第3話
その日、冒険者協会は、早朝から大騒ぎであった。
「まずはドルクの枝と葉っぱを分けてまとめて、枝は皮をはぐ。それとエージュの茎とドルクの葉っぱは細かくきざんで、こんな感じになるまですりつぶして。割合があるから、間違っても混ぜんようにしてや。要るんはアスリンは根っこ、エージュは茎だけやから、それ以外は適当に処分しといて」
宏の指示に従い、昨日のうちにかき集められ、山と積み上がった材料に立ち向かっていく春菜と職員達。参考までにと、材料を分けてくれた薬剤師が、何人か協力に来ている。
「アスリンの根以外は、普通に作られている応急処置用の毒消しと変わらないのですね」
「そらそうでっせ。元々、あの毒消しは効きが弱いだけで、成分的には大抵の毒に干渉できるし」
「では、このアスリンの根は?」
「瘴気系の毒に強い効果があるんやけど、そのままやと劇薬やから、普通の毒消しの成分で劇薬になってる部分を弱めたるんです。ただ、普通に混ぜて煮込むだけやと肝心の瘴気系の毒に対する効能まで弱めてまうんで、そこで錬金術の要領でちょちょいと細工したる必要がありますねん」
壮年の薬剤師の質問に答えながら、手際よくアスリンの根を処理していく。肝心の素材だけあって一番分量が多いのに、この場にあるどの材料より早く処理が進んで行くあたり、熟練度の差というのはずいぶんと大きいらしい。
「見た事のない処理をなさっていますが、それが?」
「はい。言うてもまあ、初歩の錬金術とエンチャントの知識があったら難しないやり方なんで、機会があったらそっちも勉強したって下さい。必要な事だけ僕が教えてもええけど、生兵法は怪我のもとやし、やるんやったら、ちゃんとした人に習う事をお勧めします。ちゃんと勉強した方が、応用範囲も広がりますし」
「分かりました」
宏の正論に、苦笑しながら同意する壮年の薬剤師。
「東君、この皮はどうするの?」
「はぎ終わったら置いといて。そいつと根っこは、ちょっと特殊な処理がいるから」
「了解。あとは、葉っぱと茎をすりつぶしておけばいいんだね?」
宏の指示を受け、すりつぶす作業に混ざりに行く春菜。それを横目に根っこの処理をすべて終え、大量の皮に取り掛かる。魔法を使って乾燥させ、刻み、すりつぶし、粉にして量を測っていく。一連の作業の流れるような手際に、方々から感嘆の声が上がる。
「蒸留水は?」
「用意してあります」
「ほな、代わりにそっちの作業やるから、かまどと大鍋用意しといてください」
「分かりました」
アンに指示を出して、細かく刻まれた葉っぱをひたすらすりつぶしていく。他の薬剤師以外のメンバーが、せいぜい十五分程度の作業で休憩をしていると言うのに、宏はそれ以上の時間の作業を一切休憩せずにぶっ続けでこなしてのける。しかも、同じ時間で、何倍もの作業量だ。どんな分野でもそうだが、熟練者と素人の間には、絶望的な格差が横たわっている。
「さて、下ごしらえも終わったし、後は一気に煮込むだけや」
慎重に計量しながら、沸騰し始めた蒸留水の中に材料を投入していく。まず最初にエージュの茎をすりつぶしたものを両手鍋二杯分投入し、十秒ほどかき混ぜて全体を均一にする。その後にドルクの枝の皮を粉にしたものを混ぜ、さらに十五秒ほどかき混ぜる。全体の色が変わったのを確認すると、ドルクの葉をすりつぶしたものとアスリンの根を乾燥させて砕いたものを同時に一気に投入し弱火に緩め、四十分ほど、魔力を込めながらひたすらかき混ぜる。徐々に色が変わってゆき、澄んだ青色になったあたりで鍋を火から下ろす。
「後は瓶に小分けしたら終わりや」
魔法で粗熱を取りながら、瓶詰のために未使用、もしくは洗浄済みの片手鍋に取り分け、ほぼ終了を宣言する。
「手伝うよ。どれぐらいの量を入れればいいの?」
「首の下ぐらいまで。そんなにきっちりやのうてもええで」
「了解」
宏の指示に従い、お玉と漏斗を使ってせっせと瓶詰を続ける。この作業においても宏や薬剤師の皆さんはさすがで、取り分けた片手鍋から直接入れていると言うのに、小さな瓶に正確にこぼす気配もなく流し込んで行く。ギルド職員の皆様もせっせと瓶に蓋をして、それなりに手際よく封を行う。作業開始から三時間、そろそろ十一時というあたりで、三百を超える数の毒消しが完成した。
「これぐらいあれば十分やと思うけど、どう?」
「そうですね。従軍する騎士団の数から言っても、これがいいところでしょう」
「まあ、材料的にも設備的にも、これ以上はちょっと厳しい感じやし、足らんかったら諦めて」
「分かりました。伝えておきます」
アンに対して言うべき事を言うと、協会の購買コーナーへ移動する。お目当ては、採掘や採取に使う、つるはしと手斧だ。
「とりあえず、これとこれでええかな?」
どうせ自作するまでのつなぎだ、ということで、品質的に普通に分類できるものを適当に選定。ついでに鉱石をたくさん入れられそうな、丈夫な鞄も見つくろう。
「そう言えば、鍛冶道具とか貸してくれるところはあるんやろか?」
「なかったらどうするの?」
「そらまあ、しゃあないから間に合わせで自作して、ちょっとずつステップアップするしかないやろうなあ……」
「また気の長い話を……」
「しゃあないやん。どっちにしても、ええ装備が必要やったら、最終的にはちゃんとした設備と道具を用意せなあかんねんし」
宏の言葉にため息をつく。この場合、ちゃんとした設備を用意する、というのは、工房を持って設備を自作する、ということだ。つまるところ、早々に宿屋暮らしを終えて、どこかに十分な広さの建物を確保しに行かねばならない。もしくはそれだけの土地を購入して、資材を集めて自分で建てるか、だ。
「すんませ~ん」
「はーい」
宏の呼びかけに、大急ぎでカウンターに駆け寄ってくる購買担当の女性・ミューゼル。
「こんだけ欲しいんですけど」
「分かりました。ちょっと待ってくださいね」
何やら黒板で計算を始める。買い取りと違うのだから単なる足し算でいいはずなのに、掛け算が混ざっているのはどういうことだろう?
