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大罪の悪魔と滞在する悪魔  作者: 聖湾
第一部 最終章
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第四十一話 正義の味方(10)

 力には善悪は無い。

 力は道具であり、それを何の為に使うのかはその力の持ち主次第なのだ。

 そして、剣もまた道具であり、そこに善悪は無い。


 それでも私は、悪魔を狩る正義の剣でありたかった。




 私の胸を貫いていた何かが無造作に引き抜かれ、私が床に崩れ落ちた。

 傷口を押さえたが、その程度では血は止まらなかった。悪魔の力で少しずつ出血を止めようとはしているが、このままでは、血が止まるより先に失血死してしまうかもしれない。

「・・何故・・・?」

 途切れない激痛に薄れそうになる意識を必死に繋ぎ止めながら、私は掠れた声で訊ねた。

 いつの間にか私の背後に立っていた男・・・私をサポートしてくれていた筈のハカセに。

「アヤメちゃんが私を信用してくれていたら、こんなことはせずに済んだんだがね」

 ハカセは苦笑の混じった笑みを浮かべて肩を竦めた。

 その姿は、私が普段目にしているハカセの姿と全く同じだった。

 だが、普段と全く同じだからこそ、その姿は余りに異様だった。


 その右腕は、私の血で真っ赤に染まっているというのに。


 私の胸を貫いたのはその右腕に間違いなかった。

 だが、言うまでもなく、無手で人の体を貫くことなどできるはずがない。

 そして何より、ハカセからは私のよく知っているある気配が漂っていた。

「ハカ、セ、貴方、は・・・悪魔憑き、だったの、ね」

 動揺を押し殺し、敵意を込めて睨み付けた。

 ハカセは、私の視線を気にした様子もなく、あっさりと答えた。

「ふむ。確かにその事は教えていなかったね。いや、済まん、済まん」

 ハカセは肩を竦めると、ふと気付いたように、自分の右腕を見下ろした。そして、微かに眉を顰めると、無造作に壁際の棚の一つに向かった。

 私の方は見向きもせず、暢気に棚からタオルを取り出して血塗れの右腕を拭う。

 まだ服には血が染み込んだままだったが、ハカセは納得したように頷くと周りを見回した。

 そして、悪魔憑きのリストが載っていた机に目を留めると、再び眉を顰めた。

「やれやれ、整理してあった資料を・・・」

 私が持っていた資料は、襲われた時に床に散らばっていた。ハカセは資料を広い集め、その一部に私の血が染み込んでいる事に気付き肩を落とした。

 無防備に私に背を向けたハカセを睨み付け、私は歯を食いしばって問い詰めた。

「・・・ハカ、セ、ここで、何をやっていた、の?」

「何、唯の実験だよ」

 ハカセはそこでようやく振り返り、私を見た。

「・・・実験? やっぱり、ハカセは私に隠れて、何かをしていたのね」

「そうだよ。まあ、隠れているつもりは無かった・・・というのは、少し無理があるかな?」

 ハカセは笑みを浮かべて答えた。

 その心底楽しそうな笑みは、私を酷く動揺させた。

 何なのだろう。

 ハカセの笑みは救いようもなく歪んでいた。

 ハカセは酷く熱の籠もった、そして、冷えきった目で私を見つめた。

「・・・何を、やっているの? ここにいる、あの悪魔憑きのような人達は一体何? 彼等に何をしたの?」

 私は苛立ちを押し殺しながら、三度訊ねた。

 ハカセがこの場所と何らかの関わりがあるのは、最早疑いようがない。

 そして、それはハカセがあの悪魔憑きと関わりがあるという事を、日置が行方不明になった事と関わりがあるという事だ。

 そして何より、ベッドに眠る悪魔憑きのようになった日置の姿。

 あれが何なのかは理解できない。だが、それが忌むべきものである事は容易に想像できた。

 私の詰問に、ハカセは動揺した様子もなく、どこか楽しそうに頬を歪めた。

「私は、人類が新たなステージに立つ為の、人類の未来の為の研究をしている。ここは知り合いが隠れて用意していた研究室でね。たまたまそれを知った私は、その設備を間借りさせてもらっているんだよ」

「人類の未来? ・・・あの悪魔憑き紛いが、人類の新たなステージとやらだというの?」

 目の前のハカセから目を離す事はできなかったが、背後のベッドを示唆してハカセを問い詰める。

 ハカセはどこか不満そうに、顔をしかめた。


「悪魔憑き紛い、か。酷い言い様だね。自分の後輩に向かって」


 ・・・・え?

