第十四話 輝ける未来(2)
救世主は人の罪を背負い十字架にかけられた。
故に人は己の罪によって神の裁きを受けることから逃れられた。
けれど、他者の犠牲の上に救いを得ることは、そもそれ自体が罪なのではないだろうか?
「随分と派手にやったね。アヤメちゃん」
「派手という程ではないわ。何も壊してないもの」
「・・・いや、沢山の子供達の前で人を斬ったんだ。十分派手だよ」
旧百貨店の廃ビルの一角で、刀の少女とハカセと呼ばれる男が向かい合っていた。
ハカセは力無く肩を落とし咎めるような視線で少女を見ていたが、少女の方はその視線を気にすることなく肩についてしまった蜘蛛の巣の残骸を払っていた。
「その悪魔憑きの方から襲いかかったのは証言があったし、その悪魔憑きは一命を取り留めたみたいだから凶悪犯の扱いは受けていないけど、危険な不審者として警察が捜してるよ。銃刀法違反に過剰防衛という罪名付きでね」
「私の顔を撮ったカメラは破壊したし制服も着ていなかったから、手掛かりは何もないわ」
「・・・そのカメラを破壊するために校舎内に乗り込んだから、目撃者は沢山いたけどね」
ハカセは深い深いため息をついた。
だが、少女はそんな事には興味を持たず、今回の事件で気になっていたことを訊ねた。
「そんな事はどうでもいいとして、問題なのは悪魔の方よ。話に聞いた事はあったけど、あんな力は初めて見たわ」
「そんな事って・・・はあ、まあ良いけどね。何とかなりそうだし」
ハカセは説教することを諦めた。彼女には何を言っても無駄だろうし、彼女の機嫌を損ねるのは彼としても避けたい。
彼には少女の力が必要だったからだ。
それに、今回の悪魔は彼にとっても興味深かった。
「私も君の報告を受けて驚いたよ。身体能力の向上や怪我の回復力の向上はどの悪魔憑きでもみられる。現に、君の怪我ももう治っているようにね」
ハカセの言葉に少女は無言で頷く。
そう、今回の事件で少女は肋を折られていたが、もう完全に治っていた。より正確にいえば、悪魔との戦闘が終わった頃にはもう殆ど治っていた。
「でも、今回の悪魔が見せたような力は初めてだ。一部の悪魔にはそれらとは違う特殊な能力があるのではないかとは考えられていたけど、実際に確認されたのは初めてだ」
少女は首を捻って訊ねた。戦っている時、いや、戦いが終わった今でも疑問に思っていることだ。
「結局、あの悪魔は何をしたの?」
「・・・」
ハカセは一瞬黙り込み、自分の考えを慎重に吟味する。
「原理的には全く分からない。でも、起きた事象で言うならば、おそらく彼の能力は"身代わり"だろうね」
「身代わり?」
怪訝そうに答え、少女はあの戦いを頭の中で検証する。
なるほど。ハカセの説を当てはめると、納得できるものがあった。
彼女が悪魔憑きに斬りかかった時、別の人間を斬りそうになってしまったのは、あの悪魔憑きが他人を身代わりに使ったからなのだろう。
「あれから調べてみたんだけど、あの悪魔憑きは虐めに遭っていたようだね。おそらく、力を使って別人を身代わりにしていたんだ。付け加えれば、君が彼から悪魔の気配を感じなかったのもその力によるものだろう」
「力を使って? どうやって?」
「自分の体に残った悪魔の気配を他人に肩代わりさせていたのさ。ほら、別の人間から悪魔の気配がしたって言っていただろう」
「・・・ああ、なるほど」
虐めグループに囲まれていた無関係な生徒から悪魔の気配がしたことを思い出し、少女は頷いた。
おそらく、それ以前に会ったときも誰かに気配を肩代わりさせていたのだろう。
ハカセはどこか遠くを見るように目を細め、半ば独白のように続けた。
「あの虐めグループは毎回あの校舎裏に呼び出して虐めをしていたようだ。悪魔憑きはその度に日置という少年を身代わりにしていた。でも、虐めグループは君に叩きのめされたことでムシャクシャしていたんだろうな。あの時は衝動的にあの悪魔憑きを校舎裏に連れ込んだらしい。それで慌ててたまたまそこにいた子を身代わりにして、今回はボロを出す羽目になったんだろう」