「つるはしと手斧、鞄が全部二つずつで六十五クローネです」
「安ない?」
「急なお仕事をお願いしましたので、ちょっとしたサービスです。報酬については、現在国と交渉中ですので、後日おいでください」
「了解。ほなありがたく割引してもらいますわ」
全く裏が無い訳ではなかろうが、さして警戒するほどの物でもなさそうだ。昨日と今日で余計な方向で目立ってしまったのだから、目をつけられるのも当然だろう。ならば、せめてメリットを頂戴するぐらいは構わないはずだ。
「それで、質問なんですけど」
「はい、どうぞ」
「この付近で、鉄とか採れる場所ってあります?」
「鉱石類ですか……」
春菜の質問に、少し考え込むミューゼル。
「そうですね。北にあるレーネ山中腹辺りにある崖で、少し取れたという話はありましたね~」
「少し、ですか?」
「はい。採れるのは採れるそうですが、質も量も大したことが無いそうで、結局鉱山としては使い物にならなかったんですよね~」
ミューゼルの言葉に、少し考え込む二人。
「それで、どうして鉱石が?」
「まあ、大した話ではないんですが、材料を持ち込めば、安くいい装備が手に入らないかな、と思ったんですよ。後、東君の話では、錬金やエンチャントの素材に鉱石を使うものがあるっていう話なので、集めておけば初歩の物は自力でどうにかなるかも、と」
「ああ、なるほど。私はてっきり、武装も自作するのかと思いましたよ」
ミューゼルの言葉に、全くの無反応は貫けなかった二人。その様子に微妙に笑みの種類が変わったのを見て、しまったと思うが後の祭り。のんきそうに見えても、さすがに冒険者協会の職員といったところか。
「まあ、実際のところ、アズマさんほどの力量は珍しいとはいえ、薬や武装をある程度自作する冒険者の方も、それほど珍しくはないですからね~。薬剤師の中にも、自分で材料を集めるために冒険者になった人とか、自分で使いやすい道具を追求するために鍛冶を習っている人とかも居ますし」
「つまりは?」
「協会の設備に鍛冶関係の物もありますので、必要でしたら声をかけてくださいね」
「……分かりました」
所詮はまだ高校生の若造二人。戦闘能力は十分以上に高かろうと、こういったやり取りでは大人を相手にできるほどすれていない。冒険者協会相手には、隠すだけ無駄らしいと諦める事にする宏と春菜であった。
「このあたりか」
教わったあたりにたどり着いたところで、崖を見上げながら疲れたように宏がつぶやく。基本的に狩人か薬の材料を探しに来る人間しか入らないような山なので、道と呼べるようなものもほとんど無く、二人は延々獣道を歩く羽目になったのだ。二人とも一般人の平均よりは大幅に高い耐久値を持っているため、枝や茨で怪我をする、という事はなかったが、春菜の服はあちらこちらがほつれ、今も必死になって毛先に絡んだ枝を引っぺがしている。
ゲームでは、さすがにこういう細かいトラブルはなかったため、こんなしょうもない事でも、今の状況が現実である事を思い知らされて、地味にへこむ。服にしても、一応汚れという要素はあったが、こんな風に袖や裾がほつれたりする事はなかった。もちろん、戦闘で破れたりはしていたが、木の枝にひっかけたり、などという事はなかった。つくづく面倒な話だ。
「さすがに、有望な鉱脈もないと判断されるような場所じゃ、ちゃんとした道なんてないか……」
「まあ、そうやろうなあ」
「そう言えば、その手斧でいろいろ払ってたけど、集めてたのは薬の材料?」
「そんなとこや。まあ、薬だけやのうて、錬金に使うもんもあるし、服に処理する触媒にしたりもするけど」
そう言って、崖をじっと見渡す宏。早速、採掘モードに入ったらしい。はっきり言って、春菜にはどのあたりに鉱石があるかなんて分からないが、職人の目には違いがあるのだろう。
「あったの?」
「そんな期待は出来へんけど、まあきっちり精製すれば使えるやろう」
おもむろにつるはしで崖を掘り始めた宏に確認を取ると、そんな心もとない返事が返ってくる。とはいえ、崖を掘っている宏の表情は実にいい笑顔で、このヘタレにこんな表情ができるのかと心の底から驚いてしまうのだが。
「それで、作業しながらでいいから、聞いて欲しいんだけど……」
「何?」
「先に謝っておくと、今まで、ちょっとだけ嘘をついてたの。ごめんなさい」
「嘘って、どんな?」
「最初に、このあたりの土地勘ほとんどなくなってるって言ったでしょ?」
「そう言えば、言うとったなあ」
三日目、ウルスに向かって移動中に、確かに春菜はそう言う感じの事を言っていた。
「あれ、半分は本当なんだけど、半分は嘘だったの」
「と、言うと?」
「私、一度行った事のある場所とか、一度見聞きした事のあるものって、そう簡単には忘れないの。だから、ゲーム内でのファーレーンの地理も、ほとんど覚えてるんだ。あのあたりを歩いたのが四年以上前、って言うのも、ウルスに来たのも二年ぶりぐらい、って言うのも嘘じゃないから、後から実装された建物とかがあると分からないのは事実なんだけど、ね」
「なるほどなあ。で、半分本当や、言うには、後から実装された建物がどう、言うのは弱いで。それに、実際にあんまり道とか分かって無かったみたいやし」
「よく見てるね」
「そら、ちゃんと観察して、違和感になるようなところは頭の片隅にとどめておくんが、天敵相手に身を守るコツやからな」
「天敵って……」
宏のあまりの言い分に、そんなに自分と行動するのは嫌なのか、と、思っていた以上にショックを受ける春菜。
「別に、藤堂さんがどうとか、そう言う事やないで。僕は基本的に、女の子とは関わりたくないねん」
