第三十四話 輝ける未来(4)
書にはこうある。神は預言者に言った。汝が子を生け贄に捧げなさい。
神は己の子を生け贄に捧げた父親の信心を称え、子に救いの手を差し伸べた。
それは真実、称えられるべき事なのだろうか。
「お、おい、銃声がしたぞ」
白衣を着た小太りの男が脂汗を流しながら呻く。
「始まったのだろう。問題はない。警備システムは全て停止させたのだろう?」
もう一つの白衣を着た影が応える。
小太りの男は監視カメラの映像に目を凝らしながら、脂汗を拭く。
「も、もちろんだ。警備員も眠らせてある。この監視カメラの録画さえすり替えれば、全てが隠蔽できる」
「・・・目撃者さえ居なければ・・・か」
小太りの男の言葉を聞き流し、白衣の影は無精髭を撫でながら嘆息した。
視線の先にある監視カメラの映像は酷く荒く、部屋の一部しか映っていないため、部屋の様子は分かりづらい。
「サンプルは?」
「あの男は第一保管室を使いたいと言っていたからな。第一保管室のものは第二保管室に移した」
「新しい研究室の準備は?」
「・・・」
小太りの男は黙り込んだ。誰かと話すことで落ち着いたのか、その態度からは怯えが消え、疑い深そうな目で自分の相方を見つめた。
「ここであの小娘を片付ければ必要あるまい。それとも、あの男では勝てんという事か?」
「そうは言っていない。だが、また今回のような事件が起きる可能性はある。備えは必要だろう」
「そう簡単に用意できるものか。ああいった機材は受注生産だからな。どうやっても記録に残る。ダミーの製薬会社でも作れれば別だが、お前にそういったツテはあるのか?」
「ここにある物を移せばいいだろう」
「病院の名義で手に入れたんだ。無くなっていれば問題になる」
「・・・問題になる、か」
小太りの男の言葉に、無精髭の男は苦笑を浮かべた。そして、そっと小太りの男の背後に回り込んだ。
小太りの男は監視カメラの映像に夢中になって、それに気付かなかった。
「第一、気付かれぬようにここの機材を移せるわけがない。貴様は昔から、そういった事にはとんと気が回らないな。大体、あの二人はお前・・・の・・・?」
そこで、小太りの男は不意に言葉を止めた。
「あ?」
男の身体が痙攣し、口の端から赤い液体がこぼれ出る。
断末魔の悲鳴を上げる事さえ許されなかった男の視線が、自分の胸から飛び出したものに落ちる。
男にはそれが何なのかを理解する時間は与えられなかった。
「全てが遅すぎるんだよ」
無精髭の男が呟いた。身に纏う白衣を鮮血で真っ赤に染めながら。
「もう既に問題は起きているんだ」
背後から放たれた手刀の一撃は彼の相方の身体を貫いていた。弾けた心臓が不規則な鼓動を刻み、その度に鮮血が室内に飛び散る。
「あの男を研究室に招き入れた時点で、詰んでいたんだ。あいつが負ければ、あの娘の手で研究室は潰される。あいつが勝ったとしても、研究室は終わりだ。あいつはあそこで手に入れた手掛かりを元に、遠からずドラッグへとたどり着くだろう」
男の腕に貫かれ、宙吊りになったかつての相方に独り言のようにこぼす。
「あの男は良い手駒だったが、私とドラッグの繋がりに気付けば黙ってはいまい。どちらが勝とうと、この研究室は放棄せざるをえなかったんだ。もっとも・・・」
男は嘲笑を浮かべて囁いた。その笑みには拭いようのない嫌悪が含まれていた。
「それだけなら、二人とも始末してしまえば済む事だがね?」
男は笑う。
「全ては院長、君の責任だよ。ここはもう既にあのバカ共に目を付けられている。君が欲に目がくらんで、あのバカ共にドラッグを売り込まなければこんな事にはならなかったのに。まあ、そのおかげであの男を見出す事ができたわけだが」
男が無造作に腕を振るうと、小太りの男の、院長の遺体が床に転がった。
「安心したまえ。君の集めた機材は私が活用するよ。何も問題はない。機材が無くなったところで、君が責められることも、君の口から余計な事がもれる事も無いのだから」
男にとって、機材を病院から持ち出すのは大したことではない事ような口調で呟く。
「ああ、しかし。機材はともかく、人的資源を失うのは痛手だな。後手後手に回っている」
男は肩を落としてぼやいた。
『あの娘』は今回の件で彼の想定から外れた行動をとる事が多かった。妹の一件が原因なのか、最近おかしな情報源を元に行動するようになったのだ。
しかし、男はしっかりとした足取りで身を翻し、その場を去った。
どんなに困難であっても、果たさなければならない望みがあったからだ。
自分に言い聞かせるように呟く。
「犠牲が出るのは仕方がない。だが、無駄な犠牲であってはならない」
「全ては輝ける未来の為に」
冒頭は、預言者アブラハムとその子イクサです。




