第二十二話 正義の味方(5)
私は悪魔を狩る。
そも、それは何の為だったのか。何を守りたかったのか。
為すべき事を為せないならば、私は何の為に存在するのだろう。
『スズナちゃんを見たってのは確かかい? 他人の空似という可能性は?』
「ないわ。私があの子を見間違えるわけがない。それに、あの子が病室から姿を消したわ。偶然とは思えない」
私は携帯を握りしめながら、ハカセに答えた。握られた携帯が、ミシミシと軋んだ音を立てる。
通り魔事件の調査の途中で見かけたのは、間違いなくスズナ・・・私の妹だった。
だが、妹はかつて悪魔に襲われ病室のベッドから一人では離れられない身体になっていた筈だ。だから、ハカセが他人の空似を疑ったのも仕方のない事だった。
それでも私は断言できる。
あれはスズナだったと。
ずっとあの子と一緒だったのだ。あの子の成長をずっと見守ってきた私があの子を見間違える筈がない。
『・・・分かった。あの子の事は私の方で探してみよう。だからアヤメちゃんは通り魔事件の調査を続けるんだ』
「でも!」
『人探しならアヤメちゃんでなくてもできる。というより君は、普通の人探しなんて全くの素人だろう。あの子は私の知り合いの専門家に頼む。だから君は通り魔事件を、悪魔を追うんだ』
「・・・」
反論しかけた私をハカセは冷静な口調で制した。ハカセの言葉は論理的で反論の余地が無かった。
でも・・・
『良いね。あの子の事は私に任せるんだ』
そう言ってハカセは電話を切った。
私は切れてしまった携帯を握り、ただ呆然と立ち竦むことしかできなかった。
あの子は、今どうしているのだろうか?
ハカセの言うとおりに通り魔事件の手掛かりを探しながらも、私の心の中は妹の事で一杯だった。こんな事ではいけないというのは分かっているのだが、どうしても通り魔事件に集中する事ができない。
ハカセから電話が掛かってきたのはそんな時だった。
「私を捜している人間がいる?」
『ああ。あの子が君に会いたがっている可能性を考えて君が通っていた学校の周りを調べてみたんだがね。どうも君を捜している子供がいるらしい』
それを聞いて最初に思い浮かんだのは妹の事だった。
「あの子が私を捜しているの?」
『いや。以前の悪魔関連の事件の関係者だよ』
私の期待は一瞬にして崩れさった。思わずため息をつく。
『この前の虐めの事件を覚えているか? あの我々が初めて遭遇した異能持ちの悪魔の事件の事だ。あの時虐められていた子供がいただろう。どうもあの子らしい』
私は微かに眉をしかめた。
私が解決した事件の関係者が私を捜すのは珍しい事ではない。だが、私の通っていた学校まで突き止められたのは初めてだった。
何か手掛かりになるものを残していただろうか?
『私の方でも手を打つが、スズナちゃんの件もあるからすぐには手が回らない。接触する可能性があるから気を付けてくれ』
「分かったわ」
舌打ちしたい気分だった。
通り魔事件とあの子の件に加えて、無関係な野次馬まで来るなんて。面倒事が積み重なっていた。
でも・・・
その時ふとある考えが浮かんだ。ハカセに気取られぬようにある事を訊く。
「それで、会わないように注意するにしろ、その子達は今どこに居るの?」
ハカセから彼等の居場所を聞いた私はある決意を秘めて走り出した。
彼等の元へ。
彼等を見つけるのは手間がかかった。ハカセに教えてもらった場所から既に彼等が移動していた事もあったが、何より私自身が彼等の顔をよく覚えていなかったからだ。
ようやく見つけた彼等は、何故か公園で隠れていた。
カメラを持った少年が木陰から何かを撮ろうとしており、あの虐められていた少年が必死にそれを止めようとしている。
何をやっているのだろう? 私を探しているのではなかったのだろうか?