「……アンさんとかミューゼルさんに対する態度で、そんな気はしてたよ」
最初の時も先ほども、アンやミューゼルが至近距離に居た時は、宏の顔は明らかに青ざめていたし、よく見れば鳥肌が立っていた。そう言う反応が無かったのは、作業の最中の、目先の事に意識の大半が向かっていた時ぐらいだ。初日の、緊張していると勘違いしてもおかしくない時以外近くで会話をしていないアンはともかく、ミューゼルは多分、宏が対人恐怖症、それも特に女性に対して結構洒落にならないレベルのそれを患っている事に気が付いているだろう。
「自分こそ、よう見てるやん」
「運命共同体だからね。相方がどんな人か、何が好きで何が嫌いか、どんな事が負担になってるか、って言うのはちゃんと見ておかないと、余計なトラブルは破滅への第一歩だし」
「そっか。悪いな、こんなんが運命共同体で」
「そんな事はないよ! 私は、東君がパートナーでよかった、って思ってるよ!」
自嘲気味につぶやいた宏に、あわてて否定して見せる。実際、右も左も分からないこの土地で、宏がパートナーであると言うのは非常に幸運だったと言える。女性恐怖症の彼には悪いが、貞操の危機を覚えずに済み、それ抜きでもこういう状況で最低限の信頼を置ける人柄をしており、何より大抵の物を自作できる。これほどのパートナーに文句をつけるなんて罰当たりな真似、春菜にはとてもできない。
「無理せんでええねんで。正直、天敵やのなんやの、物凄い失礼やって自覚はあるし」
「詳しく聞く気はないけど、よっぽどの事があったんでしょ? だったらしょうがないよ」
「ごめんな」
「こっちこそ、ごめんね。できるだけ不要な負担はかけたくないんだけど、性別だけはどうにも……」
「いや、藤堂さんが謝る事でも気にすることでもないと思う、言うか、むしろ男やったらもっとしゃっきりせい、みたいなことを言うてもええくらいやと思うんやけど……」
「言えないよ……」
春菜の目から見れば、宏のそれは明らかに、カウンセラーか心療内科にかかるべきレベルだ。正直、一歩間違えれば引きこもりになるか精神病棟に隔離されるのではないか、という種類の危うさを感じる。去年も同じクラスだったと言うのに、身近にこれほど危うい人間がいて、それに全く気がつかなかったあたり、自分の観察眼と思いやり、というやつもまだまだだ。
「で、話を戻して。覚えとる、言う割には道がよう分かってない感じやったんは、何で?」
「VRと現実では見え方が違った、って言うのもあるけど、一番大きいのは、覚えてるのと地形が違ったの」
「ほうほう。たとえば?」
宏の質問に、どこを例として挙げれば分かりやすいかを考える。
「ウルスに行く途中に、丘があったでしょ?」
「うん」
「あれ、VRの方では無かったの」
「そうなん?」
宏の不審そうな言葉に、真面目な顔で頷く。あの時、表立ってははしゃぎ気味に行動してごまかしていたが、内心では記憶とはっきり違う地形に、かなり大きなショックを受けて混乱していたのだ。
「うん。街道に出た時点で城門が見えてなきゃいけなかったんだけど、あの丘があって見えなかったから、地形が違うんだ、って確信した」
「ってことは、その前に街道と反対の方に行こうとしとったんは……」
「あっちに抜けると、ウルスの北門にショートカットできたはずだったんだ。でも、もしあの時向こうに行ってたら、確実に迷子になってただろうね」
「さよか」
今更どうでもいい話だったので、とりあえずそれで流して採掘を続ける宏。それを見た春菜が、一つため息をついて本題を切りだす。
「それで、東君はゲームの初期設定とか、どれぐらい覚えてる?」
「ほぼ覚えてない、言う感じやな」
「じゃあ、やっぱり知られざる大陸からの客人、って単語は覚えてなかったんだ」
「ゲームでも、そう言う設定やったん?」
「うん。ゲーム通りだとすると、私達はこの世界の一般人より、能力やスキルの面では成長が早いはずなの」
春菜の言葉に、そう言う設定だったのかと感心する宏。なお、過去に話を円滑に進めるために、細かいステータスを覚えていない、と言っているが、言うまでもなく、春菜は自身のステータスぐらい、熟練度の小数点以下まで全て覚えている。もっとも、今となっては全然役に立たない記憶だが。
「まあ、考えてみたら、いくらゲーム内で二十年修業積んでるいうても、それだけでここまで技能が育つ訳あらへんわなあ」
「うん。私もそう思う。で、問題になるのは、ゲームで鍛えた能力が使えるのはいいとして、能力やスキルの成長が早い、って言う設定は生きてるのかどうか」
「そやなあ。ただ、生きてるかどうかを、どうやって確認するんか、言う問題はあるわな。ゲームとちごて、ステータスを見られへんし」
「そうだよね。ためしに修練するにしても、客観的な物差しが無いと変化が分からないし」
「そもそも、もともと能力値は一つ二つ上がっても、見て分かるほどの影響はなかったやん」
崖を掘りながらの宏の言葉に、苦笑しながら頷く春菜。宏の足元には、いつの間にか大量の岩石が転がっている。掘りながら仕分けを済ませているらしく、よく見ると岩石の山が二つ出来ている。
「大体、修練するにしても、元の能力値が高くなってくると、一ポイント伸ばすのにかかる時間とか、一回の修練での伸び率とかは悪なってくるし」
「うん。そこも問題なんだよね。多分、私達は一番低いパラメーターでも、一般の人よりは随分高いだろうし」
