第三十一話 ボクの日常(13)
ボクは平穏な日常を望んでいる。
でも、その平穏な日常を脅かすものが現れた時にはどうするべきなのだろうか?
その脅威を排除しようとすれば、それは最早日常ではないのだろう。
その答えは、
他人に押しつける・・・事ができれば一番なんだけど。
「くそっ! どうなってんだ!」
先輩が忌々しげに吐き捨てた。
日置君の家に訪問した翌日、昼休みに先輩に連れ出されたボクは、新聞部の部室で先輩と向かい合っていた。
昨日、急に錯乱して日置君が行方不明だと言い出した母親の扱いに困ったボクは、先輩に連絡を取って来てもらい、そのまま後始末を押しつけた。
先輩と日置君の母親の会話を横で聞いていたところ、要するに、日置君が行方不明になったのに、親戚の家に行っていると思い込んでいたらしい。
催眠術みたいなもんかな?
・・・便利そうだな。先生からテスト問題とか聞き出せるのかな。
明日の朝一の小テストを思いだし、ボクはため息をついた。
ボクの目の前で先輩もため息をついている。意味合いは全く違うが。
「やっぱり、アヤメさんに頼るしかないか」
アヤメって、確か刀の子の名前だよね。
「? まだ連絡してなかったんですか?」
「いや、連絡はしたけど、あの人に全部任せきりっつうのも情けないじゃねぇか」
「・・・さいですか」
餅は餅屋だと思うけどな。
ただの中学生には下着泥棒を捕まえるのだって無理である。悪魔なんて手に負えるわけがない。
薄情な話ではあるが、日置君がどうなっているかよりも、何故彼が悪魔に狙われたのかの方が気になる。その理由によっては、他人事ではないかもしれないからだ。
まあ、日置君が心配じゃないかって言われれば、心配ではあるんだけどね。でも、催眠術なんて力が使えるのなら、日置君に直接的な被害を与える必要性とかなさそうだし。
・・・個人的な恨みとかがあったら別だけど。
「日置が行方不明になった日、あいつに何かなかったか? 急いで帰ろうとしていたとか、そわそわしてたとか」
「ボクは日置君と親しくはないから、普段どうしてるかなんて見てませんよ」
「・・・そうかよ」
そう吐き捨てる先輩に、ちょっと、カッチーンときた。
先輩の中ではボクと日置君が友達認定されていたのかもしれないが、自分の思い込みとズレていたからって非難される謂われはない。
ボクは適当に先輩の話を聞き流すと、教室に戻って昼御飯をとることにした。
「・・・ってわけだ」
翌日の昼休み、ボクはまた先輩に連れ出されて新聞部にいた。
こんなことなら、友人と一緒に学食に行けばよかった。最近は悪魔が弁当を作ってくれるので教室で食べることが多いが、食堂は持ち込み可だ。
もっとも、いつも座席が少し足りないので、食堂で弁当を食べていると周りの目が痛いのだが。
学校には早期改善を求めます!
まあ、それはそれとして、先輩によると日置君の母親は警察を名乗る人によって暗示をかけられたらしい。そして、その警察官が本物かも分からない・・・と。
刀の子も調べ始めているらしいが、手掛かりが何もないので捜査は難航しそうだという。
それを聞いて、ボクは日置君の家の前に止まっていた車を思い出した。
手掛かりにはなるかもしれないけど、深入りはしたくないし・・・でも、流石に日置君を見殺しにするのも後味が悪そうだし・・・
ボクはしばらく悩んだが、諦めてスマホを取り出した。
車のナンバーをメモしたファイルを開き、先輩に見せる。
「? 何だ?」
「日置君の家の前に停まっていた不審な車のナンバー。ちなみに白のセダン」
「はぁぁぁぁ!?」
先輩は目を丸くさせて叫ぶと、いきなりボクのスマホを取り上げて画面を覗き込んだ。
そんな事しなくても見えると思うけど。
「何でもっと早く教えないんだよ!」
「事情が全く分からないのに、関係あるかなんて分かりません」
実は忘れていたのは秘密だ。
先輩は慌ててスマホを取り出し、どこかに電話をした。敬語で車のナンバー等を伝えている。
多分、あの刀の子かな?