「おい」
「「わぁ!」」
背後に回り込んだ私が声をかけると、彼等は悲鳴を上げて逃げ出そうとした。だが、いきなり立ち上がろうとした所為でぶつかり合って二人とも転んでしまう。
「な、何だ!」
「きゃぁぁ!」
そして、ワンテンポ遅れてどこかから悲鳴が聞こえてくる。何かと思ってそちらを見ると、抱き合った男女が顔を真っ赤にしてこちらを見ていた。
・・・覗きか。
何をやっているんだ、こいつ等は。
「私を捜していたようだけど、何の用? それと、どうやって私の通っていた学校を見つけたの?」
逃げ出すカップルを無視して彼等を問い詰める。
どうやら話を聞くと悪魔について知りたくて私を捜していたようだ。学校は制服から見つけたらしい。
制服を見られた? あの時、制服を着ていただろうか? 思い出せない。
悪魔を追うようになってから、それ以外に対する関心がなくなっていた。服装なんて気にした覚えがない。今日も特に何も考えずに手近な服をとっただけだ。
そうか、あの時とは限らない。どこかで制服を着た姿を見られたのか。服装には気を付けるべきだった。
だが、それは今はどうでも良い。
「悪魔について教えてあげる。その代わり貴方達にやって欲しいことがあるの」
私は一瞬言葉を切り、彼等の反応を伺う。二人とも好奇心に目を輝かせて私を見ていた。これなら、話だけ聞いて逃げ出すこともないだろう。
「貴方達に通り魔事件について調べて欲しい」
そう、彼等に求めたのは通り魔事件の調査だ。
本当なら、彼等に妹の事を頼み、自分が通り魔事件を調べるべきだろう。
だが、私はどうしても妹を自分の手で探したかったのだ。
私は彼等に悪魔についての基本的な知識を与えた。加えて通り魔事件についても。
アドレス交換をして私達は別れ、私は妹を捜すために走り出した。
彼等から連絡があったのは翌日の事だった。
私達が何日も調べて見つからなかった手掛かりが一日で見つかった事に驚いた。
私は仕方なく妹を捜すことを断念し、伝えられた現場に向かった。
妹の手掛かりはまだ何も見つからない。何故病室から姿を消したのか。どうやって病室から姿を消したのか。
あの時に見た妹は、自分の足で歩いていた。あの子は何も見えず、自分の足では立ち上がる事もできない筈なのに。
嫌な予感がする。
どうか・・・どうか・・・あの子が・・・
形にならない想いが胸を焦がす。必死に目を逸らそうとしている何かが。
「・・・!」
走り続けていた私は、微かな悪魔の気配を感じて立ち止まった。連絡を受けた場所のすぐ近くだ。
悪魔がどこに居るのか、私が気配を探ろうとした時だった。
「きゃぁぁぁぁ!」
女性の悲鳴が聞こえ、私は反射的に悲鳴のした方向へ走り出した。
すると、道路に一人の中年女性が倒れていた。
苦悶の声を上げながら右目を手で押さえている。手の隙間から赤い血が流れ出しているのが見えた。
素早く周囲を探ると、多少離れていたが悪魔の気配がした。
悪魔の後を尾行すれば悪魔憑きの元へたどり着けるだろうか?
自立型の悪魔を倒す方法がない以上、それが最善だろう。
私は多少の距離をとったまま、悪魔の後を追った。
しばらく尾行していると、悪魔がふいに立ち止まった。
悪魔憑きが現れたのだろうか?
慎重に周囲の気配を探ると、ほんの僅かだが、悪魔の気配がもう一つある。本体の悪魔憑きに違いない。
私は意を決して飛び出した。
そして・・・
「・・・スズナ?」
私は呆然と呟いた。
そう、そこに居たのは間違いなく私の妹、スズナだった。
でも・・・
あの子は悪魔に襲われ、両目を失い、声を失い、歩くことも出来なくなり、左腕も禄に動かない筈だった。
だが、目の前にいる妹は、自分の足で立ち、私の姿を見て驚きに目を見開いていた。
「お姉ちゃん!」
妹が言った。もう喋れない筈だった妹が。驚きながらも心の底から嬉しそうに私を呼んだ。
「そんな・・・嘘・・・」
最初にこみ上げたのは歓喜。
あの子が、もはや死ぬまでベッドに寝たきりになってしまう筈だった大切な妹が元気な姿でそこに居る。
思わず駆け寄って抱きしめそうになり・・・あるモノが視界に入り、足を止めた。
妹の隣に立つ、血塗れのメスを手にした悪魔。
そして、妹の身体から放たれる僅かな悪魔の気配。
「スズナ・・・身体はもう良いの?」
