第十一話 ボクの日常(5)
誰もが平和な日常を望んでいる。
きっと、誰からも悪人と呼ばれているテロリストのような人達でさえ。
でも、誰かにとっての平和が他の誰かを不幸にすることもあるのだろう。
ある日、ボクは再び彼女を見かけた。
あの刀を持った悪魔の少女だ。
いや、悪魔に取り憑かれているだけで、彼女自身は悪魔ではないから、悪魔の少女というのはおかしいか?
そうだ、よく分からないから、彼女のことは取りあえず刀の少女と呼ぼう。
とにかく、以前隣のアパートで暴れたあの少女が、校庭の端を颯爽と歩いているのを見かけたのだ。
どうも校舎裏から出てきたように見えたけれど・・・
ボクが首を傾げながら彼女が出てきたと覚しき場所を眺めていると、周囲を窺うようにして一人の少年が出てくるのが見えた。
どうしようか?
ボクは悩んだ。
間違っても彼女を追いかけるつもりはない。
彼女が何者かは知らないが、刀を振り回している時点で関わり合いたくない。
でも、放置するのはやっぱり不味いかもしれない。彼女がいつ現れるかビクビクしながら暮らすのは御免である。
見たところ、後から現れた少年はこの学校の生徒のようだ。あの後、そのまま校舎に入っていったからまず間違いない。
ならば、彼と接触するのはいつでも出来るだろう。
彼女達が出てきた校舎裏の様子を見てみよう。
「あれ?」
校舎裏に回り込んだボクは、思わず変な声を上げてしまった。
一見すると、そこには何もない。いや、普段の校舎裏がどんなとこかは知らないが、あっておかしいものはない。
だが、ほんの少しだけれど、そこには異様な気配が漂っていた。
悪魔の気配だ。
ここで彼女が何かをしたのか、それともここで何かがあってそれを彼女が見つけたのか。判断のしようがない。
うん。やっぱり何も分かりませんでした。まる。
そう結論付けてその場を離れようとした時だった。
「おおい。そこの!」
頭上から誰かに声をかけられた。
見上げると、三階の窓から上級生らしき男子生徒が身を乗り出してこちらを見下ろしていた。
「何ですか?」
その先輩らしき人は、ニヤリと笑った。
「ちょっと聞きたくてな。何でそんなところにいるんだ? 校舎裏なんて用はないだろ?」
何だ、それだけか。
小説のように都合良く証言が得られたりはしないらしい。
「・・・校舎裏から出てきた人の様子が変だったから気になっただけです」
「ふぅん」
内心がっかりしながらも、端的に答える。
がっかりしたのは先輩も同様のようで、残念そうに相槌を打っていた。
その時だった。
ボクのスマホに電話がかかってきた。誰からの電話か表示を見てみるが、登録されていない相手らしく、電話番号だけが羅列されていた。
何だろう。見覚えがある。
「それじゃ、失礼します」
ボクは小さく挨拶してその場を離れた。
そして、電話に出ようとして気付く。
この電話番号、ボクの家の番号じゃん!
家には悪魔しか居ない筈だ。
わざわざ悪魔が電話してきた? このタイミングで?
ボクは言いようのない不安と予感を感じながら電話に出た。
「もしもし」
『・・・』
悪魔は答えない。
ただ、微かに呼吸音のようなものが聞こえ、ボクの不安を駆り立てる。
「・・・」
『・・・』
「・・・」
『・・・』
「喋れないなら電話するなよ!!」
そう、すっかり忘れていたが、悪魔は言葉が話せなかった。
何のために電話してきたんだよ。
「げっ! 急いで教室に戻らないと!」
スマホをしまおうとしたボクは、もう休み時間が終わりに近付いている事に気付き、慌てて駆け出した。
その時にはもう、校舎裏の出来事なんてすっかり忘れていた。
その日の午後、ボクはまた彼女を見かけた。
何だか、体育倉庫の陰に隠れて校庭を見張っているようだ。
校庭では今はボクのクラスの体育の授業をしている。
その中の誰かを監視しているのだろうか?
どうしよう。先生からボールが足りなかったので取ってきて欲しいと頼まれたのだが、見つからずに取りに行けるだろうか?
彼女の様子を窺いながら考えていると、不意にぐるりと彼女の首が回り、ボクを視界に捉えた。
単に振り返っただけなのだが、妖怪のような不気味な動きだった。
思わず息を飲み、その場を逃げ出す。
嬉しいことに、彼女は追ってこなかった。
顔は覚えられてしまったかもしれないが。というか、以前に顔を合わせたことを覚えているのだろうか?
