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大罪の悪魔と滞在する悪魔  作者: 聖湾
第一部 最終章
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第三十七話 輝ける未来(5)

 右の頬を打たれたら、左の頬を差し出しなさい。

 そは友愛の尊重なのか、不屈の意志の尊重なのか。

 彼の御方は仰られた。


 呪われるがいい。




 私は若い頃から秀才と言われ続けていた。

 子供の頃はその才能を鼻にかけ、傲慢で周りを見下していたものだ。

 当然のごとくそんな私の周りに好んで近付いてくるような奇特な子供は存在せず、私はずっと独りだった。

 だが、その頃の私は、孤立するのは周りの人間が自分に釣り合わないからだと思い込み、孤立している事を誇らしくさえ思っていた。

 今思えば、限りなく黒歴史に近い子供時代だ。

 実際は哀れな有様だったにもかかわらず、それを指摘してくれる友人が居なかったため、いつまでも見当外れな優越感に浸っていた。


 だが、その滑稽な栄光の日々は呆気なく終わりを告げた。

 成績優秀だった私は、全国でも有数の大学に入学することができた。私はそれがあたりまえの事だと思っていた。才能のある私なら合格して当然だと。

 入学して最初に感じたのは歓喜だった。高校での勉強とは比べものにならない優秀な講師、整った学習環境に、ようやく自分にふさわしい環境で勉学に励む事ができると。

 結局、私は『秀才』であって『天才』ではない事に気付けなかったのだ。


 初年度はまだ大丈夫だった。高校とは比べものにならないほど難易度は上がっていたが、周囲の人間もその変化に追いつくのに必死で、皆それほど差はなかった。

 だが、二年になり、環境に慣れると共に各人の能力の差が現れ始めた。

 ちょうどその頃だ。


 私が・・・自分の限界を感じ始めたのは。

 

 私は段々と講義に追いつけないようになっていたのだ。

 それは私にとって認め難い事だった。私はそれを否定しようと寝る間も惜しんで勉学に励み遅れを取り戻そうとした。

 だが、現実は非情だった。

 私は日に日に遅れていき、二年の終わりにはぎりぎり必要な単位を取るのが精一杯になっていた。

 惨めだった。

 大学のカフェで顔をしかめて論文の翻訳をする私の横で、何も考えて居なさそうな軽い男が女の尻を目で追いかけて鼻の下を伸ばしていた。以前の私であれば、愚かな男だと鼻で笑い蔑んでいたことだろう。

 だが、私は知っていた。そんな女の尻を追う軽薄な男でさえ、私より遙かに優れた才能を有していることを。

 私は、そんな軽薄な男にさえ劣る存在だったのだ。

 血の気の引いた唇を噛みしめながら、それでも私は目を血走らせながら勉学に励んだ。

 それが・・・どれほど報われないものだったとしても。

 己の才能に傲り、他者を蔑み友人を作る事もしてこなかった私には、勉学以外に何もなかったのだ。

 だが、そんなある日、不意に転機が訪れた。


 『彼』と出会ったのだ。


 私にとって初めての、そして唯一にして最高の親友と。

 そう。彼は親友だ。それは今でも、そしてこれからも決して変わらない。




 彼と出会ったのは、大学の付属図書館だった。

 ちょうど論文の為の資料探しに大勢の学生が詰めかけたタイミングで、検索用PCの列に並んでいた私は目の前でモタモタと不慣れな様子でPCをいじるその男にイライラしていた。

 浅黒い、どこかエキゾチックな彫りの深い顔立ちに、見事な黒髪とは不釣り合いな蒼い瞳が印象的だった。

 どうやら外国からの留学生のようで、日本語による検索が上手くできないようだった。

 しばらく待っていたが、私はとうとう待ちきれずに身を乗り出した。

 その男は突然割り込んできた私を見て目を白黒させていたが、私は構わずPCを操作し、検索画面を英語表記に切り替える。日本語が良く分からなくても、英語なら大抵の国の人間には通じるものだ。

 予想通り、男は英語表記になった検索画面を見て目を輝かせた。

 それからすぐに男は検索を終え、私はようやく自分の用を済ませる事ができた。


 必要な資料のコピーを済ませ、付属図書館を出ようとした私は、先ほどの男が入り口でキョロキョロと周りを見回しながら誰かを待っていた。

 そして、私の顔を見つけると、目を輝かせて駆け寄ってきた。

 どうも先程の礼を言う為に私を待っていたようだ。

 私は自分の為に早く終わらせたかっただけで、彼の為にやったことではない。

 何度も頭を下げる彼に私はその事を隠さず明かしたが、彼は気にしなかった。 

 それからだ。彼が私を見かけると度々声をかけてくるようになったのは。

 私には彼と親しくする気はなかったのだが、彼は私に対する親愛の情を隠さなかった。

 そして、それまで誰かと親しくした経験がなく、才能の限界を感じて心を弱らせていた私は、いつしか彼との交流を快いものに感じていた。




 彼はイスラム人だった。彼の父親はアメリカのジャーナリストで、中東で彼の母親と出会い彼が生まれたらしい。

 イスラム人とは人種を表す名前ではない。アラブ人がアラビア語を話す人を指す言葉であるように、イスラム人とはイスラム教を信じる人を指す言葉だ。

 彼の国籍はアメリカだが、彼は母親の影響を受けてイスラム教を信仰していた。

 アメリカは自由の国と言われているが、あの国の自由はあくまでキリスト教を基準とした寛容の精神に基づく自由だ。つまり本質的な意味では、『信仰の自由を認めている』のではなく、『キリスト教以外の信仰を許している』のだ。イスラム教徒である彼には居心地の悪い環境だったようだ。

 ニュース等で流れる一部の原理主義者によるテロ行為が更にイスラム教徒の立場を悪くしていた。

 それは日本でもあまり変わらなかったようだ。

 日本では宗教に関する関心は低いが、それでもイスラム教から過激な原理主義者を連想する人は多い。それに、宗教以前に外国人に対する見せ物を見るような視線は大きなストレスになったことだろう。

 それにもかかわらず、彼はいつだって笑顔だった。

 私はそれが不思議で彼に日本での生活に不満は無いのかと聞いてみたことがあった。

 彼はどこか困ったような顔をして答えた。

 正直、色々とやりにくい事が多い・・・と。

 だが、その答えとは裏腹に彼の顔から笑顔が消えることはなかった。

 彼はこう続けた。

 今はまだ自分を変な目で見る人もいるけれど、いつかきっと分かってくれる。違う文化と交流することは戸惑う事も多いけれど、こうして自分の国を出て他の人と交流できるのはとても幸運なことなのだと。

 正直、私にはよく理解出来ない想いだった。

 だが、目を輝かせる彼の姿は、私の目には眩しかった。

 彼は口癖のようによく言っていた。


 今こうやって頑張ることが、日本と自分の母国を繋ぐ絆になる。自分達の輝ける未来へと繋がるのだと。




 だが、ある日突然、彼は私の目の前から姿を消した。


 彼は母国へと送り返される事となったのだ。


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