「後、輩・・・?」

 私は呆然と呟く。

「そうだよ。アヤメちゃんと同じ、『私の造った』悪魔憑きだよ」

「ハカセが・・・造った?」

 ハカセが何を言っているのか理解できなかった。

「何を、何を言っているの?」

 混乱する私を見下ろし、ハカセは楽しそうに笑った。

「アヤメちゃん、君は初めて『葵切り』を手にした時の事を覚えているかい?」




 私が初めて相棒である『葵切り』を手にした時の事はよく覚えている。

 妹のスズナが何者かに襲われた後、私は自分の無力さに打ちひしがれていた。妹を襲った犯人について、私には手掛かりを見つける事ができなかった。

 その時、ハカセから悪魔の存在について教えられ、ハカセと二人で悪魔を追った。そしてついに、悪魔憑きの実態を突き止めたのだ。

 だが、私はそこで再び壁に突き当たった。

 悪魔憑きを見つけ出し監視することで、悪魔憑きの能力についてある程度の情報は集められたものの、唯の人間である私達には悪魔憑きを止める術が無かったからだ。


 そんな時、ハカセが一本の日本刀にまつわる逸話を聞きつけてきた。

 正直、眉唾ものの話だと思っていた。

 徳川家を憎んだ豊臣家家臣の恨みがこもった妖刀。使い古されたオカルト話だ。

 だが、ハカセが父に頼んで見せてもらったその刀は、一目見て尋常のものではないと分かった。悪魔憑きを追い続けた私だからこそ分かったのだ。

 その妖刀の纏う異様な気配は、まさに悪魔の気配と同じだったのだ。

 ハカセに教えられるまで、私の家の蔵にそんなものがあるとは知らなかった。

 私はハカセに促されて、恐る恐る妖刀を手に取った。


 ドクンッ


 手にした瞬間、私は思わず妖刀を取り落としそうになった。

 妖刀がまるで生き物のように鼓動を刻んでいた。

 刀の柄を握っている筈なのに、まるでヌメる蛇を素手で握っているかのような違和感がした。

 気味が悪った。

 一刻も早く手放したかった。

 ・・・なのに、私の手は何故かゆっくりとその妖刀を抜いていた。

 そして、その刀身を抜き払った瞬間、妖刀から何かが私の中に流れ込んできた。


 『力』が。

 そう、『悪魔の力』が。


 私は確信した。

 この刀があれば悪魔憑きを倒せると。

 ・・・妹の仇が取れると。


 あの瞬間から、妖刀『葵切り』は私の『相棒』になったのだ。




「アヤメちゃんの手に葵切りが渡るようにし向けたのは、この研究の一環だったのさ」

「・・・研究の一環?」

 思わずハカセの言葉を繰り返した私に、ハカセは誇らしげな声で答えた。

「そう。人為的に悪魔憑きを生み出す研究さ」

 私は目を見開き、息を飲んだ。

 正直に言えば、予想していなかったと言えば嘘になる。

 だが、信じたくはなかった。ハカセを信じたかった。

 ハカセが居なければ、私は悪魔と戦う事はできなかった。悪魔憑きの存在にすらたどり着けなかっただろう。

 でも、ハカセが悪魔憑きだったというのなら、悪魔憑きを生み出そうとする人間だったのなら・・・

 私は、裏切られたのか。

 いや、そもそも、最初から騙されていたのか。

 私は歯を食いしばって、半身を起こし、ハカセを問うた。

「私を・・・利用していたの?」

「端的に言ってしまえばその通りだ」

 ハカセはあっさりと認め、それどころか、私のこれまでの戦いの根底を覆す、ある事実を暴露した。


「そも、アヤメちゃんの闘いの始まりとなったのは、君の妹のスズナちゃんを襲ったのは私だからね」


 ・・・・・・・・え?


 ハカセは止まらない。

 ただ、全てをぶち壊す。


「そして、スズナちゃんはもう殺してしまったよ」


 あ・・・あ・・ああ!・ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!


「悪魔憑きになる条件とは何なのか。あの子に悪魔憑きになる素質があるのは分かっていた。私には分かるんだよ。そういう人間がね。だが、その切欠が何かが分からなかった。だから試してみたんだよ」

 ああああああああああああああああ!!!

 あの子は! あの子は!

 大切だったのに!

 守りたかったのに!