フェアリーテイル・クロニクルというゲームにおいて、装備補正なしの能力値を増やす主要な手段は三つ。キャラクターのレベルをあげる、スキルの熟練度をあげる、伸ばしたい能力値を使う作業を行って鍛える、である。例外として、レアドロップの消耗品の中には、使用すると特定の能力値を永久に一ポイント増やす、などというものもあるが、ゲーム中でも、五年で四つしか出現していないレア中のレアなので、この場合数に入れる必要はないだろう。因みにそのアイテム、宏は生産可能だが、材料が洒落になっていないので、いまだに作った事はない。また、クエストボーナスで伸びるケースもあるが、これも数が少ない上に、グランドクエストの二章以降とハードルが高いため、主要な手段からは外れる。
このうち、狙った能力だけを伸ばせるのは、最後の伸ばしたい能力値を使う作業をする、というやり方だけだ。レベルアップはスキルやそれまでの修練の傾向から、自動的に上昇する能力値を割り振るため、低い能力はいつまでたっても低いままである。そして、スキルの熟練度をあげて得られる能力値ボーナスは、大抵の場合二つ以上の能力が伸びる。それに、スキルを鍛える、という作業自体が、能力値の修練にもつながっているため、熟練度ボーナスが得られるタイミングに関係なく、いつの間にか能力値が上がっている、などということも珍しくない。
このように、現実に比べればコントロールしやすいゲーム中において、ステータス表示を見ながら調整しても完璧に思うようにはコントロールできない類のものなのに、比較基準もないのに闇雲に訓練して、伸びやすいかどうかなど確認のしようがない。
「そもそも、フェアクロの能力値って、主観だと十ぐらい変わらないと影響が分からないけど、他所から見ると数値が大きくなるほど、一ポイントの差が絶望的な影響を持ってるのが分かる類の仕様だったし」
「そうやっけ?」
「うん。例えばね、筋力が百五十ぐらいの場合、百五十一になると十五ぐらい基礎攻撃力が増えるの。主観だとたった十五、ってことになるけど、武器で言うなら初期のナイフと同じぐらいの攻撃力が増えてるよね。これが、筋力が三百になると、基礎攻撃力が三十増えるのかな? 筋力三百のころの三十って大した数字に見えないけど、筋力二十五ぐらいの頃の攻撃力と同じだけ伸びてる訳だから、一般の人から見たら、たった一ポイントでも絶望的な差になるよね?」
「そうやなあ。それにしても藤堂さん、えらい細かい数字に詳しいなあ」
「知り合いと協力して、能力値と派生パラメーターの相関関係を計算した事があったんだ。因みに、サービス開始時スタート組のボリュームゾーンは、キャラクターレベルが百二十から百八十の間で、最高値じゃない能力値が百五十から二百の間ぐらい」
「それで、能力値百五十を例にとった訳か」
「そう言う事」
掘る手を止めて感心してのける宏に、胸を張って少し自慢げに答える春菜。因みに、キャラクターレベルを見るなら、春菜自身もボリュームゾーンに入る。能力値自体はエクストラスキルの影響があるものを除けば、一番高いもので二百五十程度。修練のきつい補助魔法と料理をマスターしていることと、生活系とはいえマスターしているエクストラスキルを持っている分、能力値はボリュームゾーンを超えて上位の下の方に入る部類だ。習得しているスキルの数が多く、一度の戦闘で複数のスキルが上昇する事も大きい。
能力値の上昇は、スキルの補正なしで三十を超えたあたりから伸び率が急激に悪くなり、五十を超えるとレベルアップとスキルボーナス以外で伸びる事はまずなくなってくる。そして、七十ぐらいで一レベル上がったぐらいでは能力値が増えなくなり、素の値で百を超えると、レベルアップでもほとんど上昇する事がなくなる。スキルも上位の物をマスターした場合で、せいぜい合計で十五程度の補正しか入らないため、ほとんどの人間の能力値が、高くて二百程度に収まるのだ。
このボーナスは生産スキルと上級の補助魔法、そして各種エクストラスキルが例外的に他のものより大きくなっている。いずれも取得難易度や修練のきつさに応じた、洒落にならない能力値補正を持っている。とりわけ、エクストラスキルの補正量は大きく、マスターすればそれだけで、普通の攻撃系上級スキル四つ分程度はボーナスが入る。もっとも、あくまで補正量が一番大きな能力値が高い、と言うだけで、補助的に上がる物は普通のスキルと大差ない。そもそも、一つしか能力値が上がらないスキルと言うのはほとんどない。
もちろん、レベル五百だとか八百などという廃人になると、五百だ六百だという数値を叩き出す能力値も平気で持っている。修練そのものの回数と密度が違う上に、ありったけのクエストボーナスを総取りしているのが普通だからだ。
「どうでもええことやけど、今んとこ、能力値的に一番高いのって、どのぐらいやろうな?」
「聞いた話だと、七百六十五がトップらしいよ。何の数値かまでは知らないけど」
「……そんなもんなんや……」
宏の微妙な表情に、どうやら八百やそこらでは効かない能力値を持っているらしい、とあたりをつける春菜。生産のエクストラスキルをたくさん持っているのだから、耐久と精神が千を超えている、などと言われても、特に驚く気はない。
「まあ、そこら辺は置いとくとして、や」
「うん」
「その事が分かったからいうて、今後の事になんぞ影響があるん?」
「影響って言うか、相談事?」
再び鉱石を掘り始めた宏に、どう話を持って行くかを考えながら声をかける春菜。
「私の記憶が確かなら、ゲームのスタートの時って、ランダムな場所にプレイヤーが配置されて、その場所に居る兵士に声をかけられてお城に連れて行かれる所から始まったと思うの」