電話を終えた先輩は素早く車のナンバーを自分のスマホにメモすると、ボクにスマホを返して部室の隅のノートパソコンの前に座って何か検索し始めた。
「・・・」
しばらくその背中を眺めていたが、どうもボクの事は忘れてしまったようだ。
ボクは部室にいた部長らしき眼鏡の美人先輩に会釈して部室を出た。
放課後、先輩はボクの教室には現れなかった。
教科書を鞄に仕舞って帰る準備をしていると、友人が声をかけてきた。
「ねえ、最近、先輩とよく会ってるけど何してるの?」
「ん? ああ、先輩は日置君と知り合いで、どうしたのかとかそんな事を聞かれただけ」
正直に説明するわけにはいかなかったので、適当にボカして答える。
そういや、日置君の母親が正気に戻ったけど、日置君が行方不明って話は学校に伝わっているのだろうか?
そんな疑問の答えは、思いがけないところからきた。
友人は目を好奇心に輝かせて言った。
「ふぅん。あの先輩、日置君の友達なんだ。それなら、もしかして日置君がどうしてるかしってるの? あの噂って本当?」
「あの噂?」
「日置君が休んでるの本当は家の用事なんかじゃなくて、実は家出だって噂」
「は? 家出?」
ボクは驚いて目をパチクリとさせた。
どっから家出なんて・・・いや、そういえば、警察は最初は家出じゃないかとか言ってらしいし、一応は家出として調べてはいたのかな。
「ボクは知らないけど・・・その話って、どこから出てきたの?」
「昼休みに、職員室の方に警察の人が来たらしいよ。それで、担任の先生と話してたんだけど、たまたま職員室に行った子がそれを盗み聞きしたら、日置君が家出とかなんとか」
日置君の母親が正気に戻って改めて行方不明として警察に届け出たのかな?
「へぇ。警察の人ってまだいるの?」
「知らない。多分、もういないんじゃない? ま、いいや、そういえば駅前に新しいファーストフードができたからみんなで行こうかって話してるんだけど、一緒に行く?」
友人はあまり関心のなさそうな顔で答えた。そして、あっさりと別の話題に跳ぶ。
ボクは適当に相槌を打ちながら、話を合わせた。
家に帰ると、悪魔が流しを洗剤で洗っていた。洗剤のついたタワシで水垢を落とし、洗剤の泡を洗い落とすと、お茶の準備を始める。
そういえば、最近の洗剤は水でさっと一拭きするだけで綺麗になるとかCMで言ってるけど、本当なのかな?
食卓の前で悪魔がお茶を入れるのをのんびり待っていると、ボクの顔を見た悪魔が不意に動きを止めた。
「? 何?」
ボクが顔を傾げて聞いたが、悪魔はジッとボクの顔を見ている。
普段とは違う、どこか緊張感を含んだ静寂に戸惑っていると、悪魔はそっと指を伸ばしてボクの額を軽くつついた。
「へ? あれ?」
何をするのかと言おうとしたが、不意にある事に気がついてボクは固まってしまった。
ボクの額をつついた悪魔の指に、ほんの僅かだが闇色のヘドロがまとわりついているのが視えたのだ。
もしかして、あのヘドロ、ボクの頭にくっついてた?
昨日、日置君の母親の頭部にまとわりついていた闇色のヘドロを思い出し、ボクは顔をしかめた。
ボクは黄昏時にならないとあの闇色のヘドロは見えないが、悪魔はいつでも視えるのだろう。悪魔はヘドロに気がついて取ってくれたのだ。
「おかしいな。ボクは悪魔に会ってないのに」
今日は悪魔の気配は感じなかった。
だが、気配が薄すぎて気付かなかったのかもしれない。
・・・まさか、会ったのに記憶を消されているとかはないと思うけど。
日置君の母親に暗示をかけるのにも何度も会う必要があったのだ。そんなにあっさりと記憶を消せるとは思えない。
でも、どういった形かは分からないが悪魔の影響を受けていたのは確かで、酷く気持ちが悪かった。
「放っておくわけにもいかないか・・・」
ボクがため息をつくと、悪魔がグッと親指を立てた。
なんでやねん!
