第三十三話 正義の味方(8)
私は悪魔を切り裂く剣。
剣は振るう者が、使い手となる者が必要となり、私にとっては、ハカセがそれだ。
それが・・・もっとも適切だと信じていた。
「・・・本当に、その病院にいたのね?」
協力者の少年から、探していた不振な車を発見したとの知らせを受けて、私は思わず聞き返していた。
日置のクラスメイトが不審な車を見たという話に疑いをもっていた。
私はハカセの情報収集能力には絶対の信頼を寄せていた。そのハカセが調べても一切の記録が残っていなかった以上、そんなナンバーの車は存在しないと考えるのが妥当だ。
それだけならナンバーを偽造した可能性もあるが、不審な車が止まっていたからといって、ナンバーまで控えているのはできすぎだと思ったからだ。
だが、少年から送られてきたメールに添付された写真には、そのナンバーの車と扉に手をかけた男が映っていた事から、ハカセの調査を逃れた車が存在する事は確かだった。
念の為にそのクラスメイトがどんな人間か聞いたところ、以前の虐めの事件で関わった相手だという。
そういえば、日置と少年以外にももう一人いたような気がする。
日置の家に行った時、ちょうど訪問した私の姿と、その後を尾行する不審な車を見かけたという。
「それを早く言いなさい!」
それを聞いた時、私は頭が痛くなった。
そのクラスメイトが私の顔を知っていた事はともかく、私が尾行されていたなんて聞いていない。
確かにそんな状況なら、不審な車のナンバーを控えていてもおかしくない。情報に対する不信感が薄れた。
だが、その何者かが私を尾行していたというのは大きな問題だ。
相手が私の存在に気付いているとなると、慎重な調査が必要だ。流石に私が何者かまでは分かっていないだろうが、自分の周囲を警戒しているのは間違いない。
ハカセの調査でその車の情報が出てこなかったのも、私の存在を警戒して既に隠蔽したからかもしれない。
写真の背景と少年からのメールで、その車を見つけた病院の場所はすぐに分かった。
その病院の看護婦の何人かに訊ねたところ、写真の男は週に一度くらいこの病院を訪れていることが分かった。
彼女達は警察関係者らしいと言う事だけしか知らず、名前は誰も知らなかった。関係者である事を示す許可証に名前や顔写真は載っていた筈だが、何人もの警察関係者が頻繁に訪れる事から、わざわざ確認する者はいなかったらしい。
・・・この病院のセキュリティはどうなっているのだろうか。
警察と関わっているなら、外部に出せない情報はたくさんある筈なのに。
私は呆れながら病院の案内図を確認した。
問題の男と接触するにはこの病院で待ち伏せするしかないだろう。どこでその機会があるか分からない以上、できるかぎり現地を検証しておくべきだ。
部外者が立ち入りできる場所は自分の足で歩いて、記憶の中の地図と照らし合わせる。
「? 悪魔の気配?」
そして、立ち入り禁止区域の、地図通りなら地下への階段の近くで私は微かに悪魔の気配を感じた。
・・・これは当たりかもしれない。
私はそっと近づいたが、すぐそこで白衣を着た医者が看護婦となにやら打ち合わせをしているのを見て足を止めた。
彼等が立ち去るまで待とうと思ったが、話していた看護婦が不審そうな目でこちらを見ていることに気付き、小さく舌打ちしながらその場を離れた。
昼の間は人目が多い。立ち入り禁止区域に忍び込むのなら夜に出直した方が良いだろう。
私は早足に病院を出た。
夜の病院はまるで廃墟のような静けさだった。
病院に忍び込むのは呆気ないほど簡単だった。どういったルートを利用したのかは知らないが、ハカセが関係者用のカードキーを入手してくれたのだ。
このカードキーを使えば関係者専用の通用口から簡単に入ることができた。監視カメラなどのセキュリティシステムは二時間だけ無効化しているらしい。つまり、潜入に二時間以上かかれば警備会社に通報がいく危険性があるのだ。
素早く例の地下への階段へ向かう。
実際に階段の前に立つと、階下から薄く悪魔の気配が漂ってくることが分かった。
それを感じて私は小さく首を捻る。
・・・ずっと力をつかっているということ?