「そこら辺はちょっとうろ覚えやけど、確かお城であれこれチュートリアル的な感じで雑用を受けて、その報酬として支度金もらってスタートやった覚えはあるわ」
「相談って言うのはそこ」
「ん?」
「今更だけど、そのゲームのスタート時点の流れに乗るかどうか、って言うのを相談したいの」
あまりに今更な話に、思わず苦笑が漏れる。第一、胡散臭いから迂闊に城に行くのはやめた方がいいかも、と最初に言い出したのは春菜だ。まあ、これに関しては、春菜が言わなくても宏の方から持ちかけただろうが。
「本気で今更やなあ」
「だよね。それに、支度金とかも、特にもらわなくてもよさそうだし」
「とりあえず、やっぱり当初の計画通り、まずは武器の用意からやと思うで」
「東君がそれでいいなら、私の方に異存はないけど、なんかリスクを押し付けて、おんぶに抱っこになってる感じなのがちょっと申し訳ないかな……」
「現時点ではしゃあない。多分、僕が普通の戦闘キャラやったら、生活費から何から何まで藤堂さんに頼りきりになっとった話やし」
ゲームでは割と軽視されがちな生活系スキルだが、実際にゲームの世界に飛ばされてしまえば、大きな魔法が使えるよりも美味しい料理を作れる方がはるかに役に立つ。ドラゴンを一撃で倒す剣技よりも、ドラゴンを倒せる剣を作れる方が、何倍も食いぶちを稼げるのは当然であろう。
たまたま二人揃って、どちらかと言えば生活系のスキルが充実しているタイプだったが、これがガチガチの戦闘系のコンビ、などという状況だった場合、いろんな意味で悲惨な事になっていたに違いない。今も春菜が、昼食のために持ってきたパンや乾し肉を少しでも美味しく食べられるように軽く手を入れているが、スキルを持っていなければこんな事も出来ないのだ。
「で、武器はええとして、防具どうする?」
「どうする、とは?」
「藤堂さん、金属鎧ってタイプやないやんなあ?」
「その前に、今日掘って持って帰るぐらいで、金属鎧を作れるの?」
「一回ではたぶん無理や。僕の道具も作らなあかんし」
「だよね」
宏の返事を聞いて、しばし考え込む。
「まあ、金属鎧がええんやったら、別に遠慮はせんでもええで。どうせ他の事に使う材料も足りへんから、あと一回二回は掘りにこなあかんやろうし」
「そっか。まあ、全身金属鎧、って言うのは勘弁してほしいけど、胸当てあたりはそっちの方がいいかもしれないかな、とは思ってるよ」
「ブレストプレートか。僕もそっちの予定やし、まあなんとかするわ」
「いいの?」
「言うたやん。どうせ何回かはこっちに掘りにこなあかん、って。それより、ブレストプレートやいうても、ここいらで取れる素材で強度出すとそんなに軽くならへんし、結構ガチャガチャうるさいけどええ?」
「それはしょうがないよ。作ってもらえるだけで、感謝です」
「了解」
そう返事を返すと、ラストスパート、という感じで採掘作業を続ける。途中から、今後のために春菜もポイントを教わって崖を掘り始め、そこそこの量の鉱石を鞄につめて下山を開始する。行きで懲りた春菜が結構複雑な感じで髪をまとめてアップにしていたのが新鮮で、普段と比べて随分と印象が変わったのだが、ヘタレの宏はそっちの方をほとんど見ずに、ひたすら藪を払う作業に専念していたため、わざわざ手間をかけて髪型を変えた意味はほとんどなかったのはここだけの話である。
「溶鉱炉と鍛冶場を使わせてほしいんやけど」
翌日。忘れていた住民登録を済ませ、アンから昨日の討伐作戦はうまく行った事を聞き、ついでに報酬として六千クローネを受け取り、その足で生産施設管理人のもとへ来た宏は、単刀直入に用件を切り出した。相手が壮年の男なので、気遅れもせずに堂々とした態度である。因みに売値は一本五十クローネ、その内訳は材料費および協力者への報酬として十クローネ、残りを協会と宏達で折半、という形で落ち着いた。三百を何本か超えている分のお金は、協力者への報酬に回している。即効性の強さが効いて、普通の毒消しより高値で売れたとのことである。
「溶鉱炉は二時間で薪代込みで二十クローネ、鍛冶道具は熱源込みで十クローネだ」
「……結構ええ値するんや」
「鉱石を精製できるほどの温度まで上げるとなると、かなりの量の薪がいるからな。ついでに言や、短時間でそこまで温度を上げにゃならんから、薪も特殊処理をした特別製の物を使っている。熱源を自力でどうにかするんだったら、鍛冶場と合わせて八クローネでいい」
壮年の職員の言葉に、頭の中でいろいろとそろばんをはじく。結局、ここを使う回数を可能な限り減らす事を考え、一番手間のかかる手段を取る事にする。
「……そやなあ。普通の薪って、ここで買える?」
「ほう、そうきたか。普通の薪なら、そうだな。その量なら五十チロルってところか」
「なら、口止め料っちゅうか人払いも兼ねて一クローネ払うから、まずは薪頂戴」
「了解。持ってきたら席を外すから、溶鉱炉を使うときは声をかけてくれ」
「はいな」
用意してもらった必要な量の薪一本一本に、何やら模様を刻みこみ始める宏。結構な量のそれに作業をしている最中に、とうとう最初から持っていた安物のナイフが欠ける。元々手入れができるほど質のいいものではないので、かなりへたっていたのをそのままにしていたのだ。
「藤堂さん、ナイフ貸して」
「はい」
春菜から受け取ったナイフで、作業を続ける。結局、彼女のナイフも最後まで作業をつづけたあたりで刃が欠けるが、それでもどうにか必要な作業は終えられたようだ。所詮割引なしでも五十チロルで買える粗悪品、バーサークベアを仕留めて解体し、いろんなものを採取し、あれこれ削り取り、などとこき使えば当然の末路であろう。
