑きの・・・哀れな女の現状が理解できたからだ。
彼女は自分が悪魔憑きであることを自覚していない。
おそらく悪魔に取り憑かれた時点で発狂し、自分の現状を正しく認識できなくなってしまったのだろう。
だから私は言ってやった。
微かな痛みを呑み込みながら。
「お前も悪魔だろうが」
それを聞いた悪魔憑きは、虚を突かれたように目を丸くした。それまで向けていた敵意すら霧散し、ただ困惑したような顔で私を見た。
ああ、指摘されても理解できないほどに狂ってしまったのか。
私の心に、僅かに憐憫の情が生まれる。
これではもう、人の形すら残らないだろう。せめて、苦しませないように一撃で終わらせよう。
私はそう決意し、刀を鞘に収め呼びかける。
「おいで」
それと同時に、相棒から黒い靄のようなものが吹き出し、私の体に染み込んでいった。
「あああぁぁぁぁ!!」
私の雄叫びに悪魔憑きがぎょっとした顔をするが、もうそんなことは気にならない。
私の体に染み込んだ『何か』が私を蝕み、全身の筋肉が捩れるような激痛が私を襲う。
だが、私はそれに耐えた。そう、これまでと同じように。
「ひっ!」
私が一歩足を踏み出すと、彼女は怯えて後ずさった。
本能で理解しているのだ。
私には勝てないと。
そう、勝てるはずがない。
我は世界を護るため、何もかもを捨てたのだ。
そう・・・何もかも。
世界を護れるのは我だけなのだから。
全てを捨ててでも戦い続けるしかなかった。
ただ、自分の情念に振り回されているだけの女になど、負けるわけがなかった。
だが、それでも悪魔憑きは踏みとどまり、再び敵意を燃え上がらせて私を睨み付けた。
「あああぁぁぁぁ!」
雄叫びをあげて悪魔憑きが飛びかかってくる。憎悪と敵意に歪んだその顔は、まさに悪魔の顔だった。
だが、次の瞬間・・・
ポトリと悪魔憑きの頭が床に落ちた。
「え?」
床に落ちた悪魔憑きの頭部が疑問の呻きを漏らした。
私の放った一閃が悪魔憑きの首を切り落としたのだ。
私のもっとも得意とする最速の技、居合いの一撃である。悪魔憑きは何が起きたのか全くわからなかっただろう。
一瞬遅れて、頭部を失った悪魔憑きの首から、噴水のように血が吹き出す。
「「ひあぁぁあぁあぁぁぁ!!」」
見ていた男たちが悲鳴をあげる。
当然だろう。平凡な日常を暮らす彼らが、こんな光景を目にする事になったのだから。
だが、その悲鳴はいつまでも続かない。
首を失った胴体がドサリと床に倒れ・・・
塵となって崩れ始めた。
「え? あれ?」
呆然とする男の前で、悪魔憑きの体はどんどんと崩れていく。最初から、砂で作った人形だったかのように。
そして、最後には塵さえも空中に溶け、後には何も残らなかった。
それが、完全に堕ちた悪魔憑きの最期だった。
ホっと安堵すると、体に染み込んでいた黒い靄が相棒の中に戻っていくのを感じた。
私は身を翻し、その場を去る。
男たちが後で騒ぎ立てるかもしれないが、死体さえ残っていないのでは、誰からも相手にされないだろう。
それが、私にとっての日常だった。