悪魔の気配を感じ取れるのは、悪魔憑きが悪魔の力を使った時だけだ。
となると、偶然立て続けに悪魔の力を使ったところに遭遇したのでなければ、悪魔の力をずっと使い続けていることになる。
一体何が起きているのか。
これまで経験した事のない事態に、私は気を引き締めて地下への階段を降りていった。
薄暗い非常灯に照らされた地下には、これまでよりも濃い悪魔の気配が漂っている。
だが、何故だろう。どこから気配がしているのかが分からない。
・・・まるで、地下全体に悪魔の気配がこびり付いているかのようだ。
ハカセから地下の見取り図は貰っているが、病院の地下は数年前に改装工事が行われており、ハカセにも改装工事後の見取り図は手に入れられなかったらしい。
私は用意していた懐中電灯で周囲を照らし、見取り図と実際の間取りを照らし合わせていく。
そして私は、ある両開きの扉の前で立ち止まった。
ハカセから貰った見取り図にはこの扉は載っていない。
それに、この扉の奥からはほんの僅かだが、他よりも濃い悪魔の気配が感じられた。
そっと扉を手に掛けて確かめると、鍵はかかっていなかった。
僅かに開けた隙間から中に入り込むと、両脇の壁にいくつものロッカーが並ぶ奥行きのない部屋だった。部屋の奥には重量のありそうな鉄製の扉があり、部屋の隅には使用済みらしき気密服が入れられた籠があった。
「減菌室?」
その部屋を見て、そんな発想が思い浮かぶ。
病気の抵抗力が低い人や難しい手術の為に減菌室が病院にあるのはおかしなことではない。
それが地下にある事がおかしいかどうかは私の中途半端な知識では判断がつかなかった。
奥の扉を調べると、意外な事にここにも鍵がかかっていなかった。少し力を加えると、扉はあっさりと横にスライドした。
・・・おかしい。
減菌室の扉が手動であっさりと開く筈がない。空気中の雑菌が入り込まないように入退室は厳しく管理されている筈だ。
だとすると、考えられるのは二つ。
一つは減菌室というのはカモフラージュだという可能性だ。減菌室ならば特別な用がない限り誰も立ち入らない。
本物の減菌室を別に用意して、緊急用の減菌室という事にしてしまえば、誰も近付かないだろう。
もう一つは・・・待ち伏せの可能性だ。
相手が私の存在を知っているのなら、私がこの病院を調べている事に気付いている可能性もゼロではない。そして、私を誘い込む為にわざと扉を開けたのかもしれない。
「・・・」
私はしばしの間、息を止めて扉の向こうの気配を窺う。
だが、何の気配も感じ取れず、私は意を決して扉を開けた。
誰もいない。
そこは小さな小部屋で、殺菌用と思われる機械が天井や床に設けられている以外には何もなかった。
私が中に入り込むと、そっと入ってきた扉が閉まった。
一瞬、閉じこめられたのかと思ったが、鍵はかかっていなかった。どうやら支えていないと自動的に閉まるようになっているらしい。
私はこの部屋に入った時と同じように奥の扉に身を寄せて奥の様子を窺う。
だが、悪魔の気配がほんの僅か濃くなった以外は、何の気配も感じなかった。
扉をそっと開けて中を覗くと、かなり奥行きのある部屋のようだった。いくつかのベッドがあるのは分かったが、暗くて部屋の奥まで見渡す事ができない。
私はそっと部屋の中に忍び込み・・・
銃声が轟いた。
「かはっ!」
私の腹部に激痛がはしり、私はその場に崩れ落ちた。
・・・動かないと!
激痛に全身の力が抜けそうになるが、私は無理矢理体を捻ってその場から転がって離れた。
次の瞬間、もう一度銃声が鳴り、私が先程までいた場所で何かが弾ける気配がした。
そして、ノズルフラッシュの光で、視界の隅にほんの一瞬だけ銃を構えた男の姿が浮かび上がったのが見えた。
待ち伏せか!