しばらくしてから、恐る恐る体育倉庫に行ってみると、彼女はもういなかった。
体育倉庫の中で待ちかまえているかも、とは思ったが、幸いなことにそれもなかった。
うん。ちょっと心配しすぎだったかも。
ボクは少し恥ずかしくなりながらも、ホッとしてボールを持っていった。
その日、彼女はもう現れなかった。
ちなみに、家に帰ってから悪魔に何の用だったか訊いてみた。
すると悪魔はどこからかキャラもののメモ帳を持ってきた。たしか、何かの漫画雑誌に付いてきたが、恥ずかしくて使う気にならずしまっていたやつだ。
悪魔は机の隅に転がっていたシャープペンを手に取り、ただ一言記した。
『ヒマ』
「しるかぁぁぁぁ!!」
その大声は近所にも聞こえたらしく、その日の夜、近所迷惑だと苦情がきたのはどうでも良い話だった。
数日後、ボクは不意に悪魔の気配を感じた。
あれから校舎裏の事が気になって傍を通ることが多くなった。そして、校舎裏から漂う悪魔の気配に気付いたのだ。
しかし、以前会った刀の少女と争っていた悪魔は、その姿を直接目にするまで悪魔に気付かなかった。
傍を通っただけで気付く悪魔というのは、もしかしてかなり強いのでなかろうか。
近付いたらヤバくない?
校舎裏に人の気配もしたが、ボクは近付く気にはなれなかった。
そうしている間に悪魔の気配は消えた。
だが、ふと何か違和感がした。
何だろう。上の方から微かに悪魔の気配がする。校舎の中かな・・・二階、いや、三階かな?
考え込んでいると、視界の隅を誰かが駆け抜けていくのが見えた。
誰かと視線を向けると、心臓が一瞬跳ね上がった。
あの刀の少女だ!
彼女はボクに気付いていないようだった。迷わず校舎裏に飛び込んでいく。
隠れてもいなかったのだが、一つの事に注意がいくと周りが見えなくなるのだろうか?
しばらくすると校舎裏から誰かが争う物音が聞こえた。
彼女が誰かと・・・おそらく悪魔と争っているのだろう。
ボクは好奇心に負けてそろそろと校舎裏に向かった。
「うわぁぁぁぁぁ!」
すると、校舎裏から飛び出してきた男子生徒達とぶつかりそうになった。
「何だいったい?」
逃げ出していった奴等の一人には見覚えがあった。あのいじめっ子の鹿野崎健三だ。
不良ぶったドヤ顔が今は恐怖に歪んでいた。
彼等はボクを気に留めず、校舎の中に飛び込んでいった。
何があったんだろう?
校舎の角からこっそりとのぞき込むと、仁王立ちになった彼女が、誰かと話していた。
よく見れば、彼女の前には地面に座り込んだ一人の男子生徒がいた。見覚えのある男子生徒だ。確か同じクラスだったと思う。名前は覚えていないが。
何を話しているのかは良く聞こえない。
もう少し近付けば聞こえるのかもしれないが、彼女に気付かれるのが怖い。
彼女が気付いているかは知らないが、ボクにも悪魔が憑いている。以前見た悪魔のように、あの刀でズンバラリンされたら間違いなく死ぬる。
そうして恐る恐る観察している内に、ある事に気が付いた。
ボク以外に校舎裏の様子を窺っている人間が居る。それも二人。
一人は木陰に潜んでいるボクと同年代と思われる男子生徒。以前、校舎裏から出てきた生徒だ。
そして、もう一人は校舎の三階から校舎裏の様子を見下ろしている以前話した先輩だ。
何であの刀の少女は気付かないのだろう。全くもって鈍すぎだ。視野狭搾は問題があると思います。
まあ、それはそれとしてどうしよう。
あの同級生らしき人は刀の少女を挟んで反対側にいる。彼女に気付かれず接触するのは無理だろう。
なら、あの先輩に会ってみるのが良いかもしれない。おそらく、何があったのか最初から見ているだろう。
ボクはその場を離れ、あの先輩がいる窓を探すことにした。
「やあ、来るとは思ったよ」
それが先輩の第一声だった。
ボクはその言葉に首を捻り、しばらくしてから気付く。
「ああ、ボクに気付いてたんですか」
先輩は満面の笑みで答える。
「そうだよ。大須賀君にもね」
「おおすが君?」
初めて聞く名前にボクは首を捻った。そろそろ首がねじ切れてしまうかもしれない。
「ん。ああ、そうかそうか」
先輩は苦笑して頭を掻いた。
「校舎裏に隠れてたのが居ただろ。彼が大須賀君だよ」
