第二十三話 輝ける未来(3)
救世主は言った。罪の無い者が最初に石を投げなさい。
神は人の罪を赦したもう。
けれど、赦しを求めない者が歩み続けるならば、何人が彼の者を止めるのだろうか。
そして、真に罪ある者が、たったそれだけの言葉で立ち止まるものだろうか。
一人の少女が誰もいない小道を歩いていた。夕日も既に落ち、小道は夜闇に染まっている。
熱を失ったアスファルトが、少女に踏み締められ、たった一つの雑音を響かせる。
少女は、どこかへ向かって無言で歩み続ける。
だが・・・
「・・・?」
ふと少女は自分の前に立ち塞がる人影に気付き、立ち止まった。
「・・・あ!?」
それが誰であるかを理解し、少女は喉をひきつらせ、無意識に一歩後ずさった。
それを見て、その人影は小さく肩を竦めると、おどけたような声で言った。
「アヤメちゃんは君を殺せなかったか。それ自体は予想できなかったわけじゃないが、こんなに早く君を見つけるとは思わなかったな」
「・・・?」
その人影の声を聞いた瞬間、少女の目に困惑の色が浮かんだ。
「・・・ハカ・・セ?」
人影は笑う。
嘲るように。
「久しぶりだね、スズナちゃん」
「ヒッ!」
少女は息を飲み、怯えて身体を震わせた。
「何で・・・何で・・・」
「失敗だったよ。アヤメちゃんが君と接触する前に後始末をつけるつもりだったのに。見つけてすぐに処理するべきだったな。人気が無くなるのを待っている間に彼女が来るとはね」
動揺する少女を前に、ハカセは軽い口調で愚痴をこぼした。
少女を庇うように少女の悪魔が前に出て、ハカセに向かってメスを構えた。
ハカセはそれを見ても恐れた素振りは見せず、むしろ歓迎するかのように大きく腕を広げて笑いかけた。
「ああ。その悪魔の力で傷を癒したんだね。素晴らしい! アヤメちゃんは異能を発現する事が出来なかったというのに、スズナちゃんは本当に凄い。最初に目を付けた通りだな」
ハカセの独白の応えは、鋭い金属の輝きだった。
少女の悪魔がメスを振りかざし、ハカセに向かって切りかかる。
だが・・・
パキンッ!
ハカセは無造作に腕を伸ばすと、振り降ろされたメスを素手で掴み取り、そのまま握り潰した。
「あ・・あ・・・あ・・・」
少女が真っ青な顔で呻いた。
ハカセは笑う。怯える少女を前に。
「残念だ。本当に残念だ。異能を発現した貴重な悪魔憑きだというのに、自立型の悪魔では保管しておくのは無理だろうな。ここまで堕ちてしまっていては、サンプルにはならないだろうし」
ハカセは本当に残念そうに肩を竦め・・・
「・・・え?」
少女の体に衝撃がはしり、彼女は呆然とした顔で見下ろした。
自分の胸を貫く、ハカセの腕を。
「あ、あぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
一瞬遅れて少女の口から断末魔の絶叫が迸り、吹き出した鮮血が辺りを真紅に染めた。
「悪く思わないでくれよ。これ以上、アヤメちゃんを惑わせるわけにはいかないからね。彼女には悪魔狩りに専念してもらわないといけないんだ」
白衣を真紅に染めながら、ハカセはなんでもない事を頼むような口調で言った。
少女の悪魔がハカセに掴み掛かろうとしたが、ハカセの身体に触れた瞬間その闇色の身体が薄くなり、ハカセの身体に吸い込まれていくように消えていった。
「悪魔憑きが死んだとき、その近くに他の悪魔憑きが居ればその悪魔は取り込まれ、その悪魔憑きの更なる力になる。もっとも、残念な事に君の異能を使えるようにはならないけどね」
自分の悪魔が消える光景を見た少女の目が絶望に歪んだ。そして、理解する。自分の悪魔が取り込まれたという事は、自分の死がもう避けられない事を。
光の消えた目でハカセを見つめ、訊ねる。
「あの時・・・何故・・・?」
「・・・素質があったからさ」
ハカセは顔から笑みを消すと、端的に答えた。
それだけで、ハカセの意図を理解した少女は、光の消えていた目に憎しみの炎を灯し、ハカセを睨み付けた。
「・・・お姉・ちゃん・・・は・・・」
「知らないよ。知る必要もない」
少女の応えはない。
少女の指先が崩れ、塵となって空中に溶け込んでいった。
少女の身体が、端の方から崩れていく。
崩れる。
崩れる。
「お・姉・・・ちゃ・・ん・・・」
少女の瞳から一粒の涙がこぼれ落ち、ハカセが指でそっとその涙を拭った。
ハカセは笑う。
透き通るような笑みで。
その笑顔は酷く優しい。
「悲しむことはない。嘆くことはない。きっと全てが上手くいく。私が、輝ける未来を築いてみせる。だから、スズナちゃんはもうお眠り」
少女の身体は塵となって消えた。
後には、一片の温もりも残らない。
一瞬前まで確かに少女が居た場所を見つめ、ハカセは囁く。
「後は私に任せなさい」
ハカセは未来を夢見る。
輝ける未来を。
少女の願いなど気に留めぬままに。