直接聞くのが怖くて、遠回しに訊ねる。
妹は朗らかに笑って答えた。
「うん。もう大丈夫だよ・・・後は」
妹は力無くぶら下がる左腕をそっと撫でる。
「後は、この左腕だけ」
そう言って、にっこりと笑った。
心の底から嬉しそうに笑う。
ガラス玉のような光のない瞳で。
「もうすぐだよ。もうすぐ全てが元に戻る。もうすぐ、また皆で笑えるようになるんだよ」
私は思い出した。
通り魔事件で被害者の負った怪我。
左目。喉。両足の腱。そして、今回の右目。
どれも妹の負った傷と同じ場所だった。
・・・左腕を除いては。
ああ、そういう事だったのか。
「それが・・・悪魔の力? 悪魔が怪我を負わせた場所と同じ場所の怪我が治るの?」
私は絞り出すような声で訊ねた。
妹は笑顔のまま頷いた。
「そう。私の悪魔が怪我を治してくれたの」
「・・・その為に人を襲ったの!?」
私は思わず詰問するような声で訊ねた。
妹は私の言葉に首を傾げる。微かに困惑したような顔をしていた。
「・・・うん」
そこには困惑したような気配はあっても、後悔も罪悪感も感じられなかった。
「・・・何で」
「・・・?」
「何でそんな事を・・・何で人を襲ったりしたの!?」
妹は私が何を言っているのか理解できない様子だった。
ただ、自分が責められている事は理解できたのだろう、酷く傷ついたような顔で私を見た。
「何でって・・・取り戻す為だよ。もうすぐ元に戻るんだよ?」
「だからって、人を襲うなんて!?」
彼女は私の勢いに押されたように後ずさった。
「なんで怒ってるの、お姉ちゃん? もうすぐ元に戻るんだよ。あの人達なら、大丈夫だよ」
「大丈夫?」
私が思わず聞き返すと、妹は頷いた。
「うん。大丈夫。片目が無くたって前は見えるよ。声が出なくたって文字が書けるよ。片足が動かなくたって支えがあれば歩けるよ」
「大丈夫・・・って・・・」
私は理解した。妹は本心から言っていると。
胃がひきつり、吐き気がした。
思い出の中の妹と全く同じ顔が、歪な笑みを浮かべていることが恐ろしかった。
ああ、悪魔憑きだ。
私は知っていた悪魔憑きというものを。悪魔というものを。
悪魔は人を変えてしまう。
そこに居たのは、妹ではなかった。
かつて妹であった悪魔憑きだった。
堪えきれない怒りが溢れ出す。
「大丈夫なわけないじゃない! 貴方、自分が何をやっているのか理解しているの! 何で人を傷つけるような事をするの!?」
私の言葉に妹は目を大きく見開いた。
何を言われたのか分からなかったように呆然とした顔で私を見つめ、やがて怒りに染まっていった。
「何で、何でそんな事をいうの!? もうすぐ、もうすぐ元に戻るのに! お姉ちゃんは、あのまま私がベッドで寝たきりになっていれば良かったって言うの!?」
「そ、そんな事は言ってないでしょう!?」
私は思わず怯んだ。
妹があのまま寝たきりになっていれば良いなんて思っていない。
でも、妹が人を傷付ける事を受け入れる事もできなかった。
言うべき言葉が思いつかず頭の中が真っ白になりながらも、眼差しは険しくならざるをえなかった。
「・・・」
「・・・」
私と妹はしばしの間、睨み合う。
先に目を逸らしたのは妹だった。私に背を向け、どこかへ去っていく。
「スズナ!!」
私は思わず妹の名を呼んだ。
だが、妹は振り向かず、言い捨てていった。
「もう良い。理解してくれなくても。でも、お姉ちゃん。邪魔しないでね。私は取り戻すの。もう一度、あの頃に戻るの。そうなれば、お姉ちゃんも分かってくれる。もうすぐだよ。そう、もうすぐ。もうすぐ。もうすぐ。もうすぐ・・・」
妹は狂ったように呟きながら歩いていく。
いや、狂っているのだ。
おそらくは、ずっと、ずっと前に。
きっと、もう私の声は届かない。
私はそっと相棒である刀、葵切りの柄を握った。
私は、妹を止めなければならなかった。
何故なら、悪魔を狩る事が私の使命だったから。
そして何より、妹がこれ以上罪を重ねるのを止めなければならなかった。
でも、私が妹を斬る?
悪魔に襲われ、寝たきりになっていた妹を?
ずっと苦しんでいた妹を?
ずっとずっと、大切にしてきた妹を?
私は・・・
私は・・・
私は・・・
妹の姿は、いつしか見えなくなっていた。