模様を刻み終えた薪とは別に、鍛冶場に置いてあった粉(多分火事になった時の消火剤だろう)を少し使って地面に魔法陣を描き、何やらごちゃごちゃと儀式を始める。十分ほどの儀式の後、一瞬、薪に青い光が宿り、表面に刻み込んだ模様が消える。それを確認して、一つ大きく息を吐き出す宏。職員が立ち去ってから三十分ほど、ようやく宏が言うところの下準備が終わる。
「ちょっと、おっさん呼んでくるわ」
「うん。その間、掃除しとくね」
「頼むわ」
そう言って鍛冶場を出ていく宏を見送って、足元に散らばった木くずを箒でかき集める。魔法陣は儀式が終わった時に消えているので、後はこのゴミを処理すれば証拠隠滅完了だ。
「……この時間で、全部に自力で処理をしたのか?」
「大したことはしてへんけどな」
「まあ、お前さんがエンチャントを使えるらしい、ってのはアンやミューゼルから聞いているが」
「そう言うこっちゃ。でまあ、今から溶鉱炉と鍛冶道具を使わせてほしいんやけど」
そう言って、十クローネを職員に渡す。受け取った金を見て一つ頷くと、溶鉱炉に薪を放り込み、火を熾す。明らかに、自分達が普段使っている薪より大きな火力だが、予想がついていたからか、職員は特に驚く様子を見せない。
「あんまり驚いてへんね」
「知られざる大陸からの客人なら、多少平均から外れていても驚くような事ではないからな」
「さいですか」
おっさんの反応に苦笑を返し、次々に鉱石を放り込んで行く。春菜が運んできた分も投げ込み終わったところで、刃が欠けて使い物にならなくなったナイフと、今日使っていた手斧とツルハシ二本も、柄の部分を外して放り込む。
「……ナイフはともかく、斧とツルハシはまだまだ新しかったみたいだが、いいのか?」
「今日、全部作る予定やったからええかな、って。あ、そうそう。置いてあるヤスリとかタガネ、かなり傷むかもしれへんから、その分のお金も後で払うわ」
「どんな使い方をするつもりだよ……」
おっさんのぼやくような言葉に答えず、指先で空中に魔法陣を描く。魔力の光で描かれたその模様が、溶鉱炉の中に吸い込まれていく。そのまま、手のひらを炉に向けて、意識を集中する宏。その様子を、微妙に冷や汗を流しながら見つめるおっさんと春菜。そのまま、魔力を炉の中に流し込みながら、通常の精製手順を続ける宏。いくつかおっさんの知らない手順を踏みつつ精製を続け、それなりの時間がたったところで、炉の中から溶けた金属を引っ張り出し、いくつかの大きさの型に入れて固め、インゴットを作る。こういう時、いつものダサくてヘタレた空気がどこかに消えるのが不思議だ。
「さて、どれから行くかな?」
「まずは、道具を作った方がいいかも?」
「そうやな。とりあえずはナイフとハンマーから行くか」
「ナイフ?」
「まずナイフ作っとかんと、ハンマーの柄が作られへんし」
えらく説得力のある台詞につい感心していると、口をはさむ暇もないほどの手際で、流れるように二本のナイフを作り上げる。見る者が見れば一発で分かるが、素材をハンマーで叩くたびに、刀身に魔力が流し込まれていく。どうやら、精製段階だけでなく、鍛造の段階でもエンチャントを行うらしい。
「ナイフはこんなもんでええとして、次はハンマーかな?」
あっという間に刃先の焼き入れ焼き戻しを終え、砥石で刃の形を綺麗に整える。本来なら鉄と鋼、二種類の金属を作り、鍛造でひっつける事で剛性と弾性両方を上げるやり方をするのだが、今回は素材にあれこれエンチャントをかけているし、所詮間に合わせだと言う事で省略したらしい。
「作ってると間に合わへんなるから、柄は今回は手斧のやつを流用するか……」
そんな事を言いながら、途中二度ほど時間延長をして次々と道具類を作り上げていく。相手の素材が硬いからか、宣言通りヤスリが二本とタガネが一本駄目になったが、端材で代用品を作ってあったため、今回は事なきを得た。おっさんの顔は、始終引きつりっぱなしだったが。
「ほんなら、本命いこか。どんぐらいの長さがええ?」
「ん~、えっとね……」
手斧とツルハシを作り終えた後、春菜の注文をいろいろ聞きながら、最後に残ったインゴットを鍛え始める。先ほどまでより丁寧に作業を進め、祈るような真摯さで刀身を作り上げる。叩くときに込められる魔力の量も、今までの物とはけた違いだ。その真剣な表情と見事な手際に見とれているうちに、美しいシルエットの刀身が完成する。そのまま残りの材料であっという間に柄と鞘を作り上げ、冒険者協会に置いてあるどの剣よりも見栄えのする、シャープな印象の細剣がその姿を現した。
「ちょっと振ってみてくれへん?」
「ん、了解」
渡されたレイピアを恐る恐る受け取り、慎重に鞘から抜き放って、十分に距離を置いてから一通りの型をなぞる。少し眉間にしわを寄せてその刀身を睨みつけた後……
「少し重心が手前すぎるかな? 後、握りの小指のあたりを、もうちょっと細くしてもらえると助かるかも」
「了解。ちょっと貸して」
春菜のリクエストに応え、いろいろと微調整をかけ、延長した残り時間もぎりぎりとなったあたりで、修正作業をどうにか終える。
「こんなもんでどない?」
「……うん、バッチリ!」
そう言うと、軽く演武のように新品の刃を振るう。最後に光属性の魔法剣を発動させて調子を確認し、先ほどとは違う感じで眉をひそめる。
「どないしたん? なんかまずかった?」
「まずかった訳じゃなくて、ちょっと釈然としなかっただけ」
「釈然とせえへん、って?」