予想していながら対応できなかった口惜しさに、下唇を噛みしめる。
そっと愛刀・葵切りを抜き、囁く。
「おいで」
刀から悪魔の力が流れ込んでくる。
それと同時に全身を激痛がはしり、一瞬意識が飛びそうになるが、何とか堪えた。
銃弾を食らった激痛に上乗せされた痛みはこれまでとは比べものにならなかった。
だが、その最初の痛みさえ耐えきれば、全身の痛みは逆に引いていった。悪魔の力で、銃弾で受けた傷が少しずつ回復しているのだ。
その事に安堵し、周りの様子を確かめようとした瞬間、再び銃声が鳴り、私の肩を掠めた。
「・・・!?」
新たな苦痛に顔を歪めつつその場を離れたが、立て続けに銃声が鳴り、私の周囲を掠める。
相手の姿はほんの一瞬しか見えない。何故私の居場所が分かるのかと考えたが、その答えはあっさりと分かった。
悪魔の気配だ。
私は今、傷を癒す為に悪魔の力を使っている。その悪魔の気配を頼りに私の居場所の見当をつけているに違いない。
とっさにベッドの陰に隠れる。
今の状況で出ていけば間違いなく的にされる。なら、弾が切れるのを待つのが最善だと判断したのだ。
「・・・」
だが、私が隠れると、ピタリと銃撃が止んだ。おそらく、相手はベッドの配置を把握しているのだろう。
となると、弾切れを待つのは難しい。
銃声の止んだ室内に、微かな足音がする。おそらく、私を狙うために距離を取りながら回り込んでいるのだ。
どうするか・・・
悪魔の気配がする限り、こちらの位置は丸分かりなのだ。相手が銃を、飛び道具をもている限り勝ち目がない。
・・・悪魔の気配がする限り?
その時、私の脳裏にある考えが思い浮かんだ。
足音が止んだ。
「・・・」
しばしの沈黙の後、私の悪魔の気配が動かない事を確認した男は、その気配に向けて銃弾を放った。
「なに!?」
次の瞬間、初めて男が声を上げて叫んだ。
それがどんな声だったのか。私にはそれを気に留める余裕はない。
ノズルフラッシュで位置の分かった男に向けて、全身の力で回し蹴りを叩き込んだ。
「がはっ!」
私の蹴りを脇腹に食らった男が苦痛に体を九の字に折る。
これだけ近ければ男の姿は分かった。続けて放った手刀で拳銃を弾き飛ばす。
「貴様、まさか生身で!?」
ようやく気付いた男が、驚愕の呻きを漏らす。
そう。私は悪魔の力を・・・悪魔の依代たる愛刀を持っていなかった。
愛刀を元いた場所に置いたまま、ベッドの反対側に回り込んで奇襲のチャンスを窺っていたのだ。
男も悪魔の力を頼らず襲撃してくるとは想像していなかったのだろう。私が怪我をしていたのも油断の元となった。銃の威力を知っていれば、その傷を癒す事を後回しにするとは思わないだろう。
私はそのままの勢いで気絶させようと後頭部を狙い・・・
次の瞬間、投げ飛ばされた。
男からそれまで感じなかった悪魔の気配が溢れだし、身を捻って着地しようとした私に向かって人間の限界を超えた砲弾のような蹴りを放つ。
「ぐっ!」
私は左腕を犠牲にしてその一撃を受け止めた。凄まじい激痛とともに、骨が砕け靱帯のちぎれる音が聞こえた。衝撃を殺しきれず、私はそのまま背後に吹き飛ぶ。
だが、それは想定内だった。
男が追い打ちをかけようと床を蹴り・・・
私の葵切りがその心臓を貫いた。
「・・・え?」
男が呆然とした声で呟き、そのまま崩れ落ちた。
その体がゆっくりと塵になっていく。
私はそれを見届けると、愛刀を杖代わりに立ち上がった。
ネタを明かせば簡単だった。最初から愛刀の傍に吹き飛ぶようにわざと男の蹴りを受けたのだ。
私が素手と思い込んでいた男は、私の一撃に全く反応できなかった。
ほっと息をついた私はある事に気付き、頬をひきつらせた。
悪魔の気配が消えない?