ボクは警察署の前に立っていた。時刻は黄昏時、あの闇色のヘドロが視える時間帯だ。
まあ、具体的にどうすれば視えるのか、未だによく分からないんだけど。
今回の悪魔が本当に警察官かは分からないけれど、イジメの事件の時といい今回といい警察官として姿を現している以上、ここが手掛かりを探すには一番良いと思ったのだ。本職の警察官という可能性もあるし。
警察署を外からボウッと眺めていると、だんだんと建物の中に闇色のヘドロが視えてきた。
ふむ。視ようとすれば視えるのかな?
そんな事を考えながら一通り確かめるが、悪魔の姿は見当たらなかった。
駐車場の車も確かめたかったが、流石に警察署の敷地に足を踏み入れるのは気が引けた。
何も悪い事はしていないけど、それはまあ、本能のようなものだ。
ボクは一旦、警察署を離れ、次の候補地に向かうことにした。
道端でタクシーを拾い、ある病院に向かってもらう。
本当は歩いていくかバスで行きたかったのだが、それだと着く頃には日が暮れてしまい、ヘドロが視えなくなってしまう。泣く泣く大金を払うこととなった。
タクシーから降りたボクの目の前には、この街で一番大きい総合病院が立っていた。
最初、警察関連の施設として思い浮かべたのは警察病院や刑務所だったが、あいにくとどちらもこの街にはなかった。
その代わり、警察と提携を組んでいるこの病院に行き当たったのだ。
警察署の時と同じように、建物の外から悪魔の姿を探す。
「!? 居た!」
総合病院の地面の下、おそらくは地下室に悪魔の姿があった。気配までは感じ取れないので、あの悪魔と同じかは分からないが、悪魔である事は間違いない。
広い駐車場に足を踏み入れ、白いセダンを探してナンバーを確認していくと、病院に近い一角にあの車があった。
後は、この車を見張って、持ち主の顔を確認できればいいんだけど・・・
ボクはキョロキョロと辺りを見回して目立たない場所を探す。ついでに監視カメラとかないかも確かめた。
幸いにして監視カメラはないようだった。駐車場で起きた盗難等には責任を持ちませんというやつだろう。ボクは比較的目に付きにくい場所を見つけ、車を監視する事にした。
日が暮れない内に来てくれると助かるんだけど。
病院にカメラを持ってくるのは変なので、スマホのカメラ頼りだ。暗いと上手く写せないだろう。
「暇だなぁ」
車を監視していたボクは、思わずそう呟いていた。ちなみにまだ10分も経っていないが、暇なものは暇なのである。
スマホで時間を潰したいが、そっちに気を取られて見落としては大変だし、いつまで待つのか分からないから電池を無駄には使えない。
こういうのは、悪魔に押しつけたいんだけどね。
でも、悪魔が出てきたら向こうに気付かれてしまうだろう。それに、悪魔が家の外にいる光景も想像できない。
いや、ほんの一瞬だけ学校で出てきた事あるけど。
そんな事を考えていると、ふと視界の隅に茶色いコートを来た男の人がこちらに向かって歩いてきているのが見えた。
慌てて身を隠すと、正にあの車に向かっているようだ。
こっそりとスマホを向けて写真に撮る。
通常、スマホや携帯のカメラは盗撮防止に必ず音が鳴る設定になっているが、最近はその音を消すアプリとかも出ているのだ。『るーと』とかいうのも取らなくて良い。
るーとって何かよく分からないけど。
何にせよ、無事にその男の姿を撮る事ができ、男はボクに気付かず車に乗って行ってしまった。
ギャラリーを開いて確認すると、遠いのでかなり荒いが、何となく顔立ちは分かる。
ボクはメールでその写真を先輩に送った。
一仕事終えた安堵に息をつきながら駐車場を出た時、ボクはふとある事に気付いた。
あの悪魔がいた、総合病院の地下。
先程は悪魔のヘドロに紛れて気付かなかった。
総合病院の地下には酷く薄い、しかし異常に大きな闇色のヘドロが蟠っていた。