宏の質問に、どう答えるかを考え、まずは質問から入る事にする。
「これって、間に合わせの武器なんだよね?」
「そうなるな。いろいろ小細工したけど、そもそも大本の素材があんまりええもんやなかったし」
「……やっぱり釈然としない……」
「せやから、何が?」
「明らかに、前に使ってたやつよりいいものなのが、ちょっと釈然としないな、って……」
言われてもどうにもならない事を言われて、コメントに困って沈黙する宏。
「……まあ、その辺の愚痴とか文句は、宿に戻りながら聞くわ」
「そうだね。ここで話すような事でもないよね」
「とりあえず、壊した分のヤスリとタガネの代用品は、それで勘弁したって下さい。後、できればこの事は内密に」
「……分かってるよ。言っても誰も信じねえって」
宏の言葉に、苦笑しながら頷くおっさん。実際のところ、春菜のレイピアは協会に置いてあるどの武器よりも高性能だが、上がない訳ではない。名工と呼ばれるドワーフが希少金属を使って作った武器、それにガチガチにエンチャントを施せば、互角以上の物も簡単にとは言わないが、普通に作れる。が、この辺で採れる、質としてはいまいちな鉱石で作った、となると話は別だ。何より、それほどまでの技巧を尽くして作ったものが、単なる間に合わせなどと口走る男の事など、誰かに話してもただの与太話にしか聞こえまい。
「ほな、今日はこれで失礼します」
頭を下げる宏を見送って一つため息をつくと、完全に薪が燃え尽きてようやく冷めてきた溶鉱炉の熱源部分から、灰をかき出す作業に入るのであった。
「まったく、今までの私の苦労はなんだったのかと訴えたい」
帰り道。冒険者カードの機能を使って内緒話モード、ゲームで言うところのいわゆるパーティチャットに入り、釈然としない思いを全力でぶつけ始める春菜。
「って言われてもなあ……」
「クエストこなして苦労して手に入れた義賊アルヴァンのレイピア、頑張ってお金貯めて+6まで精錬してあれこれエンチャントして鍛えた逸品を、こんな初期配置の街近辺で取れる材料だけで作った武器にあっさり上回られて、どれだけショックだったか」
「ちょっとまって」
割と聞き捨てならない話が出てきたので、とりあえず待ったをかけて確認を取る事にする宏。
「何?」
「義賊アルヴァンって、人型のユニークボスやったよね?」
「だったと思うけど、それが?」
「捕まったってNPCが言うとったん、藤堂さんが仕留めたん?」
「そうなるのかな?」
春菜の返事に苦笑すると、とりあえずどういう経緯でそうなったのかの話を聞く。問われるままに答えた春菜の話をまとめると、要するにゲーム内での普段の行動に従い、広場で一曲披露しておひねりを集めつつ、最近変わった事が無かったかを聞いている最中に、予告状が飛んでくると言う形でクエストが発生した、という事らしい。ゲーム全体で一度しか発生しない、いわゆるユニーククエストというやつだろう。
これがまた妙なクエストで、何やらよく分からないうちにダールの貴族に目をつけられ、その貴族とアルヴァンが春菜を巡って勝負し、挙句の果てに勝者の権利だから嫁になれ、と迫ってきたのでしばき倒して官憲に突き出した、ということだ。アルヴァン自体はユニークボスだけあってとてつもなく強かったが、ダールの貴族との戦闘で攻撃パターンや手札をほぼすべて見せてくれていたことが幸いし、相手の攻撃にカウンターを取る形でごり押して、辛うじてぎりぎり押し切る事が出来た、とのこと。相手の耐久値と魔法抵抗がボスにしては低かったのも、春菜にとってはプラスだった。
「藤堂さん、やっぱり強いんや」
「相手が薄かったから勝てただけだよ。多分東君ぐらいタフなら、相手のスタミナが切れたところを問答無用で殴り倒せると思うから、むしろ私が戦うよりやりやすいんじゃないかな?」
「僕には縁のない単語やとはいえ、あんまり美しくない勝ち方やなあ」
「勝てば官軍、だよ!」
自嘲気味につぶやいた宏に対し、いまいちフォローになっていない言葉で無理やり慰める春菜。
「でも、あれだけ苦労して手に入れたスターライトが、特殊効果込みでも間に合わせのこのレイピアに負けるのは、今更ながら釈然としないよ……」
「ま、まあ、そこは堪忍してや。お詫びに触媒なしで行ける範囲で、好きなエンチャントを欲しいだけ掛けるから」
「それはさらに釈然としないと言うか、何というか……」
またしてもぶつぶつ言いだした春菜に対し、とりあえずなだめるために声をかける事にする宏。
「ま、まあ、あれやで」
「何?」
「もし、アルヴァンとやりあうときに神鋼製のフルエンチャントしたレイピアとかもっとったら、せっかくのレアドロップに全くありがたみなかったわけやから……」
「そんなのもあるの? って言うか作れるの?」
春菜のやけに真剣な顔に、思いっきり引いて距離を取りながら、恐る恐る返事を返す。因みに、ここまでの会話において、詰め寄っているような状況でも一定以上の距離には近づいていない。
「聞いても怒らんといてや……」
「何を今更」
「レイピアやったら、鉱石の必要量が少なめやから、修練のために三本ぐらい作って倉庫に転がしてあったはずやで……」
「東君一人の存在で、ほとんどのプレイヤーの苦労が無意味になってる気がするよ……」
「簡単に言うけどやで、神鋼製の、素材段階からフルにエンチャントかけるレイピアなんか、そう簡単に作れる訳やあらへんねんで?」
宏の説得力のない発言に、深々とため息をつく春菜。そう簡単に作れないのなら、何故三本も倉庫に転がっていると言うのか。