「へぇ」
ボクは特に深い意味もなく頷いた。
彼の名前が分かったのは収穫ではあるが、だからといって何がどうするといった事は何も考えていなかったからだ。
「それで、君は何であそこに居たんだい? 前も居たよね」
先輩が好奇心に目を輝かせて訊ねてくるが、残念なことに大した理由は何もない。
いや、悪魔が関わっているのだから大きな理由なのかもしれないが、教えられる事ではない。
「いえ、校舎裏にこの学校の生徒じゃない人や、何か事情がありそうな人が出入りしているから興味を持っただけなんですけど」
「・・・本当かい?」
「モチです」
先輩は疑わしそうだったが、ボクはヘラヘラと笑いながら答えた。
そして、今度は自分の方から訊ねる。
「それはそれとして、さっき校舎裏で何があったんですか?」
こうして向かい合っていると、先輩からはもう悪魔の気配を全く感じないが、あの時校舎の中から感じた気配はおそらく彼だろう。
なら、あそこであった一部始終を見ている筈だ。
そういえば、あの気配は一体何だったのだろう。
悪魔が居たのは間違いなく校舎裏だ。
なのに、校舎の三階にいた先輩から微かに悪魔の気配がした。まさか、校舎裏から三階までジャンプして移動したとも思えない。悪魔なら不可能ではないのかもしれないが、目立ち過ぎるだろう。
あり得るとしたら、校舎裏に居た悪魔が先輩に何かをしたとかだろうか。
想像はできても確証は何もない。
ただ、この先輩が悪魔と関わりがある可能性は心に留めておく必要があるかもしれない。
色々と考えていたボクは、先輩が話し始めた事に気が付いて意識を戻した。
「何があったかといえば、虐めだよ」
「イジメ・・・ですか?」
ボクは眉を顰めた。
まあ、鹿野崎が関わっている時点でその可能性は考えたが。
「まあ、あの変な女の子が現れて叩きのめしちゃったんだけどね」
「叩きのめした・・・ですか」
あれ? 彼女が校舎裏に飛び込んでから悪魔の気配は感じていないんだけど。
・・・悪魔抜きに素の実力で叩きのめしたってこと?
ボクは絶対彼女に関わらないようにしようと誓った。
「その時の動画が撮ってあるけど見るかい?」
そう言って先輩が取り出したのはデジタル一眼レフだ。
いや、ファインダーがないからいわゆるミラーレスだろう。
個人的にはファインダーのないレンズ交換できるだけのカメラには違和感があった。
それなら某レンズ会社のコンデジの方が良いと思う。
どっちにしても高嶺の花だけど。
いや、今はそれが問題ではない。
「動画って・・・何でそんなもの撮ってるんです?」
ボクは以前話題をになったマスコミへの批判を思い出した。
酷い目にあっている人間を撮影しているマスコミの人間に、その様子を撮影するより早く助けるべきだったという批判だ。
ボクの疑問に先輩は微かに顔をしかめた。
「いや、虐めの告発に使おうかと思ってね」
「告発・・・ですか?」
先輩は大きく頷き、嫌そうに口元を歪めた。
「今度、虐めについてウチの新聞に取り上げようとしているんだけどね。こういうのって、虐めがあるっていう証拠がないと、色々と文句を付けてくる奴がいるんだよ」
「そうなんですか」
この人、新聞部の人だったのか。
どうやら、報道の自由を守るのも大変なようである。ただの学級新聞でも色々と障害があるらしい。
そういえば、学級新聞って見たことないな。
いや、掲示板とかに貼ってはあるんだけど、気にしたことがない。
「それで、おおすが君・・・でしたっけ? あの人はどんな関係があるんです?」
ボクはあの現場を覗いていたもう一人の人物を思いだした。
「ああ・・・彼ね・・・」
先輩はボクの質問に僅かに視線を逸らした。
何か、言い難い事があるのだろうか?
「彼はあの虐められてた子が心配なんだろう」
「あのイジメにあっていた人と関係があるんですか?」
「ああ、大須賀君はあの子の友人なんだよ。それに・・・」
先輩は言い澱み、しばらくの間俯いていたが、意を決したように顔を上げた。
「これは、本当は教えるべきではないんだが」
そう前置きし、先輩は告げる。
「ついこの間まで、彼等に虐められていたのは大須賀君なんだよ」