 守れなかったのに!

「殺す! 殺してやる!! 必ず貴様を殺す!!!」

 ハカセは寂しそうに笑っていった。

「やれるものならね。でも、そもそも、彼女が堕ちたのは・・・いや、それは今更か。発端は間違いなく私だからな」

 殺してやる!! 絶対にだ! 殺す! 死ね! 死ね死ね死ね死ね! 殺す! 私が殺してやる! 私は! 私は! !! ! ・・・・・・・・・・・・・・・




 どれほど時が過ぎたのだろうか。

 私は床に倒れたまま、ぼうっと天井を見上げていた。

 激情が通り過ぎ。私の心は空っぽになっていた。

 出血はもうほとんど止まったようだが、血を失い過ぎていた。おそらく、今、意識を失えば、もう私が目覚める事はないだろう。

 意識が朦朧として、もう口を開くのも億劫だった。

 だが、それでも残っていた感情の残り火が私を突き動かす。

「・・・何の為に? 何の為にこんな事を?」

 怒り、悲しみ、苛立ち、絶望、憎しみ。

 様々な想いを込めた私の視線を真っ向から受け止め、ハカセは笑みを納め、真剣な面持ちで私を見返した。

 そして、厳かに答える。

「人類の、輝ける未来の為さ」

 輝ける未来。

 私はその言葉に聞き覚えがあった。当然だろう。

 それはハカセの口癖だ。

 私は思わず吐き捨てていた。

「何が輝ける未来よ・・・人間の敵を、悪魔憑きを生み出しておきながら・・・」

 ハカセは、ほんの微か、悲しそうに笑った。


「悪魔憑きは人間の敵ではないよ」


「!?」

 思いがけないハカセの言葉に、私は一瞬、意識が止まった。

 ハカセは真剣な顔で続けた。

「悪魔憑きは人間の敵ではないよ。何故なら、結局のところ、悪魔憑きもまた唯の人間に過ぎないからだ」

 唯の人間?

「・・・何を言っているの?」

 ハカセは呟く、独り言のように。

「どんな力であれ、力は道具でしかない。悪魔憑きがどんなに残虐な行いをしたとしても、それは悪魔の仕業ではなく、『悪魔の力を手に入れた人間』の仕業なんだよ。そして、唯の人間を追いつめて悪魔憑きへと堕とすのも、いつだって人間だ」

 その時、私はハカセが私を見ていない事に気が付いた。

 いや、私だけではなく、ハカセの視線は焦点を失い、最早、何も映してはいなかった。

 ハカセは呟く。


「悪意は常に人と共にある。神も悪魔も、常に人の心の奥にいるのだよ」


「誰かに傷付けられた被害者が、他の誰かを傷付けた加害者でもあるのは珍しい事ではない」


「でも、人は傷付けられた事は覚えていても、傷付けた事は覚えていない。人はいつだって被害者だ」


「誰かを追い詰めながら、そんな自分の行いは忘れた『幸せな』被害者達」


「不条理だよ。全くもって不条理だ。だから人は堕ちるのだよ。悪魔憑きになるのだよ」


「不条理を不条理で塗り潰す為に。届かない叫びを届かせる為に」


「だから、悪魔憑きを狩ったところで、何の意味もないんだよ」


「何故なら、悪魔憑きを生み出す不条理は、いつだって悪魔の側ではなく、人の側にあるのだから」


「狩り続けても、狩り続けても、悪魔憑きは現れ続ける。人が、生み出し続ける」


「どこまで行っても救いようのない世界だ」


「人は変わらなければならない。届かない叫びに耳を澄まさなければならない」


「人は向き合わなければならないのだよ。否定するのではなく」


「自分の心の中の悪魔と」




 ハカセは呟き続ける。

 世界への恨みをこぼし続ける。

 私にはハカセが何を言いたいのか、ハカセの身に何があったのか分からない。

 それでも、たった一つの事だけは分かった。


 ハカセはもう駄目だ。


 それがよく分かった。

 ハカセを止めなければならない。

 それが私の使命であり、偽りとはいえ、共に闘ってきたハカセに対する義務だ。

 でも、私にはもうそんな力は残っていなかった。

 戦うどころか、もう指を動かす力もない。

 無意識に何か救いを求めて視線がさ迷い・・・驚きに目を見開いた。

 視界の隅に、人影が映ったのだ。




 一人の子供が私を見下ろしていた。




 ぼうっとした、興味の無さそうな眼差しで。


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