「なるほど、彼等を叩きのめした甲斐があったわね」
「・・・あくまで結果論だぞ?」
納得したように頷く少女を見て、ハカセは少々呆れながら指摘した。
「でも、まだ分からないことが二つあるわ」
少女は鋭い眼差しでハカセの目を覗き込んだ
「何だい?」
「一つは、あの悪魔憑きの力よ。実際に戦って分かったけど、あの悪魔はそれほど強い悪魔では無かった。むしろ弱いくらいだった。そんな弱い悪魔が何故特異な能力を振るうことができたのか」
「ふむ。それに関してはデータが少なくて分からないな。悪魔自体の強さと特殊な能力には関係がないのかもしれない。あるいは、本来どんな悪魔でも特殊な能力を持っていて、単に悪魔憑きがその力を使いこなせていないだけという可能性もある」
「・・・なら、私の悪魔にも何か特殊な能力があると?」
「可能性だよ、可能性。さっきも言ったとおり、データが少なすぎる」
「そう。ならその話はこれで良いわ」
少女は引き下がるが、その鋭い視線は決してハカセから離さない。
そして、ここからが本題だというように、低い声で訊ねた。
「そして、二つ目の疑問は、何故あの悪魔憑きはあの虐めグループを自分で排除しようとしなかったかよ」
「・・・」
「弱いとはいえ、悪魔の力ならあんな奴等を叩きのめすのは容易だった筈よ。なのに、何であの悪魔憑きは戦おうとせず、他人を身代わりにするなんて迂遠な方法を選んだの?」
「・・・」
「今回の悪魔が見つかったのは偶然よ。あの悪魔憑きは私達の注意を引きつけるような行動は何もとっていなかった。もし、他にも目立つ行動をしようとしない悪魔憑きがいるのなら・・・私達が考えている以上に多くの悪魔憑きがいる可能性があるわ」
少女の追求に、ハカセは僅かに視線を逸らした。
その態度を見て少女は確信する。
おそらく、彼女の想像以上に多くの悪魔憑きがいる可能性があることを。そして、ハカセがその可能性に気付いていながら、彼女にそれを伝えなかったことを。
少女がじっと睨み付けると、ハカセは根負けしたようにため息をついて答えた。
「・・・悪魔憑きは無条件に人間に襲うわけじゃない。悪魔に憑かれる以前の欲求に囚われて行動する。だから、今回のように直接的な行動をとらない悪魔憑きがいることは予想していたよ」
「なら・・・!!」
激昂した少女をハカセは掌を向けて押さえる。
「でも、だからといって、何かできることがあるわけじゃない」
「・・・」
「この町で起きている事件を一つ一つ調べ、悪魔が関わっていないか調べ、疑わしければ君が現地調査を行う。やる事は何もかわらない。念のために言っておくけど、私だって当然その可能性を考慮した上で調査しているんだよ」
「・・・でも」
少女はハカセの言っていることは理解したものの、納得はできなかった。
自分が教えて貰えなかった事で、隠し事をされたように感じ、裏切られたような気がしたからだ。
少女の内心を正確に把握しつつ、ハカセは無情に告げた。
「自分に今何が出来るかを考え、出来ることをやるんだ」
それは言外に、少女は現地調査をする事にだけ集中し、他の事を考える必要はないと告げていた。
少女は下唇を噛みしめ、ただ一言答えた。
「それでも、私は教えて欲しかった」
「・・・」
少女は自分の顔を見られることを避けるように身を翻し、その場を去っていった。
ハカセは目を細めてその背中を見送り、姿が見えなくなると小さくため息をついた。
と、その時、携帯の着信音が鳴った。
ハカセは誰からの電話か確かめると、微かに歪んだ笑みを浮かべて電話に出た。
「・・・そうか、処理は済んだか。助かった。・・・ああ、丁重に扱ってくれよ・・・
異能の発現条件を探る、貴重なサンプルなんだからな」