「それに、自慢するようで気が引けるけど、そのレイピアかて難易度で言うたら中々のもんやってんから」
「終わってからそれを言われても、本当に説得力無いよ?」
「でも、実際の話、鍛冶の上級とエンチャントの上級と精錬の上級がないと、あの材料でそれ作るんは無理やねんし、ゲーム内で十五年ぐらいの修行は要るんやで?」
「そうなのかもしれないけど、そうなのかもしれないけど……」
作る方にとってはそこそこ大変でも、傍目に見れば結構あっさり作ってのけたようにしか見えない。そこが、春菜がどうしても釈然としない部分なのだろう。
実のところ、宏がフレンド登録している一般プレイヤーは、神鋼の採取難易度と必要量におののいて、フルエンチャントの装備などほとんど注文を出していない。素材となるモンスターからのレア部位が結構厄介だったこともあり、たまたま一緒に素材狩りに行って手に入った時以外はまず頼む事はない。
しかも、無駄に目立つ上に目をつけられやすいため、身内と狩りに行く時ぐらいしか使えない、ということもあって、彼らがそんな装備を持っている事すら知る人間はほとんどいない。ここら辺が、宏に限らず何かしらの上級生産を極めた二十四人の倉庫が、ゲームバランスを崩壊させる魔窟となっていると評判になっている所以である。もっとも、彼らの倉庫全部をかき集めたところで、一人一点に絞ってさえ、神鋼装備は全プレイヤーの五%に行きわたるかどうか、という数でしかないが。
なお、この二人は知らない事だが、種族が人間、もしくは亜人に分類されるボスのドロップ装備は、露店やオークションシステムで取引された武器の数と品質、高品質装備を持っているプレイヤーの人数によって変化する。そのため、平均がNPC販売の最高品質の品物に毛が生えた程度の物しか出回っていない現状では、義賊アルヴァンの持つ名剣スターライトといえども、神鋼製の装備はおろか、神の匠が低級素材を利用し、フルエンチャントで作った間に合わせの武器にも劣ると言う微妙な結果が生じるのである。
「まあ、そこは置いといて」
「……うん」
「この後の事やけど、ちょっとやりたい事があるから、どっかでご飯食べた後、ちょっと付き合って欲しいんやけど」
「いいけど、やりたい事って?」
「工房も用意できる、十分な広さのある拠点探しと、食材とか調味料の確認や」
宏の言いたい事を察して、真剣な顔で頷く。
「予算は、なんやかんやでかろうじて二万クローネ。普通の一軒家やったら安い奴で五軒ぐらいは十分確保できるけど、工房までとなるとちょっと心もとない」
「ゲームでも、大きい店とか持とうと思ったら、もう一桁必要だったよね」
「稼ぐにしても、目標金額が分からへんと厳しいから、まずはそこの確認からやな」
「金額次第だけど、私の歌も解禁、だよね?」
「そうなるな。後は、明日から依頼を本腰入れて受けて回らんと」
今日は春菜の不機嫌以外にも、製造に時間を取りすぎて、依頼に手を出すには微妙な時間になったために、冒険者としての活動には手を出さなかったのだ。
「で、食材と調味料の確認、は?」
「別に不味い訳やないから、今の宿のご飯に不満があるわけやないけど、全体的に味付けが大雑把というか、ワンパターンやろ?」
「そうだね。これから長丁場になるんだったら、そこらへんもどうにかしたいよね」
「そのために、どんな食材と調味料があるかをチェックして、作れるもんは自作しようか、って思ってるねん」
「作れるの?」
「藤堂さんにもかなり手伝ってもらう事になるけど、大概の調味料は何とかなると思うで」
宏の心強い台詞を聞いて、今までで一番真剣な顔で頷く。正直、まだ日本食が恋しくなるほど飢えてはいないが、砂糖と塩と香辛料が主体の、曾祖母の祖国よりはまし、というレベルの味付けのバリエーションには、そういつまでも耐えられるとは思えない。調理方法も、基本的には煮るか焼くしかなく、揚げたり蒸したりといった料理は、まだお目にかかっていない。発酵食品も塩漬けとくん製とチーズと酒、それから紅茶ぐらいで、果実酒が変質して出来るフルーツ酢の類も、腐敗扱いで廃棄されているらしいと来ている。
発酵食品については、発酵というものがどうしても腐敗と紙一重であるため、出来たものを食べるチャレンジャーがいなければ、あまり発達しないのはしょうがない事ではある。腐敗防止などと言う便利なエンチャントが結構一般化している以上、無理して保存食を作る必要もないのかもしれない。なので、発酵食品が微妙なのはまだ納得がいく。
だが、専用の器具とある程度の知識が必要な蒸すと言う調理方法はともかく、食用の油が増産されて、それほど貴重品でもなくなって結構たつらしいのに、揚げ物がほとんど存在しないのは腑に落ちないところだ。とはいえ、腑に落ちないなどといっていても話は進まない。無いものは無いのだから、自分で何とかするしかない。
幸いにして、昨日今日の食事から、砂糖やスパイス類も、普通に庶民が手に入れられる程度の値段で流通している事は分かっている。また、ファーレーン全域でそのまま飲めるほどきれいな水を抱えており、国内に砂漠以外のありとあらゆる気象条件の地域が揃っていて、都市の中に大きな港もあるのだから、豊富なバリエーションの食材が期待できる。日本ほど、と言うのは難しくても、工夫すれば十分満足できる水準にはできるだろう。
「豊かな食生活のためにも、まずは調理場のある拠点を確保せんとな」
「そうだね。頑張ろう!」
割と切実な問題のために、早くも当初の目的を忘れかけている二人。結局、夜中に暇ができた彼らがカレー粉とマヨネーズを完成させるのは、それから一週間後の事であった。