狼のことを怖がる兎
「風音」
「何ですか?早川先輩」
「海翔でいい。次、名前を呼ばなかったらどうなるかわかるよな?」
わからないですって言いたい。嫌な予感しかしない。
「その怯えた表情、癖になっていっている」
「そんなの、悪癖です」
結局、あのあとはコンビニへ行って、海翔先輩は珈琲を買い、私はアイスココアを買った。
彼に関する情報を得たことは意外にも私の家と彼の家が近かったこと、女子からかなりもてるということ、休み時間は静かな所へいることが多いということなど
私はいろいろと質問攻めにされていて、話し過ぎたことを後悔した。その中になぜ男性恐怖症なのかという質問をされなかったので、内心ホッとしていた。私にとって、思い出したくないことだから。
今は誰もいない教室にいて、向かい合わせで椅子に座っている。
「部活が始まりますよ」
「入っていない。風音もだろ?」
なんだ、入っていないんだ。じゃあ、帰ればいいのに。
「そんなあからさまに残念そうな顔をするなよ」
「そんな顔をしていません」
気分を変えようと、鞄からお菓子を取り出した。最近はまっている物はチョコラスク。
「美味いのか?それ」
「もちろん。美味しいですよ」
「そうか」
海翔先輩は当たり前のように袋の中に手を入れて、そのままラスクを一つ食べた。
「あ!」
「どうした?」
「勝手にお菓子を取らないでください!」
「お前、食い意地が張っているな」
「そうじゃなくて・・・・・・」
味が気に入ったのか、一つまた一つと取っていく。
「あの、言いましたよね?私、男の人が苦手なんです」
「あぁ、言っていたな」
「だから、あまり近寄られると・・・・・・」
「克服しようとは今までに思わなかったのか?」
「恐怖心がかなり大きいので、思えなかったです」
「話はできるだろう?」
「一応・・・・・・」
私がそう言うと、いきなり黙り込んだ。
どうしたのだろう。いったい何を考えているのかな。
不思議に思い、そっと顔を覗きこんだら、海翔先輩は少し顔を上げて、にやりと笑った。
「ひっ!」
慌てて椅子を後ろに引いたが、手を掴まれてしまった。
「何かに似ているんだよな。風音は」
いきなり何の話を始めるのですか?
「仔猫?ひよこ?いや、違う。あぁ、兎か」
「う、兎?」
「俺が少しでも近づいたり、脅かしたりすると、ビクビクと震えるから」
あなたはそんなことを考えていたのですか?
私が兎だとすると、海翔先輩はきっと・・・・・・。
「狼」
「あ?」
そうだよ。狼だったんだ、この人!
そういえば、幼稚園の頃に読んだ絵本と同じだ。小さな兎を狙う悪い狼。
「おい」
狼さんの標的になってしまった?もう、どうすることもできないの?
「風音」
嫌だ。普段はできる限り、男の人を避けているのに。こんな風にピッタリとそばにいられるのは・・・・・・。
「風音!」
「きゃっ!はい!!」
ずっと考えていて、海翔先輩のことをすっかり忘れちゃっていた。
「さっきから呼んでいるのに、無視しやがって」
「す、すいません!」
「謝ってすむ問題か?」
先輩は苛立ちを隠さず、腕を組んでいた。目を逸らしたいのに怖くて逸らせない。
「狼ってどういうことだ?」
「どうも・・・・・・ないですよ」
「ふーん。そうか。無理矢理言わされたいのか」
また恐ろしい笑顔に変わっている。服が少しだけ汗で張りついた。
「違います」
否定するが、さらに笑みを深めた。
「言うのか、言わないのか?」
「言います」
とは言ったものの、正直まだ迷っている。それに気づいたらしく、一気に顔を近づけた。
思わず目を丸くすると、急に笑い出した。
「変な顔。あぁ、もとからか」
いくら先輩と言えど、それは失礼です。
片方の頬をプクーッと膨らますと、指先で突かれた。
自分が何をされているのか、すぐにわかったと同時に滑るように椅子から落ちてしまった。
「痛い・・・・・・」
「どんくさいな、ほら」
手を握られて、グイッと立ち上がらせた。
「狼って俺のことだろう?」
「はい。あぁ!いいえ!!」
気が緩んでいたせいか、さっきの会話を戻された。
まだ気にしていたんだ。私はもう、終わったとばかり思っていた。
「どうなんだ?」
「そう・・・・・・です」
とうとう肯定をしてしまった。嘘でも否定をするべきだったのかな。この人のことだから簡単に見破るか。
「この俺にそんなことを言うとはいい度胸だな」
だ、誰かいませんか?只今最大の危機に陥っています。
「罰を与える」
「どんなですか?」
「何がいい?」
質問をしたのは私なのに、別の質問をされた。
「痛かったり、怖かったりしないもので!」
「わかった。お望みどおり、怖いものにする」
安心できたのはほんの一瞬。私の聞き違いだと信じたい。
「嫌です!」
「そんなことを言われると、余計にしたくなる。決定」
この人のことについてわかったことが一つ増えた。それはとても恐ろしい性格だということ。
いつも教室には何人か人がいるのに、何でこんなときに限っていないのだろうと思い、溜息を吐く。
そんなことを思っていると、急に顎を掴まれ、そのまま海翔先輩と目線が合うように角度を調整された。
「何をするかは考えておく。お前は怯えながらゆっくり待っていたらいい」
それを最後に教室を出て行った。静かにドアを閉められたあと、脱力した。
嵐の予感がする。このとき私は先輩が何をたくらんでいるのか、想像もつかなかった。